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    sushiwoyokose

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    sushiwoyokose

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    グラカイと喪失に向かう彼らを掬う救済者のロ グの吐血描写あり

    明星死期が近い。見積もられた余命を淡々と闇医者に告げられた時より、今のほうがよほど実感と納得がある。起き上がるのも億劫な気怠さが常に付きまとい、眠気はいつまでも遠のいていかない。気を抜けば視界も判然とせず、最も厄介なのは予兆なく喉を遡ってくる多量の血液だった。どこから漏れているのか知らないが、軽咳が一つ零れたと思うと次から次へ赤が流れ出てくるからタチが悪い。辛うじて若者二人の前では失態を見せずに済んでいるが、最も見せたくなかった男は何度か驚かせてしまっている。
    弱らずいきなり逝ければよいのに、なんて無駄なことを考えてしまうのは死への恐怖からではなかった。終わることに恐れはない。むしろ、安堵すらある。もしも怖いことがあるとすれば、この手で守り続けてきた友のこと。隠し事の何もかもを見透かす聡明な親友。彼に、夢も希望もなかった子供の頃のような、昏い顔をさせてしまうのだけが後悔だった。彼のために捨てた命である。しかし、この命が消えればカインは深く傷を負うだろう。それこそ消えない傷だ。凶弾などより深く、重く、それはカインを傷つける。それが、それだけが、俺の後悔だ。
    「が、ッ……、っ、ぐ、……ッ」
    眠りから覚めると同時に込み上げてきた鉄の味に気づいて、咄嗟に身体を起こせたのはよかった。どうにか洗面台に辿り着いてから吐かないと、後片付けが面倒このうえないからだ。慣れた足取りで暗闇を駆けていき、水を出すことまで成功しながらごぼごぼと珍妙な音を立てて溢れ出ていく鮮血を見送る。反射的な喉の痙攣を淡々と見送っていると、背に微かな体温が寄り添った。視線を移せば長い金糸が目に入る。神経が鈍っているのか、それとも気休めの薬が効いているのか、苦痛は最早感じることもない。しかし柔らかな手が優しく肌を滑って行く感覚は、どこか心を落ち着かせた。
    「は……ッ……は……。……、起こしたか」
    「ん……」
    流れる水で口元を濯ぎ、ようやく声をかける。カインは返事かどうか怪しい曖昧な声を出すと、白い手で乱雑に水を掬って俺の顔を濡らした。
    「ぶっ……」
    「まだ……汚れている。前を向いていろ」
    男らしく粗雑な清め方に目を潜める。今でさえ上品な貴族として振舞う彼だが、所詮スラム育ちだ。根にはボックスと似た乱暴者の仕草があって、気が抜けている時はそちらの顔が大きく出る。俺の前に居る時はほとんどがそちらのカインだった。こういうときの友は繕うことを知らない。故に、ぺたぺたと顔に触れる指先の震えもしかとこちらへ伝わってくる。
    「辛くはないか、と聞くのは野暮か。ここまで来ると平穏な時もないだろう」
    「いや、そうでもない。説得力はないだろうがな」
    「ふふ、まったくな。……俺のためにうそぶいているならよせ」
    「お前の前で嘘は役に立たん」
    「どうだか。真っすぐに目を見るのも、今は難しい」
    洗面台の張り付く壁には、鏡が備えられている。水浸しの顔から、背後に立つカインに視線を投げると紅眼はふいと横へ逃げて行ってしまった。他人の瞳を遠慮もなくじろじろと覗き込み、その本心を探ることを得意とする彼が目を逸らしている。その理由はすぐに知れた。水の一滴も浴びていないはずの男の顔は、俺よりよほど水浸しであったから。
    「カイン」
    「いい、構わないでくれ。困らせたいわけじゃないんだ。ただ、本当に心配で、それでついて起きてきたのに。……っ、やめろ、触るな」
    「……」
    肩を思い切り掴んで、骨が軋む勢いで逃げて行こうとする友を捕まえる。同じく加減のない力で抵抗を受けたが、技の巧妙さを問わない純粋な力比べではまだこちらに利があった。このままでは肩がはずれかねないと踏んだのか、やがてカインの美しい顔がおずおずとこちらを振り向いてくれる。紅眼は伏せられたままだったが、大粒の雫はぼたぼたととめどなく床を濡らしていた。
