無題 私立宝永大学附属学園。
近隣では数少ない大学付属の高等学校。有数の進学校ということもあり校風はかなり穏やかで、昼休みの今も生徒たちの和やかな笑い声が校舎から聴こえてくる。
まさに理想的な学園風景とも呼べるものだったが、しかし。その校舎裏では和やかさとはまるで正反対の風景が広がっていた。
――そこにあるのは数十もの黒い、大きな塊。
正確にはボロボロになって気絶している、ここらでは珍しい学ランを着た少年たちだった。学園の制服はブレザータイプなので、恐らく別の学校の生徒なのだろう。
そしてその中心には一人。汚れ一つないブレザーを羽織り、つまらなそうに周りを見下ろしている金髪の少年がいる。
間違いなく、この光景を作り出した張本人である。
……まるで漫画の中みたいだな、と一真の頭には取り留めもない感想が浮かぶ。
最近友人の辰巳に貸してもらった不良漫画にも、やけに強い金髪のキャラクターが出てきたことを思い出す。作中最強と呼ばれ一真も嫌いではないキャラクターだったが、それでも目の前の少年と戦ったら敵わないんだろうな想像してみる。
そんな他愛ないことを思考しながら、目の前の異様な光景を作り出したであろう少年へ近づいていく。
何も知らない人間であればその異様さに恐れを抱いてしまうであろう光景だが、一真からしたら既知の相手で想定通りの光景だ。
それに少年が理由もなく他者を傷つける相手でもないことも知っている。
きっとまた周りの人間が厄介事にでも巻き込まれ、それを救ったのだろう。そう思い、労いの意味も込めて声をかける。
「お疲れ様。相変わらずだな、逆廻」
「……この程度じゃお疲れにもならねえよ、東雲」
金髪の少年――逆廻十六夜は、大きくため息を吐きながら応えた。
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「――ったく、どいつもこいつも根性の無いやつらばかりだ、クソ。喧嘩を売ってきた主催者として、少しは参加者を楽しませようという気概を感じさせてほしいもんなんだが」
「……まぁ逆廻のお眼鏡にかなう程の相手はそうそういないだろうな。ただの不良なら特に」
校舎裏で合流した二人は不良たちをロープで縛り裏門前に転がしてきた後、何事もなかったかのように昼食を食べるため食堂へ来ていた。
この学園の食堂は私立大学付属ということもあり、高校の食堂にしてはかなりメニューが充実していて、学生からの人気も高い。
その人気に加え、既に昼休みの時間の半分が過ぎているため席は殆どが埋まっていた。しかし運良く端の方の二人席が空いていたので、そこに向かい合って腰掛けている。
一真は日替わりランチA。十六夜はその風貌からは予想もつかない自身の手作り弁当をつまみながら、先程の不良についての話をしていた
。
平穏な学園生活に似つかわしくない話をするなら、端っこの席というのは好都合だ。
「――大体、大人数で一人を叩くって時に他校の校舎裏なんて奇襲も何もないアウェーな場所を選ぶこと自体が駄目だ。せめて自分たちのホームに案内してほしかったもんだね」
「まぁ、確かにあそこはかなり狭いし、数の有利を生かしづらい場所だったと思う」
「ああ。周囲の開けた場所か、自分たちが熟知して罠を仕掛けやすい場所を選んでたらまだ少しは褒められたんだがな」
その程度の頭も回らない奴らでガッカリだと、苛立たしげに筑前煮を口に運ぶ十六夜。
一人に対して多人数で来たことや喧嘩を吹っかけられたことではなく、喧嘩に張り合いがなかったことについて怒りを覚えるのはなんというか彼らしいというか。
そんな様子を見て苦笑いを浮かべる一真だったが、このように不機嫌なままを貫く十六夜には少し疑問を覚える。
「(確かにあの不良たちが浅はかだったのはあるだろうが、それっていつものことだよな……?)」
そう。十六夜(と一部の他生徒)にとって、今回のように不良に喧嘩を売られるというのは日常茶飯事のはずだ。
一応助けが必要な可能性を考えて、週に一度は十六夜たちの喧嘩へ足を運ぶ一真もこの程度はいつものことだと認識している。
