浜辺のジョン・ドゥ「あーあ…ついに俺も部屋を借りる時が来たか……まぁ家賃すげぇ安かったし、あんま困る事ねぇけど」
アラマキは荷解きも終わってない部屋で横になる
今まで女の家をはしごにはしごして来たが、ついにバチが当たるように追い出されてしまった
「……あ、やべ大学の課題やってねぇ……意外とやる事多いな……」
とりあえず荷解きして……課題やって……
貯金が無いわけじゃない、急ぐ事は課題くらいだ……家賃もビビるくらい安かった
「いわく付きって言ってたけど、入ってみてもどうって事ねぇな!らはは!住めば都ってもんだよな」
そもそも俺霊感とかねぇし、この部屋が安い理由は霊が出るからとか何かで、3日と待たず人が出ていくらしい、不動産屋も部屋に入らずに外から間取り説明するくらいだった、俺はズカズカ入ったけど
まぁ悪霊だか霊障だかそんな事はどうでもいいので、アラマキは起き上がりとりあえず大きな荷物から解き始める
「テレビはここがいいよな」
『コンセントから遠すぎないかい?』
「ギリ届くだ…ろ……」
アラマキが素早く声のした方へ振り向いた
『やめなよォ、発火の元だよォ〜』
そこには黄色の縦じま模様のスーツを着たサングラスの男がアラマキのダンボールに腰掛けていた
アラマキは壁まで後ずさった
「……ゆ……幽…霊……?めちゃくちゃ…派手じゃね……?」
『派手な幽霊くらい居ても良いでしょうがァ』
これが俺と派手な幽霊、ボルサリーノとの奇妙な出会いだった
「本当に出るのかよ……でもあんま幽霊感ねぇな」
『まぁ別に恨みとかでいる訳じゃないしねェ、おどろおどろしい見た目はしてねぇよォ〜、あぁ〜うらめしやーとか言った方が良かったかい?』
「いや言わなくていいけどよ……幽霊にしては気さくに話しすぎだろ、もうほぼ生きてる人間と変わらねぇじゃん」
『いやァちゃんと幽霊だよォ?すり抜けれるしィ、ポルターガイストとか起こせるよォ?…………わっしより君が慣れるの早すぎじゃねぇかと思うけどォ、驚いてからの慣れが凄い』
サングラスの男はするりと近くにあったダンボールに手を伸ばし、すり抜けて掴めない事を見せてくる、だがアラマキは別に恐怖は感じない
「いやこれだけ人に近いと怖がる所ねぇなって……慣れねぇのは派手な服ぐらいだぜ」
『死んだ時着てた服が反映されるって知ってたら、もう少し落ち着いた服でくたばったら良かったと思うよォ〜、あ…まぁこの服たぶん目印みたいなもんだし、これでいいんだけど』
「目印?」
『ここにいる理由にもなるだけど、待ってるんだよねぇ』
「誰を?」
『忘れた』
アラマキはすっ転びそうなのを何とか耐えた
「忘れたのかよ!大事だろ!」
『でもここで待ってれば来るような気がするんだよォ』
「んだよそりゃ……」
『まぁ別に悪さする訳じゃねぇからァ、わっし共々この部屋をよろしく頼むよ』
ニコっと笑う顔は死んでいるとは思えないほど親しみやすい、しかし足元は透けているし若干浮いているのでやはり死んでいるのは間違いない
「幽霊とシェアハウスかよ……俺も出ていく訳にも行かねぇし…仕方ねぇか……一応聞いとくけどあんた名前は」
『ボルサリーノ』
「ボルサリーノ…」
その時初めて聞いたはずのその名前が、何故か懐かしく妙に言いやすいような感じがした
『君は?』
「幽霊に名前教えて大丈夫なのかよ」
『悪さしねぇってェ〜』
「……オレはアラマキ」
『……ふーんアラマキ君ねェ、覚えたよォ』
