魔界と現世の夏休み 爆映え⭐︎ナイトプール「……バカの乱痴気騒ぎが何ですって?」
蜥蜴型魔族の執事頭メーアメーアはぺろりと眼球を舐めた。
「違いますよ。ナイトプールです。ナ・イ・ト・プ・ー・ル」
魔王の妃アウゲの侍女頭、ザフィアは一音一音区切って言い直す。
「それで、そのナイトプールとやらが何ですって?」
「ちゃんと私の話聞いてました? 姫さまが現世の只人たちを招待したいっておっしゃるから、その趣向を考えろって言ったの、執事頭でしょ?」
「……わたくしが言ったのは客人をもてなす趣向のことで、乱痴気騒ぎの趣向ではありませんが」
メーアメーアは反対側の眼球を舐める。
「脳筋の近衛が一緒に行くんならどっちにしたってバカの乱痴気騒ぎは避けられないじゃないですか。あいつらは小隊対抗山岳レースでもやらせとけばいいんですよ。どうせ高価な料理の味もわかりゃしないんだし。酒と肉与えてほったらかしとけば適当にやるでしょ。ねえ?」
早口に一息で言って、ザフィアは後ろに黙って立っている近衛騎士で姉妹のグラナートを振り返る。
「……何も言い返せないのが辛いところだな」
ザフィアと同じ顔のグラナートはザフィアと対照的に深刻な表情で腕を組む。
「……まあ、男性陣のもてなしはパーヴェルにでも命じることにします」
メーアメーアは近衛の副官の名前を挙げる。
「無難な人選に逃げましたね?」
「無難のどこが悪いのですか。わたくしは無難ひと筋ですよ。だからこそ魔界はなんとかなってきたのです」
「姫さまが聞いたら発狂しますね」
アウゲは勝負や賭け事が大変好きな質で、勝負を避けて逃げを打つなどということを許してはくれない。
「信じる神の違いですよ」
メーアメーアはこともなげに言ってのけて眼球をぺろりと舐める。
「ねぇー執事頭、お願いします! 姫さまの写真集(※1)で見た時から絶対やってみたかったの……!」
(※1 作者註:姫さまはひょんなことから現世の異界でアイドルになり、推しパワーを集めて異世界転移してしまった別の異界のヒロインを元の世界に戻すという活動をしたのだ! その話はまた今度!)
ザフィアはどこに隠し持っていたのか、アウゲの写真集の該当ページを広げる。
夜のプールでアウゲが齧りかけのドーナツを模したフロートに乗って、フルーツの飾られたグラスを片手にこちらに視線を投げかけている。着ている黒い水着は決して露出度は高くないのに、その少し気怠げな表情や水の中につま先だけ入れられたすらりとした脚からは普段のアウゲとは違った色香が放出されていた。ヴォルフが気に入りすぎて大きなパネルに焼き直した、いわく付きの1枚だ。
「しかしナイトプールを開催するに当たっては別荘にプールを建設せねばならず、それなりの資金が動くことになります。そうなると陛下のご裁可を仰ぐ必要があり、説明は困難を極めますよ?」
メーアメーアはザフィアが差し出した企画書にサッと目を通す。
「そこはうまいことやっといてください。信頼してます。どさくさに紛れて怪しい決裁通すのは得意でしょ?」
「あなたという人はわたくしのことを何だと思っているのですか」
メーアメーアはぺろりと眼球を舐める。
「大丈夫大丈夫、執事頭ならできます。ね?」
ザフィアはグラナートを振り返る。
「いや、そこは私も問題ないと思うが、ヴォルフ様は行きたがるだろうに、それを押し留めるのはなんというかこう、気が咎めるというか、さすがにお可哀想というか……」
「甘いわね、相変わらず。ヴォルフ様には、姫さまの国内ツアーのみならずワールドツアーまで全通させてあげた(※2)のよ? 私たちの働きでね。その分を返してもらわなきゃ」
