07/07ヌヴィリオワンライ「願い」【百年の祈り】
「リオセスリ殿」
時折、人生のほとんどを監獄で暮らし、物語の類も好まない俺は、想像力が足りていないのだと、思い知らされることがある。
「この後の予定を聞いても?」
「この後? 下に戻って書類をさばくつもりだったが、特に予定らしい予定はないな」
「ならば、少し付き合ってくれないだろうか」
たとえば――変わらない、と思っていた人が変化の兆しをみせるには、劇的なきっかけが必須ではないこと、とか。
「……ヌヴィレットさん」
これも俺の想像力の欠如、迂闊さが招いたことと言えばそこまでなのだが。
「何かね」
「念のため確認するが……ここは、」
「稲妻の本島、稲妻城の城下町だ」
――いや、やっぱりここまでしれっと涼しい顔で返されるなら、一言くらい文句は言っても良い気がする。
夜風に乗ってくるくると舞う桃色の花びらを見上げ、俺は生まれて初めて〝海風のにおい〟とやらを感じていた。
パレ・メルモニアで行われた、水の上と下との打ち合わせ。定期的なスケジュールで組まれたそれを終え、情報共有ついでの雑談も済ました後、俺はヌヴィレットさんの『少し付き合ってくれ』という一言で稲妻にいる。……稲妻にいる。
「すまない。なるべく急いだのだが、すっかり夜になってしまった」
釈明すべき点はそこではないのだが、言いたいことが多すぎてなかなか二の句が継げないでいる。
「……俺はフォンテーヌの外に疎い自覚はあるが、稲妻とフォンテーヌがほんの数時間で行けてしまう距離だとは知らなかったな」
移動はヌヴィレットさんが私的に所有しているという小型のボート(と言っていたが、船室の内装からすればクルーザーと呼んだ方が相応しい)で、しかも「衆目を避けるため」という名目でずっと水中を進んでいたため、自分がどこへ向かっているのか認識していなかった。思えば、あれは船室から見える窓の外の景色を一定にして、時間の経過も感じにくくする狙いがあったのだろう。何かおかしいと気づいたのは、ティーポット内の茶葉がすっかり出がらしになってしまった頃で、やっと疑問を抱いた俺にヌヴィレットさんは「じきに着く」「もう少しだ」と答えるばかりだった。
ヌヴィレットさんから誘いを受けた時、日はまだ高かったため、遠ければエリニュス島かルミドゥースハーバー、ひょっとすると遺瓏埠くらいにはなるかと予想していた。だが、まさか国を二つ隔てた先の、フォンテーヌから最も遠い島国へ連れてこられるとは。土産にと大量の茶缶をもらった時も驚かされたが、生物としての器が大きければ匙も大きいということか。
「……いや、フォンテーヌから稲妻までの旅程は、途中寄港を挟まずに海路で直行したとしても二日半以上はかかる」
「ほう。なら俺は、ティーポットを三回空けるうちに、二日半もアンタと話し込んでいたのかい?」
たしかにあのクルーザーでは時間の経過を感じにくかったが、いくらなんでもそんな長時間、飲まず食わず――もとい、飲みっぱなしでいたはずがない。まさか体感時間そのものを減らす技術が使われているのだろうか。
「………………」
すると、ヌヴィレットさんはふいに人で賑わう屋台の方を眺め……いや、目をそらした?
