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    sushiwoyokose

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    sushiwoyokose

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    ボクロクとグラカイ

    長閑な朝陽窓から吹き込む海風の匂いに、ほのかに甘いミルクの香りが混ざっている。浮世離れしたこの豪勢な建物において、所謂「家庭的」と呼ぶのであろうその香りは些か不釣り合いなように思える。しかし、柔らかな匂いに腑抜ける朝が嫌いかと言われればそんなわけもない。恐らくはこの屋敷の主も、同じようなことを想っているのだろう。
    (フレンチトースト……? いや、だったらバニラの匂いもするはず。なんだろうな……)
    くぁ、と欠伸を零しながら朝日の眩い廊下を征く。鼻を掠めていく甘い香りに朝食を予想しながらひょいと台所を覗けば、青年が一人あくせくと忙しなく動きまわっていた。生真面目らしくエプロンをかけ、しかし寝起きそのままの金糸はあちらこちらに跳ね飛んだままだ。男らしく、無頓着なところもある。彼に言わせると俺は不思議な人間らしいが、俺からするとロックのほうも不思議で、面白い奴だった。
    「なぁに作ってんの」
    「わっ……! 包丁持ってるとこ脅かすなよ、危ないだろ」
    「あらら。いつものアンタは消した気配にも気づくのに。ぼーっと歩いてる時より台所にいる時のほうが警戒心が薄いのか、なるほどね」
    「何を学習してんだよ。……まだ早いけどもう出かけんのか? 5分あるなら持ってけるもの作るけど」
    自然と持ち上がった口角をそのままにちょっかいをかけると、大仰に肩を揺らしたロックはすぐさまこちらを振り向いた。あまりに真っ直ぐな紅眼は少しだけ俺を睨むけれど、それは注意であって不機嫌ではない。重ねて気遣いを寄越す人の良さに思わず笑みを深くすれば、吊り上がった瞳はつられるようにあどけなく笑った。こういうところが、不思議な奴である。見た目からして堅気ではない雰囲気も、つい口をついて出てしまう皮肉ったらしい物言いさえ、純粋無垢の前では無力だ。揶揄いを飛び越して気遣いを寄越すお人よしは、あまつさえ俺のことを恐らくオトモダチ、とでも思っている。
    「ううん、今日は何にも。癖で起きたってのと、昨日のお礼を言わなきゃなと思って」
    後ろ手に持っていた白い皿をひょいと見せれば、ロックは気恥ずかしそうにそっぽを向いてしまった。これは昨日の夜、夜食と書かれた走り書きのメモと共に俺の部屋の前にぽつんと置いてあったもの。上には、少しいい店で買うような分厚い具沢山のサンドイッチが乗っていた。
    ロック・ハワードはあくまでカインの協力者であり、居候だ。一派の人間ではなく、即ち裏社会の人間でもない。仕事を手伝うこともままあるが、いずれも彼の身をあまり汚さないようなかなり「選んだ」ものを任されている。故に、俺やカインが本物の汚れ仕事をする間は屋敷に一人でいる時間も多い。
    そうした自由時間を、彼はどういうわけか家事に向ける。曰く英雄との暮らしで身についた癖だというが、どちらかと言えば癖と言うより彼自身が持つ献身の表れだろう。俺もカインも、そしてかつてはグラントも、この理解は三人全員で一致していた。小間使いのようなことはしなくていい、とカインから再三の進言があったようだが、いずれもロックが「宿代」と跳ねのけて今に至っているらしい。おかげでカイン邸の暮らしはおよそ裏社会とはかけ離れた健全さを保っている。朝、昼、晩と絵にかいたようなバランスのいい食事が差し出され、帰りが遅くなればかのサンドイッチのような軽食が言わずとも用意されている。屋敷は業者が入ったように磨き上げられ、気づくと洗濯物も回収されている有様だ。あまりにも手際よく生活を整えていくロックを感心して見守っているばかり、というわけにもいかず、俺は皿洗いの技術を身に着け、かのカインでさえ稀に箒を手にしている。こんなところで支配者の器を感じるのもどうかと思うが、確かに彼には人をふと変えてしまう不思議な影響力があった。
