ひとはだの先手たった、独り。茨の中を立ち続けてきたユリウスの強さは堅牢だ。頼ってほしい。寄りかかってほしい。そんな俺の我儘な願いをどれだけ口にしたところで、ユリウスは困った顔をしながら、「助けを乞うやり方がわからない」と曖昧に笑うばかりである。
その願いは、我儘どころか残酷なものだと気づくのに少し時間がかかった。生きる対価に働きを差し出していたような男に、手を伸ばせと言っても難題だろう。手を伸ばすな、と教えられてきたはずだ。寄りかかるなと叱られてきたはずだ。頼るものなど一つもなくて、恐らくは一縷だったはずの俺は――彼の本心を聞き違えた。
どうすれば、彼を独りにせずに済むだろう。真剣に思い悩み、ついにはグランサイファーを尋ねた俺に、齢十幾つの団長はあっけらかんと笑っていった。
アルベールから、掴んじゃえば良いじゃない。と。
「今日は比較的熱も低いな。とはいえまだ暖かいが……冷えたりしないか? ぐっと熱が上がる前はぞくぞくするだろ」
「今のところは穏やかだが……」
「そうか。傷は? まだ血の滲んでいるところが多い。治癒が遅いということは、星の獣の力が弱っているということなんだろう。ルリアに聴いたぞ。お前は勿論、その……触手の……デストルクティオと言ったか? そいつに対してしてやれることもあれば教えてくれ」
「ああ……ええと……。腹の致命傷を治すのに力を使い果たしたようで、腹の底でよく寝ているから……起こすほうが今はよくない、と思う。医者からも血が不足することに対して忠告は受けているが、今のところ薬の服用で落ち着いている。時間はかかるだろうけれど、大丈夫だ」
「そうか。だがいつまでも傷が塞がらないと膿んで悪くなる。明日からは包帯の替えを1日2回にしよう。朝と夕方でいいな?」
「……君がやるのかい?」
「ん……? ああ、任せておけ。包帯を巻くのは上手い。こんがらがったりさせないから」
「どちらかというとこんがらがっているのは私の頭だ。……なんだい、今日の君の甲斐甲斐しさは……」
怪訝に眉を潜めたユリウスは、俺の身体をひっとらえると素早く額に手を差し込んできた。先ほど俺が彼の体温を測ったのと同じように、難しい顔をして温度を見ている。
「……冷たい、平熱か……。だとすると何だ? グランサイファーに墜落した衝撃が何か悪影響を……?」
「あのなぁ……。何もおかしいことなんてないぞ。ぼろぼろになるまで草臥れているときは、無条件に優しくされるものなんだ」
体温を探る手を取って、柔く両手で握りしめる。ユリウスははっと何かに気づいた顔をして、よろよろと薄赤の視線を迷わせ始めた。左へ、右へ、そうして結局、少し弱った友の目は最後に俺の瞳を覗き込む。
「……なるほど、逃げ道を塞ぎに来たわけか」
「ああ。甘え方がわからないというなら、教えればいいと思って」
包み込んだ友の手が、緩やかに振れる。握手から逃れようとしているようでいて、しかし込められている力はほんの僅かだ。
「人の手が暖かいというのは、君との握手で初めて知った」
「……ん……?」
「友になると決めた日だ。触れてもいいのだと知ったのも、そう。縋っていいということだって、本当はもう十分にわかっている」
空いていた手を、俺の両手に重ねながらユリウスは続ける。伏せられた瞳が万一物憂げならどうにか励まさねばと思ったが、親友殿は意外にも楽しげな笑みを湛えていた。
「それでも手を伸ばせなかったのは、巻き添える覚悟がなかったからだ。私に引きずられて君の人生までもを荊に巻き込んでしまいやしないかと、ね」
「そんなもの」
「焼き焦がす。……と、いうんだろう?」
言葉を先取られ、目を見開く。ユリウスは楽しそうに破顔して、俺の手ごと腕を持ち上げた。口元に誘われた手の甲に、そうっと口付けが落ちる
「もう、諦めてしまおうかな」
「何をだ」
「ふふ。君を……君のそばを諦めて、幸せを願って、手放すこと」
「……、なんだそれは」
地を這うような低音は、明確な怒りを持って部屋を駆け抜ける。口づけの温もりを残す肌に俄な電気が散った。雷に慣れないユリウスの肌は傷んだはずだが、親友は怯まず俺を眺めて笑っている。体温も逃げることなく、手の中にあった。
「死んでも守りたい宝だったのになぁ。生きて寄り添いたいという欲が出てしまって」
「いいことじゃないか」
「国の英雄を、まさか大罪人が独り占めるなどとね」
「どちらかというと俺がお前を囲っている」
「……諦めるほかなさそうだ」
くつくつと喉を鳴らしたユリウスは、一瞬のうちに「悪戯っ子」の顔をして俺の腕を勢いよく引っ張った。それはもう、怪我人とは思えぬほどの怪力で。当然バランスを崩した俺は、傷だらけの身体にどさりと体重をかけてしまう。
「っ、すまん、痛くなかったか」
「ふふふ、当然……っ、痛むが、構わないさ。覚悟の上でやっている」
俄かに言葉を詰まらせながら、ユリウスは飛びのこうとする俺を両手いっぱいで抱きしめてくる。恋人の抱擁と言うには色気がない。幼子が寂しさを紛らわすのに、ぬいぐるみを抱き寄せるような仕草。それはまさしく、甘えである。
「……できるじゃないか」
「秘めていただけだから、ね。……聞こえるかい、心臓が面白いくらいにばくばく言っている。慣れないことはするものじゃないな」
「生きている音だ。俺は嬉しい」
「く、ふふ、やれやれ。ああいえばこう言うのに、全てが口説き文句になるんだ、まったく」
どうにかこうにか腕を出して、俺も友を抱き寄せる。どこかほっとしたように力を抜いたユリウスは、無邪気に顔を綻ばせたまま俺を離しはしなかった。あどけない笑顔はきっと、遠い昔に置き去りにされた幼い友のものだろう。偽りのない柔らかな顔は、一層愛おしく俺の紅眼を焼いていった。