代わり「ウハハハ!!遊びにきてやったぞロナルド……は…?」
半田が勢いよくドアを開けると窓側にロナルドの後ろ姿があった。カーテンレールに繋いだロープを首にかけ、まさにこれから脚立を蹴り飛そうとしているところだった。
「貴様なにをしている!!!」
慌てて駆け寄り腕を掴む。
ロナルドは冷めた目でじろりとこちらを見た。こんな目を今まで見たことがなかった半田は唖然として掴んでいた手を離した。
「何って…死のうと思って」
「何故だ!?」
「……兄貴みたいにはなれないからさ……だから、死んで生まれ変わろうかなって」
そう呟くロナルドの声は抑揚がなく淡々としていた。焦点があっていない。その様子に恐怖を感じた半田は思わず叫んだ。
「……ふ、ふざけるな!!死ぬなんて許さんぞ、」
「俺の話を聞いてくれよ」
半田の文句を封じるようにロナルドは笑いかける。半田は困惑しながらも頷いた。
「俺の兄貴さ、強くて高潔で誰にでも優しくて、……すごい兄だったんだ」
首に括ったロープに手を添えながら、ロナルドは脚立の上から語り始めた。
「俺も退治人になりたくて、危ない仕事だからって反対してた兄に認めてもらおうと、イキって俺一人で吸血鬼の討伐に向かったんだ。なんのノウハウもなけりゃ後ろ盾もないのに」
半田は黙って聞いていた。
「結局、駆けつけた兄貴が俺を庇って怪我してさ…その怪我がきっかけで銃の引き金を引けなくなったんだ。俺のせいで引退したんだよ。そのあと、無理言って師匠に弟子入りして兄貴の代わりになるために退治人はじめたんだ」
「……そうだったな」
高校のときに、俺のせいだと泣くロナルドを見たことがあった。ちょうど兄が引退した頃だろう。
「まあ、それで今に至るわけだけど、……やっぱり俺じゃダメなんだ」
「何故だ」
ロナルドは縄を手慰みながら返答した。
「退治中にさ、……依頼人に怪我負わせちゃったんだ。
庇い切れなかったんだ。俺が俺じゃなくて、兄貴だったら庇えたのに……とか考えてたら自分の命がどうでもよくなっちゃった」
脚立をカタカタと足で揺らして遊び始める。そのまま足を滑らせたら死んでしまう。気が気じゃなかった。半田はロナルドが一瞬窓の外を眺めた隙に血液錠剤を服用した。絶対に死なせない、そう思った。
「俺みたいなやつが兄貴の代わりなんて、つとまるわけが無かったんだ」
ロナルドが笑う。自嘲するように。
「違う!」
半田は咄嗟にロナルドにしがみつき、必死に否定した。
「お前は、お前だ!
