稲妻のハロウィン◆プロローグ
「いたずらか、それとも菓子か!」
裟羅は黄昏時の離島を歩きながら、祭に喜ぶ人々を眺めていた。
人間達は妖怪を模した面を被っていたり、ハリボテの角を頭につけて、「いたずらか、菓子か」と声をかけあっている。
このお祭は八重堂が娯楽小説の宣伝のため打ち出したイベントで、小説の舞台となる国の風習を稲妻風にアレンジしたものらしい。
参加者達は妖怪に仮装し、人々に「いたずらか、菓子か」と尋ね、言われた相手は菓子を渡すのだそうだ。イベント当日は八重堂で仮装者へ渡す為の飴を配布しており、裟羅も人々が手にしているのを見かけていた。
比較的小規模な催しのため、会場の警備統括は提携する社奉行が行うことになった。そのためこうしたイベント時には珍しく、裟羅は非番であった。しかし天領奉行から数名警備の応援を送っているため、念のため様子を見に来たのだ。
会場の中心部ではいくつか異国菓子の屋台も出て、珍しさから人も集まり、なかなかに雰囲気がある。大きな混乱もなく、人々は楽しんでいるようだった。
ふと、人混みの中の外れに一人の女性に目が止まった。稲妻人のようだが、城下では見かけない顔だった。一つ所に留まり、何やら行き交う人々を見定めるように眺めている。
もしや祭に乗じた物盗りの類か。確かめようと近づく裟羅に、女は微笑み人混みを足早にすり抜け離れて行った。
怪しい。すかさず裟羅は追いかけた。しかし女はまるで幽霊のように、ゆらりするり人の間をすり抜け離れていき、ここまでおいでとばかりに裟羅を振り返る。それなりに混雑している会場で、羽で飛んで追いかける訳にもいかず、人を避けながら裟羅は舌打ちした。
会場の中心から少し外れ、人混みもまばらになってきた辺りで、ふいに女が路地へと入っていった。すかさず裟羅も路地に飛び込む。
「そこの者、止まれ!」
女は立ち止まり、ゆっくり振り返った。
「天領奉行だ。会場で何をしていたのか教えろ」
「おや、なんのことでございましょう。私は祭を楽しんでいただけですよ」
クスクス笑う声が路地に響く。
「とぼけるな。ならば何故貴様は逃げた」
「お奉行様と目があったら、鋭く睨まれるものですから、もう怖くて逃げてしまったのでごさいます」
女は笑みを深める。裟羅は顔をしかめた。
「喋らないのであれば、奉行所に来てもらう。所持品を確認するから両手を壁につけて足を広げろ」
「ああ恐ろしい。どうかご勘弁くださいな」
女は両腕で自分を抱きすくめ、クスクス笑う。
「……警告はしたぞ」
裟羅は素早く動き、女の腕をひねりあげ壁に押し付けた。そのまま女の身柄を確保しようとして、ふと違和感を覚えた――この人間から微かに妖力を感じる。
嵌められた。裟羅は溜息をつき、彼女を離した。
「……宮司様、お戯れが過ぎます」
「おやおや、もう気づかれるとは。流石は裟羅殿。鋭いのう」
女の髪が桃色に変わり、狐の耳が生えてくる。
そうして裟羅の目の前に、にやにや笑う八重神子が姿を現した。
◆化生
「何故、このような紛らわしいことをされるのですか」
神子を解放した裟羅は、顔をしかめ尋ねた。
「だから、言ったであろう。妾は身分を忍び、祭を楽しんでいただけじゃ。まさか天領奉行の大将様が、鳴神大社の宮司である妾に、このような無体を働くとは……しくしく」
神子は肩をさすり悲しそうに眉をひそめるが、いたずらの成功に声が弾んでるのを、裟羅は聞き逃さなかった。
「まあ、せっかくの祭じゃ。裟羅殿が楽しんでくれれば此度のことは水に流そう。妾は心が広いからのう」
神子の魂胆が読め、裟羅は溜息をつく。
「……寛大なお心に感謝いたします。誤解とはいえ、宮司様へのご無礼、誠に申し訳ごさいません」
「うむ。よいよい。では裟羅、『いたずらか、菓子か?』」
裟羅はウンザリしつつも安堵した。神子はイベントに乗じて菓子や油揚げを奢らせるつもりなのだろう。今回の件がそれくらいで済むなら、むしろ安いものだった。
「……あいにく、甘味の持ち合わせがございませんので」
ただいま買ってまいります、と続けようとした裟羅を、神子の言葉が遮った。
「そうか。ならばいたずらじゃな。妾に着いてこい」
驚く裟羅に背を向け、神子は来た道を戻っていった。
◇ ◇ ◇
着いたのは天井屋の二階だった。
今回のイベントのため八重堂が場所を借りたらしく、イベントの装飾や販売物の在庫が置かれていた。
その部屋の一角で、裟羅は神子にペイントを施されていた。
神子の提案した『いたずら』は、裟羅も仮装に参加することだった。肩から腕全体にからくり人形の関節を描き込み、体を人形の様に見せる化粧を施すらしい。非番とはいえ天領奉行である裟羅は抵抗したが、ペイントは地味で大部分が服に隠れると説得され、渋々了承したのだった。
