友だち以上、添い寝未満「随分とひどい顔だな」
意図せず公安本部で鉢合わせ、挨拶すら吹っ飛ばして開口一番に飛び出したその言葉に、ホークスは肩を竦めて笑ってしまった。
遠慮なんて微塵もないエンデヴァーの物言いは、自分にとってむしろ心地が良い。もちろん、そんなことは当の本人に言えるはずもないけれど。
「忙しかろうが睡眠時間はきちんと取れと言ったろう」
「気づいちゃいました? さすがだなぁ」
「顔色は悪いし覇気もない」
「いつもとそんなに変わんないですって」
けれどヘラヘラとした態度の誤魔化しは効果もなく、エンデヴァーの顔はますます険しくなっていった。
ホークスが表舞台から退いて、本格的に公安を主軸とした仕事へと変わっても、ヒーローとして活動していた時と多忙さはそう変わらなかった。
大戦を終えて残されたのは山のように積まれた負の遺産。処理をしようにも予算も人員も何もかもが枯渇していて、ゼロどころかマイナスからのスタートだ。
寝る間を惜しんで動き続け、周囲の協力のもと整えた新たな体制が順調に稼働し始めて、これで暇な世界にも近づくだろうとやっと安心した矢先。
なんの皮肉か余暇がうまれた途端、今度は満足に眠れなくなってしまった。
日付が変わる前に帰宅しても、翌日が休みの日だろうとも、眠りは浅く何度も目が覚めてしまう。短時間の仮眠を繰り返した無茶な生活のツケがまわってきたことに、ホークスは少しだけ後悔をした。
「ようやく暇ができたのに、ぶっ倒れるほど忙しく動き回ってないと眠れないんですよねぇ……まいったな」
ホークスとしては、自身のワーカホリックぶりを笑い話にするつもりだったが、肝心のエンデヴァーにはその意図は伝わらなかったらしい。
眠れないという話を打ち明けた後、あれよあれよという間にエンデヴァーに連れられて訪れたのは老舗百貨店のリビングフロアだった。
いまだ杖が必要とは言え、目の前をまっすぐにずんずんと力強く進んでいくエンデヴァーの背中は、服越しでもわかるほどの筋肉に覆われている。
車椅子からよくここまで回復できたよなぁ……
たとえ引退したとはいえ、どこまでも努力の人だ。感慨深さをしみじみと感じながら眺めていたら、相手はくるりと振り返ってホークスへと向き直った。
「ここから好きなものをえらべ」
「好きなもの?」
ベッドとマットレスがずらりと並んでいる。
どれも自分の知る家具の量販店とは比べ物にならない金額だ。困惑しながら、エンデヴァーと整列されたベッドを交互に見る。
「環境を変えれば、少しは寝やすくなるかもしれん」
「……ああ、それで新しいベッドですか」
唇を引き結んだまま相手は頷いた。
「俺って基本的に床だろうとどこでも寝られるタイプなんスよ。眠りが短くて浅いだけで。だからこんないいもの買ってもなァ」
「それでも試す価値はあるだろう」
三つ星ホテルで使用されているベッドやら、スポーツ選手が愛用していマットレスやら。
饒舌な店員の説明を聴きながら、ホークスは申し訳程度に硬さやら触り心地をたしかめてみた。
「サイズも豊富に取り揃えております。お時間はいただきますが、おふたり用もご用意可能ですよ」
口角をキュッとあげて語りかけてくる店員に、ホークスは愛想笑いを浮かべる。
「探してるのはシングルサイズなんです」
「でもお前はよく寝返りを打つだろう。余裕を持ってもっと大きな方がいいんじゃないのか?」
――ねえ、どうしてこのタイミングで言っちゃいます?
ホークスはそう言いたい気持ちを抑え込み、かわりに小さくため息をついた。
大戦中にはジーニストを含めた三人で寝食を共にした仲だ。寝相のひとつやふたつはすでに知られている。その言葉自体に深い意味はないけれど、この場では少々意味が変わってしまう。思わずエンデヴァーに責めるような視線を送ってみせても、顔色ひとつ変える様子もない。
「でしたら、セミダブルをおふたつ並べてもよろしいかと。寝返りを打っても隣に振動が伝わりにくいですし、必要であれば離しても使えますし」
当然のように二人が一緒に使う前提のもとにおすすめされてしまい、ホークスは眉尻を下げて笑うしかなかった。ここで否定すれば白々しく聴こえてしまうだろう。
そうこうしているうちに、真剣に選ぶ気のないホークスにエンデヴァーは痺れを切らしたらしい。「ならば俺が選んでやる」と百貨店の外商カードを取り出して勝手に決済しようとするのを必死になって押し留め、「家に帰って検討します」と言い残して、パンフレットを貰って店を後にした。
「いま見た中で気に入ったものはあるか?」
後部座席に座ったホークスはパンフレットをパラパラと眺めていた。
素材や機能、デザインの詳細が書いてあるが、寝不足で脳の機能が低下した状態では文字を読み上げても目が滑るばかりだった。
「……ん〜そうですねぇ」
「部屋の広さもあるからな。つい大きなものを勧めてしまったが、お前の寝室のサイズとの兼ね合いもあるだろう」
こくこくと、ホークスは反射で頷いた。
あれ、なんか、気持ちいいな……?