    「……。すまない。これなら、いないほうがいいと……。寝たふりでもしておいたほうが、よほどお前のためだ。そんなこと、頭では……わかっているのに……」
    「そうでもないさ。お前がいるほうが良いに決まってる」
    たどたどしい口調につられるようにして、こちらの言葉も徐々にあどけなさを帯びていく。アベルとカイン。夢も希望もなかったが、それでも互いの存在にしかと安寧だけは持っていた頃の、懐かしい話し方。時が巻き戻るような感覚は、きっとカインも感じていることだろう。随分と大きくなった掌は、縋るように俺の指を握った。
    「……うそぶくのは、よせ」
    「ちゃんと見ろ。大丈夫だから」
    「……」
    「俺はお前に嘘はつかないよカイン」
    言葉を繰り返す男の頭を撫でてやる。逃げた瞳がようやくこちらを向き、カインは泣きながらうっすらと微笑んで見せた。久しく感じなくなった痛みが胸に戻ってくる。なんと美しく、なんと危うくて、なんと痛々しい顔だろう。それでもほうっと安心したように息を吐く男を、気づけば強く抱きしめていた。貧相だった身体は強者らしくきちんと厚い。けれどカインはカインのままだ。あれだけ強く、逞しく、意志も屈強であるというのにどこかで脆い。
    (野望も、願いも、差し置いて……。これを置いて行くと思うのが、一番……心残りだ)
    背を叩いてあやしても、カインはずっと震えている。ごめんとすまないを繰り返して、零れていく嗚咽はすすり泣きよりずっと大きい。
    「……っ、はじめ、撃たれたあとは、大丈夫といった……」
    「大丈夫、ではあった。数年な」
    「嘘だった」
    「あれは……事実の開示の延長だ」
    「……、ふふ、やかましい。……責めていないよ、なんでもいいんだ。ただ……、………俺が……、俺さえ……。……っ、……、俺が弱いのが、全部悪い」
    端的にまとめられた言葉にどれだけの感情が押し殺されているかを、推し量るのは容易だった。カインを守った傷で俺は死ぬ。言い換えれば、カインのせいで、俺は死ぬ。支えると約束して、それを実行したまでだ。カインは俺を否定できないし、俺は俺で本当に後悔をしていない。友を守って死ねるのなら本望だ。しかし、カインは違う。俺の心を慮って否定を口にしないだけで、山ほどの後悔と自責が彼の中に渦巻いている。
    「スラムの孤児が命を惜しまれて泣いてもらえる。それ以上の幸福はない」
    「……っ」
    「お前は悪くないよ」
    「……。特技を譲ったつもりはない」
    「お前は存外、わかりやすいからな。……寝直そう、まだ夜だろう」
    「……、ああ……」
    「運んでやろうか」
    「いい、歩ける、こちらの台詞だ、馬鹿を言うな、無茶をしないでくれ、……、朝も、ちゃんと、起きろよ」
    「ふ……、注文が多い」
    手を引くようにして一歩進むと、カインはよろめきながら後を着いてくる。もう少し、と身体に言い聞かせてもう一年だ。どれだけ持つかは正直分からない。明日の朝日の確証もなかった。つまりは、友のささやかな願いににうんと頷いてやることも。
    「アベル」
    小さく呼ばれた名前には、何と返してやるのが正しかったのだろう。言葉は見えず、ただ、ただ、握った掌にめいっぱいの力を込めてやることしか、今の俺にはできなかった。

    ◇◇◇

    無事に目の覚めた昼間。できる限り安静にしていろと言われているものの、茫然と眠っているのは性に合わない。まったく外に姿を見せなければ、一番弟子も気が気でないだろう。悲鳴を上げる身体を引きずって、何事もなかったかのように執務室へ向かうのは半ば意地のようなものだった。
    「グラント」
    流石に技の稽古に付き合う余力はないが、書類仕事の添削くらいはしてやれる。ボックスが置いて行ったであろう紙束の数々に目を通し、時折筆記の怪しくなる文字に付箋を貼り付けていっていると、不意に扉からひょこりと若い顔が現れた。俺を訪ねてくる数少ない選択肢のうち、最も珍しい男である。
    「ロック……?」
    「入っていいか? 忙しかったら後にする」
    「構わないが……」
    手招きをしてやると、青年は安心したように笑って部屋の中に入ってくる。癖毛の短髪に、年を二つ三つ誤魔化せそうなあどけない童顔。纏っている雰囲気はメアリーに似ているが、顔立ちはカインにそっくりだ。彼を見ていると幼い頃の友が過り、ともするとうっかりカイン、と名を呼び違えてしまいそうになる。本人たちは「そこまでではない」と否定するが、彼らは本当に瓜二つの叔父と甥だった。この点はボックスも「あの二人ってほんとは兄弟だったりしないの」と首を傾げていたから、きっと俺の眼がノスタルジーに眩んでいるというわけではないんだろう。