(※2 作者註:ヴォルフが「その分真面目に働くから」とあまりにもしつこくしつこくしつこく言うので根負けした有能な執事頭が、ツアーを追いかけられるように各方面を調整してくれたのだ……! 姫さまが現世に行っている間、連絡調整に忙殺されてるメーアメーアの補佐として働いていたザフィアもあまりのデスマーチに相当怒っているぞ! この話はまた)
「完全に同意ですね」メーアメーアは反対側の眼球を舐める。「やりましょう」
「ええ……?」
魔王不在の魔界には冥府の者の侵入が相次いだ。その討伐のために休む間もなく駆り出されていたにも関わらず、グラナートはヴォルフに同情している。
「でも、結果ヴォルフ様は、忙しすぎて魔界ツアーはファイナルしか参加できなかった(※3)んだし、十分報いを受けたのでは……」
(※3 作者註:姫さまの現世でのどえらい活躍は魔界でもちょっとした話題になり、魔界の各部族から「ぜひウチでもやってほしい!」という要望が宰相のもとに殺到したのだ! 渋るヴォルフを「これは私にしかできない外交よ。魔界の平穏と結束のために働きたいわ」というひと言で黙らせた魔王のデキる嫁こと姫さまはつい最近人族の国に凱旋公演を果たし、単独ツアーのファイナルを飾ったのである……ッ! この話)
「「甘いっ」」
メーアメーアとザフィアに一喝されてグラナートは口をつぐんだ。
「我々には夏休みを要求する当然の権利があります」
メーアメーアはぺろりと眼球を舐める。
「さっすが執事頭……! おっしゃるとおりだわ!! いいこと、グラナート? これは労働者として当然の、正当な権利よ!」
「……わ、わかった」
姉妹の迫力に押されてグラナートはこくこく頷く。
かくして「魔界と現世の夏休み 爆映え⭐︎ナイトプール」企画は密かに着実に動き出したのだった。
***
「ええっ!?」
魔王執務室に悲鳴が響く。
「そそそ、それ……、おれ行けない……ってコト!?」
「左様ですが?」
何か問題でも?とメーアメーアは眼球を舐める。
「だって、だっておれもナイトプールしたい! 姫さまと浮き輪で浮かびながら、なんか果物が乗ってたりなんか光ってたりするよくわかんないお酒飲むんだ……!」
メーアメーアは執務机に突っ伏してしまったヴォルフの手に無理やりペンを握らせる。
「ま、そのようなわけですので、ご裁可を」
「そんなぁ……酷い、酷すぎる……」
「わたくしが不在の間は宰相自らが城内の差配をしていただけるとのことですので、ご心配には及びませんよ」
「は!? メーアメーアも行くってこと!?」
「夏季休暇は労働者の権利であり、また、わたくしも労働者の一員でございますので」
「ううっ、みんなずるい……」
ヴォルフは涙を堪えながら書類にサインをする。ヴォルフが裁可した書類は魔力を持ち、各方面への指揮命令はこれにより行われる。
「念のため伺いますが、いったい誰のおかげで国内ツアーのみならずワールドツアーまでも全通できたとお考えなのですか?」
「……魔界のみなさんです」
「よくお分かりで」
メーアメーアはさっさと書類を回収した。
「ねえ……! せめて、せめて宰相は勘弁してもらえないかな!? あのキマった目、苦手なんだよね。仕事全部終わるまで解放してもらえないしさ」
「だからこそわざわざお願いしたのですよ」
「うわあああああん……!」
ヴォルフは再び机に突っ伏した。
***
よれよれのヴォルフは、アウゲが就寝する前に何とか寝室にたどり着いた。
「姫さま……」
寝室のドレッサーの前に座って髪を整えていたアウゲは肩ごしにヴォルフを見た。
「どうしたの?」
ヴォルフは背中からアウゲに腕を巻きつけて、顔をシルクのナイトドレスの肩に擦り寄せる。
「おれも姫さまとナイトプールしたかったです……」
「ナイトプール?」
アウゲは甘えてくるヴォルフの髪を指先でかき混ぜる。
「あ、姫さまにはまだ話が入ってなかったんだ。サプライズだったらどうしよ……まあいっか」
