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    🥗/swr

    らくがきとSSと進捗/R18含
    ゲーム8割/創作2割くらい
    ⚠️軽度の怪我・出血/子供化/ケモノ
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    2021/05/31 過去作投稿
    『ヴェルトラオムの亡霊』(グノーシア)
    ---
    真エンド後にセツが主人公の肉体を焼却処分する話。ハッピーエンド。
    セツ主(恋愛描写なし)。明確な主人公の名前や姿は出てきません。

    ##SS
    ##ゲーム

    ヴェルトラオムの亡霊 医療ポッドの中に、一体の死体があった。
     いや、その表現は適切ではなかった。そこにあるのは端末だ。正確に言うならば、ポッドの中の「それ」は死んではいない。だが殆ど死体と同じだった。なぜならば、それの「意識」はもう二度と接続されることがないからだ。
     その中に入っているものは二度と目を開けない。二度と声を発しない。そして誰かの手を引き笑いかけることも、もう二度とないのだ。
     動かぬ生物体の入ったポッドは、もはや棺と呼んでも差し支えなかった。
     それをポッドの中に入れたのは、淡い鶸色ひわいろの髪をした人間――乗員の一人、セツだった。
    「…………」
     ポッドのガラス越しに、セツはそれをただ眺めていた。何の感慨も湧かなかった。少なくとも、それがもう動かないことに悲しみを抱くことはなかった。このポッドに入っている肉体は、ほんの数十分前まで自らの横で動いていたというのに。手を握り、目を合わせ、微笑みを向けていたというのに。
     だがそれも至極当然のことだ。セツはすでに理解していた。これに接続されていた意識は「この次元」の存在ではなかったのだと。この肉体を動かしていたかの意識は、自分とは違う場所に存在しているのだということ。そしてこれは単なる推測――いや、願望かもしれないが、きっと「彼の者」はそこで生きているはずだと確信していたからだ。
     寂しさはあったが、不安はなかった。理解すれば全てが繋がった。さしずめ「鍵」を起動させるかの文言のようだった。
     医療ポッドに入れたのは、その動かぬ体が怪我を負っていたからではない。ましてやもう一度意識を繋げてほしいと願ったわけでもなかった。単に、他に置いておける場所がなかったのだ。
     先程の空間転移時、セツは展望ラウンジにいた。この体に意識を接続していた「彼の者」と共に。空間転移が完了するとともに意識が切断されたその傍らの肉体は、ピクリとも動かなくなった。
     稼働エネルギーの通っていない電子機器と同じことだった。正確に言えば死んではいないのだが、船内に放置しておくわけにもいかなかった。それの肉体は生体素子でできている。有機物だ。放っておけばいずれ腐敗するはずだ。もちろん船内にはコールドスリープ設備が備わっていたが、セツはそれにこの肉体を入れようとは思わなかった。意味がないからだ。永劫意識の接続されない肉の塊をコールドスリープさせて何になるだろう。別に傍に置いておきたいとも思わない。それは眺めるための人形ではない。
     そんな思いは、この殻には抱いてはいなかった。殻は特別でもなんでもない。特別だと、何をもってしても救いたいと願った者はその殻ではなかった。
     セツは空間転移のあと、その動かなくなった殻を抱き抱えて医務室まで運び込んだ。そして、ひとまず医療ポッドの中に置いておくことにした。だが、それでは片付いたことにならない。セツはポッド内部に空の肉体を搭載したあとから、さてどうしたものかと思案していた。
     ともかく、この空の肉体を処分しなくてはならない。後日どこかの星の港に降り立ってから手配するということも考えた。それも悪くないだろう。だが、これまでの長い旅で得た勘だろうか。次の寄港を待つべきではない。すぐにでもこれを処理する必要がある……と、そんな気がしてならなかった。セツにはある懸念があったのだ。
     捨てるというだけなら簡単だ。いつぞやの宇宙でやってしまったことがあるように、エアロックから放り出してしまうという手段でも処分することはできる。だがそれはしたくなかった。いくら動かないとはいえ、人間の形をしたものを宇宙に放り出すのは抵抗があった。せめて人の形ではなくすべきではなかろうか。だがその手段に悩み、セツはポッドを前に数分無言で立ち尽くしていたのだ。
    『――――セツ様? 先ほどからずっと医務室におられますが、いかがなさいましたか?』
     と、考え込んでいたセツの耳に、聞き慣れた擬知体の声が聞こえてきた。
    「LeVi」
     顔を上げる。といっても、この宇宙の船内にはコミュニケーション用端末のステラがいないので、合わせる顔を持つ相手もいなかったのだが。立ったまま一人思案しているセツを見かねたのだろう、LeViは無機質ながらも優しい口調でセツへと問う。
    『何かお困りのことがございますか? 当船で対応可能な事柄であればお手伝いいたしますよ』
    「ああ、ありがとうLeVi。……うん、そうだな……」
     セツはまだ逡巡していた。どうだろう。この星間航行船「D.Q.O.」内の設備でできることはあるだろうか。やはりどこかの星に着いてからでないと難しいだろうか。セツはほんの少しだけ悩み、ひとまずLeViに問うてみることにした。
    「このポッドの中のものが分かる? LeVi。これを処分したい。……できれば、跡形もなく」
    『……? その医療用ポッドの中、ですか。それは…………』
     しばしLeViの言葉が止まる。セツは続きを待った。何故だろうか、続く彼女の言葉が脳裏にはっきりと浮かんだ。そしてそれはその通り、LeViの返答として用いられた。
     
