ぼやけた世界 今度の依頼の打ち合わせをしようと中央の魔法使いと晶は談話室に集まった。
テーブルに広げられた依頼書と地図に目を通す。
大真面目な顔で依頼書を見つめる晶には一つ、皆んなに秘密にしている事があった。
それは、晶は視力が悪いのである。
詳細が書かれているであろう紙は、今の晶の視力では白紙も同然だった。
癖になった無意識できゅっと目を細める。そうすると少しでもピントが合って白紙から何か書いてあるなに昇格するのだ。
見る事に全意識を集中していた晶はその姿をアーサーが見ていた事に気づかなかった。
「そんなに険しい顔をなさらなくても大丈夫ですよ。今回の依頼は危険な事はありません」
「まぁ、警戒は怠らないがな!安心して任せてくれ賢者様」
「え、あ……はい!すみません、ありがとうございます!」
険しい顔、とアーサーの誤解に晶はそっと胸を撫で下ろす。
見えないなどと言ったら、きっと優しい魔法使い達はあわあわと手を尽くしてくれるだろう。でもまだぼやけているだけで、物の雰囲気は掴めている。文字は見えないが。
本当に困ったら、相談しよう。
この時はまさかあんな大事になるとは晶は夢にも思わなかった。
数日後、晶は中央と南の国境付近の小さな村へやって来た。同行するのは先日共に打ち合わせをした中央の魔法使い。
依頼内容は、そこの牧場で飼育されていた空を飛ぶ魔法生物が逃げ出したので捕まえてほしい、というものだった。
そして牧場へと向かえば、広々とした牧地の柵の向こう側でてんやわんやと虫取り網のような柄の長い大きな網をぶおんと振り回している男がいた。
「あの方でしょうか?」
リケが指す方を晶も見つめるが、人影かなぁ程度でよく分からなかった。
そのまま見つめていると、男はこちらを見つけるや否や、半泣きで駆け寄って来た。
「賢者の魔法使いの皆様ですか……!?」
「あぁ、俺はカインだ。よろしく」
スッと差し出したカインの右手に男も手を重ねた。ぱちりとカインとの視線が合う。
それぞれ自己紹介をし、晶達とも握手をしていく。
「あんたが依頼主か?」
「はい!牧場主のシェルと申します。この度は引き受けてくださりありがとうございます……!」
男は網を地面に置くと、被っていた帽子を取り深々と頭を下げた。少しカールの付いた茶髪が元気に跳ねている。
「そんな畏まらないでくれ。それで、私達は何をすればいい?」
「あ、すみません……なら早速ですが、この網をお持ちください」
だいぶ切羽詰まってるのか、目の前の銀髪の魔法使いが中央の国の王子だと知らずか、はい、とアーサーに網を渡す。
「これを使います。そして頭上をご覧ください」
「え?」
シェルが上げた目線の先、同じように視線を合わせると、目の前をふわふわとした塊がゆっくりと横切っていった。
「わっ、ウサギが飛んでます!」
「ハネウサギといって、ジャンプをするとそのまま暫く飛べる魔法生物です。生え替わる羽毛でクッションなんかを作っているんです」
曰く、運動不足解消のため放牧をしていた所、元気よく逃げ出していった様だった。
「そこまで高くは飛べないはずなんですが、もう網では届きそうにない場所まで飛んで行ってしまって……賢者の魔法使いの皆様にお願いした次第です」
遠い目で空を眺めるシェルをカイン達が優しく宥める。晶もこれなら大丈夫かと意気込んで、貰った網をぎゅっと握る。確かに危険な依頼ではないようだった。
「空に飛んで行ってしまったウサギ達は私とオズ様が捕まえに行こう。賢者様はカインとリケと共に下の方のウサギをお願いいたします」
「はい!アーサーもオズもお気をつけて!」
「……すぐに戻る」
「それでは行って参ります!」
ひゅんっと網を片手に箒で飛び立って行った二人を見送り、残った三人は低空のハネウサギ捕獲へと向かう。
「俺、あっちの方見てきます」
「なら僕は反対側を」
「分かった。何かあったら呼んでくれ」
分担した方が早いと、それぞれ持ち場を請け負ってパタパタと走り出す。
晶が目的地に着くと、その辺りにはハネウサギは見当たらず、一先ず探索とゆっくり歩き出した。