「何の話?」
アウゲにくすぐられるように髪を撫でられて、ヴォルフは目を閉じてうっとりする。
「この前測量機器を買った現世の只人たちを招待するんでしょ?」
「ええ。……あ、その時にナイトプールをするということね」
「らしいですよ。今日、メーアメーアが決裁取りに来ました。いいなあ……。おれも姫さまとのんびりぷかぷかしたかったです……」
アウゲは首を捻ってヴォルフの頬にくちづける。
「私のツアーを追いかけてくれていたせいで、執務が滞ってしまったのよね。ごめんなさい」
「いいんです。確かにそのせいでみんなに怒られちゃいましたけど、それはおれがそうしたかった結果だから、いいんです」
「……いつでも、どこにいてもあなたがいることがわかって、本当に心強かったわ。すると決めた以上はやり遂げる以外の選択肢はなかったけれど、辛いこともあったし、心が折れそうになったこともあった……。それでもやり遂げられたのは、あなたの応援があったからよ。すべてはあなたのおかげよ、ヴォルフ」
「おれは何もしてませんよ。姫さまは頑張り屋さんですからね。ステージの上でライトを浴びてる姫さまは文字どおり輝いてたし、眩しかったです。魔界ツアーも全通したかった……」
ぎゅうぎゅうと顔を擦りつけてくるヴォルフをあやす。
「私のわがままを認めてくれてありがとう、ヴォルフ」
「いいんですよ。姫さまの喜びがおれの喜びです。でもおれもわがままを言ってよければ、しばらくはどこにも行かないでほしいです……」
アウゲはもう一度ヴォルフの頬に、目蓋にくちづけを落とす。
「もちろん、そのつもりよ。あなたを甘やかすと決めて帰ってきたはずが、思いもかけず魔界ツアーが始まってしまったのだけれど。ナイトプールは執務が落ち着いてから2人でしましょう。だから、ね?」
アウゲは身体を捻って、ヴォルフの頬を両手で包んで引き寄せた。唇が重なる。
「……温泉でもいいですか」
額同士をくっつけたままヴォルフが言う。
「ええいいわ、もちろん」
アウゲはヴォルフの柔らかな髪に指を差し入れて梳いた。
***
副官のパーヴェルは半分仕事、半分プライベートの面倒な課題に頭を悩ませていた。
「どうしたんだ? ため息なんかついて」
近衛隊長のオルドが声をかけてくる。
「例の、現世の只人たちを別荘に招く時のもてなしを考えろって執事頭に言われたんですが、どうしたものかと……」
真面目な副官のパーヴェルは真剣に頭を悩ませている。
「え? プールだろ? ナートが言ってた」
「あのねえ隊長……。妃殿下もいらっしゃるんですよ? 我々が同じプールに入れるわけがないじゃないですか」
「えー……。だめかなあ。妃殿下はあんまり見ないようにするからさ」
オルドはグローブのような手をパーヴェルの肩に乗せる。
「いや、全員わかってますよ、隊長が水着の副隊長といちゃつきたいだけだってことは。でもそういうわけにはいかないでしょって話です」
「もうさ、だったらヴォルフさま連れてけばよくね?」
そうすれば良きところでヴォルフがアウゲを連れ出してくれるはずで、あとは残された者で気楽に過ごせるというものだ。
「それはダメだそうです」
「なんで」
「真面目に働くって言った落とし前をつけさせるらしいです」
「はあ……。陛下もお気の毒にな」
オルドはガシガシと頭を掻く。
「陛下がいない間冥府の者の討伐で結構大変だったのに、隊長も人がいいですよね」
「久しぶりにいい運動になったから、俺は何とも思ってないけど?」
「そうですか」
ヒグマに何言っても無駄だったな、とパーヴェルは手元の資料をめくる。
「な、それならさ、牛一頭買いしてBBQしようぜ」
「うーん、それだとちょーっと予算オーバーなんですよね」
パーヴェルは計算尺をパチパチと動かした。