    『…………それは、いったい何なのでしょうか?』
     
     ◆◆◆
     
     医務室の中は静かだった。設備の駆動音が僅かに聞こえる程度だ。セツはLeViとやり取りをしつつ、室内設備のいくつかを操作していた。そして思考の半分では、また別のことを考えていた。
     ——「彼の者」の記憶は、LeViから抹消されている。
     やはりそうか、と。LeViの返答を反芻しながら、セツは自らの予想が当たっていたことを確認した。
     セツの問いかけを受け、LeViはあの時確かにポッドの内容物を分析した。この船の擬知体なのだ、その程度のことなど造作もない。だがLeViははっきりとそう返答した。ほんのつい先刻まで動いていたこの肉の殻が何であったかを、彼女は返答できなかったのだ。
     それが示す事柄はただ一つ。この宇宙から、「彼の者」にまつわる事象が「なかったこと」に修正されているということだった。
     宇宙は矛盾を修正する。LeViは次元管理コアのログに僅かな不整合があるとも述べていたが、当然だ。
     長い旅の果て、セツは彼の者と共にその仕組みを突き止めた。消滅させられたはずのものが存在するという矛盾を成立させるために、宇宙は辻褄合わせをおこない続けてきた。そして、誰も——最初から知っていたかの巫女は除いて——それに気づかなかった。ならば逆の事象が起きたとしてもそれは起こるはずだと、セツは確信していた。自身は目の当たりにしていないが、自分が扉をくぐりこの次元にやってきた時も、元の宇宙では同じことが起きたに違いない。
     そしてLeViがこうであるなら、もはや確認するまでもない。おそらくは他の乗員達……ジナ、ラキオ。彼らの記憶からも、「彼の者」の存在は抹消されていると推測できた。彼らもまた、これが何であったか認識できないのだろう。たとえこのポッドの内容物を直接見せたとしても、だ。
     けれど、やはり悲しくはなかった。寂しさはあったが、不安はなかった。「彼の者」はもうこの宇宙にはいない。二度と接続されることはないのだから。
     だがそれでも、セツには一つ不思議に思っていることがあった。
     
     ——何故自分だけは、「彼の者」の記憶を持ち続けているのだろう?
     