「……少し、ずるをした」
「…………」
いよいよ言葉を失って、俺はわずかに口を開いたまま固まってしまう。
一瞬の空白の後、襲ってきたのは――腹の底を震わせるような、笑いの衝動だった。
「あ……っははは! そうかい。ズルをしたなら、たった数時間で着くこともあるか」
どうしてこの人は誰も寄せ付けないような威厳と比類なき力を持ちながら、時にこんないじらしい姿を見せるのか。あまり笑っては失礼かと思うのだが、ついつい噴き出してしまうのをこらえられない。
ヌヴィレットさんのかわいらしさは、いつだって俺のツボをよく捉えている。そのせいで、ほだされて言及を続けられなくなってしまうのだ。
「それで、アンタはズルをしてまで、どうして稲妻にきたかったんだ?」
「フォンテーヌと稲妻は今、観光客の誘致から技術提携を含んだ、広い繋がりを作ろうとしている。その過程で、窓口となっている神里殿と何度かやり取りをしているのだが、今日は稲妻で夜祭があると聞いた」
「へえ。だからこんなに人がいるのか。稲妻ってのはずいぶんと賑わってるもんだと思ったが」
せっかくだからと、二人で肩を並べて城下町を歩き出す。
通りに立ち並ぶ趣深い木造の家屋は、軒先に赤いライトを灯し、行きかう人々を温かな光の下に迎え入れている。あちらこちらから聞こえる商店の賑やかな呼び込みの声は、独特の抑揚がついており、まるで歌っているかのようだ。店を覗いたり、おしゃべりを交わしながら歩いていく人々はみな笑っていて、どこか眩しい。夜だというのに、町中に陽だまりが満ちているかのようだ。
……これが稲妻の祭りか。どこかお高い雰囲気の漂うフォンテーヌの催事とはずいぶん趣が違う。
「リオセスリ殿」
「ん?」
「あれを知っているか?」
ヌヴィレットさんが視線で示した先には、小型の売店のようなものが建っていた。カウンターの席がついており、そこに人が座っているところを見るに飲食店なのだろうが、よく見ると大きな車輪がある。移動式の出店、という形態を取っているのか。
と、俺が思わず注目してしまったのはその営業形態だったが、ヌヴィレットさんはその店で提供されている品そのものが気になっているらしい。
「いや……なんて書いてあるんだ?」
カウンター横に吊されている紙製のライトには大きく文字が書かれている。おそらくそれが店の名前だか商品名だろうとは思うのだが、あいにく俺はフォンテーヌ以外の文字を読もうと思った経験がなかった。
「らぁめん、と書かれている」
「らぁめん……ああ、それなら名前だけ聞いたことがある。稲妻式のパスタじゃなかったか?」
メロピデ要塞に収容されるのはフォンテーヌ人だけとは限らない。違法取引に関与し、フォンテーヌ廷で捕まった罪人が、故郷の飯恋しさにウォルジーに直談判していたことがあった。たしかにあの出店からは食欲を誘う良い香りが流れてきている。あんな真鍮と鉄のにおいしかしない場所に数年閉じ込められたら、恋しくなるのも無理はない。
物珍しさからか、じっとそちらに目を取られているヌヴィレットさんは、ショーウィンドウの前に立つ子どものようだ。やはり俺にはツボで、ついついカウンターの前から続く行列を指差してしまう。
「あと数人待てばいいらしい。行ってみないか。ちょうど、空腹だったんだ」
「お客さんたち、どっから来たんだい?」
箸が使えない人はこっち、と渡された小ぶりなフォークで鉢の中をすべて空にすると、店主が話しかけてきた。提供された『塩ラーメン・麺多め・チャーシュー追加』を食べている間もカウンターの向こうからうずうずした視線を感じ取ってはいたが、食事中は遠慮していたらしい。いや、遠慮するような見た目には見えないので、熱いものは熱いうちにという料理人としてのポリシーだろうか。
「フォンテーヌ人は珍しいかい?」
「へえ、フォンテーヌ! いやいや、出島でフォンテーヌの商人を見たこたァある。ずいぶん遠くから来たもんだ」
「夜祭があって聞いたもんでね」
もっとも、聞いたのはついさっきなのだが。
