目の前で、ポロポロとただ涙を流すテメノスさん。そんな状態のこの人に、僕はどうして良いか分からなかった。
言い訳をする事を許して貰えるとしたら、決してこんなつもりはなかったのだと全力で謝罪をさせてもらいたかった。
「次の調査も私の護衛として同行するつもりなら、それなりに準備をしてきてください。次は、かなり危険な場所での調査になりそうですから。」
1週間前。
本当はずっとテメノスさんの傍を離れたくはなかったけれども、どうしても、そう、どうしてもストームヘイルの聖堂機関の本部に戻らなければならなくて。その別れ際に、あの人にそんな事を言われた。
「…まぁ、その、独り言ですけどね。」
わざわざ予告をしてくるという事は、次に向かう調査は間違いなくとんでもなく困難を極めるという事。それと僕は、次もテメノスさんに同行する事を許されたという事だ。
ついて来られたくない場合は、本当に何も教えてくれないのだ。この人は。その場合は僕は自分で調べ上げて、勝手に同行するか追いかけて合流するしかない。前はこの人の予測を立てるのも下手くそで、追いかけるのも大変だった。今は少しは上手になった、そう思いたい。偶然に頼る事もなくなったし、うん。
「頼む、オルト。君にしか頼めない。」
ストームヘイルの聖堂機関の本部にて報告を済ませて、南ストームヘイル街道に出た魔物の討伐に駆り出されて。
討伐隊に駆り出された事に不満はない。聖堂機関があの一件依頼人手不足なのは知っているし、民に被害が出る前に魔物を討伐出来たのは幸運だったから。ただ、
「利き腕を負傷して、数日の間、剣が握れなかっただけだろう。何をそんな大袈裟な、断る。」
魔物討伐の際に、怪我して動けなくなっていた討伐隊の人間を庇った。かなり無理矢理魔物と討伐隊の人間との間に割り込んだせいで、僕は利き腕を負傷してしまった。
直ぐに手当てを受けて特に問題は無かったのだけれども、念のためと数日間絶対安静を言い渡されてしまった。その安静がやっと解除されたのが、今日だ。
早急にストームヘイルを出発しないと、テメノスさんが次の調査に向かうと言っていた日に間に合わない。焦った僕は、必死にオルトを説得していた。僕の代わりに、テメノスさんの護衛をしてくれと。
「不安なら、テメノスに利き腕を診て貰ったらどうだ?違和感があるのなら、そのまま治して貰え。お前なら、喜んで診てくれるだろう。彼奴は。」
「かなり危険な場所への調査になるとテメノスさんは言っていた、そんな調査の前に負担になるような事はしたくない。それに、不安要素になるような事は無い方が良いに決まってる。だから頼む、オルト。」
「…どうなっても知らんぞ、俺は。責任は取らんからな、クリック。」
数日間、日常生活も制限され、鍛練をする事も叶わなかった。そんな人間が、危険と分かっている調査に同行する?周囲の人間を危険に曝すだけだ。そんな事あってはならない、僕はテメノスさんを守りたいのだ。
最終的には、オルトは了承してくれた。彼の腕は僕が一番知っているし、何より信頼出来る。本当は僕が行きたかったけれど、危険因子にしかなれないのなら諦めるしかない。諦めるしか、無かった。
「…あれ?テメノスさん、どうしてここに?」
俺はお前と違って仕事は溜め込まんから普通に過ごしてろと、オルトから遠回しの気遣いを受けた僕は、鈍ったかもしれない勘を取り戻すべく鍛練に励んでいた。勿論聖堂騎士としての職務もこなしながらではあるけども。
そんな日々を過ごしていたある日、ストームヘイルにフラリとテメノスさんが現れたのだ。僕の代わりに護衛を任せた筈のオルトの姿は何処にもなく、たった一人で。
慌ててテメノスさんに駆け寄ると、元気そうで何よりですと言われた。はいお陰様で、じゃなくて!
「まさか、テメノスさん。オルトを撒いてきたんですか!?それでは護衛の意味が、」
「撒いてません、ただ隙を見て置いてきただけです。実に簡単でしたよ、この頃私が取りそうな行動を理解しつつある君と違って。そう、君と違って。」
「護衛を撒くとか、本当に貴方は何考えて…!?」
何を考えてそんな行動をと言おうとした僕は、あまりの衝撃に言葉を失った。
テメノスさんが、泣いていたのだ。翡翠の瞳からポロポロと次から次へと涙が溢れて、思わず綺麗だなと思ってしまった。直ぐに我に返ってどうしたのかと尋ねると、全部君のせいでしょうと言われた。え、僕のせい?
「貴方が、怪我をしたと聞きました。討伐隊の人間を庇って、それのせいで今回の護衛は出来ないと。だから俺が来たと、オルト君から聞きました。」
「危険な調査となると聞いたので、代わりにオルトを。オルトなら大丈夫だと思って、僕が頼みました。何せ時間も無かったのでテメノスさんに確認も出来ず、勝手に用意しました。気分を害したのであれば、謝ります。その、すみません…。」
「そこじゃないです、それぐらいで私が泣くと思ったのですか。…これだから、君は何時まで経っても子羊くんなんです。」
「な、僕は子羊なんかじゃ…!?」
ツカツカと僕に近寄ってきたテメノスさんは、そのまま僕を抱きしめてきた。いきなり何を、と慌てる僕の耳元に口を寄せると囁く様に言った。君が無事で良かった、と。
「君が、君が大した怪我をしたのではなくて良かった。君がこうして元気にしていてくれて良かった。君に何か不幸が訪れた訳ではなくて、本当に、本当に良かった…!!」
「……。」
「もう、このような事は止めてくださいね。次やられたら、私は心臓が止まるかも知れませんから…。」
思わず、テメノスさんの体を力一杯抱き返した。
心配させるつもりなんかは、これっぽっちもなくて。でも泣くぐらい心配してくれたという事実が嬉しくて。僕は、どういう顔をして良いのか分からなかった。
「すみません、テメノスさん。以後気を付けます。…貴方を、泣かせたくはありませんので。」
思ったよりも自分はこの人に愛されているのだと自惚れても良いのだろうか、今だけは。
そんな事を真っ先に思ってしまった僕は、後で思い切りオルトに殴ってもらおうと思った。