その少し歩いた先、柵の向こうに何かがぼんやりと浮かんでいた。今の晶の位置ではよく見えないとはいえ、もしハネウサギならば驚かせないようにとこっそりと近づいて行く。
「んー、あれかな……」
先程よりは輪郭は確かになってはいるが、まだぼんやりしている。しかしあの不鮮明でもかろうじて分かるふわふわ加減はハネウサギだろう。多分おそらく。
きゅっと細めていた目を開けてそっと近づくと、その気配を感じたのかハネウサギはぷかぷかとまた柵の外へと出てしまった。
「あ、ちょっと待って!」
飛んでくハネウサギに続くように晶も柵を越えて行く。その時には「何かあれば」のカインの言葉は抜け落ちていた。
ぱさっと優しく網を空飛ぶウサギに被せる。彼らは嫌がる素振りもせずに大人しくリケが翻す網に収まった。
「ふふ、可愛い。一匹ずつ小屋へ戻すのは大変ですが、その間は撫でられる」
網の中からウサギをそっと取り出し額を撫でれば気持ち良さげにうっとりと目を瞑る。
「ミチルにも見せてあげたかったな……」
腕の中でもそもそ動くこの可愛らしい生き物はきっとミチルも好きだろう。
今度は任務ではなくここへ遊びにミチルやルチル達と来てもいいだろうか。賢者様なら話を通してくれるかもと、数分前に分かれて晶が向かった方へ目を見やると、その姿は何処にもなかった。
「あれ、賢者様……?」
晶がハネウサギを追って行き着いた先は陽の光の届かない暗い森の中だった。夢中になって気づいた時には森深くにぽつんと佇んでいた。
「あ、れ……あれ此処は……」
両手に抱くのは無事捕まえたハネウサギ。その温かさが無ければもっと心細かったなとぎゅっと逃がさないよう抱え直す。
ぼやけた世界は暗く曖昧で何処が道で出口なのか全く分からなかった。一歩進もうにも、闇に飲まれた足元は水に膝まで浸かってるかのようで重い。
「とにかく……明るい方に戻らないと……」
おそらく真っ直ぐ進んで来たのなら、来た道を戻ればいいのではと、くるっと方向転換をする。光の無い暗がりを見るにこれが最善の方法なのかは分からなかった。
小枝や石に足元を取られる。確認しようにも、晶の視力とこの暗がりでは小石一つも見つけられなかった。
しばらく進むと、滲むような青白い光が晶の視界に映った。
「人、かな……」
ゆらりと揺れる朧を追って、歩みを進めて行く。やっと晶の視力でも形取られる近さまで来た時、それが人何かでは無いとようやく気づいた。
青白く怪しく淡く光る身体。翼を舞わせるそれはコウモリのように見える。
バサバサと羽音が聞こえて、目の前の生き物に呆気に取られていた晶は固まった身体を無理矢理動かして木の影に潜んだ。
「(何なんだあれ……!光るコウモリ?灯りの主はあれだったのか)」
息を潜ませ視線を彷徨わせる。あのコウモリをどうにかしなくては。出口を。どうにか外に。見えない事がこんなにも煩わしいなんて。先走る気持ちを抑え込んで晶は思考を巡らせていた。
せめて震える腕に抱えた小さなこの子だけでも無事に飼い主の元に送り届けなければ。
思案する頭の中を掻き消すように、バサっと一段と羽音が大きく聞こえた。
「っ……!」
音の方へ目をやると、あの光るコウモリが確実に晶達を捉えていた。
襲われるより前に一目散にその場から走り去る。
それでも視界不良の中を速くは走れず、追われていると分かる程に近い音。空気が揺れる。
晶の息が切れた、その時。
「《サンレティア・エディフ》!」
叫ぶような声が響くと同時に、夜明けに見る陽の光に似た輝かしい温かい光が辺りを照らす。
怯んだコウモリはふらふらと元の暗闇へと去っていった。
「賢者様!ご無事ですか!?」
「り、リケ……」
魔道具のランタンで光に包まれようやく周りが見えるようになった森は、想像よりも地面は均されていて小石や木の枝が転がっていた。
「リケ!賢者様!」
リケと晶が森を抜けると、アーサーとオズが空から戻っていた。カインが呼び戻したのだろう。暗闇から明るい場所へ戻って来たからか尚更目が眩んで表情はぼやけてよく見えないが、雰囲気的に怒っているのが察せられる。
何か言おうと口を開けようとすると、救急箱を持ってシェルが全速力でこちらへ走って来るのが見えた。