つい、と視線だけを横に向けると、ヌヴィレットさんはフォークでせっせと縮れ麺を巻き取っていた。さきほど店主に「替え玉は?」と聞かれて頷いてしまい、お代わりをつがれてしまったのだ。
「外国からわざわざ星祭りを見に?」
意外そうに言う店主の言葉から、俺はこの夜祭が『星祭り』という名であることを知る。何かテーマ性のある催事だということか。そのわりには、星を模した飾りのようなものは見なかったのだが。
ちらりと店の横に立てかけられている装飾を見る。そこに置かれているのは背の高い青い植物で――たしか竹という、璃月や稲妻に自生している植物だ。材木の一種として利用されているようだが、その幹は木の色ではなく葉と同じ緑色をしている――細い枝にカラフルな紙が結わえられている。星の飾りは見なかったが、稲妻の城下町にはこれと同じ竹があちこちに置かれていた。
「星祭りを見に来るフォンテーヌ人は珍しいかい?」
「へっへ、いやいや! 他の祭りに比べりゃ小規模っていうか、祭りより行事に近ぇからな。だが、稲妻らしさを楽しむにはもってこいよ!」
「ほう」
わざわざ外国から見に来るほどでもない地元の行事。そりゃますます、ここに連れてこられた意図が気になってきたわけだが。
再び視線だけで隣を窺えば、ヌヴィレットさんはやはりせっせとレンゲでスープを味わっていて、こちらの会話は耳に入っていませんという風だった。これがふりであることがわかってしまうくらい、自分たちは友誼を深めてきたわけだが。
と、ヌヴィレットさんが少し頭を下げた拍子に、耳に引っかけていた髪がひと房たらりと前へと落ちるのが見えた。これだけ髪が長いと麺類を食べるのも一苦労だ。この髪や装飾が多くて動きにくい服は、彼が彼の職責に相応しい品位を保つためだと聞いた。
この人は――フォンテーヌの人間たちのためにそのような不自由に縛られて、これからも、この先もずっと、その煩わしさを受け止めながら生きていくのだろうか。
「ヌヴィレットさん、ちょっといいか」
「構わないが……?」
俺はヌヴィレットさんが頷いたのを見てから背後に回り込み、その髪に手を掛けた。毛先を下の方で束ねているリボンを取らせてもらって、耳の横にこぼれた毛をすくい、軽く手で梳いてからまとめ直す。
「ここじゃ俺たちはただの観光客、ただのフォンテーヌ人だからな」
最高審判官の威厳も、メロピデ要塞の管理人も必要ない。そういう場でならこの人だって肩の荷を下ろすことを許せるだろう。
ヌヴィレットは軽くなった首の後ろを神妙な手つきで触れて、それから小さく「感謝する」と呟くように言う。高く結い上げた銀のポニーテールが、はにかむように揺れていた。
「……先日、シグウィンの墓参りに立ち会った時、私は自分がひどい思い違いをしていたことに気がついた。私とシグウィンと君との間には、大きな違いがあったこと。すなわち、君がまだ三十年ほどしか生きておらず、百年の間に君の姿はなくなってしまうことに」
ラーメン屋を後にした俺たちは、城下町を離れて砂浜の方まで歩いてきた。振り返れば台地にそびえる稲妻城までの緩やかな勾配を、家々の光や赤色の灯り――教えてもらったところ、提灯というらしい――が煌々と照らしており、そしてその上空には大きく夜空を裂いたような星の海が広がっている。星祭り、というだけあって、フォンテーヌでも見ることのできる星雲は、ここではよりはっきりと、美しく見ることができるようだった。
俺の隣でともに稲妻の星祭りを眺めているヌヴィレットさんの髪は、さっき結い上げたポニーテールのままだ。ラーメンを食べ終わった後も「このままでいたい」と言うので、少し綺麗にだけ結い直させてもらったが、そのまま来たのだ。
ころころと鳴く虫の声と潮騒。海の風に吹かれるヌヴィレットさんの横顔には、いつもの切れ味がなく、どことなく寂しげに見える。
だが、その憂いを晴らすような言葉を俺は持っていない。ヌヴィレットさんが言っているのは、波が寄せれば引くのと同じ、誰もが知っている当然のことだからだ。
「……俺に限った話じゃない。フォンテーヌで言えば、メリュジーヌとアンタ以外は大体そうだ。そんなことを忘れちまうくらい、ここ最近のアンタが充実してたってなら、喜ばしいことだと思うが」
