『紅に溶ける』暗くて、狭くて、じっとりと皮膚にまとわりつくような感覚が嫌い。
まるで土に溶けゆく死骸のように。そこの空気は澱み切っていたのを覚えている。
大嫌いなそこで見つけた一粒の果実は血よりも紅くて
「ははっ…こんな場所でドロドロにならずに育つなんて、よっぽど物好きなんだね。」
死ぬほど甘くて、頭が溶ける味がした。
***
「そういえば。」
それまでフライドチキンに齧り付いていたブラッドリーが口を開く。
「何でオーエンはそんな甘いもの好きになったんだよ」
視線を逸らして、僕はフォークを突き刺したそれを見る。
「味覚音痴なんじゃないですか。」
ボリボリと異様な音を立て消し炭を食らうミスラが言う。
「お前が言うな。」
不意にブラッドリーと言葉が重なる。
「そんなの知ってどうするの。」
「そう怪訝な顔すんなよ、ただの雑談だろうが。」
ミスラの視線が泳ぐ。
「それって、貴方が魂隠してることと関係あります?」
「…は?」
「そいつは面白え、詳しく聞かせろよミスラ。」
2人の視線が僕を刺して、やがて僕とブラッドリーの視線はミスラに向かう。
「例えば“毒のある甘すぎる物を食べて一度死んだ”とか。ほら、この人死ぬの得意だし。それを食べて魂をそこに置いてきたみたいな。あり得そうじゃないですか。」
探るような視線でミスラがこちらを見た。
「で、どうなんです?オーエン。」
獣のような、吸い込まれそうな濡れた緑色の瞳。
「…ふん、馬鹿じゃないの。大ハズレ。」
あの日はひどく湿度が高くて、辺りは薄暗くて。心細かった。
血みたいな色をした真っ赤な果実と、土になり損ねたボロボロの絵本。
聞こえる音は人間共の怒号にも似た悲鳴と、混ざって漂った弱々しい魔力…。
記憶を辿るうちにぼくの意識はすり替わった。
「騎士様…?」
「?」
「? ご機嫌ですね、オーエン。」
あ、かっこいい人。
「ミスラ、騎士様知らない?」
「知ってますよ。ほら、そこ。」
ミスラの指差す方を見れば、中央の魔法使いや賢者様と笑い合う騎士様がいた。
「本当だ。ありがとう、ミスラ!」
「…気味悪いな。」
「そうですか?ニコニコしてて話しやすいですよ。」
ぼくが騎士様に駆け寄ると、なぜか騎士様と近くにいた賢者様がぎょっとした。
「オ、オーエン?よかった、ちょうどお前に用事があったんだった。リケ、アーサー。悪いが俺は一回席を外すよ。」
「あぁ、わかった。」
「わかりました。いってらっしゃい、カイン。」
騎士様はぼくの手を取ると賢者様にも声をかけた。
「賢者様、あんたは俺と来てくれ。」
***
「…何、この手。騎士様はそんなに僕と仲良くしたかったんだ?」
繋がれた手を振り払う。
さっきまでミスラ達と談話していたはず、記憶がない。
「あ、いや。…また小さいオーエンが出てた。」
「…へぇ。それでお優しい騎士様と賢者様が助けてくれたとでも言いたいわけ?」
ミスラとブラッドリーには知られたくない。
「今回はお前の方から来てくれた。」
「あっそう。じゃあね。」
「おい!まだ話が…、行っちまった。仕方ない。俺達も戻ろうぜ、賢者様。」
***
『とある国のお話。
そこは人々の愛に溢れる街。そんな場所にも悪いことを考える人は少なからずいました。
悪者はたちまち人々の心を惑わし、ついには街を自分色に染め始めたのです。
次第に明るい街にも、暗く重い、悲しい雲が立ち込めるようになりました。
「これではダメだ」と、1人の青年が立ち上がったのです。
その青年は街の人に笑顔で声をかけ続け、慰め、悪者へと立ち向かう決心をしました。
悪者を倒す姿が、まさに国を守る騎士様だと、街の人は口を揃えて青年を讃えたのです。』
街の人が描かれていたであろう部分はボロボロで、汚れたページにポツンと残された剣を掲げる騎士様。
淀み切った空気の中に見えた景色が、一瞬だけ、絵本と重なった。
「騎士様…?」
パタリと本を閉じて、外を覗く。
暗くて、狭くて、じっとりと皮膚にまとわりつくような感覚に慣れてしまった身体には、その光はあまりにも眩しかった。
わずかな魔力を纏った魔法使いが、人間と対峙している。
僕は混乱した。
“どうしてこの魔法使いは魔法を使わないの?
あんなちっぽけな奴らなんて、魔法でさっさと殺してしまえばいい。”
「〈クーレ・メミニ〉」
「!? 〈グラディアス・プロセーラ〉」
騎士様と、その周りにいた人間以外は地面に倒れ込んだ。
僕は非力な魔法使いが“彼”だとわかった。
「やっぱり、魔法使えるじゃん。ねえ?騎士様。」
「お前は…」
「北の魔法使いオーエンだよ。名前くらい知ってるでしょ。」
***