     ◆◆◆
     
    『…………設定完了いたしました。数値や処理に誤りがないかご確認ください』
     LeViの声がセツに確認を促した。医務室内の機器の操作をして必要な処理設定を完了したセツは、もうすぐ稼働するはずの医療ポッドに目をくれた。
    「——…………」
     ポッドの中にはやはり彼の者の肉体が入っている。少なくとも人の形をしたものだと、セツには認識できた。切れ長の瞳が、ほんの僅かに細められる。
    「LeVi。君にはやはり……これが何なのか分からないかな?」
    『セツ様……先ほども申し上げた通りです。それが生物体の組織に酷似した有機物であるということ以外の情報は読み取れません』
     LeViの返答はきっぱりしていた。躊躇いも嘘も感じられない。含まれているとすれば、せいぜいそのようなことを二度も問うてくるセツへの疑念程度だった。
    『もしご希望であれば実験ラボでの分析も可能ですが……、おそらく現状以上のデータを得ることは不可能かと思われます』
    「……そう、か」
     宇宙の徹底ぶりに、セツは感嘆と僅かな呆れを覚えた。セツは医務室内の設備を操作している時もLeViとは会話していたのだが、LeViはどうも、これが人の形を成していることすら認識していないと思われた。彼女ができたであろう認識は「詳細分析不能の有機物塊」といったところだろうか。
     おそらく、セツがこれが何であるかをLeViに説明しても無駄だった。それをしてもLeViの認識が覆ることはないし、万が一理解させてしまった場合に「何も起こらない」とは言い切れなかった。
     自分以外の者に彼の者の存在を説くことで、宇宙に不整合が発生してしまう可能性。それがゼロであると断定できる材料はなかった。不整合を発生させるのはあまりにリスキーだ。それにもう「鍵」はないし、「鍵」に囚われるつもりもない。
    「いや、いいよ。……もう気にしなくていい」
     セツはかぶりを振った。そんなことはもういい。意味のない会話をして無駄な時間を消費する必要などないのだ。セツは一歩進み、ポッドの傍に立った。
    『しかしセツ様……なぜ『これ』をここで処理する必要が? 先ほど仰っていたご希望の処理であれば、他の船内設備でより素早く簡単におこなえます。医療ポッドを利用する必要性はありません』
     LeViの問いかけは心底不思議そうな様子だった。実際LeViの言う通りだ。今からやることは船内の他の設備でも容易にできる。人間の治療を行うための医療ポッドの一つをわざわざ使用してまでやることではないはずだった。
    「だができないわけじゃないだろう?」
    『それはそうですが……』
    「すまないね、LeVi。でも船内の他の施設だと少し不都合なんだ。……私にとっては」
     述べる意味のない詳細は省きつつ、自分にとってはこの方法を取る必要があるのだと念押しする。完全に納得させることはできなくとも、おそらくLeViは要望を聞いてくれるはずだ。
    『そう、……ですか。でしたらセツ様のご希望通りにいたしましょう』
     LeViの返答が聞こえた。やや納得のいっていない声色にも聞こえたが、ひとまずは問題をクリアしたといっていいだろう。彼女が柔軟で融通のきく性格で助かったな、などと思いつつ、セツはありがとうと一つ礼を述べた。
    『それではセツ様、ポッドを稼働します。ご準備はよろしいでしょうか』
     確認のアナウンスが聞こえる。セツはすぅと息を吸い、吐いた。
     恐ろしくはない。悲しくはない。LeViにそれが出来るかと尋ねた時、彼女は可能だと答えた。ならばやればいい。今からおこなうことは、この船にとって、乗員達にとって……そして、
    「うん、頼むよ。……中身を燃やしてくれ」
     
     この宇宙にとって、必要なことだった。
     
     ◆◆◆
     
     ポッドの低い駆動音が聞こえる。ポッドについている窓にはシャッターが下され、中の様子は確認できない。とはいえ、その中は確実に高熱で満たされていた。
     設定した焼却操作は、単に火をつけて燃焼させるなどという粗雑な方法ではなかった。それでは形が残りすぎてしまう。できる限り残留物を少なくし、残ったものも元の形から離れた状態にする必要があった。そのため、単に燃焼させるよりも高温になるよう設定をおこなっていた。
     医療ポッドはかなり高性能なもので、そんなものが起動している部屋の中にいてもセツの身にはほとんど熱が伝わってこなかった。念のため、距離を取ってはいたのだが。セツは無言のまま、ただ処理が終わるのを待っていた。
     
