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    有馬 礼

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    有馬 礼

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    「続・蠱毒姫」1話直前のお話です。また、東砂騎さん作「鏡像の夜を破れ」クロスオーバー作品であり、東さんが書いてくださった「転がる宝石と透けてる下着と吠える犬」(https://poipiku.com/IllustDetailPcV.jsp?ID=6407483&TD=7640300)の蠱毒姫サイドのお話でもあります。

    転がる宝石と見えてる犬と吠えない熊 よりにもよって近衛隊長であるオルドの留守中に。隊長代理を務めているグラナートは城の中央廊下を駆け抜けながら苦々しく叫んだ。

    「現世からの侵入者など、あり得ない事態だ。そもそもそんなことが可能なのか!?」

     背中でシンプルに一つに結えただけの金髪が踊る。

    「いえ、理論的には不可能だと……。そもそも現世の只人は、魔界の毒素には耐えられないはずで……」

     隣を走る副官の男性・パーヴェルも、全力疾走でグラナートに並走している。

    「私もその認識でいた。どういうことなんだ? マダム・アマーリアのアトリエに何か仕掛けがあるということではないんだよな?」

     魔界で1番のドレスメイカーの店には、たしか、店主でデザイナーのマダム・アマーリアがイメージしたとおりのドレスを実体化させる部屋があったはずだと記憶していた。しかし、ドレスを実体化できるのはあくまでマダム・アマーリアの能力によるもので、部屋自体に仕掛けはないということだったが。知らないだけで、実は何か秘密があったのかもしれないとグラナートは走りながら考える。

    「おそ……らく……?」

     グラナートも確信はなかったが、パーヴェルも自信なさげに答える。どこであろうと、魔界は魔界だ。現世の存在が魔界に来ることができる例外はただ一つ。魔族と婚姻した魔王の伴侶だけのはずだ。
     しかし、現にそのただ一つと思われていた例外がもう一つつけ加えられたらしい。理論的にどうかは後で然るべき部署に分析と検討を依頼するとして、今は目の前の事実に対処しなければならない。

    「ザフィア、ザフィア聞こえているだろう? 執事頭に伝えてくれ。現世からの侵入者だ。現在はマダム・アマーリアのアトリエに軟禁中。送還方法はこれから検討する。私は今から侵入者と接見……えっ?」

     グラナートは足を止めてパーヴェルを見る。

    「あ、あの、副隊長。副隊長にはちょっと、その、お見せできる状況ではないらしく……」

    「どういうことだ? そんなに凄惨な状況なのか? しかしこれは役目だ。果たさない選択肢はないだろう」

     グラナートはパーヴェルを押しのけて歩を進めようとするが、パーヴェルはグラナートの進行方向に回り込んで邪魔をする。

    「もちろん、副隊長は、そうでしょう。しかしながら、マーシャからの情報によると、なんというかその、マダム・アマーリアがノリにノってしまっているらしく、ええと……」

     マーシャとは、見習いのドレス職人であり、マダム・アマーリアの助手を務めている女性だ。他人の心を覗き、また、自分の見たものを伝える「伝送」の能力を持つ。マーシャはパーヴェルに何事か伝えてきたらしい。グラナートに直接伝えることが憚られる内容なのか。だとしても、報告はしてもらわねばならない。

    「なんだ。はっきりと言え」

     グラナートはパーヴェルと相対する。

    「この件、私に預けていただけないでしょうか。侵入者を送還する方法については心当たりが」

    「そういうわけにはいかない。オルド隊長が辺境の前線に出ている今、近衛の責任者は私だ。役目を部下に丸投げしていましたでは隊長に対して説明がつかないだろうが」

    「副隊長をあの現場に出したら、オルド隊長に半殺しにされるのは私です」

     パーヴェルは必死の形相で食い下がる。オルド隊長の恋人でもあるグラナート副隊長をあの、ある意味悲惨な現場に放り込んだらどんなことになるか。ただでさえ副隊長はそっち方面には疎い上に免疫がないのだ、卒倒するかもしれない。普段は心優しい熊のようなオルド隊長だが、本気で怒らせると「心優しい」が取れかねない。生きたまま素手で八つ裂きにされるのは勘弁願いたい。できれば。