「えー、妃殿下絡みなら予算は実質無限だろ?」
「それが、女子チームがプール造るのに持ってかれちゃって」
「まさかのプール造るところからかよ……。じゃ、山にでも登ろうぜ」
ボスッ、と肩を叩かれたパーヴェルがぐらつく。
「お一人でどうぞ。ええと……」
「お前もたまには運動しろよ、な?」
「運動できないから副官なんですよ、私は」
***
ザフィアは打ち合わせのため、執事頭の執務室で近衛から上がってきた企画書をめくる。
「えーっと、脳筋チームは『腕力比べ大会&BBQ』か……。さすが『服着て歩いてる無難』パーヴェルの発案だけあって無難ですね。ねえ執事頭、酔っ払った脳筋がプールに乱入してこないように電気柵買ってください」
「……さすがに人死にが出ると後片付けが面倒ですので、鉄条網くらいにしておきましょう」
「なんだつまんない。……ええと、酒は城中のを全部持ってけば足りるかしら。現世の『何もかもが巨大なスーパー』に買い出しに行ったほうがいいわね。あいつらに高級な肉なんかいらないんだし。近衛の若いのを2、3人荷物持ちに徴発することにして、と……」
そう言いながらザフィアは必要物品を次々にリストアップして発注先ごとに整理していく。
「そうだ、マダム・アマーリアも呼んでいいですか?」
「ええ、結構です」
「それから……、招待状を持っていくのとお迎えはお任せしていいってことでしたよね?」
「左様です」
メーアメーアは眼球をぺろりと舐めて答えた。
***
企画書を持って近衛の詰所を訪れると、都合よく副官のパーヴェルが1人で書類仕事をしていた。
「お疲れさま。これ、例のレジュメ。一応目を通しといて」
ザフィアは書類の束をパーヴェルの机の端に置く。
「ありがとう。結局ザフィアが中心にやったの?」
「だってみんな忙しいんだもの。あ、私が暇ってわけじゃないわよ。私が有能だからできたんだっていう話」
「……知ってるよ」
パーヴェルは苦笑しながら書類をぱらぱらとめくる。
「近衛としては、最初の出迎えだけで、あとはこっちで盛り上がっとけばいい感じかな」
男性チームと女性チームに分けられたタイムテーブルを見て、パーヴェルは事前準備がほとんどいらないことに安堵する。
「あなたの仕事で一番重要なのは、プールに乱入した不届者は枝切り鋏でちんこ切り落とされるってのを脳筋どもに周知徹底させることね」
「……わかりました」
「まあ、一応鉄条網と電気柵と落とし穴張り巡らせるから大丈夫とは思うけど」
ザフィアは資料をめくり、別荘の見取り図を示す。そこには鉄条網及び電気柵、そして落とし穴の位置が書き入れられている。バックヤードからプールへの侵入を防ぐ完璧な布陣に、副官としてパーヴェルは唸る。
「……妃殿下もいらっしゃるしね。それくらいの方が安全か……」
むむ……、とパーヴェルは唸りながらも納得した。
***
「おーい、氷ってここに入れとけばいいの?」「もう火起こしていい?」「野菜ってどんな感じに切るんだっけ?」「野菜なんか誰が食うんだよ、飾りだろそんなもん」「ねーもう酒飲んでていいのー?」「横断幕ちょっと傾いてね?」「もうちょっとそっち引っ張れ」
一斉に掛けられる声にパーヴェルは翻弄されながら指示を出す。
「氷はそのアイスペールに……その金属のバケツです。火は起こして大丈夫です。お客様が到着する前にホストが出来あがってるとかありえないでしょ、まだだめです。それで真っ直ぐになりましたね」
「おっ、来たみたいだぜ」
炭に火を起こしていたオルドが、客人を乗せた車が別荘の門をくぐったことを察知して言う。
「ではみなさんはお迎えをお願いします。その後現世からの客人・ルーシアス殿を交えての『腕力比べ大会』開始となりますので」