     ――何故、自分だけは「彼の者」の記憶を持ち続けているのか。
     セツはそれを不思議に思ってはいたが、理由には見当がついていた。「銀の鍵」による記憶の連続だ。
     本来であればそれぞれの宇宙は繋がっていないため、同一人物であっても別の宇宙の記憶は連続しない。宇宙を渡り歩き、記憶を保つには「銀の鍵」が必要だ。そして他の乗員やLeViはその身に「銀の鍵」を寄生させたことはない。
     ただ、セツが「銀の鍵」の宿主であったということ。それだけが理由だ。
     だがそう推測こそできていても、懸念がないわけではなかった。宇宙の秩序は抗い難いほどの強さをもつ。それこそ、長いループの旅の後半に至るまで彼の者の存在の矛盾に気づけなかったように。
     
     ……思えば、彼の者のことは知らないことだらけだった。彼の者はいわゆる「記憶喪失」と呼べる状態だったと思われたし、セツはそうだと仮定して対応してきた。
     だが、彼の者が長い旅の中で自らの過去を思い出せたことはあったのだろうか? それすらも、セツは知ることはなかった。「銀の鍵」の特記事項を全て満たしてもなお、自身は彼の者について何も分かっていなかったのではないかと、そうセツは感じていた。
     ただ分かるのは、その目の奥にある「何か」。扉を抜け、そしてこの宇宙で再び彼の者と巡り会うまで、セツはその正体に気づけなかった。
    「次元を超え、意識だけを繋いでいる」者……それが、彼の者の本当の姿であったのだと。
     
     数十分後、医療ポッドの稼働が止まった。内容物の焼却処分が完了したようだった。
    『処理が完了いたしました。セツ様、ポッドのロックを解除しますので少々お下がりください』
     言われた通り、後方に下がる。稼働が終了したポッドが、しゅうと音を立てた。セツはポッドに歩み寄り、その表面に手をかけた。処理は排熱を含めて終わっていたようで、セツの体に強い熱気が吹きかかることはなかった。
     ゆっくりと、その蓋を開く。微かに舞った粉塵に、セツは少しだけ顔をしかめた。中に残っていたのはただの灰塵かいじんだった。固形の形は保たれておらず、ほとんど粉末状になっていた。
    「…………」
     人間の肉体であった名残など、ただの一欠片もありはしなかった。セツはそれに目を落としながら、自身がなお「彼の者」の記憶を保っていることを確認した。
     実のところをいえば、セツの胸中には一抹の恐怖がくすぶっていた。彼の者の抜け殻である「これ」の処分をするとして、処理が完了する頃には、セツ自身の記憶もまた他の者と同じく消えてしまうのではないか——と。
     だが幸いにもそれは起こらなかった。セツは、今もなお彼の者の記憶を持ち続けていた。そしてセツは、一人ひっそりとその事実に安堵した。
     