    「あのさ……、……カイン大丈夫?」
    「……広義だな。どういう意味合いで聞いている?」
    「え? あー、うーんと……心配。俺の勘違いだったらいいんだけど。さっき手合わせしたとき、ゼーレの軌道がちょっとずれてたんだよな。明後日の方向にブレてるっていうか、でもあいつの技が乱暴になるの珍しいだろ。何か知ってるかと思って」
    首を傾げる青年の言葉に、眉を小さく上げる。実を言うと二人の手合わせは、ここに来る道すがら窓から遠くに眺めていた。確かにカインの繰り出すゼーレは、普段より揺れて不安定に空を滑っていたが、それは極々些細な揺らぎだったはずだ。間近にいたとはいえそれを見抜く鋭さに内心感嘆を覚える。あのカインが「天性で戦いの才に満ちている」と称し、ボックスが「悔しいけど鋭いから油断できない」とやや警戒を抱くだけのことはあるようだ。
    「……。……さぁな」
    ロックの瞳は怪訝ながら、その奥に溢れんばかりの気遣いを宿している。負けん気は強かったが、誰にでも平等に優しかったメアリーと同じ暖かな光が見えて少しの間言葉に迷った。現状と、友の心情を天秤にかける。カインは大丈夫とは言い難い。正直に言えば、俺でない誰かの支えが必要だ。だがロックは、カインよりよほど不安定である。強大な迷いを抱える彼に、果たして余計な心労をかけてやるべきだろうか。誰かに支援を頼むのならば、ボックスのほうがまだ、よいかもしれない。迷いに迷って素知らぬふりをする。
    「……、……。あ、そ。まぁいいけど……」
    ロックはしげしげと俺を眺めると、ため息をついてさらにこちらへ近寄ってきた。机上の書類をどけろと言われたので、素直にスペースを開けてやる。
    (ん……)
    ロックが歩み寄ると同時に、ふわりと漂う甘い匂いが鼻を突いた。戦いに満ちたサウスタウンに似合わない、平穏な香りに首を傾げる。そういえばロックは、この部屋に入ってからずっと手を後ろに回したままだ。何か隠している、なんて遅ればせながら気づくのと、その正体が眼前に広げられるのがほとんど同時だったのは裏社会の人間として失態どころでは済まない愚鈍さと言える。
    「これは?」
    「差し入れ。なんもないなら、なんもないで、菓子があるのはいいことだろ。カイン、前にこれ好きだって言ってたから。出かけてすぐ戻るって聞いたんで用意したんだ、暇ができたら一緒にどーぞ」
    机に置かれたのは、ラップをかけられた白い皿だった。上には小麦色に焼けたパイが堂々と1ホール乗っている。甘酸っぱい匂い、そして親友が好きと言ったという言葉から察するにこれはアップルパイだろう。そういえば少し前に、「ロック君から」と親友が一切れ同じようなパイを持ってきたことがあった。手製と聞いて驚いた記憶があるが、つまりはこれも拵えたのだろうか。
    「得意なのか?」
    「え? あ、料理が? まぁ……、ちょっとだけ」
    「ちょっと。……ふふ、技より自信を磨くべきだな、お前は」
    「……」
    喉を鳴らして笑うと、ロックは切れ長の目をきょとんと丸めて、驚いたように息を呑んだ。ボックスとも、カインとも異なる素直な子供のリアクションは少し新鮮に見える。
    「気に障ったか?」
    「いや。今日のアンタ、ちょっとお喋りだと思って。カインのこと聞いたから?」
    「別に変わらん」
    「ふーん……」
    思うところがあるように、腕を組んだロックは何かを考えこんでいる。ややあって、青年は再び静かに口を開いた。
    「……泣いた跡は冷やさねーと、腫れてわかる。なんか手伝えることがあんなら呼んでくれよ。俺、組織の人間じゃねぇけど……ここにいるから」
    献身。それ以外に言いようのない、暖かな気遣いが突き刺さる。彼自身、纏わりつく宿命という茨に身体を絡めとられながら、それでもなお腕が動くのならこちらに手を差し伸べる気でいるらしい。
    (いや、違う。もう既に手は添っているのだ。……己のことなど顧みずに、ただひたすら人を見ている)
    目前のアップルパイとて然りだ。心労だなんだとこちらが気遣う間もなく、彼は既に溢れんばかりの慈愛を俺達に注ぎ込んでいる。俺たちが眺めるよりよほど、彼は俺達をよく見ているらしい。なるほど、支配者の器。この迷いまみれの青年にかけるにしては、些か重すぎるのではないかという親友の期待を身をもって深く理解する。