お前以外に誰がいると言うのだ!お前はお前にしかなれんだろう!他の誰でもない、お前だけがロナルドなのだ!だからお前が死んだら困るんだ!!」
半田はそのままの勢いで、底上げした身体能力を使って縄を机上に置いてあった文具用のハサミで切断してロナルドを脚立ごと床に倒した。ロナルドは天井を見ながら呆気に取られていた。
「半田……」
「お前はお前のままでいい!!」
ロナルドの肩を掴みそう叫ぶ半田の目からは大粒の涙が溢れていた。
「お前はお前でしかないんだ……!」
もう吊る事はできない切れた縄を首にだらりとかけたままのロナルドを抱きしめて声を上げて泣いた。
ロナルドはしばらく呆然としていたが、ふっと笑った。
「いつ血液錠剤使ったんだよ」
悪態をついて笑いながら、ロナルドは半田の頭を撫でた。
半田が落ち着いたころ、時間は12時を回っていた。
「なんか腹減ったな。
コンビニいこうぜ、半田」
半田は首を振る。
「俺が作ってもいいか、冷蔵庫の余り物があればそれで……」
ロナルドは「あーー」とくちごもってから、観念した表情で言った。
「本気で死ぬつもりだったから冷蔵庫は空っぽなんだよ」
「………」
居住スペースに移動した半田が冷蔵庫をあけると本当に何も入っていなかった。コンセントまで抜かれている。部屋を見渡すと、机には遺書が置かれていた。異様なほど部屋は綺麗だった。
カーテンレールで首を吊ろうとしたロナルドがいかに本気だったのかを強く実感した半田はまた泣きそうになって、それを見たロナルドは焦って「ほら、コンビニで弁当買おうぜ」と声をかけた。
二人並んでコンビニまでの道のりを歩く。
「なあ、ロナルド」
「ん?」
「兄は素晴らしい人間だったかもしれん。だが、お前はお前だ、兄ではない。」
「……うん」
ロナルドの表情が沈む。半田は続けた。
「俺にとって大切なのは兄ではない、ずっとお前だ。お前のことを全て知りたい。
仮にどれだけすごい人だったとしても、お前の兄なんかに興味はない」
半田の言葉を聞いてロナルドは驚いたように目を丸くしたあと、照れくさそうに肘で小突いた。
コンビニにつくと、半田がカゴを取りロナルドは真っ先にプリンをそのカゴに入れた。
「おっ、唐揚げ弁当のこってる」
「ロナルド、そこの味ご飯が入っている弁当取ってくれ」
「これか?」
「ああ」
二人で喋りながら、食べたいものを次々とカゴに入れていく。実際のところ、ロナルドはまだ死ぬつもりでいた。最期の晩餐のつもりでカゴに突っ込んでいく。
半田としては、残った分は明日食べようなどと言って自殺を止め延命させる口実作りのためカゴに突っ込んでいた。会計を済ませ、店を出ると二人はゆっくりと歩きながら事務所に戻った。
「うわ、すげえ量」
テーブルの上に並べられた大量の食べ物を見てロナルドは笑った。
「一万超えていたからな……余ったら明日にまわせば良い。ほら、食べるぞ」
「え?…あぁ…おう……」
半田はロナルドの考えを察した。
これを最期の晩餐にはさせない、と心の中で思いながら、まずは腹を満たすことにした。
「いただきます」
手を合わせて、箸をとる。
「うめー!なぁこれ食ってみろよ」
ロナルドが嬉しそうに言う。
「本当だ、美味いな」
半田も同意した。
それからは、無言で食事をすすめた。
ロナルドは、半田に聞きたかったことがあった。
「あのさ、半田」
「なんだ?」
「お前、俺のこと好きなの?」
半田は飲んでいたお茶を吹き出した。
「ゲホッ!な、ななな何を言っているんだ!?お前は!!!」
「だって、お前、俺が死んだら困るって……」
「あれは、そういう意味ではない!お前が兄貴の代わりだとは思っていないと言ったのだ!!お前が死ねば俺も死ぬ!だから俺を置いて勝手に死のうとするなと言っているんだ!!」
「へ、あ、はい」
半田の勢いに圧倒されながらロナルドは頷いた。
「それともなんだ?この魔境、新横浜から吸血鬼を退治する立場の人間が一度に二人も居なくなって構わないというのか?街は大変困るだろうな」
「それはダメです」