「なんか絶妙に嫌だな……」
『酷いこと言うねぇ〜、良い霊って事を証明するために荷解きでも手伝おうかァ?』
「いや、すり抜けるのにどうすんだよ……」
『だからァ、ポルターガイスト』
ダンボールがふわりと浮いて中身が勝手にその場に並べられる
「すげぇ…本当に使えるんだな……」
『まぁ長い事幽霊やってるとねェ〜』
「いつの時代の人間だったんだよアンタ」
ボルサリーノは顎に手を置いて考えたあと答えた
『もっと下に海があって、もっと上に陸があった時代かねェ〜……』
「めちゃくちゃ昔じゃん、何者なんだよ…」
『死者だねぇ〜』
ケラケラと笑うボルサリーノにアラマキは、もう質問するのはやめようとひっそり心に誓った
「大学めんどくせぇ...」
アラマキは安物のベッドの上で起き上がれずに、スマホをタップする、通知は遊んだ女とのメッセージでいっぱいになっていた
『学生の本分は勉強だよォ』
キッチンからボルサリーノが声をかける
「わかってるって...」
面倒くさそうにアラマキは頭をわしゃわしゃとかき、起き上がる
『ほらパンだって焼いてやってんだから』
ふよふよとパンが浮いてきて、皿に慎重にのった
「.........」
『ジャム塗るかい?』
ジャムとバターもふよふよとローテーブルに乗る、アラマキは我慢できずに叫んだ
「順応しすぎだろ!!!なんだよ幽霊に朝飯用意してもらってる俺!」
『君ヒモしてただろォ』
「う......し、してねぇよ!アンタが何でもかんでも身の回りの事するからだろ!」
『いやァなんかしたくなっちゃうんだよねェ〜...』
「俺はガキじゃねぇっつーの!」
怒りながらアラマキは焼きたてのパンにジャムを塗りたくり食べる
「うまいな!!なんで焼き方こんな上手いんだよ!」
『君と違って、たぶん丁寧な生活してたからかねェ〜、うんうん美味しい美味しい』
何故か味がわかるように頷くボルサリーノ
「なんで食ってねぇのにわかんだよ、てか幽霊だから食うのも無理だと思うけど」
『まぁ今君の守護霊みたいな感じで憑かして貰ってるからねェ、味覚も共有されるんだよォ』
「はぁ!?俺今とり憑かれてんのかよ!?」
『良いじゃねぇかァ、悪霊じゃねぇんだからァ〜、君生霊引くほど憑いてたから払っといたよォ?肩とか軽いでしょうに〜』
「!......た、確かに...」
ずっしりとした肩こりが取れている、物珍しいそうに体を動かすアラマキを見てボルサリーノがため息をついた
『君ねェ、遊びすぎだよォ?あんなに生霊くっつけて』
「本気じゃねぇって、遊びだって毎回言ってんのにな」
『今に後ろから刺されるよォ』
「その時はよろしく頼むぜ」
『呆れたァ〜』
朝食の後渋々大学へ行き、講義を受けていたが眠気がアラマキを襲い、あっという間に夢の中へと誘われる
最近夢なんか見なかったのに妙にハッキリとした夢を見た現実と見間違いそうな程の
海の底から海面を見つめている、深い深い底だから海面なんて見えるはずないのに、いや...海面じゃないもっと先...水面に反射する......気泡が目の前を覆う、宇宙空間に投げ出されたかのように漂う俺を、何倍も大きな男が掴む
ボルサリーノかと思ったが全く違う
溺れる声で男が言う
『わすれたか』
バチっと目を覚ます、講義はとっくに終わっていて、周りはポツポツと席を立ち始めている
(何だ今の夢......顔がよく見えなかった......わすれた...何をだ...?)