    「だから、どういうことなんだ。説明しろと言っている」

    「説明……。まず、マダム・アマーリアの趣味趣向から説明することになるのですが、よろしいでしょうか……」

    「お前は私をバカにしているのか? 要点を言え。なぜ今マダム・アマーリアの趣味が関係してくるんだ。意味がわからないだろうが」

     グラナートはだんだん苛立ち始める。切れ長の目に細い鼻筋が真っ直ぐに通った左右対称の顔は怜悧で美しいが、美しい分、険しい顔になるとどうしても「迫力」が出る。彼女の姉妹で王太子妃付きの筆頭侍女・ザフィアはその「迫力」を化粧や髪型、立ち居振る舞いでうまく隠しているのだな、とパーヴェルは気圧されつつ考える。

    「あー……ええ……と。今回侵入してきた現世の只人、というのが大変に問題でして」

    「問題? 重武装が必要ということか?」

     無意識にグラナートは佩いている剣の柄に手をかける。

    「いえ、侵入者は若い娘です。武装はしていないと」

    「それならば、何も問題ないではないか。相手が女性なら、むしろ私が行く方が都合がいいだろうが」

    「いえ、問題ないのが問題というか。その娘というのが、マダム・アマーリアの『ヤる気』を起こさせる大変に美しい娘らしく」

    「ふむ……?」

     ようやく、グラナートも話の雲行きが怪しくなってきたのを感じる。

    「今はアトリエでマダム・アマーリアのもう一つの看板商品『布地が少なくて透けている下着』を片っ端から着せられていると」

     しかしながらさすがにマーシャも気を遣ったのか、パーヴェルに共有されたイメージは黒っぽい詰襟を着て、眠ったように横になっている姿のみだった。

    「な、え、なんだって……? いや、言わなくていい、言うなお願いだ」

     グラナートはパーヴェルの方に手のひらを向ける。

    「しかし、侵入者が少女だとなれば、なおさらきみら男性を行かせるわけにいかないだろう。その少女の名誉も守ってやらねばならない。やはり私が行く」

    「大丈夫ですか?」

    「……多分。何が起こっているのかわからないしわかりたくないが、女同士の方がいいだろうという気が……。あっそうだ、ザフィアに行ってもらおう。そうだそうしよう」

     名案とばかりにグラナートはぱぁっと顔を輝かせる。

    ――ごめんなさいね、ナート。こっちもそういうわけにいかなくなったの。

     会話を「聞いて」いたザフィアから返信がある。相手の気配を探る「追尾」の能力を持っているのはグラナートも同じだ。追尾の能力を持つものは聴力に優れ、自分に向けて発せられた言葉を聞き逃すことはない。

    「えっ、どうしてなんだ? 今はお前だけが頼りなのに!」

     グラナートは泣きそうになりながら言う。

    ――それが、23番重要宝物庫の首飾りが盗まれたらしくて。管理部は大混乱よ。

    「23番というと、異界の戦争屋の金庫だな。とにもかくにも物騒なので、窃盗の目的で侵入する命知らずはいないということだったが」

    ――身内の仕業かもしれないわね。

     物言わぬ物体は一度失われてしまうと無数にある現世の異界の中から見つけ出すのは至難の業だ。
     パーヴェルがハッとした顔で言う。

    「副隊長、その首飾りがどこで作られたものかわかりますか」

     グラナートがザフィアに尋ねる前に回答がある。

    ――マダム・アマーリアの取り扱いよ。

    「……マダム・アマーリアの扱いだそうだ」

     グラナートとパーヴェルは顔を見合わせる。

    「聞いたことがあるのです。マダム・アマーリアの商品には、盗難防止のために強力な転移の術がかかっていると」

    「もしかして、今回の『侵入者』は……」

    「はい。可能性は高いかと」

    ――とすれば、首飾りはマダム・アマーリアの手元に戻っている可能性が高いわね。……思い出した。今回侵入してきた娘、前に会ったことがあるわ。異界で。盗みを働くような身分の者には見えなかったけれど、逆に、あの首飾りに触れる機会がある地位の者と言われれば納得できるわ。あのオパールは滅多にない逸品よ。上質のものを見慣れている者にこそ、あれがどれほどのものかわかる。食指が動いたとしてもおかしくはないわ。

     グラナートはザフィアの言葉をパーヴェルに伝えるが、その間にザフィアからさらなる情報が伝えられる。

    ――……大変よ、ヴォルフさまがお戻りになるわ。その娘を送り返す算段はついているの?

