凪楓今夜も俺は花を持って寮に戻る。毎日全部配れ切れるわけじゃない。受け取ってもらえないことだってすごく多い。から、これはしょうがないことだ、と自分に言い聞かせながら。
昔だったら花を配りきるまでは帰らない、と決めていたけど今は花を持って帰ってもきっと大丈夫、と思えるようになっていた。それはきっと、あの人のおかげ。
「あっ凪くん!おかえり!」
主任が俺に気づいてぱたぱたと駆け寄ってきてくれた。
「ごめん、今日花配りきれなくて。よかったら受け取ってくれると嬉しい」
俺は少し緊張しながら抱えていた花を渡す。
主任は嬉しそうにぱあっと笑顔を咲かせて受け取ってくれた。
「わあ、嬉しい!」
「花、そんなに好きなんだっけ」
「違うよ!!配りきれないくらい凪くんに今日いいことがあったってことでしょ?それがすごく嬉しい!」
「えっ」
予想外の返事に俺は少しびっくりする。
どうして俺なんかのことでそんなに喜んでくれるんだろう。押し付けられて迷惑だって言ってもおかしくないのに。
「大切に飾るね」
と、主任は大事そうに花を抱えて部屋に去っていった。
無事、受け取ってくれた後ろ姿を眺めながら俺は安堵のため息をつく。
それは絶対に持って帰ろうと決めていた花だった。それだけは配らないように注意していた。
赤のチューリップ。
花言葉なんて、主任は知らないだろうけど。
ただの俺の自己満足だから。
別に、伝わって欲しいわけじゃない。
毎日一日の終わりに数える今日あったいいことのひとつに、主任に赤のチューリップを渡せたことを入れよう、と決意して俺は部屋に帰った。
次の日店番に立っていた俺に、尋ねてきた人影。
「凪くん、お疲れ様」
「あ、お疲れ様」
手を振りながら現れたのは主任だった。
なんの用事だろう。俺なんかミスしてたかな。
仕事中に顔を見れて少し浮かれた気分で俺は会話を交わす。今日配る花を増やさなきゃ、と頭の片隅で思いながら。
「あのね、ひまわりってあるかな?」
主任が言い出したのは夏の定番の花だった。
「今?今は、残念だけど春だから時期がまだちょっと早いかな」
「あっそっか、そうだよね、季節によって咲く花は違うもんね!!」
焦ったように慌てている主任を見ながら俺は首を傾げる。
「そんなにひまわりがよかった?」
「えっと、ひまわりは好きだよ!それもあるけど、今どうしても必要だったというか...」
太陽に向かって咲く黄金色の大輪の花。
花言葉は、太陽をまっすぐに見つめている姿に倣って「あなただけを見つめる」。
誰に、渡そうとしたんだろう。
ちくり、と痛みが胸を刺す。
俺には縁もゆかりもない話だ。
主任が誰かにその花を渡そうとした事実に、少し息が苦しくなった。
そうだよね、会いにきてくれた幸せのヤジロベーは、すぐに均衡を取り戻そうとする。
考え込むように俯いていた主任が、きっと顔を上げて叫ぶ。
「えっとね、ごめん、ちょっと待ってて!!」
ばたばたと走り去る後ろ姿。
「え...」
いきなり立ち去っていった主任を俺はぼんやりと見送ることしかできなかった。
いつ戻ってくるんだろう、と考える間もなくすぐにまた戻ってきた。思ったより早かったな。こんな数分じゃ遠くまで行けないはず。どこにいってたんだろう、なんて聞かないけど。
「ごめんね!急にいなくなったりして」
「いや、大丈夫。主任こそ、喉乾いてない?」
ソニアが持たせてくれた水筒を渡すと、肩で息をしていた主任はごくごくと美味しそうにお茶を飲み干した。
「ほんとありがとね!」
「お茶くらいでそんな大層なお礼はいらないよ」
「違うよ、昨日の花のことだよ!」
「花?」
「昨日、俺に花を渡してくれたでしょ」
赤のチューリップ、と主任は続ける。
うん、受け取ってくれて助かった、と俺は答えながらも、驚いて息が止まりそうになる。なんで今更その話題に?というかやはり人間って驚くと息が止まりそうになるんだ、と改めて知る事実。
ていうことは今俺息を止めてる?危ない危ないちゃんと息を吸わなくちゃ。
すーはー、と深呼吸していると、大丈夫?と顔を覗き込んで確認をとってくれたあと、こう続けた。
「だから、俺も花をあげたくて」
はい、と手のひらに置かれたのは、しろつめくさ。
え、と一瞬動揺する。
どの花言葉だろう。
まさか、と思い当たった言葉に俺は一瞬で冷や汗をかいた。
俺気づかないうちになんかしたかな。怒らせてしまったのだろうか。やっぱり自覚がないってところが1番の問題なのかもしれない。
「ごめん」
咄嗟に口から滑らかに出た言葉に主任はなぜか慌てふためいた。
「えっ!?なんで!?なんで謝るの!?」
「俺がきっと何かしたんだろうと思うから」
「なんもしてないよ!?」
「でも、復讐、だよね。しろつめくさの花言葉」
「ええっそんな意味もあったの!?」
そうだったんだ、勉強不足でごめん、と慌てふためいた様子で主任が頭を下げる。
「やっぱりひまわりにすればよかった」
としょんぼりしながら呟いた。
「調べたらしろつめくさの花言葉、......って書いてあったから...」
「.....................え?」
「俺、年上なのにかっこつかないね、ごめんね」
と主任が苦笑いする。
俺が、渡した赤のチューリップ。
その、花言葉は、
「愛の告白」
だった。
別に気づかなくていいと思っていた。
気づかれたら気持ち悪いとおもわれるかも、と不安すらあった。
気づいて、くれていたのか。
「あのね、凪くん。俺、君が好きだよ」
俺の手の中のその小さな白い花に触れながら、主任が微笑む。
俺の人生の分岐点には、いつもクローバーがいた。
その花言葉は、
私のものになって
だった。