00 時折聞こえる人の話し声に、混ざるフラッシュ音。忙しなく、だが静かに横を通り過ぎるスタッフやモデルたち。部屋を縦に横にいくつもくり抜いたかのような広々とした室内の一角、休憩の為の静かなスペースで俺は差し向かいで座っている相手、十夜さんをそれとなく見た。
先程までストロボ——エレクトロニックフラッシュというのが正式な名称だけど、あまり使われることがない——の強い光を浴びていたとは思えない涼やかな面立ちには、集中の二文字が鎮座している。一つしか歳が変わらないとは思えない落ち着きで、顔だけを注視すれば普段通りの十夜さん、と言った感じだ。
しかし今日は二つ、違うところがあった。
髪型と服装。
今も無言で仕事の資料を捲る本人自身は変わりがないのに、その二つだけでも雰囲気が違って見える。
この撮影スタジオに十夜さんが入って来た時は驚いた。希少な姿を見た、とすら思ってしまった。一緒に撮影していた俺が今もまだ新鮮さを感じているのだから、比呂がここに居たら目がまん丸になって五度見はしそうだ。あいつ、絶対肩を揺すってくるだろうな。
集中しているところをじろじろと眺め過ぎるのも失礼だからと十夜さんを見習って既に確認済みの手元の文面をなぞるも、やはり目の前の人をつい窺ってしまう。それくらいだ。
なんせ前髪が下されるところを俺は初めて見た。
いつも生え際が見えるように上げてから左に固めていた毛束が、さらりとそのまま耳に向かってなだらかに流れている。そしてたてがみのような強く勇ましいイメージの後ろ髪も前髪同様、今日はおとなしく肩に落ち、微かな頭の動き合わせて揺れていた。
おそらく整髪剤は軽く整える程度、ツヤを出す用で他はあんまり使ってないんじゃないかな。とにかく全体として自然な仕上がりだ。
更にそのワインレッドの毛先が触れるのは、かっちりとしたシャツでも動き易いTシャツでもない。柔らかなオフホワイトのタートルネック。見慣れないシルエットなのに、ニットの柔らかい質感が肌色とよく馴染んでいた。
これは写真が掲載される雑誌の月テーマが『スノーホワイト』だからなんだけど、髪型と相俟って柔らかな冬の朝みたいだ。
ちなみに、俺も同じニットのトップスを着いてる。こっちは十夜さんのより編み目が大きい。少し肩が落ちる形になっていたり裾横にスリットが入っていたり、細身のスキニーにも合うゆったりしつつもシンプルなデザインだ。あたたかくて着心地が良い。撮影前に、良い服だなと言っていたから、十夜さんも気に入っているのだと思う。
似合っていたし、これを買い取るのもありかも知れないな。
鑑賞から思案へ移行し自然と落ちていた瞼を開くと、十夜さんは既に資料を見てなかった。
「久瀬」
がっつり合った視線にはっとする。心配の色が見えた。
「どうした」
「あっ、すみません。考え事をしてました」
「珍しいな」
素直に話すと、不思議そうに目が瞬き呟かれる。だがそれも一瞬のことだ。
「いや、構わない。カメラマンが戻って来たようだから撮り直しがあるならまた撮影する必要があるだろう。準備をしておけ」
逸らされた目線を追えば、何やら人が集まっている場所に今回お世話になっているカメラマンさんと馴染みの編集さんが居た。
「お前なら大丈夫だろうが」
まあ、と続いた十夜さんの言葉とオフホワイトより艶やかなレザーの黒が似合いそうなその僅かに上がった口端に、俺は笑顔で頷き応えて、資料をファイルにしまった。
結論から言うと、撮り直しの必要はなく(相変わらず二人ともとても良い仕事をするねとスタッフの方に声を掛けられた)再度ストロボの前に立つことはなかった。
「十夜さん! お誕生日おめでとうございます!」
撮影スタジオのそこかしこから届く拍手とお祝いの言葉が収まり銘々仕事に戻る頃合いを見計らって、花束を抱えた十夜さんに改めて声を掛ける。
さっき十夜さんが気にしていた集まりは今日、十一月七日が誕生日の十夜さんを祝ちゃおうの会の人たちだった。そう名乗りを上げて突然陽気にハッピーバースデーの歌を口ずさみ会を代表して花束を差し出したのは、俺も何回か仕事をしたことがある編集さんとカメラマンさんの二人だ。花束と共に彼らから贈られた言葉は、十夜さんとの信頼や親しみが込められていた。
「……ああ、誕生日、だったな」
髪を下ろしているから、撮影の服のままだから、じゃない穏やかさを湛えた目で腕の中の大輪の薔薇や綺麗な赤とオレンジに彩られた花束に目を落とす十夜さんに、俺まで嬉しくなる。
「十夜さんと久々にお仕事が出来て、しかもお誕生日の日で、こうして一足先にお祝い出来て。マジで良かったです」
「そう言うものなのか?」
「はい、そう言うものです」
明るく肯定すると、ふっと小さく吐息だけで笑う音がした。そうなのか、覚えておこう、と言う十夜さんにそうすることを力強くおすすめした。
「控え室に戻るか」
その一言に腕時計を確認すれば、十七時四十分。
プロデューサーさんが車で来るまでただ待つだけならまだ余裕がある時刻だけど、やらないといけないことも多い。
少し考えてから、俺は首を振る。
「十夜さん、俺、スタッフさんに伝えることがあるので、先に着替えてもらっても大丈夫ですか?」
「構わないが。……俺も少し用が出来たからな。くれぐれも迎えの車が到着する時間に遅れるな」
「分かりました。俺がエスコートしなきゃいけないので遅れたりはしませんけど、何かあれば連絡します」
疑問符が頭に浮かぶ前にふんわりした前髪の十夜さんを見納め一旦別れて、スタジオから出た。
スタッフさんを探すより先に、と人が少ない外に出て直ぐスマホの受話器のアイコンを押す。鳴る音の呼び先は佐門だ。
「久瀬か。終わったのか?」
数コールもしない内に繋がったと思えば先手を打ったことを尋ねて来る。うちのブレインは流石だ。
「ああ、こっちを出るのが十八時十分、だったかな。そっちは大丈夫そうか?」
「騒がし過ぎて大丈夫じゃないが大丈夫だ。まあ、あいつらもいるしな。そっちは頼んだ」
「楽しそうだな。了解、また後で」
通話を切って、スマホをしまう。次はお衣装さん探しだ。こちらは大体見当が付いているので、多分大丈夫。
あちらの様子を想像ながら拳を握って、気合いを入れ直した。
——十夜さん。十夜さんの誕生日はまだこれからですよ。喜んでくれるように皆んなで作ったので、俺たちにもお祝い、させてください。