    「なんだ、わざわざ……。お節介でやってるんだし、別にいいよ」
    「でも助かるんだよ、これ。あの時間だと店に寄り道する気力がなくてさ。かといって普通に腹は減るし。ご馳走様、ありがと、また作って」
    「あーあー、良いって本当に! あんなのでよけりゃいくらでも置いといてやるから。ほら、皿もらう」
    「えぇ? さすがに自分で洗うよ。ここまで来たんだし」
    「いいから」
    目の色が滲んだように、赤がふわりとロックの頬を彩っていく。どうにも自己評価の低い男だ。矢継ぎ早の誉め言葉は喜びに勝って羞恥を連れてきてしまうものらしい。複雑な顔で唇を噛みしめたロックは、俺から皿を奪うとまた忙しない作業へ戻って行ってしまった。俺やカインが礼の言葉ばかりでなく、手伝いの技術を身に着けていったのはこのためである。ありがとうという一言だけは、どうしてか素直に受け取ってもらえないものだから。
    「で、何作ってんの?」
    「朝飯。……カインの」
    「俺たちのとは別に、ってこと?」
    「そう。昨日の夜、誰かと会食があるって出かけてったんだよ。戻ってくるのは早かったし、顔色も変わんなかったけど、どうも酒の匂いが濃かったんだよな。ああいう時のカイン、朝はスープしか要らないって言うから……軽いものにしてやろうと思って」
    人を良く観察し、癖を覚えて、応用をする。アサシンに必要な考え方をごく平和的に利用する青年に小さなため息を零しながら、手元を遠慮なく覗き込んだ。まな板の上には荒く刻まれたパンが散らばっている。一方、右手にあるコンロでは一つの小鍋がぐつぐつと湯気を立てていた。甘い香りは、この小鍋が立てているものらしい。
    「パン粉……? わかった、フィッシュサンド」
    「んなわけねーだろ、お前の胃袋どうなってんだ」
    「冗談だって。あの鍋ミルクでしょ。これどうするの」
    「パン粥って聞いたことないか? ミルクでパンを煮るんだよ。パンはもう少しデカく切ってもいいんだけど、どろどろしてた方が食いやすいだろうし。そら、そこどけ」
    「うい」
    軽い蹴りを脛に食らって、大人しく半歩引き下がる。まな板ごと鍋のほうへ移動したロックに少し離れたままついていくと、煮立ったミルクの中にどさどさとパンが放り込まれていった。途端、台所には焼き菓子のような甘い香りが立ちこめる。
    (あれ……?)
    その匂いに、ふと頭をよぎる記憶があった。忘れるには近すぎる、しかし怒涛の日々においては、つい先ごろとは言い難い。それはアサシンから足を洗い、グラントの弟子となってすぐの頃の記憶だった。
    ◇◇◇
    一挙一動に骨が軋む。瞼を開けるにも激痛が走り、結局ぐったりと脱力したまま呆けているのが一番楽だ。半分眠ったような心地で、だから記憶も少し曖昧なのだと思う。
    あれはグラントと鍛錬を初めて、割とすぐの出来事だった。グラントが力加減を間違えた一撃を、ひよっこの俺が躱せなくて起こった事故のようなもの。寡黙な男の焦ったような声を初めて聴いて、思わず飛び出した平気というあからさまな嘘をこっぴどく叱り飛ばされたのをよく覚えている。
    「医者から話も聞いたが、大丈夫だろう。これがアサシンとして俺に歯向かってきたときの怪我よりは軽い。そう気を落とさずともいいんじゃないか」
    「……」
    「自分の身体には無頓着な癖をして呆れたものだ。ようやく見つけた『代わり』を失うのが己の命の短縮より惜しいとみえる」
    「……。あまり意地の悪いことを言うなカイン、我はこれを後継とは思っているが、代替とは思っていない。お前の親友は我一人、人は人に成り替わることはできん」
    「お前こそ意地の悪い。……、献身と自棄を履き違えるな。お前もこの男も、それからロック君も、見ていて肝が冷えるばかりだ。俺は――」
    「……」
    「……、いや、すまない。全ては夢のため。そうだな」
