悪魔「ねぇ、お嬢さん。ちょっとこっち寄ってかない?お兄さんと楽しいコトしようよ。」
深夜2時、ここはとある繁華街。
煌びやかな街灯と、夜中になっても賑やかな人々が眩しい。
そんな中、そう言って手を差し伸べる彼の存在だけが、ただただ異質だった。
彼は笑う。菫色の目を細めて笑う。
その姿はどうしようもなく妖艶で、どうしようもなく不気味だ。
あまりの芳しさに彼から目を離してはいけない気すらする。
それはまるでこの世の者を見ているとは思えなかった。
「…どうしたの?そんなにぼーっとしちゃって。」
男は音も立てずに間合いに入り込むと、私の顔を覗き込んだ。
その人間離れした仕草にギョッとする。
どうやらしばらく放心状態になっていたらしい。
「それで、君はどうしたい?着いてきてくれる?」
そう問われると、答えは1つしかない。
ゴクリと唾を飲み込むと、私は頷いた。
満足そうに笑う男に手を引かれ着いた先は、繁華街を離れ、薄暗い路地の向こう側にある倉庫。
なんだかとてつもなく長い距離を歩いたような気がするが、そんな事はどうでもよかった。
もう後戻りはできない。
「座っていいよ。」
だだっ広い倉庫の真ん中に、椅子が1つある。
言われた通りに腰を下ろすと、男は話をし始めた。
「君はドストエフスキーを知っているかい?」
「…はい、知ってます。」
「彼はね、こう言ったんだ。もし悪魔が存在しないのなら、人間が創り出したものということになる。だとすれば人間は自分の姿や心に似せて悪魔を創ったんじゃないか、って。」
私は困惑していた。
なぜ急にそんな話をするのだろう。
「つまり、あなたは何が言いたいんですか…?」
恐る恐る訪ねると、男は私の方にぐっと顔を近づける。
その顔はゾッとする程整っており、美しい。
その顔に見蕩れていると、突然腹部に痛みが襲う。
驚いてそこを見ると、そこにはナイフが刺さっており、赤黒い染みが広がっていた。
思わずその場に崩れ落ちる。
焼けるほどに熱い、痛い、苦しい。
刺された?どうして?いつ?
状況が理解できず、戸惑う。
一方男はというと、私の顔を見下ろしてくすくすと笑っていた。
「なん、で………」
「はは、なんで、か。」
鈍い銀色に光るナイフがさらに私の腹部を掻き回す。
私は声にならない悲鳴をあげてのたうち回った。
「人間はさ、いつもおかしな事を言うよね。」
男は愉快そうに笑い声をあげる。
いつからだろう、男の瞳が狂気の色に染まっていたのは。
だんだん意識が遠のいていく。
そして意識を手放す直前、男の言っていた意味がようやく分かった。
嗚呼、悪魔なら存在するじゃないか。ここに。