香る恋心手に緑色を詰めこんだ籠を持って、セスは軽やかにペセルス城の長い長い階段を降りていく。足元でちょこちょこと精霊たちもセスと階段を一緒に降りていく。
かつてはセスもランジェレスにあった城に暮らしていたとはいえ、このペセルス城はそれよりももっとずっと構造が複雑だ。オデアの首都にある城より小さいはずだが、ペセルスの城内を把握するためにあちこち散歩をしてはときどき迷子になった記憶はまだ新しい。とはいえここでセスに許されていることは少なかったから、城内とその周辺を歩き回るほかにすることもなくてセスが当初危惧していたよりはずっと早く把握できていた。
すっかり慣れたペセルス城の台所へとセスはやってきて、使用人の中から見知った顔を探す。お昼すぎのこの時間帯、彼女が書斎にいるテオのためにお茶を用意することもセスはしっかり把握していた。歩くことに疲れた精霊たちはセスの頭と肩の上から探すようにキョロキョロとしている。もしかしたらセスの真似をしているだけかもしれなかった。
「ペトロいるか?」
セスが声をかあげると台所で右へ左へ忙しなく仕事をしていた一人が動きを止める。
「はいセス様、なんでしょう。」
「またオイルもらえるか?」
「もちろんですとも。」
「あと鍋も貸してくれな。」
「はい。」
セスの右手に持った籠の中を見たペトロの手際には迷いがないこんなことを頼むのも二度目だからか慣れたものなのだろう。
「ご用意できました。」
「ああ、ありがとう。」
セスはペトロの用意したいくつかの鍋を手にとって火にかける。熱過ぎないお湯を張った鍋に小さなガラス製のボウルを重ねオイルを入れて、ゆっくりと温めていく。パラパラと精霊たちがハーブを次々にボウルの中に入れていくのを、セスは好きなようにさせていた。
「セス様。」
「ん?なんだ?」
「ジャスミンはお入れにならないのですか?もしご利用でしたらご用意いたしますが。」
「いや、いい。オイルには香りが強すぎるから。……でも、なんでだ?」
精霊たちがオイルを葉っぱだらけにしないように、そろそろやめな、と再び肩に戻す。黒髪の精霊は大人しかったが、銀髪の精霊はジタバタと抵抗をした。本当よく似ているとセスは思う。
「テオ様がお好きなので、もしかしたらと思ったのですが……。失礼いたしました。」
「テオが好き?」
「そうですね。直接ご確認したわけではないのですが。テオ様がご懐妊されてから刺激が強いものは控えるようにとエディン様から指示がありましたので、ハーブティーに変えたんです。」
「ふむ。」
セスがボウルをかき混ぜるごとに葉っぱの香りがオイルに溶けていく。温度を上げたからといって早く終わるわけではないから、適切な温度を保てるよう火加減を慎重に調整する。
「それでいくつか取り寄せてお出ししているのですが、テオ様はジャスミンティーのときだけ二杯目を希望されるんですよ。」
カチャン、とガラス製のボウルに金属のヘラがあたり高音な不快な音が小さく鳴る。ジャスミン、と聞いてセスの手元が狂ったせいだった。
「……へえ。……。」
ペトロがニコニコとわかりやすい笑顔をそういうものだから、普段ならそんなことはないのにセスは照れくさくて曖昧な返事しかすることができない。
「はい。」
「……そういえばセス様もジャスミンの香りをお持ちでしたよね。」
「そうだが。……。」
テオが魔物討伐の遠征に行ったときだったか、そのときにテオのことを知りたくて彼に近しい彼女と良く話したためかペトロは他の使用人と比べて気軽で多弁だ。そんなことを気にするセスではなかったが、他人にこんなにも恋心をあからさま見抜かれてしまってはなんだか落ち着かない。
「エディン様からお聞きしましたのですが、やはりお二人はとてもお似合いですね。」
「ああ、うん。……ありがとう。」
嬉しい言葉ではあったがやはり落ち着かない。早く終わってしまいたくてセスはボウルの中を勢いよくかき混ぜたせいでオイルが散っていくのも、ペトロは微笑ましく見守っていた。
翌日、朝食の時間の終わりかけ、テオが食後のハーブティーに口をつけている姿をセスはじっと見つめていた。セスの手元にあるハーブティーはテオと同じものだったから、今朝のお茶がジャスミンティーであることは口を付けなくてもわかっている。毎朝のことなのに緊張してしまうのは、つい昨日ペトロからハーブティーにまつわる話を聞いたからなのは明らかだった。
テオがソーサーに置く頃にはカップは空になっているらしく、磁器と磁気がぶつかった軽い音が鳴った。確かに他のお茶のときよりペースが早い気がする。
「もう一杯頼む。」
「かしこまりました。」
テオがテーブル側に控えているペトロに声をかけた。まだ温かいハーブティーが湯気を放ちながらカップに注がれていく。湯気とともに香りも立ち上がりテオに届いたのかその目元がほころんでゆくのを見てしまっては、じわじわとセスの勝手に口元は笑みの形になってしまうのだった。あまり誰かに見られたくない表情をしている自覚があったから手で顔を覆ったが、その瞬間、ティーポットをまだ持ったままテーブル側に控えているペトロとパチリと目があった。一瞬だけ彼女がニヤリと笑い、セスはなんとも言えない羞恥心とと多幸感に顔に熱が集まるのを感じる。
セスは膝を抱えて顔を全部隠してしまいたかったが、自室でもないここでそんなことをするわけにもいかなくて、セスの肌色には目立ちすぎる赤色をさらす羽目になった。
「……?どうした?」
一口飲んでカップを置いたテオが小首をかしげながらそんなことを言う。テオから見てもセスの顔色が平時のときと違っていたから何気ない疑問でしかなかったが、もうほとんど全部テオのことを愛しかけていたセスはそんなテオのやわらかくゆるんだ様子が可愛くて仕方がなくて。
「なんでもない、なんでもないからっ!」
みっともない赤色を誤魔化すことにセスは朝から苦労するのだった。