     ただ——それを当の本人が喜ぶかは、わからなかったが。
     
    「――…………」
     いや、安堵している場合ではなかった。セツはそう気を取り直し、次の作業へと取り掛かる。まだやらなければならないことは多い。それにこれが残ったままでは医療ポッドは使えまい。自分の船ではないのだし、次に必要な時が来れば使用できるようにしておくべきだった。
    「LeVi、何かこの灰を入れられるような容器はあるかな。できれば、蓋があるといい。量は多くないから大きなものでなくてもいいんだけど」
    『はい、承知しました。でしたらすぐご用意いたしますね』
     LeViがセツの要請に応じる。しばらくその場に待機していると、セツのもとに一つの小さなポッドが運ばれてきた。大きさは両手で抱えられる程度だろうか。都合の良い容器があるものだと思ったが、そもそもこの船にはジョナスの趣味の品を含めてかなり多彩なものが搭載されていた。格納庫での光景を目の当たりにしたのだ、別に不思議に思うほどのことでもない。そう思い直しながら、セツは焼却後の残留物を容器の中へと移し替え始めた。
     塵芥はすっかり乾燥している。高温での処理は正解だった。虚ろな白色をしたそれは、つちくれといってもあながち間違いではなかろう。もうこれは生体素子で構成された生物体などと呼べはしない。難点を挙げるとすれば、案外容器に移し替えるのが難しいことくらいだ。
    「……よし、これで全部かな」
     苦労しながらも全てを容器に移し替えたセツは、それの蓋を締めて手に抱えた。次の場所へ向かわなければ。
    「ありがとう、LeVi。ここでの作業は終わりだ」
     そう言って、きびすを返す。医務室の扉を開いたセツは迷いなく廊下を歩き、次の目的地へを目指した。そう遠くはない。さっきまでいた場所に戻るだけだ。先ほどは人の形をしたものを抱えていたので、今度はずいぶん移動が楽だった。
     目的地の扉を開く。その天井はガラス張りになっており、船外の果てまで続く深い闇とそこにまたたく星々がいつでも楽しめる。やってきたのは、展望ラウンジだ。
    「LeVi」
     再び彼女の名を呼ぶ。彼女はすぐ応じ、何をなさいますかとセツに問うた。セツは腕に抱えた小さな容器に目を落とし、しばし思案した。
    「そうだな……イメージ投影を。……花畑がいい」
    『かしこまりました』
     そのLeViの返答と同時に、あたりの景色が一瞬にして塗り替えられた。展望ラウンジは、見るものを魅了する豊穣の花畑へと変貌した。何度かは見たイメージ投影だったが、セツはその光景に少しだけ意識を惹きつけられた。
    「…………」
     色とりどりの花が咲き乱れる花畑へと歩みを進める。その景色の何と美しいことだろう。単なるイメージ投影で生み出されたとは思えぬほどだ。実際、それは花を摘み取って冠さえ作ることができるほどの精巧なものだ。嗅覚や触覚への刺激さえ可能であるのだ。無論、終了させれば摘み取った可憐な花も消え去るのだが。ともかく、遥か彼方まで広がり続けているかのように錯覚するそれは、柔らかなそよ風に花びらを踊らせていた。
     花畑は静かだった。
     花畑の中心までやってくると、セツはぽすりとその中に腰を下ろした。無機質な金属でできた床の感触はなく、実際に柔らかな草原の上に腰を下ろしているかのようだった。手のひらに触れる葉の感触も心地よかった。ずっとそうして花畑を楽しむのも悪くなかったが、用事は別にあった。セツはふわふわと揺れるイメージ投影の花の一つをそっと摘み取ると、抱えていた容器の蓋を開けてその中に花を落とした。花は容器の中に落ちてなお、その形を保っている。やはり精巧な出来だ。
    『セツ様? ここの花を持ち出すことはできません。その中に摘み取って入れても、投影を終了させた段階で消失しますが……』
    「分かっているさ。いいんだよ、それでも」
     そう言うとセツは蓋を閉め、そして再び立ち上がった。そうだ、この行動に意味などなかった。現実の物体ではないそれがいくら質量や香りを再現できていたとして、それはやはり虚像に過ぎない。この部屋を出た瞬間に花は消え去るだろう。
     そんなことは、最初からわかっている。
     セツはそれ以上何も言うことなく、展望ラウンジを後にして次の目的地を目指した。
     