『みんな教室から出て言っちゃうよォ』
「ついてきてたのかよ...てかついてこれるのかよ...」
『とり憑いてるからねェ』
アラマキは立ち上がり教室を後にした
夢は続く、うたた寝の間に深い夜の眠りの中に、夢という深い海の中でやはり泡の向こう男が自分に言う『わすれたか』俺は何を忘れているのか、その男に何度も聞いたが何も言わずに消えていく、夢の中の海は穏やかで苦しい訳もなくむしろ心地よくもあった、それが問題なのだが
「最近寝る時間が長くなってきてる...病気じゃねぇよな...」
『でも起こすと起きるじゃねぇかァ』
「だよな......あと変な夢も見んだよ」
『夢ェ?』
「海の底から海面を見ててよ...そのうち男が出てきて俺に言うんだよ『わすれたか』って......俺なんか忘れてんのかな」
『わすれたか......うーん...男に恨まれる覚えは?』
「...いや女取ったりしたから 結構...俺なんかまだ憑いてる?」
『いやァ?何もついてねェけどなァ......と言うか...君ィ聞けば聞くほどダメな男だねェ』
ボルサリーノは呆れを通り越して諦めにも似た顔をする、アラマキはスマホで夢で色々と検索をかける、取り憑いてないのは確かだ取り憑いてる奴が言っているのだから...だとしたら[前世の記憶]検索の中から目に飛んできた、もしかしたらもしかするのか
「ボルサリーノ、俺の前世とか見れねぇの?」
『それ幽霊超えてるよォ、見えるわけないでしょにィ...急にスピリチュアルな事言うなよォ』
「んーー......でもこの夢ばっか見るのも、そろそろ嫌って言うか...気になるだろ!こう毎日だと!」
実を言うと夢を見始めてから2週間は経とうとしていた
『じゃあ占いとか行くのかい?』
「いや......金がかかるのはちょっと...」
『気になるくせに、ケチくさいねェ』
「家賃もガス代も水道代も無い幽霊にはわかんねぇだろうな」
『その幽霊を召使いにしてる君も大概だけど』
「フェアな関係だろ......あ!あったうちの大学オカ研あるんだよ」
『素人に頼む気ィ〜!?』
「いや占いとか結構人気だって、この間遊んだ女が言ってた」
『まーた女の子〜』
「よーしそうと決まれば早速...」
「ホロホロホロ!帰れ」
「なっなんでだよ」
「うちは遊び半分で入れるようなサークルじゃねぇんだよ!とっとと帰りやがれ!」
ピンクの巻き髪のゴスロリ服の女はアラマキが来た方向を指さし帰るように言う
「遊び半分じゃねぇ、俺取り憑かれてんだよ!幽霊に!なんかちょっと強めの奴!」
「てめー!嘘ついたって入れてやらねぇからな!取り憑かれてるなら証拠をみせな」
「え、あー...えー、ボルサリーノ何かこうやってみてくれよ」
『え〜?』
「なんでもいいから!物浮かせるとか!」
「誰と喋ってんだ!気色悪ぃな!」
「俺に取り憑いてる奴と喋ってんだよ!」
「そういう演技だ......ろ...」
浮いた、オカ研に置いてある様々な本や資料が全部浮いている
「嘘...だろ...」
「ほらだから、本当に俺は...」
「キシシシシ!!!早くやめさせろ部屋が散らかる」
「うお!!!」
アラマキの背後上から声が降ってくる、ゲッコーモリア、オカルト研究部顧問かなりの長身なのでオカ研以外の学生から恐れられている
「モリアさ...モリア先生!」
「厄介この上ねぇ奴だ、これを持ってさっさと帰りやがれ」
モリアはアラマキに1冊の本をポイと渡す
「......こ、降霊術...?」
「おめェに今必要なのはそれだ」
「いや、憑かれてんのに降霊...」
オカ研から追い出され、バタンっと扉を閉められればアラマキはポツンと廊下で残された
『.........追い出されちまったねェ』
「ボルサリーノがやりすぎたんだろ」
『やれって言ったくせにィ〜』
「はぁーあ、どうすっかなぁ〜」
降霊術の本を少し見た後、ぐいぐいと鞄にしまいながら、アラマキは繁華街を歩く
『あのクレープ美味しそうだねェ、食べないかい?』
「またかよ!この間はパンケーキその前はアイスクリーム!俺は忙しいんだぜ!?」
『でも食べたいんだよォ〜もう死んでる身にもう少し優しくしてくれないかねェ〜』
「ったく...あれ食ったら帰るからな!」
『オ〜男前ェ、それでこそアラマキ君だねェ』
「こういう時だけ褒めちぎって......無駄な時間食いたくねぇのによ...」
『無駄な事でも一緒にやると楽しいもんだよ』
「自論言われてもな」
『自論じゃねェよォ〜、まぁ誰からの受け売りかなんて忘れちまったけどォ』
「前から思ってたけど、忘れすぎだろ色々と...誰を待ってるのかも、いつ生きてたかも、死んだ場所さえ曖昧なんだろ?」
『でもざっくりは言えただろォ?海だよォ大体海』
「それじゃ困るだろ色々と......まぁいいや..」
アラマキはクレープ(チョコバナナ指定)を頼み支払いをして、出来上がりを受け取ると近くのベンチで1口食べる
「......」
『美味しいねェ〜!もう一口ィ!』
「はいはい...」
喜ぶボルサリーノを見てアラマキは悪い気はしない、目じりを下げ嬉しそうに味わっている、無駄な事でも一緒にやると楽しい...そう言われるとそうかもしれない、派手で食いしん坊の幽霊といる時限定だが
思えばボルサリーノに助けられっぱなしだ、生霊は追い払えるし俺が危ない目にでも合えば、偶然を装って上手いこと助けてくれる、急に何もしていない自分が申し訳ない気がしてきた
「......海行ったら、なんか思い出せるんじゃねぇか?」
クレープを食べ終わった後、何気なくアラマキが言う、何か1つでも思い出せたら少しは恩返しになるだろうか
『思い出したら、わっしも誰を待ってるかわかって、成仏できるかねェ』
「......成仏してぇの?」
成仏という言葉に、アラマキは心臓を掴まれるような気分になる、今更居なくなられるのは...でも幽霊のボルサリーノの幸せって成仏なんじゃ...?