    部屋にはひっきりなしに人の出入りがあった。グラントと、多分カインがいて、何かを話していた気がするけどその内容は覚えていない。ただ、空気は重かったように思う。それを一変させたのが、あの甘い香りだったんだ。
    「……む。この足音は――」
    「ロック君だ。俺が出る、お前は座っていろ」
    「そこまで弱っていないぞ」
    「黙って巨躯に睨まれる身にもなれ。……ああ、ロック君……何か用……、おや、それは?」
    「いや、さっき医者通してただろ。悪いけど、帰るとことっ捕まえて勝手に話聞いちまった。グラントの……弟子? であってる? ボックスって言ったっけ。怪我してんだよな。飯は普通に食わせたほうがいいって言うから、軽い奴作ってきたんだけど」
    「……君が? 手ずから……? あの台所でか」
    「そう。使っちゃまずかった? そういえばあんまり使われてないような感じだったけど……」
    「いや、まずいということはないよ。ただ少し驚いてね……。得意なのかい」
    「まぁ……ちょっとだけ。食えるかな」
    「今は眠っているが、起きたら渡してみよう。冷めてもいいものかな?」
    「ああ、大丈夫。あったけーのがよかったらそうするから声かけて。……どうせだから俺たちのもなんか作ろうかと思って買い物してきちゃったんだけど、作ったら食べる? グラントも」
    「ふふ……っ」
    「……何」
    「いや、平和なお誘いだと思ってね。頂こう。楽しみにしているよ」
    「グラントに聞かなくていいの。いるんだろ?」
    「聞かなくとも食うさ。ではこれは預かろう。……気を遣わせたね、ありがとう」
    「別に……おせっかいだから。……じゃあまた」
    朧げな記憶を思い起こして、納得がいく。あの時グラントとカインの何とも言えない沈黙を打ち破っていったのは、きっとロックだったのだ。
    「懐かしい匂いがする」
    「ふ……、お前もそう思うか。パンの粥、姉上の僅かな得意料理の一つだったが。懐かしいな、ジャムを入れすぎると叱られるんだ」
    「お前が食っていた粥はほとんどジャムそのままだった。叱りもするだろう。……これをあの子が、な」
    「ああ。教わったんだろうか。7つまでのあいだに……」
    「……、どうだろうな」
    部屋が俄かに温まって、少し空気が軽やかになる。それに安心して、いよいよ本当に意識を手放してしばらく。俺が食べたあの粥はすっかり冷え切っていたけれど、記憶に残る甘い香りは確かに、焼き菓子のようなあの香りと同じものだった。
    ◇◇◇
    「ね、ロック」
    「ん?」
    「それ、俺にも作ってくれたことあるでしょ」
    過った記憶を手繰り寄せて、確信を得てから一回り小さい背を叩いた。調理中に意味なく触れるな、という注意は飛んでこず、驚いたような瞳だけがこちらに戻ってくる。
    「お前に……? ……。あー、……、ある……、あるかも……。ここにきてすぐ、結構前に……。グラントにぶっ飛ばされたお前が怪我したって聞いて……」
    眉間に皺を寄せて記憶を辿るロックに、また笑みが深くなる。どうしてかは分からない。ただ、なんとなく嬉しかった。知らず寄せられていた心配が? それとも、思わず向けられた慈愛にだろうか。分からない。分からないけれど、この男の柔らかさに触れるとどうも心が、人に戻る。
    「やっぱり。あれ、美味しかったの覚えてる。グラントに怪訝な顔された」
    「は? なんで」
    「肋骨すんごい折れてるのに、がっついて全部食べたあともうないのって言ったから」
    「……ふっ、はは、そりゃあお前……。まぁ、食って直すタイプだもんな」
    ぱっと表情を明るくしたロックが、深い小皿を取って鍋の中身をそうっとよそった。真っ白い粥に、片隅に置かれていた蜂蜜がとろりとかかる。完成した小さなパン粥は、ずいっと俺の前に差し出された。
    「味見?」
    「まぁ、そんなとこ。冷めたっていいけど、ほんとはあったかい方が美味いんだ、一年越しの本領を味わえ」