     ◆◆◆
     
     気づけばセツの足は歩みを急ぐようになっていた。処理は案外スムーズに進行したし、次の寄港までの時間もまだ十分に残っていた。焦る必要などなかった。けれど、何かに追われるようにセツの足は動き続けた。次で終わりだ。早く全ての作業を完遂しなくてはならない。セツは早足のまま廊下の角を曲がり、そこで一人の乗員に出くわした。
    「——っと、セツじゃないか。さっきから忙しない様子だね」
    「ラキオ?」
     ぶつかるすんでのところで足を止め、セツは目の前の者の顔を見た。ラキオだ。尊大な物言いをするが理知的で、物事の理解が早い人物。そういえば、自分に寄生していた「銀の鍵」の元々の持ち主でもあった。
    「何やら船内のあちこちを往復しているようだけど、一体何をしているンだい? もうグノーシアはいないはずだろう」
     ラキオの視線は訝しげだ。騒ぎは片付いた。だからもう乗員達がやることなどないはずなのに、セツが動き回っている様子に疑問を持ったようだった。咎めるような視線ではないので、単純に目について気になったのだろう。
    「いや、大したことではないよ。……ちょっとあるものを焼却処分していてね」
    「はあ?『焼却処分』だって?」
     ラキオの目がさもおかしそうに輝く。そのような単語をこの船の中で聞くとは思わなかったのだろう、ラキオは揚々とセツに語り出した。
    「何を処分したのかは知らないが、焼却処分なんて一体いつの時代の廃棄物処理法を用いるんだ君は? あまりに原始的すぎるね。その様子じゃあ残留物が大量に残ったんじゃないのか? 全く他にもやり方があるだろうに」
    「うん、そうだね。分かってるよ。でもこの方法が最も適切だったから仕方なく、ね」
     ラキオの言葉を流しつつ、答えられる程度の返答をする。ラキオもLeVi同様、詳細を理解させれば宇宙に不整合が生じる可能性がある。幸いにも、ラキオは何を処分したかについてはさして興味がなかったようだった。
    「適切、ねえ。……まあいい、何をしていたにしろ、僕には関係のないことか」
     関心を失ったラキオはフンと鼻を鳴らして腕を組んだ。そんなラキオの姿を見て、セツは自分の所持する「あるもの」のことを思い出した。
    「……そうだラキオ。これを」
     ジャケットに仕舞い込んでいたそれを手に取り、ラキオの眼前に晒す。透明な灰色をしたそれを見たラキオは、わずかに目を見開いた。
    「――『銀の鍵』? ……君のものはさっきマナンに渡ったはずじゃないのか。なぜ君がまだこれを持っているンだ?」
    「私は不活性のものとすでに私に寄生していたもの……二つ所有していたんだ。私がマナンに渡したのは私に寄生していたものだけでね、だからこうして残っている」
    「…………」
     ラキオの視線が再び訝しげな色を帯びた。黙ったまま口元に手を当てしばらく思案したのち、はああと大仰なため息がその口から漏れた。
    「詳しく追求するのも面倒だからしないけどね。君は単に別の宇宙を渡り歩いてきただけじゃない……そういうことなんだろう?」
     セツは頷く。やはりラキオは理解が早い。この宇宙においても、ラキオは「鍵」に関する多くの知識を所有していた。ならば丁度良い話だ。
    「これはもう私が持っていても仕方のないものだ。まあ、あの時……二つともマナンに渡してしまっても良かったのかもしれないが。君に渡すのがおそらく一番いいんじゃないかと思ってね。ラキオ、……君はもともと『鍵』を所持していて、今はそれを持っていないんじゃないか?」
    「…………それも『経験済み』だと?」
    「そう、だね。ともかく、これは『鍵』の知識を持つ者が管理すべきだと思う。だから……君に渡しておきたい」
     ラキオの瞳が細められる。反応からして、この宇宙のラキオもどうやら『銀の鍵』の知識を持っていながら現在の手元にはないようだった。ラキオはしばらく黙り、いかにも面倒くさそうに眉間に皺を寄せたが、やがてため息まじりに口を開いた。
    「フン、……まあいいだろう。確かにこれは適当に扱うべきものでないからね。どうしてもと言うなら構わない」
     そんな悪態とともに、ラキオの手がセツに差し出された。セツは少しだけ苦笑を浮かべると、すまないねと一言述べてラキオの手に「銀の鍵」を乗せた。
    「……正直なところ、それが君の持っていた『銀の鍵』と同一のものであるかはわからない。だが……」
    「ああもう、皆まで言わなくて結構だ。君は僕に『鍵』を渡し、僕はそれを受け取った。益にもならない『もしも』の話を延々と続ける気はないね。それじゃあ失礼するよ」
     そうセツの言葉を遮ってまくし立てると、ラキオはもう話す気はないと言いたげにすたすたとセツの横を歩き去っていった。一人取り残されたセツはラキオの後ろ姿を見送った後、小さくため息をついて呟いた。
    「…………すまない。ありがとう、ラキオ」
     