半田の脅しにロナルドは即答した。
「なら黙って俺と一緒に生きろ!」
半田はそう言って食事を再開した。
「はい」
ロナルドは神妙な面持ちで返事をした。
その後、二人で片付けをしていた。ロナルドは小声でぼやく。
「俺と一緒に生きろってそれ告白じゃね?」
「なんか言ったか?」
「なんでもない」
半田は、食器を洗っているロナルドの背中を見つめていた。
(やはり細い)
退治人衣装を着たときの印象が強いせいか、普段着のロナルドは線が細く見える。
それにしても細すぎる。以前はこんなに痩せていただろうか。
「ロナルド」
「んー?」
ロナルドが振り向く。
「貴様、ちゃんと食べているのか?」
「そりゃまぁ……一応」
「嘘をつくな」
「うぐ」
「昨日は何を食った」
「えっと……言ったらまた泣くだろお前」
「いいから答えろ」
「……最後の冷凍のごはん解凍して食べた」
その言葉を聞いた半田は冷蔵庫が空っぽなのを思い出す。ロナルドは最後の冷凍ごはんを食べたあと、空になった冷蔵庫を掃除してコンセントを切り、首を吊るための紐を用意した。その事実に気付いて、半田は涙が出そうになった。
「ほら〜、やっぱり泣くじゃねえか…だから言いたくなかったんだ」
ロナルドは半田の目元を間近にあったお手拭きで拭った。
「お前が泣いているのは俺のせいだ」
「そんなことねぇよ」
「お前はもっと自分を大事にしろ」
「そう言われてもな」
ロナルドは苦笑した。
そして半田に向き直ると真剣な顔で話し始めた。
その様子に半田は少し驚いた。
いつものふざけた雰囲気ではなく、真面目な雰囲気だ。ロナルドは、半田の目をじっと見つめて話す。
「俺は別に自分の命を軽く見ているわけじゃない。俺だって伊達に退治人やってねえ。自分がここで死んだら周りの人を被害者にしてしまうかもしれないって、常に本気で戦ってる。ただ、他人の命の方が圧倒的に重要に感じてるだけなんだ」
ロナルドは目を逸らさず、真剣にそういった。そして静かに目を伏せる。
「人を守り切れなくなったら、兄貴の代わりが務まらなければ……兄貴の株を落とすようなことをしてしまったら、死と共に引退しようと決めてたんだ。
それなのに、半田まで一緒に死んじゃったら最期まで俺の尊敬は守られない。
だから半田、俺が死んでも、お前は生きてほしい」
ロナルドは真剣な、心の底からそう思っているといった顔でをしていた。半田はその目を見て、自分も真摯に返さねばと思った。
「……俺は、お前の代わりになることはできない」
半田の言葉にロナルドは視線を落とした。
「お前はお前にしかなれない。俺がどんなに頑張ったところで、お前になれるわけではない」
半田は続ける。
「お前だってそうだ、兄の代わりなんて……お前じゃなくたって務まるわけがない」
半田はロナルドの手を握った。
「お前の兄貴も、お前も、お前らの生き方は間違っていない。お前らが自分で選んだ道だ」
半田は真っ直ぐロナルドを見つめる。
「お前は、お前らしく生きていけ」
半田はそう言って、握っていた手を離すとロナルドから涙が溢れ、やがて泣き崩れた。
「おれが、兄貴の選ぶ道の選択肢を奪ってしまったんだ」
涙声でそう言うロナルドの肩を抱き、半田も泣いた。
「俺だって、本当は退治人やめたくない……死にたくない………でも、…………ごめん、ごめんなさい、兄貴……」
ロナルドから初めて死にたくないという言葉が聞けたことが嬉しかった。
「死ぬな」
そう言って、半田は泣きじゃくるロナルドを抱きしめる。
「死にたくない……こわいよぉ……、ぐす…っ、でも、俺が…っ、俺は……」
「死ななくていい、お前はなにも悪くない…、よくやっている」
そう言って背中を撫でてやった。するとロナルドは堰を切ったように大声で泣いた。
ロナルドは兄の引退が自分のせいだと思い込んでおり、責任を感じている。だが兄は生きているのだ。弟がこんな形で責任をとってきたら兄はどう思うのか。
自分の価値を見出せないロナルドはそれで兄は喜ぶと心から思っていた。