「っ……森へ入ってしまったと……!お怪我はありませんか!?」
「け、怪我は無いです!ご迷惑おかけしてすみません……」
「いいえ……!あの森の説明をしなかった私がいけませんでした……中に野生の魔法生物がいるってお伝えしておけば……」
なんでもその森に棲みついているコウモリはランタンのように光り、その明かりに近付いて来るものを襲うらしい。
「遠くからでもよく見ればコウモリと見分けは付くのですが……」
晶の視力では数メートル先のものはぼやけて見えないし、何なら数十センチ先も怪しいとは言えなかった。
「も……森で迷って気が動転してたのかもしれないです……ウサギを守らなきゃって思って、」
「ええ、賢者様のおかげでハネウサギが無事だったんです……!本当にありがとうございます!」
シェルの手元に移ったハネウサギは、先程の事なんて既に忘れたと言わんばかりにスピスピと寝息を立てている。
それから晶とシェルは互いに謝り通し、もうその辺でとアーサーが声を掛けなければずっと続いていた。
「カインもすみません……ハネウサギを追いかける事に意識がいってしまい……」
その光景ずっと黙って見ていたカインを見やれば、彼の声色は至って冷静ではあったが、額には汗が滲んでいた。
「晶の姿が見えないとリケに言われた時は血の気が引いたぞ。もう一人であんな事はしないでくれ」
「はい……」
晶がシュンとして反省していると分かると、カインは「これ以上は俺からは何も。きっとリケに言われる方が晶には堪えるさ」と晶を先程から泣き出しそうなリケの元へ連れて行く。
「賢者様……」
くりっとした新緑を宿した瞳は、雨でも降ったかのように濡れている。
泣かせた、という事実が晶の柔い心にグサグサ刺さった。
「僕が助けに行くとカインに言ったんです。暗い森の中では灯りが必要だと思って」
「はい、リケのランタンの灯りが見えた時、本当に安心しました。助けに来てくれてありがとうございます」
「本当に良かったです……」
リケの頭をそっと撫でている晶を見ていたオズが、ふと溢した。
「……賢者のそれは、癖か」
「え?」
「何かを見る時よく目を細めているだろう。睨んでいる訳ではなさそうだが」
「確かに、依頼書をご覧になっている時も細めておられましたね」
「そういえばここに来た時も……眩しいのかと思ったのですが」
「眼鏡を外したレノックスもたまに同じ事してたな」
オズから出た小さな疑問から連鎖するように次々出て来る証拠。そんなに分かりやすかったかと皆んなを見るために細めていた目を誤魔化すようにスッと開ける。
「あぁ、それは」
先程まで静かにハネウサギを撫でていたシェルが思い出したと言わんばかりの声色で、それぞれの疑問に一発で答えを出した。
「目が悪い友人が、目を細めるとぼやけてるのが幾分かマシになるんだ、と言っていましたね」
「あ、」
大正解である。
スンっと辺りの空気が冷えた気がした。
「賢者よ」
「……はい」
「目が、見えないのか」
「いや、あの、見えてます。ぼんやりとは……」
「それは、見えていないのでは……?」
シェルにまで突っ込まれた。晶の負けが確定した。
「晶……」
「ご、ごめんなさい……目はずっと悪かったので危機感があまり持てなくて……」
ずっと悪かったなんて、と絶句する中、一足早く意識を戻したアーサーがポンっと手を打った。
「ひ、ひとまず、依頼は終わった事だし魔法舎に戻ってから話そう。賢者様、それで構いませんか?」
「はい……」
無事(ではないが)に依頼を終わらせて帰路に着く間、再び晶はカインに叱られアーサーに心配されリケに泣かれオズには呆れられた。
「(眼鏡……作るかぁ)」
なんて現実逃避に意識を逸らして魔法舎へ戻った晶達の報告を受けた各国から、再びお説教をくらった。盛大に叱られ心配された。
一層の事視力を奪ってお世話をした方がいいのではと意見が出た時、晶はこれでもかと謝り尽くした。冗談にしてはタチが悪い。西の魔法使いが言うと謎の真実味が出てくるのがもっと悪い。
しかしこの会話を何とか丸く収めた数日後、晶がうっかり階段から落ちかけて再び話がぶり返したのは言うまでもない。