「ああ、その通り。だが、それでも私は失念しており、自分が失念していたことに大きな衝撃を受けたのだ。シグウィンはもうずっと君と共にメロピデ要塞で勤務していると思っていた。私は君からシグウィンの日頃の様子を聞き、たまの休日にはシグウィンが水の上へ来てケーキと紅茶を楽しみ、日が暮れる前に君が迎えに来て、一杯分の時間を過ごして帰っていく。そんな日々がもうずっと続いていて、そしてこの先もそのような日々が続くのだと……」
ずっと、とはずいぶんと適当なことを言う。まるでヌヴィレットさんらしからぬ、ざる勘定だ。俺が公爵の肩書きをもらってからはまだ十年も経っていないし、ヌヴィレットさんとお茶を楽しむようになったのはここ数年のことだ。四百年も前に起きたメリュジーヌの迫害を、つい数年前のことのように気にしていた人だとは思えない。
「俺がメリュジーヌに馴染みすぎだって?」
「いや……私の日常に、と言うべきだろう。だから『日常』以外の時間も過ごしておきたいと思った」
ヌヴィレットさんが俺の方を振り向く。その手が、高く結った髪の根元――俺が結び直したリボンに触れている。
「百年のうちに去る君を見送った後、私が君のことを思い出した時、より多くの事を思い出せるように」
潮風が吹いた。フォンテーヌの地上太湖を行き交う風とは違う、潮を含んだ湿った風。ヌヴィレットさんが俺をだまし討ちのように連れてこなければ、ともに吹かれることのなかった風が。
星雲と同じ、神秘的な輝きを宿した瞳がじっと俺だけを見つめている。
その瞳に宿る寂寥には深く長い、この先も続いていく時の層が連なっていて、俺の手では届かない。それなのに、その寂寥を生み出しているのは、その一層にも満たないような俺の命なのだと、ヌヴィレットさんは言う。
それを聞くとひどく嘆きたいような、笑ってしまいたいような――とにかく、嘆息したい気分になる。
自分がフォンテーヌ人であるかも判然としないような、生み捨てられ、家畜のように飼われ、金銭で消費される程度の値打ちしかなかったちっぽけな命が、いつ、どうして、ここまでの価値に育ったのだろう。どうやって生きていれば、アンタほどの人に惜しまれる人間になれたのだろう。そんな他人事のような、自分事だからこその感慨がある。
(……いや)
きっと特別なことは必要なかったのだろう。
顔と名前を覚えるほどの付き合いがあり、趣味嗜好を話すほどの親交があれば、ヌヴィレットさんはその人を記憶する。それは職場の同僚や、公園で遊んだ一時の友人を覚えているのと同じこと。百年にも満たず死んでしまうおおよその人々と同じように、俺と同じように、ヌヴィレットさんは過ぎ去っていく命のことを覚えている。
ヌヴィレットさんが俺たちと異なっているのは、その命の期限が俺たちよりもずっと長く、そして彼の記憶が古びたレコードのようにすり切れたり、マシナリーの記録媒体のようにある日突然使えなくなってしまうことがない、という点だけだ。
人間はたかだか七十年少しの記憶でも、可能な限り身軽に生きようと次々忘れさっていくというのに、いったいどのような胆力があれば、すべてを昨日のことのように抱えて生きていけるのか。
それでも――ふと覚える寂しさが寂しくないなんてことはないし、もう戻れない悲しみが悲しくないなんてことはないのだろう。過ごしていて充実を感じる日常に、俺の姿が入り込んでしまったというのなら、なおさら。
「……今日は、私の我が儘で君を振り回してしまった。すまなかった」
「いいさ。このたった数時間で、アンタの百年後の無聊を慰められるならな」
彼が迎えるいつかの時間に、俺は居合わせることができないが、彼のために何か残せるのなら可能な限り残してやりたいと思う。優しいだけの記憶などは俺の性分から考えれば難しいだろうが、できる限りいろんなものを。
――とするならば、今はこの『思い出』をきちんと楽しんでおくべきだ。
「ところでヌヴィレットさん、『今日は』なんて言うのはまだ早いんじゃないか? 俺たちはまだ星祭りの本懐を遂げてないだろ」