    彼は不安定だ。しかしそれでも、他者への救いを分け隔てなく齎す光を途絶えさせることがない。淡くとも光は人を掬う。いや、強烈でないほうがもしかするといいのかもしれない。目を焼かれることなく、揺らぐ光を守らなければと、掬われた人々の心を打って動かす故に。支配者と被支配者の理想形だ。力と利権による弾圧などではなく、心根の恩義で巡る強固な使役。打算では生み出すことのできない循環をこの男は無意識のうちに実行している。気づけば守ってやらねばと思っているのは、俺とて然り。しかし漂う甘い香りに、掬われている心が確かにある。
    「……ロック」
    「あ?」
    「こっちに」
    「……。……何?」
    もう少し近くに寄れと、手を招く。眉間に深く皺を寄せたロックは、大した警戒もせずずかずかとこちらに歩み寄ってきた。机を回って、すぐ目の前に青年が立つ。立ち上がったほうが遠くなると踏んで、椅子に腰を下ろしたまま線の丸い柔らかな頬を掌でそうっと包んでやった。
    「え……、ちょっと、ほんとに何……!」
    「いや。……母に似ているな。カインにはもっと似ている。父には才だけが似たか」
    「……あいつには何も似てない」
    「ふ……っ、ああ、これは禁句か。悪かったな。だがハインラインの血筋には、本当によく似ている。美しさも、愛らしさも、気の強さも……」
    「……」
    「気高くあれよ、ロック・ハワード。……それから、我が友と弟子をよろしく頼む。真っ当な人間ではどちらもないが、……置いて行くのに惜しい、俺の大事な二つだ」
    「……。……、うん」
    遺言のように聞こえる言葉だろう。俺の体調が死に向かっていることは、既に屋敷の人間すべてに知れ渡っていることだ。眉を潜めたロックは、しかしそれが自分の願った「手伝えることがあれば言え」という一言への答えだと理解したらしい。たっぷりと不満げな顔をした後、一つため息を吐いて素直な頷きが戻ってくる。
    「任せたぞ」
    もう行け、と胸元を叩くと、ロックは再び強く頷いた。歩き去っていく背を眺めていると、扉を潜る手前でくるりと幼顔が振り返る。
    「俺もあの二人、これで……割と大事に思ってる。だからあんまり、心配しないでいいからな。……大丈夫だよ、グラント」
    言った傍から、気恥ずかしそうに頬を染めた青年はどたばたと足音を立てて執務室を出ていった。部屋には爽やかな青年の香りと、甘酸っぱい菓子の匂いだけが残る。
    「……大丈夫、か」
    重苦しかったはずの身体が僅かに軽い。ああ、思いつめていたのかと己を笑って書類に目線を戻してみると、心なしか頭も先ほどより冴えているように思えた。
    カインが戻ったら、ロックの置き土産をダシにして少し休息に誘ってやろう。残されたわずかな時間の間、俺達に必要なのは思い出の蓄積だ。傷の舐め合いをするよりよほど。共に居て、共に笑っていた記憶が遺るほうがいいだろう。戦いの記憶ばかりでは、あまりにも味気ないというものだ。
    (久方ぶりに俺が何か茶でも淹れるか。……いや、あまり甲斐甲斐しくすると余計な心配に繋がるか。ボックスを呼んで……まぁ、これだけある。三人で食べても余……いや、カインに限って甘味を余らせはしないな)
    いつぶりかの、どうでもいい思案に漏れた笑いは実に軽やかなものだった。そのまま明るい考え事に意識を沈める。朗らかな思い出が、どうか友に刻まれた傷と後悔を少し薄めるように願いながら。


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    弱らずいきなり逝ければよいのに、なんて無駄なことを考えてしまうのは死への恐怖からではなかった。終わることに恐れはない。むしろ、安堵すらある。もしも怖いことがあるとすれば、この手で守り続けてきた友のこと。隠し事の何もかもを見透かす聡明な親友。彼に、夢も希望もなかった子供の頃のような、昏い顔をさせてしまうのだけが後悔だった。彼のために捨てた命である。しかし、この命が消えればカインは深く傷を負うだろう。それこそ消えない傷だ。凶弾などより深く、重く、それはカインを傷つける。それが、それだけが、俺の後悔だ。
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