車田の安全運転による揺れが心地よいのか、それとも横にいるエンデヴァーの体温がちょうどいいのか、伏せたまぶたが徐々に重くなっていく。
「気に入ったものがあれば外商に依頼して、お前の自宅まで手配してもらおう。布団もどうだ? せっかくならこの機会に新調して……」
車内に響くエンデヴァーの低い声。ずっと聴いていたいと思うのに、それは少しずつ遠ざかっていった。
◇
……どうしてこうなった。
そう思いながら、エンデヴァーは自分の真横にぴたりとくっついて眠る男をじっと眺めていた。
多忙さに慣れたあまり、多忙でなければ眠れない。
そんな難儀なことを言い出すホークスの話を聴いた日から、すでに数ヶ月が経っていた。
相変わらずベッド探しは難航し続けている。
大きさが大きさだけに、片っ端から取り寄せて試すわけにもいかず、ふたりは休みを合わせてはあちこちへと実物を見に行くものの、決定打となるものには出会えていなかった。
各所に赴き、日本製から外国製まで様々なものを候補に加え、最終的に店側からあたり前のようにふたり用のサイズをすすめられることにもすっかりと慣れてしまった。
なのにホークスときたら「色々あって決められないし、いっそ目ェ閉じて指差したもの買っちゃいます?」なんて言い出す始末。生活にこだわりが無さすぎるのが裏目に出て、なかなか決定へと辿りつかない。
かといって、自ら提案した打開策、途中で手を引くなんてことはしたくない。その一心でベッド探しを続けていたはずだった。
いまだ理想の眠りをもたらすベッドは見つからないが、眠れない男が唯一ぐっすり眠れると言う場所は、困ったことに、エンデヴァーの隣らしい。
「人より温いせいか、あなたが横にいる時が一番眠れるんですよねぇ」
休みが合うたびにホークスと共に下見に行っては帰りの車の中でエンデヴァーに寄りかかって眠るのが定番になっている。ベッドを探しに行くはずが、自分がベッドになるなんて。本末転倒もいいところだろう。
今日も今日とてベッドや寝具をあれこれ見てまわり、それを終えた途端、ホークスは隣ですとんと寝入ってしまった。気持ちよさそうに寝息をたてながら。
年月が経ち、ビルボードチャートでみせたパフォーマンスの不遜さはすっかりと鳴りを潜め、若すぎると散々言われた立場に見合う落ち着きも生まれてきた。
しかも新たにデビューしたヒーローや若い職員の間では新委員長のちょっと気怠い感じが逆にかっこいい、なんて話が出ているらしい。あの疲れ切った顔が人によってはそう見えるものなのかと、耳にした時は少々驚いてしまった。
けれどこうしてエンデヴァーの横で眠る姿は出会った二十二歳の頃とまるで変わらない。なにか夢でも見ているのか、時折、密集した眉毛やまつ毛がひくりと動いた。
「なんだ、また寝ちまったか?」
「ああ」
赤信号で止まったタイミングで、車田は肩越しに振り返る。
「ケーッ!その坊主、毎回アンタんとこに寝に来てるみたいだな」
「そうかもしれん」
「いっそ家にあげて一緒に寝たらどうだ?」
「それは流石にまずいだろう」
途端、ホークスの頭がぐらりと揺れ、手を添えて小さな頭を支えて、そのまま肩に乗せてやる。
こうして、家族でもない年下の相手の世話をあれこれと焼いているだけで、かなり危ういところまで来てしまっている自覚はあった。
「まあ、いまさらじゃねェか?」
「……」
痛いところを指摘されてしまい、けれど言い訳のための適切な言葉が見つからず、彷徨わせた視線をホークスのつむじに移す。
放っておけば他人へ尽くすことばかりを考える男だ。いくら心身共に堅牢だとはいえ、無防備に眠る顔は年よりも幼く見えてしまい、心許ない。
だがもう少し、もっと人から受け取ることを覚えてくれたなら。
「アンタも寝たらどうだ? 朝から歩き回ったんだろ」
「いや、俺は構わん」
エンデヴァーが首を横に振ると、ホークスのクセのある髪が首や頬をかすめていった。
車田の言う通り、いっそのこと一緒に眠ったほうがずっと話は早いだろう。他人同士と言い張るにはふたりの間は密接だった。これ以上の関係を願うこともある。けれどいまの気安い関係が惜しいと思う自分もいるのだ。
信号が青に変わった途端、車は静かに発進した。