自由落下「炎司くん、どこ行っちゃったんだろ」
教室にもいない。校庭にもいない。特別訓練室にもいない。職員室にもいない。
鞄は置いてあるから、寮にはまだ帰って無さそうなのにな。
夕陽が斜めから差し込む教室で一人、鷹見啓悟は呟いた。
廊下からは生徒たちの喧騒が聞こえて来る。
「今日の授業の復習、一緒にやろうと思ったのにな」
轟炎司。
個性『ヘルフレイム』を持つ、ヒーロー科トップクラスの実力を誇る鷹見のクラスメイトだ。
彼の個性は、鷹見の個性である『剛翼』と相性が良くない。相対すれば、鷹見の臙脂色の羽根はその名の通り、轟く地獄の業火で一瞬にして燃やされ灰になって散る。鷹見は初めて彼を見た時、やりにくい、非常に厄介な相手だな、と思った。もちろんそれは、敵ならば、の話だ。味方なら、心強いことこの上ない。
(今日の炎司くんも、カッコ良かったな)
授業でのペアトレーニングを思い出し、鷹見はつい顔がにやけるのを堪えきれなかった。
(俺いま絶対、すんごく、だらしない顔してる)
彼の一挙手一投足を見逃さないよう、鷹見は全身全霊全剛翼を集中させてサポートに徹する。個性『ヘルフレイム』はただの炎ではない。彼の操る炎は敵も、味方もを容赦無く焼き尽くしてしまう。轟がクラスメイトたちに合わせることなく自身の訓練を続けるせいで、クラスメイトたちと微妙なずれや隔りが生じ、彼とペアを組める生徒は限られるようになっていった。彼には協調性が欠けている、と不平不満を言う者もいる。
(協調性が無い?そんなの)
鷹見は眉を顰めた。彼は、俺の剛翼の動きに合わせて炎をコントロールしてくれるし、俺がいる方の炎の温度は下げてくれる。俺にだけじゃない。ちゃんとクラスメイトに対してもだ。彼は、誰にでも公平。
(そう、誰にでも、なんだよ)
ペアバトルで勝った時、普段は眉間に皺を寄せていて、滅多に笑うことのない彼の表情が一瞬、学生らしく緩むのを鷹見は見逃さなかった。
(……可愛かったな、あの時の炎司くん)
その表情を思い出すたび、あぁ、胸が締め付けられて苦しくて、たまらなくて、それなのにもっともっと、と思ってしまう。今もそうだ。彼が自分の目の届く範囲に居なくなってしまったことが、このほんの数十分だけであってもイヤだった。はてさて、彼は何処へ行ったのだろう。鷹見はうーんと伸びをした。
「上から探してみるかぁ」
「って思ったけど、ホントにいないじゃん、炎司くん」
剛翼を広げて、校舎全体が見渡せる高さで一回転の後、ホバリングしながら呟く。剛翼が使えたらな。ついつい、舌打ちをしてしまう。行儀わる。校内にて、無許可での個性利用は禁止されている。俺みたいに移動手段としての剛翼の利用は特別に許可が降りているが、『探知』するための個性利用は禁止されていた。使えたら、一発なのに。炎司くん。どこいったんだろ。『剛翼』さえ使えれば、彼が今どこで誰と何をしているか、全て分かるのに。
(だから、個性利用が禁止されているんだろうけど)
「炎司くん、どこぉ?」
「何か用か、鷹見」
「⁉︎」
空から、炎司くんの声が降ってきた。
は⁉︎え⁉︎は⁉︎
慌てて見上げると、俺より上空、もっと上、さらに上の方に、燃え盛る真っ赤な炎が浮かんでいて、それは夕陽と溶け合っていて、太陽が二つ、あるんじゃないかって錯覚してしまうほどで。
「えっ、ん、轟くんっ⁉︎」
驚いた俺の声はほんとに、ほんとに可哀想なくらい、ひっくり返っていた。俺の様子を見下ろしていた炎司くんが、ふは、と吹き出して破顔した。
あ、また、笑った。今日二回目の笑顔。炎司くんの。
「轟くん!何やってんの⁉︎」