    「いや、これから検討するところだ」

    ――最悪、城の『扉』から元いた異界に押し返しましょう。

    「しかし、闇雲に『扉』に突っ込んだところで、元の場所や時間に帰せるとは限らないぞ?」

    ――何を真面目みたいなこと言ってるのよ。どうだっていいわよ、そんなの。こちらとしては、元の場所に帰す努力をした、その事実が重要なのよ。結果までは求められてないわよ、この際。

    「それではあまりに気の毒すぎるだろう。方法があるはずだ。そもそもそのような身分の高い者が盗みを働くとは思えない。何か事情があったのかもしれないじゃないか……何だ?」

     パーヴェルが発言を求めている。

    「私も『転移』の能力者です。その娘にゆかり深い者を呼び寄せましょう。意識だけなら比較的簡単に行えます。その者をよすがとして、逆転移を行います。これでうまくいくはずです。これは私の推測にすぎませんが、その娘自身も意識レベルの存在であるのが、マダム・アマーリアの能力で実体化しているだけなのではないかと。それならば、魔界で只人が生きていられることの説明がつきます」

    「なるほど……。それはすぐに可能か?」

     急がないと、実績重視のザフィアの手で現世(のどこか)に「送り返され」かねない。それはあまりに可哀想だ。

    「……やってみます。本当は、その娘と相対して行うか、『探知』の能力を持つ者に仲介させた方が確度が高いのですが」

    「ザフィアはせっかちだからな。のんびりしていると先を越される。時間がない」

    ――聞こえているわよ。

    「聞かなかったことにしてくれ」

     このような非常事態に対応できる精緻な「探知」を持つ者たちは皆、冥府の者たちとの戦闘に出ている。すぐに呼び寄せられる状況ではない。

    「この際だ、仕方ない。転移の使用を許可する」

     背に腹は代えられず、グラナートは責任者として許可を出す。

    「承知いたしました」

     パーヴェルはその場で足を踏みしめて立ち、軽く拳を握って目を閉じた。マーシャから共有された侵入者の恋人の姿を意識の中心に据える。赤い髪、浅黒い肌、榛色の鋭い目、逞しい身体……。捉えた。一気に魔界へと引き込む。しかし、成功を確信した刹那、その姿が歪み、鋭いフォルムのイヌ科の動物になる。娘の抱いているイメージに同調しすぎた。只人の意識は不明瞭でいけない。しかしもう手遅れだ。

    「どうした。失敗か?」

     様子を見ていたグラナートが心配そうに訊ねる。

    「いえ、概ね成功しました。ただ……」

    ――ちょっと、グラナート! あなた何やってるのよ!? あれは何なの!?

     パーヴェルが言うより早くザフィアの「声」(正確には怒声)がした。

    「確かに……何だあれは」

     グラナートの「耳」も異音を捉えている。魔界の者ではない者の発する音。巨大な獣が暴れている。場所はマダム・アマーリアのアトリエだ。間違いない。ガラスが割れる音。女たちの悲鳴。「この格好で死にたくない!」

    「申し訳ありません。人間のはずが、獣の姿で出現させてしまいました。呼び寄せた際、娘がその者に抱いているイメージに同調しすぎたようです」

     それを聞いたグラナートはすかさず飾緒の先に下がっている銀色の石筆を口元に寄せる。近衛隊長に与えられている緊急用の発信機だ。追尾と逆の効果を持たせた道具で、必要な者に音声を伝えることができる。