「ふむ? ……それは?」
「さっきの店でもらった。願い事なんてな、と思ってたんだが」
俺は上着のポケットに入れていた色紙をヌヴィレットさんの手に押しつける。城下町に飾られていた竹、あの装飾に使われていたものと同じ色紙だ。稲妻の人々はこの紙に願い事を書いて竹に吊し、星に祈るらしい。
地上におわす神々でも叶えられない事は多々あるというのに、あんな星がどうやって願いを叶えてくれるのか――などと思わないでもなかったが、郷に入っては郷に従っておくのも一興だろう。
「願い事……か。君も書くのか?」
「せっかくだからな」
俺たちは砂浜近くの断層に腰かけて、願い事を書くことにした。
店主が色紙と共に渡してくれた鉛筆があったので書くものには困らなかったが、我ながらすぐに手が動いたのは意外だった。俺は自分があまり夢を見ない方で、手の届かない場所に願いを抱くタイプではないことを知っている。だからこそ、祈るような気持ちを覚えることは少なく、少ないからこそ『願い』が明確になったのだろう。
ヌヴィレットさんはしばらく考え込んでいたようで、その手が動き始めたのは俺が書き終えた後だった。マナー違反かとは思ったのだが、俺が少し体を寄せても身を引いたり、紙を隠すような素振りもなかったので、許されていると受け取ってその手の中を覗き込む。
そして、流麗なフォンテーヌ文字でつづられたそれに、思わず俺は肩をふるわせてしまった。
「ふ、ははっ……アンタそれ、俺だけじゃないだろうな」
「迷惑だろうか?」
「いいや……いいや、別に俺は構わないが……」
笑いをこらえようとしているのだが、にやにやと口角が上がってしまうのを抑えられない。『百年の思い出を』なんて、この先の俺の人生にヌヴィレットさんはいったいどれだけ張り付くつもりなのだろう。おはようからおやすみまでを含めても、百年なんて時間には到底足りないというのに。
「君との時間がいずれ去ってしまうのだと気づいた時から、よくない『欲』が出ているのはわかっている。だが、もう取り戻せない頃になって、取りこぼしたことを悔やみたくはない」
「たとえば?」
「たとえば……今日の君が星に何を願ったのか。それから、その肩の輝きがいったいどのような願いによってもたらされたのか」
と、ヌヴィレットさんは俺が肩の後ろにぶら下げている神の瞳をじっと見遣った。そこに若干、拗ねたような色が見えるのはどういった理由からなのか。俺が神の瞳を授かったと知って祝いの言葉をかけてくれたのは、ヌヴィレットさんしかいなかったのだが。
しかし、それも『知りたい』ときたか。このペースでいけば、俺は寿命で死ぬ頃には、この人に丸呑みされているんじゃないだろうか。
「急にせっかちになり過ぎだ。アンタからしたら『百年もしないうちに』かもしれないが、俺にとってはまだ数十年もある。今すべての種を明かしてしまったら、この後の数十年が退屈になっちまうだろ」
俺がそう言うと、ヌヴィレットさんはきょと、と目を丸くした。そして瞳の中に宿る星雲が徐々に輝きを増し始める。
「それは……いずれ、君自身の口から教えてもらえるのだと受け取っていいだろうか」
「さてな。条文の解釈は俺の仕事じゃない」
「ふ……では、私は職務に励むとしよう」
ヌヴィレットさんの整った顔に、美しい笑みが浮かぶ。
やっと見られたその笑顔は、星祭りの城下町や星空よりもずっと眩しいものに見えて、これではどちらが『思い出』をもらっているのやら。
――ただ、この星雲が百年の後も輝いていることを願う。
願いを書き終えたならばこの紙をどこかの竹に吊しに行かなければならないが、俺もヌヴィレットさんもしばらく黙ったまま、時間とともにゆっくり推移していく星を眺めていた。
実のところ、願い事なんて大したものはない。ただ、この瞳を手に入れた時、初めてメロピデ要塞に立った時に考えていたことは――
新しい自分として生きること。アンタにもらった再生のチャンスで、どう生きていくかということ。
その願いがどうなったかは――こうしてアンタの隣で星空を見上げている、今が証明している。
[おわり]