夕班イベストの北片兄弟の話しんと静まり帰った部屋の中にざざーん、と窓の外から波の音が入り込んでくる。
この音を聞くと海のそばにいる、と実感した。
HAMAにも海はあるけれど、砂浜が近いわけではないため砂浜を打つ波の音は旅の象徴のようなものだった。
弟の生行は昔から規則正しい生活をしている。
夜遊びして帰ってくる俺とは大違いだった。きちんとルーティンをこなしてベッドに潜り込む生行。話しかけても、うるさい、寝る、としか返ってこない。
あまり話しかけて起こすのもな、と俺もベッドに潜り込み生行が寝息を立てるのを待った。
ラーメンを食べに行くためにバイクのレンタルの手続きは今日も済ませてあった。
あとは生行が寝たら行くだけ。
ここ連日成功していたから、多分今日も大丈夫だろう。今夜はどこの店に行こうか、まだまだ行きたい店ならたくさんある、などと思いを馳せながら生行の様子を伺う。
寝つきがいい弟がすっかり寝息を立てていたのを確認すると俺はそろりとベッドを抜け出した。
廊下のクローゼットから上着をそっと羽織り物音を立てないよう扉を開こうとした、その時だった。
「どちらへ出かけるんですか?」
振り返ると生行が壁にもたれて立っていた。
「な、生行!?寝てたんじゃ」
「寝たふりをしていたんです」
「なんでだ?」
「ちょっと、垂れ込みがあったので」
誰かさんが毎晩夜抜け出して悪さをしているとね、と生行は続けた。
垂れ込みというものが誰なのかは多少想像はついたがそんなことよりも生行にとうとうバレてしまったか、と俺は内心がっかりする。
和歌山ラーメンの奥は深い。
食べれば食べるほどその旨さの虜になっていた。今夜もすっかりラーメンの口になっていたというのに。
「生行も一緒に行くか...?」
先日断られた誘い文句をもう一度繰り返してみるが、
「行くわけないだろ」
とにべもなく断られた。
「お前アイドルの自覚あるのか?こんな夜中に毎晩ラーメンなんか食べ歩いて。撮影だってあるんだぞ。何考えてるんだ、仮にもリーダーなんだから模範となるような行動を示してください」
冷たい目線で生行は俺をベッドまで連れ戻して腰掛けさせると冷たく見下ろしながら説教を始めた。
ああ、生行が怒っている。
そんな顔も可愛いな、とつい見上げながら口元が緩む。
「何笑ってるんだ」
とさらに生行が臍を曲げた。
「いや、怒ってる顔も可愛いなと思ってな」
「はあ!?」
つい正直に言うと、さらに生行は怒り出した。
俺の話聞いてたのか!?とぷりぷりしている生行。
まだ怒ってくれている。
俺のために。
俺なんかのために。
「悪かった。今日はもう行かないよ」
「当たり前だ!!」
生行は俺の上着を奪い取るとクローゼットにかける。
「お前を起こすのに俺がどれだけ毎朝苦労してると思ってるんだ?少しでも早く寝て寝起きを良くしとけ」
そう言って生行は俺に布団をばさりとかけると
自分も隣あっているベッドにごろりと転がった。
「ほら」
「ん?」
生行がこっちを向いて腕を伸ばす。
「手をよこせ」
「?」
なんの話だろう、と思っていると突然生行の手のひらが俺の手を握りしめた。
「どうした?」
まるで小さい頃みたいだ。
あの頃は手を繋いでよく寝ていた。
一人で寝るのが怖いから手を繋いでいて、と不安そうに言う生行を、俺はずっと守ろうと思っていたのに。
「俺が寝ている間にどっかに行かないようにだ、誤解しないでください」
と言い終わるとぷいっとそっぽをむいて寝始めてしまった生行の丸い後頭部を眺めながら、俺は暗闇の中微笑んでしまう。
「......なるほど」
暖かい手のひら。
あんなに俺より小さかったのに。
今は俺と同じくらいの大きさだった。
「おやすみ、生行」
「.........おやすみ」
生行が小さく呟く声を聞きながら、俺も目を瞑り波の音に耳を傾けていた。