    「緊急招集! 予備員はマダム・アマーリアの店に参集せよ! 異界から召喚された巨大な獣がいる。ただし、何者も傷つけてはならない」

    ――王都の警邏隊もこの騒ぎを聞きつけてマダム・アマーリアの店に集まってきてるわよ。

     ザフィアから情報が入る。

    「警邏隊が来る。融通が利かない面倒な奴らだ」

    「あの、副隊長。副隊長は陛下への報告と城内指揮の名目で城に残っていただけないでしょうか」

     パーヴェルは重ねて言う。

    「なぜだ」

    「私が呼び寄せた者ですが、獣の間はまあいいのです。毛皮を着ていますので。ただ、万一人間の姿に戻ってしまうと、完全に丸出しの全裸の大男が出現することになるわけで、そこに副隊長が居合わせたことがオルド隊長に知れると私の生命が危うく」

    「……わかった」

     生命を引き合いに出されると、グラナートは引き下がるしかない。
     グラナートの耳に不意に「ヨボーセッシュ!」という叫び声がして、獣の動きが止まった。

    「獣の動きが止まった。今だ。早く行け。私は執事頭にことの次第を報告する」

     グラナートは駆け出しながらパーヴェルに指示を与えた。

    ***

    「まったく、何という乱痴気騒ぎなのですか」

     蜥蜴型魔族の執事頭・メーアメーアはぺろりと眼球を舐めた。

    「いいじゃないのぉ。たまにはこういうちょっとしたパーティでもなきゃ、毎日がつまらないじゃなぁい?」

     魔王ローザがいつものようにのんびりと言う。

    「あはは、パーティか。確かにね」

     王配のヴァイストものんびり笑っている。

    「陛下。陛下は全てにおいて甘すぎます。そもそも、今回問題となった品は、アウゲ姫へのヴォルフさまの贈り物です。それを異界の金庫に預けっぱなしにし、なおかつ異界の人間に触れさせるなど。管理部の体制はどうなっているのですか。それに、近衛も近衛ですよ。考えもなしに異界の存在を呼び寄せるとは」

     一同は神妙な顔で執事頭の説教を拝聴する。あれは、ああするのが最善と信じたからで考えもなしにやったわけでは、と思わず抗議しそうになるが、そんなことをすれば説教がさらに長くなることは火を見るより明らかだった。最善と信じた理由を納得できるように説明せよと言われると黙るしかない。ならば、最初から黙っておいた方が賢明というものだ。確かにこれは責任者である自分にしかできない仕事だ、とグラナートは苦々しい気持ちで意識を彼方に飛ばす。現場に向かったパーヴェルは大丈夫だろうか。城内の保安や王族の身辺を預かる近衛は騎士の中でもエリートとみなされており、その前庭である王都の治安維持を担う警邏隊はとにかく近衛をライバル視しているのだ。この騒ぎを引き起こしたのが彼だと知れれば、とんでもない嫌味の雨が降るだろう。気の毒なことだ。もしオルド隊長がこの場にいたらどうしただろう、どうするのが正しかったのだろう、後で相談してみよう、とグラナートは小振りのヒグマのような(ただし人間としては巨大な)恋人を思う。

    「彼らのことは知ってるよ」

     一同の後ろから声がかかる。魔界の王太子、ヴォルフだった。転移術で前線から戻ったらしい。アウゲの筆頭侍女でグラナートの姉妹でもあるザフィアを伴っている。アウゲのところに寄ったついでに騒ぎの報告を受けたのだろう。