現に、彼は本来持っている心や性格を殺して理想の兄のように振る舞い行動していた。それがどれだけ彼の心をすり減らしていたか、本人は自覚していないだろう。
そのことに気付いていたのは自分だけだったと思うと悔しかった。
「お前は俺の友達だ」
「うぅ……ひぐ……」
「お前は1人じゃない」
「う……うあああぁん……!」
半田はずっとロナルドを慰め続けた。この友人のためにできることを考えていた。
学生時代のロナルドを思い出す。まだ兄が現役だったころ、心を押し殺していない、本来の人懐っこく純粋で騙されやすいはつらつとした彼を記憶から呼び戻した。
「ロナルド、お前は純粋でお人好しの優しいやつだったな」
嗚咽を漏らしていたロナルドはぽかんとした顔で半田を見た。半田は気にせずロナルドを褒め続ける。
「お前は自分のためだけに生きるのが苦手なのだな」
「……え?」
「誰かのためになることを無意識のうちに優先する癖がついているのだと思う」
「そんなことねぇよ」
「ある。それは美徳だしお前の良いところだ。
だが、自分のために生きた方が楽になるときもある。俺にはわかるぞ」
半田は真剣な顔で言った。
「お前のその、他人のために生きていたいという気持ちは素晴らしいものだと思っている。だが、そのために自分をないがしろにする必要はないんだ。お前だって人間なんだから」
半田の言葉を聞いているうちにロナルドの顔が歪む。
「お前はもっとわがままになってもいいんだ」
「俺…かなり、わがままだろ…」
「ならば……お前のしたいこと、見たいもの、気になるものを言ってみろ」
半田の言葉にロナルドは考えた。
「俺……、…あれ、…俺…何がしたいんだろう……」
押し殺されてしまった心は何が好きなのかも何に興味のあるのかもわからなくなっていた。ここ数年ロナルドは全くの無趣味だったのだ。
「俺、何もないんだな……」
ロナルドは呟いて、また涙が溢れてきた。半田はそれに気づくとハンカチを取り出して差し出した。
「ロナルド、お前は自分の知らないうちにもう既にお前自身を殺しているんだ。もう一度死んだりする必要はない、自殺しないでくれ」
半田が優しくそう言うと、ロナルドは泣きながら頷いた。
「……ありがとう」
ロナルドは少し落ち着いたようだったが、涙は止まらなかった。これからどうやって生きていくのか考えているようだ。
「……最後に決めるのはお前自身だが、いろんな人に会いに行ってみんなに意見を聞いてみてもいい。
退治人の業務のことも、事務所のことも、趣味のことも、お前の兄貴のことも、これからゆっくり考えよう…」半田は真剣にそう伝えた。ロナルドはしばらく考えて、こくりと首を縦に振った。
「うん、そうだな……、……そうだね」
ロナルドはようやく笑顔を見せた。半田も笑った。
「あー、なんかスッキリした」
ロナルドは晴れやかな顔をしていた。事務所スペースに移動するとカーテンレールに括り付けてあった首吊り用のロープを解いてゴミ箱に投げ捨てた。
「それでよし」
半田はほっとした顔で頷いた。もしもあの時、ここに来るのが3分でも遅ければ、このロープで首を吊って揺れているロナルドを見ることになっていた。紐を首にかけて乗っている脚立を倒そうとしていたあの日のロナルドを思い出して、半田は涙目になりながら目の前にいるロナルドに抱きしめた。
「うおっ!?」
突然のことにロナルドは驚いたが、半田が泣いていることに気づいてされるがままにされていた。
「ごめんな、半田…。あの時、止めてくれてありがとな」
半田の頭を撫でてやった。半田は何度も頷きながらロナルドの胸の中で泣いた。「お前は、……本当にすごいやつだよ」
「……急になんだ」
「お前のおかげで俺はこうして生きてるんだ」
半田はやっと顔を上げた。
「俺はずっと、兄貴のことしか頭になかった。でも今は違う。俺はちゃんと自分のことを考えてる。だから、俺は大丈夫だ」
そう言って、ロナルドはニッと笑った。半田は照れくさそうな顔でそっぽを向いた。
「……なら、いい」
半田は小さくそう言った。ロナルドは半田がいつもより可愛く見えた。