神子は楽しげに裟羅に塗料を塗り粉をはたいている。裟羅にとっては、正直いつものように奢らされた方が楽だったが、きっと今夜の宮司様は美食よりも困り顔を楽しみたいのだろうと諦め、されるがままとなっていた。
「よし、できた。なかなか良い出来じゃぞ」
「終わりましたか」
これは大物が釣れるやもしれぬ、満足げに呟く神子を横目に、裟羅は早々と身支度を整えた。
「では私は失礼いたします」
「うむ。楽しんで来るのじゃぞ……そうそう」
戸口まで見送りに来た神子が、ふいに不気味に囁いた。
「今宵は皆が化けておる。人は妖に、妖は人に。そして死者は生者に……。祭につられて地脈も乱れておる。外を歩く時は気をつけるんじゃぞ」
「……?」
神子の発言は少し気になったが、ようやく解放される安堵で、裟羅は追求する気にならなかった。
「おっと、忘れるところであった。汝、妾にも『いたずらか、菓子か』申すがよい」
「……なんですか?」
「おや、聞こえなかったか?此度の祭の声掛けをしてよい、と言ったのじゃ」
「聞こえております。何故私が宮司様に、そのように言わねばならないのでしょうか」
「水に流す条件を忘れたか? 妾が汝に言ったのじゃから、今度は汝の番に決まっておるじゃろう。さあ、菓子かいたずらか、選ぶがよいぞ」
裟羅は顔をしかめる。恐らく甘味を避けている自分をからかうため、目の前で食べさせたいのだろう。
甘味は避けたい。しかしこのうえ宮司様に『いたずら』すれば、どれほどの面倒になるかわからない。非常に不本意だが、最悪よりマシだと裟羅は判断した。
「……わかりました。では菓子を頂きたく存じます」
「そうかそうか。しかし残念じゃが、妾も菓子の持ち合わせがなくてのう」
「……どういうことでしょうか」
嫌な予感が裟羅を襲う。
「仕方ない。ほれ、妾に『いたずら』するが良い」
手を広げニヤニヤ笑う神子に、とうとう裟羅は頭を抱えた。
◆不死者
少し落ち着かない気分で、裟羅は街を歩いていた。既に日は落ちており、提灯の明かりがきらめいていた。
あの後、裟羅は菓子の買い出しを申し出て、なんとか神子への『いたずら』を回避した。
自分に贈られる菓子を自分で買いに行くという意味不明な状況だが――なんなら神子への油揚げまで買うことになっている――宮司様の気が済むならもうなんでもいいと、裟羅は諦めていた。
神子が肩から腕にかけて施したからくり人形風のペイントは大部分は服に隠されているが、立体的に見えるよう緻密に陰影が描かれており、一瞬本物と見間違えるほどの出来栄えだ。実際、気づいた通行人の何人かが、驚き振り返っている。
菓子を買うため屋台の集まるエリアへ近づくと、裟羅の主君である雷電将軍がいた。屋台を覗き込み異国の菓子に目を輝かせている。
かつて滅多に感情を表さなかった将軍様は、目狩り令を廃止し静養されたあと、随分と柔らかくなり民の暮らしに関心を持つようになった。この頃はこういった行事に自ら出向くことも多く、出くわしても裟羅は驚かなかった。
ただ、将軍様の変化には、未だに戸惑うときがある。例えば、時折かつてのような性格になる主君にどう接するべきかとか、或いは――こういった場では、お声がけした方がよいのか、とか。
悩んでいると、こちらに気づいた将軍様と目があった。しかし将軍様は目を見開いたあと、うつむき頭を押さえてしまった。裟羅は焦り駆け寄った。
「将軍様! いかがされましたか!」
しかし雷電はうつむいたまま、なにか呟いている。
「いえ、違います将軍。私は何もしていません。彼女を人形になんてそんな……え、信じられない? あっ、ちょっと……!」
「将軍様……?」
顔を上げた雷電は、冷徹な武人の顔をしていた。まっすぐ裟羅を見すえている。
気圧される裟羅に、雷電が口を開いた。
「九条裟羅、あなたは肉体を捨てることの意味を理解しているのですか」
「え?」
「永遠に朽ちない体が何をもたらすのか、わかっているのですか」
怒りすら感じる雷電の様子に、裟羅は混乱した。
「も、申し訳ありません将軍様。私には仰ることの意味が理解できず……」
「では、質問を変えます。あなたは体をどうしたのですか」
「恐れながら申し上げます 。私の体はどこも変わりありません」
「変わらない……? 失礼。触りますよ」
一瞬、裟羅は主君の言葉を聞き間違えたのかと思った。しかし雷電の手が伸び、裟羅の左肩に触れた。自分の皮膚を撫でる指の感触に、裟羅の思考は停止した。