    「異界で一度会ったことがあるんだよね。まさか、23番の関係者だとは思わなかったけど。どうやら彼らとは縁があるみたいだね」

    「ヴォルフさま。そういう問題ではございません」

    「そんなに怖い顔して怒るなよ。おれとしては、あの首飾りがちゃんと戻ってくればそれで構わないんだけど。彼らもさぞかしびっくりしてるだろうから、おれが行って話すよ」

    「それには及びません。ところでグラナート、現場からの報告が上がってきませんが? どうなっているのですか?」

     急に指名されてグラナートはビクリとする。

    「は、申し訳ございません。どうやら、近衛と警邏隊が同時に到着して、現場が混乱しているらしく……」

     メーアメーアは大きくため息をついた。

    「まったく、情けない。わたくしが行って一喝してまいります」

    「わかったよ」

     ヴォルフは短く息を吐いて肩をすくめた。この、作法に厳格な執事頭は、王族がふらっとトラブルの現場に姿を現すのを許してはくれない。

    「いいわねぇ、楽しそうで。私も行こうかしらぁ」

     ローザが頬に手を当てながら言う。

    「是非お供させてくださいませ。わたくしもチ●コを丸出しにした異界の大男を見たいので」

    「ザフィア!! 陛下に伏字で話すな! 不敬がすぎるだろうが! 一瞬心臓が止まったぞ!!」

     グラナートが真っ赤な顔で姉妹を叱りつける。

    「あなたも行きましょ? いい男の裸を見たらきっと寿命が延びるわよ」

    「下品だぞ! ……申し訳ございません陛下!」

     グラナートは膝をついて項垂れる。

    「ザフィアのそういうところは好きよ。事実、寿命は延びると思うわぁ」

    「……ゴホン」

     ヴァイストが咳払いする。

    「……首飾りのこと、姫さまにはまだ内緒だから部屋にいてもらいましたけど、正解でしたね。メーアメーア、さっさと行って、仕舞わせてきて。おれは格納された頃に行くよ」

    「……かしこまりました。ザフィア、行きますよ」

    「はい」

     メーアメーアはぺろりと眼球を舐めると、ザフィアを伴って部屋を出る。

    「あの……。私が随行する必要はないと思うのですが」

     扉を出たところでザフィアがメーアメーアに言う。

    「行きたかったのでは?」

     メーアメーアは顔だけでザフィアを振り返り、ぺろりと反対側の眼球を舐めた。

    「そうですけど。……私が何回好きだって言っても全然相手にしてくれないくせに。そういうの、ずるいわ」

     ザフィアは唇を引き結ぶ。

    「ずるいの意味がわかりかねます。それに、何度も言ったとおり、わたくしはかつて伴侶を得て、そして喪った者です」

    「知ってます。だから、一番でなくていいから、代わりでいいからってずっと言ってるのに」

     ザフィアは怒った顔で、自分よりやや背が低いメーアメーアの目をじっと見る。

    「あの者の代わりになれる者は世界のどこにも存在しません。それに、誰かを誰かの身代わりとして扱うことは、わたくしの性に合いませんので」

     メーアメーアはふいと視線を外した。

    「丸出しの大男がいるなら、あなたには男性に化けていてもらいましょう。ただし声までは変えませんので、声を出さぬよう」

     その話は終わりだとばかりにメーアメーアが言って、ザフィアの顔の前で手を一度、さっと横に振る。視点の高さは変わらないが、服が執事服に変わっているのと、手も、男のものであると思わせる見た目に変わっている。

    「誰も彼も仕事を増やしてくれますね、まったく」

     そうぼやきながら歩くメーアメーアの後ろ姿が一瞬ブレて、次に焦点が合った時には黒髪をオールバックに撫でつけた人間の男性に変わっている。

    ***

     マダム・アマーリアの店は窓ガラスが破れ、花瓶が割れ、壁に大穴が開く惨憺たる有様だった。浅黒い肌をした異界の大男が、ご立派な己の「武器」を丸出しにして仁王立ちで兵士たちと向かい合っている。メーアメーアは軽い目眩を覚えた。ザフィアは満足しただろうか。確かに鍛え上げられた肉体は芸術の域に達しており、男が兵たちを前にしても全く物怖じしていない理由もわかる。そしてその隣にへたり込んでいる黒い詰襟の娘。首元で整えられた癖のあるしろがねの髪に、エメラルドの目をしている。美しい娘だ。この娘が服装どおりの身分でないことは、予備知識がなくても自ずと知れる。
     この2人は、王太子夫妻が異界で接触した者たちに相違なかった。縁とは不思議なものだ。
     
    「ここに王太子殿下が?」
     
     もうすぐ王太子がここに来ると聞かされたマダム・アマーリアは慌てふためくが、その両手はマーシャを目隠しするのに塞がっている。力の発動には手は関係ないので、大勢に影響ないと言えばないのだが、なんとも滑稽だ。一人ひとりは大真面目なのに合わさると喜劇としか言いようがない。ちょっとしたパーティ、という魔王の言葉は当たっている。メーアメーアはいつもの癖で眼球を舐めようとし、出した舌を慌てて引っ込めた。
     マダム・アマーリアに目隠しをされているマーシャに触れ、大男の服装の情報を渡す。この者の調べもついている。血筋や一族の中での立場、社会的な地位、交友関係、身体能力……。魔界にとって害なす者ではない。