     そうして、残されていたもう一つの「銀の鍵」はセツの元から完全に手放された。
     
     ◆◆◆
     
     一歩一歩、廊下を進む。
     ラキオと会ったからだろうか、セツの足取りからは焦りが消えていた。「鍵」をラキオに託したのは計画していたことではなかったが、セツは永く囚われ続けていた鎖から真に解放されたかのような気分だった。
     宇宙をあるべき姿に。完璧に戻る事がなくとも、せめて少しだけでも皆が幸せに生きていけるように。そのための計画は、もうすぐ本当に終わりを告げる。
     そして長い廊下を歩き続けたセツは、とうとうエアロックの扉前にたどり着いた。
    「…………」
     巨大な扉の前で呆然と立ち尽くす。この一連の作業で、残るタスクはあと一つ。それを終わらせれば、もう何もすることはない。だがセツはなんとなく動く気になれず、ただその重厚な二重扉を捉えたまま立っていた。
    「……はは、困ったな」
     気づけば苦笑が漏れていた。何故だろう。やろうと決めたことではないか。セツは胸の内に湧いた微かな躊躇いをかき消そうと、軽く頭を振った。
     そうだ。ここまでやってきた全てのことは、それはこの船のためで、乗員全員のためで。そしてこの宇宙のための――「彼の者の存在の完全消去作業」だった。
     
     今セツがその手に抱えているのは、彼の者の空の器……いや「器だったもの」だ。
     この宇宙においての「昨日」、グノーシアが船内に侵入したこと。侵入したグノーシア――マナンに消滅させられたものが彼の者の肉体であるということ、そしてセツを救い出したのちに接続の切断されたこの空の器もまた、彼の者の肉体であることに変わりはない。もう二重存在は解消しているとも言えたし、LeViもすでに彼の者の存在を認識できなくなっていたが、彼の者がこの宇宙に存在した痕跡を完全に消すことはまだできていないはずだった。
     ゆえにセツは、自分が出来うる限りの全ての手段を用いて、この「今いる宇宙」が崩壊してしまう可能性を排除しようとしていたのだった。
     最善を尽くしたつもりだった。宇宙の修正により、LeViや乗員達からはもはや人間だったとすら認識されない「これ」を。燃やし、形の残らぬ灰にして、そして……船の外へと廃棄する。焼却はうまくいった。例えばグノーシアが人間を消すような、完全な無に帰すということはかなわなかったが、元の形のわからぬ別の物体へと仕立て上げてしまえば計画の成功率は上がるだろう。
     そう、だから後はもう、この白いつちくれの入ったポッドを船外へと放り出してしまえばよかった。
    「…………」
     ポッドを抱く手に、少しだけ力がこもった。恐ろしくはない。悲しくはない。寂しさはあったが、不安はない。
     そのはずだった。
    「……はあ」
     意識的に大きく息を吸い込んだ。緊張からか、セツの体はこわばっていた。
     ああ、そうだ。躊躇うことはない。恐ろしくはなかった。悲しくはなかった。寂しさはあったが、不安はなかった。
     頭の中で、何度もその言葉を繰り返す。セツはしばらくゆっくりと深呼吸を続け、そして脳裏に最後の空間転移の出来事を思い浮かべた。
     
     ――私は、ここにいる。
     
     この宇宙は、崩壊させたくなかった。
     この宇宙だけは、崩壊させたくなかった。
     
     ――そして君も、そこにいるだろう?
     
