砥取桂蔵12歳、訓練用の毒に倒れた時の話(捏造) 以前の鳥獲軍は非常に厳しい訓練を課していた。今の総大将に就任する前日まで続いたそれは、死者を出すことも珍しくはなく、当時の方針への反対派を増やす理由の一つでもあった。もちろん栄井湊夢心も反対派の一人だった。しかし夢心の背を見て育った桂蔵は無垢なまま厳しい方針に従い、訓練に耐え——まだ齢十五にも満たぬ体を死に至らしめかねないほどの毒を飲まされても文句を言わなかった。そして、何も言わずに倒れて高熱を出したのだ。
当時総大将であった少女は桂蔵と変わりない齢だったためか、病人を業務へ駆り出すほどのことはせず、夢心の有給申請をあっさりと了承した。彼女の祖父ならば了承はなかっただろう。急いで桂蔵を医療班に診させた。病院にも連れていった。しかし答えはいずれも残酷なものだった。
解毒はもう間に合わない。助からない。
匙を投げられても少年は弱音を吐かなかった。熱で朦朧としていただけかもしれないが、泣きも叫びもしないで静かに耐えていた。ただ病院から帰って寝かせてやると、彼が弱々しく「お父さん」と呟いた。聞き間違いではなさそうだった。
「どうした」
「ごめんなさい」
どうしてこの子はこんな時に謝るのだろうか、自分のことを心配すべきだというのに。遣る瀬無さが込み上げてくる。でも、弱音を吐いてくれたのも事実だから。
「治ったら、めいっぱい魚食わせてやるからな」
頭を撫でてやると彼は黙って目を閉じ、深く眠り込んでしまう。その頬がやけに白くて嫌になった。
三日後、奇跡的に回復した桂蔵が、釣ってきてやった真鯛を三尾平らげたのは別の話。