     大男の周りに光の粒が集まり、次の瞬間、軍装が再現された。

    「布地が少なくて透けている下着以外も強制的に着せることのできる部屋……!」

     娘が驚きの声をあげ、メーアメーアは眉間に皺が寄るのを感じる。まったく、何をしているのだ、何を。

    「アマーリア、後で詳しく話を聞きますよ」

     目だけでマダム・アマーリアの方を見ると、彼女は美しい顔を引きつらせた。

    「メーアメーアさま、ここに王太子殿下が?」

     いつの間にか近くにいたパーヴェルが小声で訪ねる。

    「ちょうど攻勢がひと息ついたところですし、現場を直接見ておきたいのでしょう。ヴォルフさまには、警備とわたくしの苦労も考えてほしいものです」

     メーアメーアは短くため息をついて肩をすくめた。
     ヴォルフが「転移」持ちの武官を伴ってこちらに来る。ザフィアはメーアメーアに目配せした。メーアメーアは小さく頷く。

    「一同、王太子殿下がお成りです」

     くだらない揉め事を起こしていた近衛と警邏隊も、それぞれに整列する。異界から来た只人の2人も、膝をついて顔を伏せた。

     一同の準備が整ったのを見計らったように、光と共にヴォルフが姿を現す。

    「久しぶり、と言うべきかな。顔を上げて。直答でいいよ、只人さん」

     言葉をかけられた異界の2人がゆっくりと顔を上げる。ヴォルフは2人の顔を見て微笑む。対する2人は、怪訝な表情を浮かべていた。どこかで会ったことがある、でもどこで……。2人の表情はそう語っていた。

    「申し訳ありません、王太子殿下。わたくしは……」

     しろがねの髪の娘が口を開く。この2人の間では、彼女の方が身分が上のようだ。

    「ああ、思い出せなくても不敬じゃないよ。何せ暗示がよく効く方だったよね、きみは」

     ヴォルフは笑って言う。娘はその言葉に戸惑った表情を浮かべ、隣に控えている男の方をちらりと見た。男は小さな声で呟く。「いや、あれはギーゼン伯爵だったはずでは……」
     その言葉を聞いて、娘もハッとした表情になる。そうだ。あの、薔薇の砂糖漬けを出すティールーム。持ちあげたカップの底から舞い落ちた、この世ならぬ青い薔薇の花びら。
     娘は傍に置いていた黒いビロード張りの化粧箱を捧げ持った。

    「王太子殿下、知らなかったとはいえ、近衛兵との諍い、そして首飾りに触れてしまったことをお許しください。どうか罰は、わたくしに。ルーシアスは主を守ろうとしたゆえにしたことです」

     娘の悲壮とも言える覚悟を伴った言葉に、ヴォルフは微笑んで首を振った。

    「罰を与えるつもりはないよ。おれはここでは何も見なかったし、きみたちもここでのことは忘れる。近衛兵がすまなかったね。討伐での消耗で部隊が再編成されて、うまく回らなかったようだ」

     ヴォルフの言葉に、娘は慌てて首を振る。

    「滅相もございません……」

     そして改めて化粧箱を差し出した。

    「こちらを、お返しいたします。どうか、首飾りを検めてくださいませ」

     ヴォルフは微笑みを浮かべたまま化粧箱を受け取って、それをメーアメーアに回した。メーアメーアは手袋をはめてじっくりと検分する。

    「……確かに受け取りました。傷ひとつありません」

     ヴォルフは嬉しそうに頷いて、異界の2人に言う。

    「首飾りを、ここまで届けてくれてありがとう。……これは、妻に贈るために用意したものでね。遊色が青い薔薇みたいで、首飾りにするなら絶対この石にしようと思ったんだ」

    「ヴォルフさま」メーアメーアがため息混じりに言う。「異界からの客人にのろけてどうするのです」

    「いいじゃんちょっとくらい」

     その石がどれくらいアウゲに似合うか、そう考える根拠は何か、アウゲに身につけられれば彼女の美しさをより一層引き立てるはずだ、というのもつまり……ということを語りたかったヴォルフは話の腰を折られてメーアメーアにくってかかる。