『いつまでもおじさんの幽霊が居るのも嫌でしょうにィ〜』
「別に俺は最近悪くねぇとも思ってきたけど......」
『自動で料理出てくるし掃除もするもんねェ』
「いや、そうじゃなくて」
『そういう事にしときなさいよ』
珍しくいつものにこやかな顔ではなく、困った顔でボルサリーノ言う、憐れむような悲しむような悔いるような
「なんだよ急に」
『君と長く居て、わっしも不思議と居心地がいいよォ、怖がらないし塩も撒かれない......でも君のためを思うと、ずっと一緒には居られないとも思うんだよねェ』
アラマキは立ち上がって歩き出す
『どこ行くんだいィ?』
「家に帰るんだよ」
『急だねェ、怒ったのかい?』
「怒ってねぇよ」
『......死者と生者が一緒にいるのは、本当に良くないんだよォ...こっち側に引っ張られるとかあるでしょォ?』
「あんた俺の守護霊だろ」
『守護霊の所を借りてるだけだよォ』
「ずっと借りてりゃいいだろ」
拗ねたように言う俺を見てボルサリーノは、言葉を選んでいるのか顎に手を置く
『......ずっと......』
ずっと居てやれるなら、ずっと居てやりたかったさ、そんな言葉をボルサリーノは途中で飲み込んだ
『ずっとは居られないがねぇ...君の夢の解決には付き合うよォ、わっしのせいだろうしィ』
「.........」
嘘でも一緒に居てやろうと言わないのは、ボルサリーノの方が俺よりうんと大人だからだ
部屋に帰り降霊術の本を読み込む、1番良さそうな降霊術を見つけた、いつも海の夢を見るから海の霊を引っ張ってくる降霊術を試す事にした、何かあったらボルサリーノが追い払ってくれるらしい
「バケツにたっぷりの水と...塩.....海水と同じ濃度...あー、まぁ多けりゃいいか...用意したあと...部屋を暗くしてライトで水面を照す......スマホでもいいか...」
『適当にやって大丈夫なのかい?懐中電灯ならあるよォ』
「あんたが何とかしてくれるだろ、あ、懐中電灯あるならそっちにする」
『はァ...大丈夫かねェ...』
部屋を暗くし用意したバケツの水面に懐中電灯の光を当てた、そしてカチカチと何度か懐中電灯のスイッチ押し点滅させる
「海に帰るならどうぞお越しください」
その瞬間ゾワッと全身を寒気が駆け巡った
『来る』
アラマキは寒気に包まれながら、脳裏に浮かんだ映像に囚われた
あの夢だ
あぶくが目の前を包む、海の底から見上げる夢、上を見れば海面が見える、水面に映るのは
「あ」
ようやく分かった水面に映っていた光は
『おいでなすったァ』
ボルサリーノの言葉にハッとして意識を戻す
目の前には夢で見た大男が立っていた、暗がりで顔はよく見えない、海の中に居たせいか、ずぶ濡れで水がボタボタと床を濡らしている
片足はバケツに突っ込んだまま大男は、ゆっくりとボルサリーノとアラマキの方を見た
『.....ゴポ...』
肺の中に溜まっていたのか、大量の海水が男の口から漏れた、そして男はアラマキではなくボルサリーノに近づく
ボルサリーノは自分に来ると思っていなかったのか、目を丸くしている
「!ボルサリーノ」
『ちょっ......』
男はボルサリーノを抱きしめた、気づけばボルサリーノの体には木の根の様な物が絡みついている
「ボルサリーノ!」
アラマキは手を伸ばすが、当然木の根もボルサリーノも男も霊体で触れることは叶わない
『ごめんな...ボルサリーノ、寂しかったよな......忘れるほど...帰れなくてごめん』
初めて聞いた男の声は、驚くほどアラマキとそっくりだった
『............あ』
長い沈黙の後ボルサリーノが何かに気づいたかの様に声を漏らした
浜辺で帰りを待っていた、ここが1番何の船が帰って来たか分かりやすかったから
青空を飛んでいたカモメが、夕日の赤に焼き尽くされるまで浜辺を歩いていた