「隊長に骨折られたら労災扱いになります?」「心配すんな、やさしーくするからよ」「隊長の優しくって、人間で言うとどのくらいですか」「元々人間だから。お前ら俺のことなんだと思ってんだよ」「ヒグマじゃなかったんですか?」「あのなあ」
ガヤガヤと声が遠ざかっていく。空気は適度に涼しく、夕暮れへ向かう空は澄んだオレンジ色だった。
***
集まった近衛たちと現世の客人ルーシアスを前にして、パーヴェルは拡声器のスイッチを入れる。
「紳士紳士の皆さん、今宵は『第1回 腕力比べ大会』へようこそ。これは、日頃の慰安と交流を兼ね、文字どおりこの中で1番強い男は誰かを決めちゃおう⭐︎という企画となっております」
まだ酒も入っていないのに異様にテンションの高いやんやの歓声が飛ぶ。
「ルールは単純にして明快、相手の手の甲をテーブルに着けた者が勝ちです。審判はわたくし、副官のパーヴェルが務めさせていただきます。なお、大会に先立ちまして、いくつかの注意点を申しあげます。まず、オルド隊長に骨を折られた場合は労災扱いとなり、特別休暇が付与されます。えー、オルド隊長におかれましては、シフト調整作業が難航するため、あまり部下の骨を砕かないようお願いいたします」
「おう、わかった。努力する」
オルドの答えに場がどっと沸く。
「次に、女性チームの方にはくれぐれも乱入しないようお願い申しあげます。侍女頭のザフィアから伝言です。両会場の間には鉄条網及び電気柵、また、杭を仕込んだ落とし穴を設置済みであり、それらを掻い潜って乱入してきた者は枝切り鋏でちょんぎるから承知しておけ、なお、これは脅しではない、とのことです」
「でもさ、隊長はいいだろ? だって副隊長の水着見たいでしょ」
隊員から声が上がる。
「例外はないと言われてますので、多分隊長もちょんぎられると思います」
「後で個人的に見せてもらうからいいんだよ」
オルドは腕組みして余裕の表情を見せる。おおっ!さすが!余裕ですねえ!と隊員たちが囃し立てた。
「よォーし、やろうぜ!! まず、俺がここで」オルドはくじ引きで決めるはずのトーナメント表の端に勝手に名前を書き込む。「ルーシアス殿がここだ」
これで、トーナメント表の端と端に名前を乗せた2人が対戦するのは決勝ということになった。
こうして、恋バナで盛り上がる女子チームをよそに、男の汗と酒と肉の乱痴気騒ぎが始まったのだった。
***
早々に敗退した者に審判を代わってもらい、パーヴェルはやっと外周の、椅子を並べたエリアに逃れてきた。
そこには黒い髪の小柄な男性が1人で座っていた。
「ああ、執事頭。お疲れさまです」
人の姿になったメーアメーアを認めてパーヴェルは声をかける。
「羽目を外しすぎていないか心配で見にきましたが、まあ、何とかなっているようですね」
「何とか……なってますかね?」
オルドが酒瓶を片手に何故かルーシアスと肩を組んで試合に野次を飛ばしているのを見ながらパーヴェルは答える。
「ええ。こちらのエリアに収まっておいてくれれば何の問題もありません」
「まあ……そういうことなら」
異様な熱気と盛り上がりを見せている腕力比べ大会の方を見ながらパーヴェルは言う。
「妃殿下がお部屋に戻られたら、こちらも解散にします。まあ、この盛り上がりならしばらくみんなこの場から離れないでしょうから、大丈夫かと思いますが」
膠着状態に陥っていた勝負が決し、オルドが肩をぐるぐる回しながらテーブルについた。さっきの勝負は準々決勝だったようだ。オルドとルーシアスは順調に勝ち上がっていて、決勝で対決することになるだろう。酔っ払いの敗者たちがトーナメント表の線を怪しい手つきで塗っている。最早何を言っているのかわからない歓声が一層大きくなった。どうしてそうなったのかはわからないが、全員上半身裸になっている。まあ、下を脱いでいないだけいいか、とパーヴェルは氷水を飲んだ。
