疲れた日の夜──はぁ、……あー……あぁ。
ぼすん、とベッドの上に倒れ込む。羽毛布団も毛布もめくらずに、コートと帽子だけリビングに脱ぎ散らかして。
化粧を落とす気力もない。ほんとうなら、いつもなら。オイルを塗って、コットンで拭って、そのあと風呂に入ってきちんと洗い流している。でも今日はそんな手間をかけている余裕はなくて、今すぐにでも眠りに落ちてしまいたい気分だった。
ベッドの下へ、とぷんと身体が沈んでいって、どんどんずるずる沈んでいって、とうとう全身沈んでしまって……なんて、妙な妄想をして。
何だってこんなに無気力なんだ。たかが時間殺しの枷を背負ったくらいで。
ああ、これもあの……あれのせいだ。働こうとしない頭を無理やりこじ開けて、無意味な反芻に没頭する。
今日も今日とてお茶会を開き、一日中ナンセンスについて考えていて、何の気なしにカップのなかを覗いてしまった。
……あぁ、つかれたな。
ふと思って、いや、気付いてしまって。それからはもうだめだった。新しく紅茶を注ぐ気にもなれなくて、出涸らしを絞って茶器を回収して、さっさと引き上げてきてしまった。
あと少し、今はまだ日が落ちて間もないから、あとほんのいち時間でもお茶会を開いていなくちゃならなかったのに。
あぁ、はぁ。ああ。
もうだめだ。ベルトを解くことすらできない。一張羅に皺をつけるなどあってはならないのに。
ほんとうなら、いつもなら、朝のスープを火にかけて、ミルクが余っていたからリゾットでも作って、にんじんの切れっ端と、キャベツと、あと────……で、サラダを──、
………………あーー……、無理だな。
なにかあたたかいもので腹を満たせば少しくらいは気が紛れることはわかっているが、いかんせん身体が動かない。
今日はもう、いいか。
ずりずりと毛布を乱しながら這いずって、ベッドサイドに置きっぱなしにしていたチョコレートの箱に手を伸ばす。
サテンのリボンをほどいて、ペーパーレースをどけて、美しい六角形の蓋をあければ、そこには輝くチョコレートたちが並んでいる。
ふわりと、あまくていい香りが立つ。子供の頃なら飛び上がって喜んでいただろうに、今となってはささくれ立った心が束の間の安息を得られる程度に収まってしまった。
……いや、それでも大分、救われてはいるんだけど。
これは任務の報酬にと金持ちの貴族から受け取ったものだ。本当は上等な紅茶でも淹れて少しずつ食べようと思っていたんだが、今はそんな気力もなく、ましてやこれを口にしないで眠れるほど落ち着いてもいられない。
我ながらどれだけ余裕がないんだ、と少しだけ冷静になる。
適当に伸ばした手は選り好みするように箱の上を何度か行き来して、ああ、もういいや。と、いちばんおおきな、ぴかぴかでつやつやできれいなやつをつまんだ。
人差し指と中指の間にはさんで、しばらく眺める。宝石みたいだ。ルビーとかエメラルドとかサファイアとか、もう飽きた。あんなのただちょっと硬くて高くてキラキラしてるだけの石じゃねえか。あまい香りもしないくせに。食べられもしないくせに。
ああ、もうずっとお菓子だけ見ていたい。
はぁ、とため息を吐いて、口のなかに放り込む。躊躇わずぱきんと噛むと、じゅわりと刺激的なソースがあふれて、舌の表と裏を這いずりまわる。
……この香りは、ラムか。悪くないな。
酒の味が分かるとか、なんか大人っぽくて好かないんだが、今日はもういいだろう。たまにはアルコールくらい口にしても。
しばらくそのまま口のなかで転がしていれば、ラムのカッとするような熱さが徐々に和らいでいって、そのうち甘いチョコレートが溶けだしてくる。カカオの香りは好きだ。紅茶とバターと、あとホットミルクとはちみつとアプリコットジャムの次に好きだ。
甘党で良かった。こんなことで自分の機嫌を取ってやれるのだから。
やがてそれらがすべて溶けて消えたあと、思い出したように突然眠気が襲ってきた。さすがに水でも飲まないとまずいかと思いはするが、やっぱり身体は動かない。
ああ、あぁもう、つかれた。
たまには、たまにくらいならいいだろ。大人だってたまには、好きなお菓子を食べてそのまま寝ちゃいたいときもあるんだよ。
明日からは────そう、明日からは、ちゃんとするから。
そう誰に対してでもなく言い訳をして、部屋の明かりを消しもせずにまぶたを閉じた。