    「えーととにかく、これを無事に手元に戻してくれてありがとう。きみたちに害意はなかったし、ちょっとした事故の結果だとおれにはわかっている。早急に元の世界に戻れるよう、手配するよ」

     パーヴェルが半歩進み出て、「お任せください」という意味で僅かに頭を下げる。

    「あ、それときみ」

     ヴォルフはイタズラっぽい笑みを浮かべて畏まっている男に近寄り、耳元で何事か囁く。ザフィアは吹き出しそうになるのを必死に堪えた。

    「それでは、この辺で失礼する。きみたちに幸運がありますように」

     ヴォルフはそう言うと、2人に背中を向けた。2人は頭を垂れる。
     眩い光が半壊したアトリエを照らし、光が引くと王太子とメーアメーアは消えていた。

    「それでは、お二方」

     パーヴェルが、時代と国は違えど軍人という分類は同じなのだと感じさせる身のこなしで進み出る。

    「元いた異界にお帰りいただきます」

     そう話すパーヴェルの肩を、執事姿のザフィアがとんとんと叩く。同じ魔族であるパーヴェルには、姿を変えていてもその実体がザフィアだということはわかっている。
     異界の2人には、召使いの男性が近衛兵に唇の動きだけで何事か伝えているようにしか見えない。

    「……えっ、それ、俺が言うの?」

     心底嫌そうな顔のパーヴェルに、執事に化けたザフィアが「当然」という表情で頷く。

    「……殿下」パーヴェルは申し訳なさそうに重い口を開く。「執事頭から伝言でございます。『このことを恩義に感じていただく必要はございません。後日、請求をご実家に回させていただきますので』とのことです」

    「……承知した」

     魔界からの請求書には何が書かれているのだろう。ごめん、姉上……僕が不用意に変な箱に触れたばっかりに……。娘ことルークは、「迫力」にかけては他の追随を許さない彼女の姉を思い浮かべた。

    ***

     王太子の執務室で、メーアメーアに集められた関係各所の責任者たちはこってり絞られていた。前線から戻ったばかりの近衛のオルド隊長も、何が何かわからないままに一緒にお叱りを受けている。

    「もういいじゃん、それくらいでさ。首飾りは傷ひとつなく手元に戻ったんだし、結果オーライだろ?」

     誰よりもこの説教大会に辟易としているヴォルフが言う。

    「ヴォルフさまには、次に同じような騒ぎがあって、その時も結果オーライとなるわけではないことをよくよくお考えいただきたいものでございますね」

     メーアメーアが鋭い目でヴォルフを振り返る。

    「えーでもさー、今回、この」ヴォルフは手元に戻ってきた黒いビロード張りの化粧箱を撫でる。「首飾りに傷がついてたとしてだよ? そのことで誰かが罰を受けることは、姫さまは喜ばないっていうか、むしろ、悲しませると思うんだよね、おれは。おれは姫さまが悲しむことはしたくないしできないよ」

    「それはそうでしょう。わたくしも承知しております、勿論。しかし、それはそれ、これはこれ。この者たちには、王族方の身辺を預かる者として、自覚を持ってもらわねばなりません」