いつもなら一言愚痴を吐いて、さっさと忘れる程度の出来事だろう。
それに十六夜は売られた喧嘩こそ買うものの、自分から無闇に喧嘩を売ったり、常に野蛮な世界に生きているわけではない。
喧嘩ごとの絶えない問題児でこそあるものの、学業なども含め全体的に見ればむしろ優等生の類だ。
こんなんでも一応風紀委員会の所属でもある。
普段はあまり苛立ちを表に出すこともないし、一部の後輩からは面倒みの良い兄貴分として慕われてもいる。
そんな十六夜が不良の喧嘩戦略如きでここまで苛立っているのは相当に珍しい。
何か事情があるのかと目の前の友人を心配した一真は、ひとまず事情を聞いてみることにした。
「……ところで、今回はなんであの不良たちに喧嘩を売られたんだ? 前に話してた例の番長絡みか?」
「いや、あいつは関係ねえよ。あの件は金糸雀も協力して解決したからな。ただ……」
そう言って十六夜は少し口ごもる。普段から何事も直球で言葉にすることの多い十六夜にしては、その反応もかなり珍しい。
一真が黙って十六夜の言葉を待っていると、十六夜は諦めたように嘆息して続けてきた。
「はぁ……。ただ、あいつらのトップがウチの黒ウサギにちょっかいかけようとしたらしくてな。お灸を据えてやったら、そのお仲間が報復に来たってだけだ」
なんにも面白いことはねえよと、苛立たしげに今度はだし巻きを口へ運ぶ。
ちなみに、話に出てきた黒ウサギというのは、十六夜と同じクラスの少女のことだ。一真は本名を知らないが、とにかく黒ウサギと呼ばれている。
顔見知り程度であまり交流こそ無いものの、なんでも十六夜や周りの人物からかなりの尊敬の念を集めているらしい。溺愛と言っても良いほどだそうだ。
ちなみにこれは一真のクラスメイトであり黒ウサギの友人である茅原那姫から聞いた話なので、信憑性は高い。
「(そういえば那姫も少し言ってたような。逆廻と黒ウサギが良い雰囲気かもしれないとか)」
一真が所属する生徒会の業務中、雑談をするうちに出てきた話だったのでうろ覚えだが、確かそんなことを言っていた気がする。
人づてに聞いてしまった友人の恋愛事情などあまり気にするものではないと思って忘れていたが、案外那姫の言っていたとおりなのかもしれない。
恋愛感情かどうかはともかく何かしらの激情があり、それが十六夜の中で軽く暴走してるのだろうと想像はついた。
「(とはいえ、逆廻本人から言い出さない限り俺が気軽に触れていいことでもないよな。こういうのは当人の問題だ)」
「……なんだよ、東雲」
しばらく黙り込んでしまった一真に対して、不機嫌そうに十六夜が睨んでくる。先程よりも機嫌が悪く見えないこともないが、恐らくは今の話をしたことによる照れも入っているのだろう。
一真は普段照れた面など見せない友人を微笑ましく思いつつ、言葉を選んで返す。
「……いや、悪い。単純に納得してただけだ。黒ウサギが絡むと逆廻や春日部、久藤あたりは活発になるからな。結局いつも通りのことだったのかと」
「……そうかよ」
一真の考えていたことを察してかは分からないが、十六夜は一言だけそう言って嘆息し食事へ戻る。
その様子を見て、一真もほっと一息吐き自分の食事へ戻った。
十六夜の苛立たしげな雰囲気は既に霧散している。
本当に気持ちが落ち着いたのかは分からないが、ひとまずはこれで良いということにしよう。
普段と違う様子の友人を心配にこそ思うが、こうして何か隠したがっている事まで暴くのは、とても趣味がいいとは言えない。
「……ところで物理の課題で永久機関についてのレポートを書かなきゃいけないんだが、今度教えてもらえないか? 明らかに高校の範囲を飛び出してるせいで追いつけない」
「あぁ、コッペリアの授業か。エネルギー関係だけ力入れすぎなんだよなあの先生様は。俺はいつでもいいが、永久機関の話なら焔のやつに聞いたほうが――」
二人は話題を変えて、ごく普通の、学生の友人らしい談笑を始める。
そこには退廃も、閉鎖も、滅びもない。
平和で平穏な、普通の学園風景だった。