少し気恥ずかしくてそれを誤魔化すように語気を強めて上昇する。熱い、熱いなぁ、炎司くんの側に来るたびにそう思う。今の俺、海外の神話のイカロスみたい。けど、俺の羽根は剛翼なんで、溶けたりはしない。それに、熱いと感じるのは決して炎司くんの、炎だけのせいじゃなくて。それは、単に、俺の問題。まぁ、結局は炎司くんのせいなんだけど。
「何だ、俺を探してたのか?」
「ん、昼の授業の復習、折角だし、したいなって」
そう言うと、炎司くんはあぁ、と納得したかのように頷く。
「ていうか轟くん、こんなところで何してんの?個性、勝手に使って怒られるよ?」
「お前だって使ってるだろう」
個性の無断使用を咎めると、炎司くんはむ、と下唇を突き出した。癖なんだろうな、自分では気付いて無さそうだけど。俺だけが知ってたら、いいな。
「俺は許可貰ってんの。羽根重いからさ。歩くより飛ぶ方が楽なんだよね」
「楽するためか。感心しないな鷹見」
ふん、とまた炎司くんが口角だけ、上げて笑う。
「ていうか。轟くん、飛べるん」
だ?という言葉が喉の奥、引っ込んだ。
炎司くんの炎が音も無く消えて、いつの間にか沈んだ夕陽に気付かなくて、辺りが一瞬で暗くなる。
目が、明暗に慣れてなくて、でも。
落ちる。落ちた。炎司くんが。
地球の万有引力に引っ張られて炎司くんが、真っ逆さま。
「なっっっ⁉︎炎司くん‼︎」
自由落下する炎司くんと目が合った。彼は、楽しそうに笑っていた。くそっ、くそっ、くそっ、何考えてんだ炎司くん‼︎重力よりも速く速く俺が出せる最高の速度で炎司くんを追い掛けて、必死で抱き止めた。心臓が、もたない‼︎
「何してんの⁉︎炎司くん⁉︎」
「うん、その方がいいな」
「は⁉︎」
「呼び方。炎司がいい」
俺も、啓悟と呼ぶ。啓悟、と炎司くんの口から、全然好きじゃない自分の名前がこぼれ落ちて、俺の心拍数今ただでさえまずいことになってんのにさ、もっと上がってこれ以上は無理だよ。なんなの。なんなの急に。炎司くんに呼ばれたら、俺、あんなに大嫌いだった自分の名前好きになっちゃうじゃん。なんで変えちゃうのこんなに簡単に俺のこと。責任とって。責任とってよしんじらんない。ほんと、あのさぁ‼︎信じらんない!
「啓悟、さっき何か言いかけたか」
「さっき?あー……、炎司くん、飛べるんだ?って聞こうとした」
もう、今そんなことどうでもいい。脳のCPUはフルフルフル稼働中。もうキャパないよ。
「あぁ、落ちないだけだ」
「何それ?落ちたじゃん、たった今」
危なかったよ、と苦言を呈すると、
「お前がいるのに?」
と本当に、わかっていない、キョトンとした表情でこちらを見た。
何それ。信じらんない。信じらんない。俺が絶対助けるって、思ってたってこと?それであの高さから、真っ逆さまに落ちたってこと?あんな迷いなく?信じらんない。それって。ねぇ、炎司くん。
「まぁ、俺が、いますけど……」
「ならいい」
そう言って、炎司くんがまた笑う。俺、やっぱ炎司くんのこと、苦手。
すっごく苦手。
触れるだけでこんなにドキドキするし。
俺のことをいとも簡単に変えちゃうし。
そんなの酷くない?
「ところで炎司、くんはこんなところで何してたの?」
何か喋って気を紛らわしたい。こんなに長い時間こんなに近くで触れ合ってるの、心臓がもたない。
「啓悟がいつも見てる景色、俺も見てみたかった」
夕陽が沈んだ方向、ほんのり橙色に染まる山間を炎司くんが見つめている。俺はもう、胸が苦しくて何も言えなくて、こんなにも苦しくて苦しくて堪らないのに治す薬がないなんて先人たちはなにやってんの?って思うし、しんどくて涙が出そうになるのに嬉しくて、意味わかんなくて頭ぐちゃぐちゃになっちゃうし、でも、幸せってもしかして炎司くんの形をしているのかもな、なんて思ったりした。
了