「……これは、化粧ですか? あなたの体は変化していない?」
雷電は裟羅のペイントをこすったり、軽く握って体の感触を確かめた。裟羅の全神経は肩に集中し、全身が固まり動けなかった。
そうか、将軍様は、この装飾を本物と見間違えたのだな。ようやく理解した裟羅は、動揺を隠し答えようとしたが、声が出ない。顔に熱が集まるのを感じる。通行人も何があったのかとこちらを見ている。早く対処しなければ。
「……っ紛らわしく、申し訳ございません。こちらは八重宮司様に施されたものです」
「そうでしたか」
裟羅はなんとか言葉を絞りだした。
雷電の手が離れ安堵した後、裟羅はハッと声を上げた。
「そ、それより将軍様、もしや体調が優れないのでは」
「大丈夫ですよ。ご心配おかけしましたね」
いつの間にか、将軍様はあの柔らかな雰囲気に戻っている。
「それにしても、見事な仮装でした。ふふ、あなたもこういった行事に参加するのですね」
「いえ。これはその……恐れ入ります」
肯定も否定もできず、裟羅は言葉を濁した。何もかもが気まずくて、できれば今すぐこの場を離れたかった。
「そうだ、せっかくですから……『いたずらか、菓子か』」
神子に教わったんですよ、と雷電は笑う。
菓子の持ち合わせがない裟羅の頭は真っ白になった。
◆死者の国の飴
どこをどう歩いたか、気がつけば裟羅は街外れの野まで来ていた。
将軍様とのやりとりは、混乱しすぎて記憶が曖昧だった。焦りのあまり、目の前の屋台で菓子を全種類買ってお渡ししたような気がする。失態を晒してないか、裟羅の気は重たかった。
それでも夜風にあたっていると、動揺は徐々に治まっていった。
――永遠に朽ちない体が何をもたらすのか、わかっているのですか
裟羅を見た時の、怒りをあらわにした将軍様の様子を思い出す。自分は一体何をしてしまったのだろう。
永遠に朽ちない体など存在するのか。あるとして、何故それを裟羅が手に入れたと思ったのだろう。
自分の命が尽きるまで将軍様にお仕えすると誓ったが、命が永遠に続けばなどとは、考えたことが無かった。もし永遠に仕えることができるとしたら、自分はそれを選ぶだろうか。
天狗の裟羅は、森で生き物を沢山見てきた。わずか数日の命の生き物もいれば、樹木のように裟羅より長命のものもいた。しかし寿命の差があっても、どの命も常に変化し続けていた。
永遠に変化しない存在とは、果たして命と言えるのだろうか――。
ふと気づくと辺りは霧に包まれていた。方向を見失うほど濃く、月の光に反射してぼんやり光っている。霧の先には、櫻の木が生え、その下に女性が立っている。
この辺りには櫻は生えていない。妖怪の類かと身構えたが、木の下いたのは先ほど別れたはずの将軍様だった。
以前、稲妻に獣域ハウンドが出現した事件があった。その際、傷つけられた神櫻の根から穢れが漏れ出し、五百年前の死者達が現れた。それは単なる記憶を再生した映像ではなく、彼らと会話した者もいたという。
この『将軍様』も、恐らくそうした地脈異常の一種のように思われた。警戒しながら近づくと、映像の『将軍様』が微笑み、話しかけてきた。
「こんばんは。いい夜ですね」
声も姿も将軍様に違いないのに、なにかが違う。しかし、何故か危険なものには感じなかった。
「あなたは、ずっと影の側にいたいと思ってくれるのね。どうもありがとう」
『将軍様』は戸惑う裟羅の手を取り、何か握らせた。
「けれど、死者の国のものを食べればもう戻れませんから、よく考えてくださいね」
そのまま『将軍様』も櫻の木も消えて、手の中には飴があった。それは今回の祭の宣伝に八重堂が配布している飴だった。
ただの飴のはずだが、どうにも不気味に感じる。しかし何故か捨てる気にもなれない。
飴をしばらく眺めたあと懐にしまい、裟羅は街に戻って行った。
◆エピローグ
あの後、裟羅が街に戻ると思いのほか時間が経っていて、会場の屋台はどれも閉まっていた。
宮司様への菓子を買えなかった裟羅は、後日詫びとして烏有亭で酒を奢らされた。櫻の下で『将軍様』に会ったことを話すと、何故か「妾には会いに来てくださらなかった」と拗ねてしまい、持ち帰り用に油揚げを追加注文された。
将軍様は特に変わらずいつも通りだったが、「もし影……いえ、『私』から肉体について何か提案されても、絶対に受け入れないでください」と念押しされた。それから時折無表情で体を確認されるようになり、そのたび裟羅は必死で動揺を誤魔化した。
天領奉行では『将軍様』が現れた辺りの地脈調査を行ったが、異常は見つからなかった。
あの夜櫻の下で貰った飴は、まだ裟羅の部屋にしまってある。