     何故なら、皆に未来がある宇宙のはずだから。
     誰もが苦しまずに済む宇宙のはずだから。そして、何より。
     
     ――それだけで充分なんだ。だから…………
     
     この宇宙は、返したはずの未来から次元を超え、セツに未来を繋げるためだけにやってきた彼の者の「最後の贈り物」だったからだった。
     
    「――よし、行こう」
     セツは顔を上げた。もう迷いはなかった。あの最後の時間が全てだ。自分が彼の者に語ったこと。そして、彼の者があの時おこなってくれたこと。それだけが、全てだった。だからこそ終わらせなくてはならない。彼の者とともに、長い旅路を歩んだ者として。
    「LeVi。エアロックの一枚目の扉を開けてくれ」
    『かしこまりました』
     LeViの返答とともに、重厚なエアロックの一枚が開いていった。奥には二枚目の扉が見えている。その先は、空気のない全き闇が広がっているはずだ。
     エアロック内に進入する。カツンカツンという無機質な足音がその空間に響いた。他に誰もいなかったので、セツの耳には足音がこだますようにも聞こえた。
     一枚目と二枚目の扉の中間まで来ると、セツはずっと抱えていたポッドをようやく床の上に手放した。そしてしゃがみ込み、蓋を緩める。軽い衝撃さえ加われば取れてしまうくらいまで緩めると、セツは立ち上がって踵を返し、一枚目の扉の向こうへと戻った。
     
     大丈夫。もう、大丈夫だ。彼の者はセツを見届けた。誰一人犠牲を出さないという理想を貫き、成し遂げてみせたセツを。
     肉体は、器は重要ではない。セツはそれを確信していた。
     思い出をモノとして残しておく必要はない。彼の者の器はすでに役目を果たした。彼の者の意識は、もう二度とこの宇宙に接続されることはない。でも大丈夫だ。彼の者との旅路の記憶は、セツが覚えている限り決して消え去ったりしない。決してなかったことにはならない。そしてもうここにはいなくとも、彼の者はきっと「別の場所」に生きているはずだと、そう信じていた。
     
    「LeVi。……あのポッドを船外に放棄する。一枚目の扉を締め直して、それから向こう側の二枚目を開いてほしい」
    『……かしこまりました。少々お待ちください』
     もうLeViはセツに問うてこなかった。行動の意味の理解はできなかったが、セツが望んでいることだということは汲み取ってくれていたようだった。
     ごうごうと低い音を立て、重苦しい扉が閉じられた。もうその先は見る事ができない。まもなく、隔壁の向こうから同じような低い音が聞こえてきた。二枚目の扉が開く音だった。
    「…………」
     セツは窓の外に目をくれた。船の後方で、小さな何かの容器がふわふわくるくると宙を舞っているのが見えた。蓋は取れていて、白い粉がその周りに漂っている。あの塵は、きっといつか完全に朽ち果てて本当の塵芥となるはずだ。
     
     ――肉体に意味などない。意味があるのは記憶だ。
     ともにグノーシア達と戦ったこと。情報を交換し、一人では読み解けぬ謎を追ったこと。心が折れそうになった時に与えられた、束の間の休息。そしてもう二度と会えないと思っていた宇宙で、再び巡り会えた奇跡。
     その記憶こそが証明だった。ただ、それがあるだけでよかった。
     彼の者が此処にいなくても。もう二度と巡り会う事がなくても。セツの胸の中に刻まれた記憶だけは、決して色褪せず残り続けるに違いなかった。
    「……ありがとう」
     そう、小さく呟いた。全き闇を漂う塵芥にではない。遥か遠くの何処かにいる、自分だけのイレギュラーにだ。
     寂しくて、名残惜しくて。けれど涙がセツの頬を伝うことはなかった。
     何故なら彼の者はこの宇宙にはいないのだから。
     
     彼の者の在処はここではない場所にある————そう。彼の者の『現実』に。
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