    「ちょっと厳しくない?」

    「優しすぎるくらいだと思っておりますが? ……特に、オルド隊長」

    「はっ」

     名前を呼ばれた隊長は姿勢を正す。

    「今回、騒ぎを大きくしたのは近衛隊の軽率な振る舞いです。部下の教育はどうなっているのですか」

    「面目ございません」

     オルドはよくわからないままに謝った。

    「部下の2人からは後ほどじっくり事情聴取し、私から厳しく言って聞かせますので」

    「……」

     メーアメーアはぺろりと眼球を舐めた。近衛隊は魔王直轄の組織だ。城内の執務を取り仕切る執事頭といえど、これ以上は越権行為だった。同格の者同士は静かに睨みあう。

    「でもさ」見かねてヴォルフが割って入る。「過程がどうあれ、今回はかかってた転移術のおかげで、結果として首飾りは戻ってきた。ま、一緒にくっついてきちゃった子もいたけど。その辺の術の精度を上げる研究を管理部にはしてもらおう。これからも、異界に加工に出したり、異界から取り寄せたりしたい品物はいっぱいあるしさ。それから近衛には、異界からやってきた存在に対する対応マニュアルを検討してもらう。そんなことあるわけないって思ってたことが現実になっちゃったからみんな慌てて、こんな大騒ぎになったんだとおれは思うんだよ。そんな感じで、どう?」

    「……承知いたしました」

     メーアメーア全く納得していない様子だったが、王太子のヴォルフがそう言うならば、執事頭のメーアメーアにそれ以上何も言えることはなかった。

    ***

     ヴォルフの助け舟により解放された近衛の面々は、指揮所の打ち合わせ室に戻っていた。

    「……というわけです」

     萎れ切った副隊長のグラナートがことの次第を報告する。パーヴェルが横で聞いていても、言い訳めいたところのない、事実と感想が明確に切り分けられた報告だった。
     オルドは丸太のような腕を組んで、何度か頷いた。

    「ことが収まった後で『ああすればよかった、こうすればよかった』とその場にいなかった者が言うのは簡単だ。しかし、現場にいたお前たちがその時最善と信じてそうしたのなら、それが最善だったんだよ。気にするな」

     心優しいヒグマのようなオルドは落ち着いた声で言った。

    「もし隊長だったら、その時どうしましたか」

     グラナートが泣きそうな顔を上げて言う。

    「いや、正直、わからん。 もし俺なら、闇雲にマダム・アマーリアの店に突っ込んで行って、やっぱり騒ぎを大きくしただろうぜ」

     あっはっは、とオルドは身体中に反響するような大声で笑った。2人も釣られて笑う。

    「今晩は飲もうぜ、飲んで忘れよう。前線から戻ったやつらの慰労会って名目でさ。パーヴェル、酒房に連絡してきてくれ」

    「宴会なんか開いていて大丈夫かのか? 執事頭に知られたら」

     グラナートが心配そうに言う。

    「ふふん、説教蜥蜴に口出しはさせん。こっちだって陛下直轄だぜ? 組織上は執事頭と同格だ」

     オルドは勢いよく立ち上がる。

    「みんなを集めろ、緊急招集だ! 報告書なんか明日だ明日! 明日できることを今日やってたまるか!!」
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    有馬 礼

    DONE「続・蠱毒姫」1話直前のお話です。また、東砂騎さん作「鏡像の夜を破れ」クロスオーバー作品であり、東さんが書いてくださった「転がる宝石と透けてる下着と吠える犬」(https://poipiku.com/IllustDetailPcV.jsp?ID=6407483&TD=7640300)の蠱毒姫サイドのお話でもあります。
    転がる宝石と見えてる犬と吠えない熊 よりにもよって近衛隊長であるオルドの留守中に。隊長代理を務めているグラナートは城の中央廊下を駆け抜けながら苦々しく叫んだ。

    「現世からの侵入者など、あり得ない事態だ。そもそもそんなことが可能なのか!?」

     背中でシンプルに一つに結えただけの金髪が踊る。

    「いえ、理論的には不可能だと……。そもそも現世の只人は、魔界の毒素には耐えられないはずで……」

     隣を走る副官の男性・パーヴェルも、全力疾走でグラナートに並走している。

    「私もその認識でいた。どういうことなんだ? マダム・アマーリアのアトリエに何か仕掛けがあるということではないんだよな?」

     魔界で1番のドレスメイカーの店には、たしか、店主でデザイナーのマダム・アマーリアがイメージしたとおりのドレスを実体化させる部屋があったはずだと記憶していた。しかし、ドレスを実体化できるのはあくまでマダム・アマーリアの能力によるもので、部屋自体に仕掛けはないということだったが。知らないだけで、実は何か秘密があったのかもしれないとグラナートは走りながら考える。
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