「では、女性チームの様子を見てきますので」
メーアメーアはおもむろに立ち上がる。
「えっ、向こう側に侵入したらちょんぎられるお約束では……?」
「Makainstagramの王室アカウントに載せる写真が必要ですので、純粋に仕事です。あと、わたくしは蜥蜴ですのでノーカウントです」
「そんなあ……ずるい……」
パーヴェルは心底羨ましそうな顔でメーアメーアを見る。
「……ねえ、執事頭とザフィアって、どうなってるんですか」
「どうもなっていませんが?」
「そうですか……。いえ、何でもないです」
パーヴェルはカップの中の氷水を飲み干した。
***
異様な熱気に包まれた腕力比べ大会&BBQがお開きになり、ある者は頭を氷の入ったグラスで冷やしながら、またある者は別の者の肩に担がれながらそれぞれの部屋へ引き上げていった。この後部屋で飲み直すのだろう。
オルドとルーシアスは、女性陣がいなくなったはずのプールで涼むつもりでプールサイドへやってきたのだが、そこでルークとグラナートの会話を図らずも盗み聞きしてしまったのが良くなかった。ただでさえ興奮を残していた神経が一気に昂って、しかしそれでもなお残っていた理性を立ち向かわせた結果、ルーシアスは再び野干に変身してしまったのだ。その姿を見られることを良しとしなかったのか、ルーシアスは別荘の脇を流れる渓流の方へ走って行ってしまった。オルドはルークとグラナートに「大丈夫だから部屋に戻ってろ」と言ったが、グラナートは客人のルークを部屋へ送り届けた後、再びプールサイドへ戻っている。
笑いながら戻ってきたオルドとまだ湿っているジャッカルの姿を認めてグラナートが駆け寄ってきた。
「オルド……! ルーシアス殿は大丈夫だったか? また犬になってしまうなんて。どうなってるんだ?」
「努力の結果だよ、な?」
オルドは巨大な犬もといジャッカルの頭を撫でる。ジャッカルはぴすぴすと鼻を鳴らした。
「申し訳ありません、ルーシアス殿。どうやったら元に……。ルーク嬢にはひとまず部屋へ戻っていただきました。ルーシアス殿も部屋へ。明日、副官のパーヴェルに手伝わせます。前と同じ方法で元に戻れれば……」
「ルーク嬢の部屋に入れてもらえ。それで、あったかいシャワーで洗ってもらったら、犬は治るさ。な?」
オルドに顎の下をくすぐられてルーシアスはぱたぱたと太い尻尾を振った。
「そんなことで……? まあ、わかりました……。こちらへ」
客人のために用意されたのは母屋から独立した建物だった。特別なゲストのためだけに建てられた、母屋と同じ黒い筋交の建物。
「ルーシアス!?」
グラナートがドアのチャイムを鳴らすと、ルークはバスローブを羽織った姿で飛び出してきた。
「あ……」
グラナートとジャッカルの姿を見て、ルークは少し戸惑った声を出した。
「オルドが、ルーク嬢と一晩過ごせば犬が治ると……。もし治らなくても、明日の朝パーヴェルに元に戻るのを手伝わせますので」
「わかりました。……多分、大丈夫だと思います。ありがとうございました」
後ろ足で立ち上がったジャッカルに顔をべろべろと舐められながらルークはグラナートに礼を言う。
「そうですか? では……。いずれにせよ、明日の朝お迎えに上がります」
「ええ。おやすみなさい、グラナート嬢」
「おやすみなさい、ルーク嬢、ルーシアス殿」
グラナートは首を捻りながら離れから戻ってきた。
「何だって?」
「それが……。ルーク嬢も、明日になれば犬が治ってるって言うんだ。どういうことなんだろう……。なんでわかるんだ?」
グラナートは心底不思議そうに、オルドの夕陽色の目を見上げる。
「こういうことだよ」
オルドは素早くグラナートの腰に腕を回してこめかみにくちづけた。