濡れた砂が足に絡みついて海の中まで手招く様に、何度も何度も呼ばれたが終ぞ海に身を投げることもなかった
半身を波に晒しても、空の星ばかりが綺麗に見えた、滲んだ視界に二度と映らない愛を思い出した
吼えるように叫ぶように喚くように涙は底が割れた水がめの様にこぼれる、顔を覆って赤子のようにうずくまり、砂浜に両の指を立てて線を引く
喪失に耐えられないのに、どこまでも理性的に正気を失っていた
狂えなかった、狂ってしまえたらどんなに楽だったか、お前の顔も名前も声も何もかも忘れてしまえたら良かったのに、そうやって酷い事を考えては罪悪感に駆られる
いいや本当は何一つ忘れたくない、何も手離したくない
思い出に閉じ込められたまま、やがて弱っていった、死んでも尚あの浜辺にいた、当然のように未練があり、やはり帰りを待っていた
時がどんなに過ぎても、海が自分のいた浜辺を飲み込んでも、深い深い海の底となっても
だが時は残酷だった長い長い時の中で浜辺は海底になり、浜辺だった所は埋め立てられて家やマンションが建ち始めた
名残が無くなれば無くなるほど記憶の欠落は激しかった、荒波のような喪失の中で、彼が呼んだ自分の名前と何かの帰りを待つ事だけが記憶に残っていた、それ以外は何も形のない、ぼんやりとしか思い出せなかった
どこで生まれてどこで育ち何をしていて何を成して、そして何を失ったのか
何もかも忘れた幽霊が1人、かつて浜辺だったところに住み着いた、何かを待たなくてはいけない、忘れなれない使命とともに
『アラ...マキ...』
『帰ってやれなくて...悪かった』
『わっし...わすれて......ごめんねェ...』
ボルサリーノの目からいくつも涙がこぼれる、堰を切ったように泣き男の肩に頭を寄せる
「......」
こいつが...ボルサリーノが待ってた奴...
『悪ぃけど連れていくぜ、俺の恋人なんだ』
暗闇になれた目で男の顔を見た、自分と瓜二つの顔、男がボルサリーノを抱き上げた、ボルサリーノは未だに男の肩で泣いている
「......ボルサリーノ」
アラマキの声にボルサリーノが少しだけ顔を上げた、赤くなった目が確かにアラマキを捉えていた
『ありが......』
言い終わる前に、ボルサリーノは男と共に消えた、海の底か浜辺に帰ったのか
まだ街が目を覚まさない早朝アラマキは1人近くの海の浜辺を歩いていた
今思えばあの日々は俺が見た長い夢だったのかもしれない、時が過ぎるほどにボルサリーノの顔も男の顔も上手く思い出せない、だけどやっぱり気になって図書館の本を読み漁っていたら、確かに俺が住んでるアパートの下は元は浜辺で、埋め立てがあって今があるらしい
でもどこにもボルサリーノや男についての記載はなかった、古すぎて無いのか...もしくは
(本当にボルサリーノって名前が正しいかも怪しいもんな、俺は昔の事なんかわかりっこねぇし...確かめるとか無理なんだけどよ)
ボルサリーノが居なくなってから、アラマキは女遊びもやめて、真面目に過ごしていた
いい子にしていたからと言ってボルサリーノが戻ってくる訳じゃないが、女と遊んでも何処か寂しいような虚しい感じがしてやめた
「家が静かになっちまった」
トボトボと歩いていると、人が見えた流木に腰掛けて海を見ている
男は明るい色のシャツにサングラスを頭に乗っけていた
アラマキは暇つぶしに声をかけた
「あんたも散歩?涼しくていいよな」
「ん〜散歩半分、仕事半分かなァ」
「仕事?」
「俺写真家なんだよねェ〜」
「へぇ写真家...」
男の手元には立派な一眼レフがある
「おめェは?散歩だけかい?それとも傷心を癒しに来たとかァ?センチメンタルな感じがするよ」
「まぁそんな所だぜ...あんた名前は?写真家なら写真集とか出してんだろ?見たいからさ」
「写真に興味あるように見えねぇけどォ」
「これでも綺麗なもん見るのは好きなんでね」
「ははは、そうかい疑って悪かったよォ...俺はァ......」