    手渡された暖かい器を、しばらくじっと眺めてみる。興味本位で、暇があれば彼の料理を眺めているが、この粥は手順だけ見るとごく簡単な部類だった。しかしこの暖かさと甘さが齎す安寧は、その手軽さに必ずしも比例しない。
    (美味かったから覚えてるのも、そう。でもそれ以上に安心したんだ。あれは……俺がここにきて、初めて食べた人の味だったから。グラントが作ったとも、カインが作ったとも当然思わなかったけど。ただ、ここにいていいんだなって思える不思議な味だったから)
    追って手渡されたスプーンに乗せて、湯気を立てる真っ白い液体を口へ運ぶ。熱いぞ、という今更の注意が届くけれど、気にせずそのまま唇を閉じた。鼻を抜ける甘さと、喉に落ちていく柔い味付けと。あの時の味だ。確かに、暖かい方が断然美味い。
    「……美味い?」
    「ふふ、うん。ほんとだね、あったかい方が美味い。いいなぁこれ、俺も今日これ食いたい」
    「そんなにかよ。いいけど……あんまり腹に溜まんないぜ」
    「腹減ったらハンバーガー食べに行くから大丈夫」
    「あのなぁ……。ファーストフードはほどほどにしとけよ、まったくどいつもこいつも……」
    美味い、という一言がまたロックを照れさせる。呆れ切れない青年は、もごもごと言葉尻を濁してコンロの火を消し止めた。
    「リクエストに応えてやる代わりに、お使い一つな。これカインのとこまでもってってくれ。多分起きてるだろ。食わねーなら食わねーでいいからって伝えて」
    「任務了解」
    丁重に準備されて行くデリバリーを眺めながら、残りの味見を平らげる。ボスに食べないという選択肢はないだろう。本人があまりにもシャイに褒め言葉を退けるものだからあまり口にしないだけで、彼はロックの作る食事に大層胃を捕まれている。
    (はー……。呑気な朝……)
    背を伸ばしながら、改めてのんびりとした時間を嗤う。しかし一笑に付す気にはなれない。こうした時間があるからこそ得られる強さもあるのだ。慈愛の行き来を目にした今だからこそ、信じられる強さの形。
    「あ、そういえば言ってなかったな」
    「あ?」
    「おはよー、ロック」
    「……。おう、おはよう」
    今日も今日とて、静かとは程遠い喧騒の一日が待っているのだろう。だから朝くらい、少しだらけていてもいい。かつての自分であれば絶対に許しはしなかったであろう緊張感の途切れは、あまりにもあっさり頭に、心に、許諾されてしまうのだった。
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    Replies from the creator

    sushiwoyokose

    DOODLEグラカイと喪失に向かう彼らを掬う救済者のロ グの吐血描写あり
    明星死期が近い。見積もられた余命を淡々と闇医者に告げられた時より、今のほうがよほど実感と納得がある。起き上がるのも億劫な気怠さが常に付きまとい、眠気はいつまでも遠のいていかない。気を抜けば視界も判然とせず、最も厄介なのは予兆なく喉を遡ってくる多量の血液だった。どこから漏れているのか知らないが、軽咳が一つ零れたと思うと次から次へ赤が流れ出てくるからタチが悪い。辛うじて若者二人の前では失態を見せずに済んでいるが、最も見せたくなかった男は何度か驚かせてしまっている。
    弱らずいきなり逝ければよいのに、なんて無駄なことを考えてしまうのは死への恐怖からではなかった。終わることに恐れはない。むしろ、安堵すらある。もしも怖いことがあるとすれば、この手で守り続けてきた友のこと。隠し事の何もかもを見透かす聡明な親友。彼に、夢も希望もなかった子供の頃のような、昏い顔をさせてしまうのだけが後悔だった。彼のために捨てた命である。しかし、この命が消えればカインは深く傷を負うだろう。それこそ消えない傷だ。凶弾などより深く、重く、それはカインを傷つける。それが、それだけが、俺の後悔だ。
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