悪魔パロ 下①あれから2日が経った。
あれ以降起こった出来事は思い出せばキリが無い程にあるが……まずはヒースクリフの処遇について話そう。
結果的に、ヒースクリフが奪った物の中で返していない物は何でも照らせる蛍光灯、人間達の記憶、悪魔達のエネルギーだった。
蛍光灯は鯨の悪魔に無事返されたが、その際ヒースクリフはかなり痛め付けられた。
だが、ヒースクリフは何も言わずにそれを受け入れたし、私もその場に立ち会ったが何も手出ししなかった。
それが自分がやらかして来た事の報いだとヒースクリフ自身も分かっていたようだから、それに関しても私は何も言わなかった。
残るは記憶とエネルギーだが……ヒースクリフ自身が返す手段を持っていない以前に、これは返せない物達だった。
記憶の持ち主は皆殺しにされたバトラー達であり、返す相手が存在しなかったし、エネルギーもすぐに消費してしまった上に、奪われた側からしてはいくらか代えの利く物だったから。
よって、委員会ではその分の罰はグレゴールが下すのが妥当だと言う結論に至った。
『……』
だが、グレゴールは嬉しそうな顔はしなかった。
恐らくキャサリンの事で頭が一杯になっていたのだろう。
『……そう言えば……キャサリンの亡き骸を……邸宅で見た事無いんだけど。どこやったんだ?』
グレゴールがそう問い掛けると、ヒースクリフはハッと目を見開いた。
『そう言や……ヒキガエルの奴に預けたまんまだ……』
『な……保管していたのか?』
『……』
『……魂を探していたのは復活させる為か。』
そこで全ての納得が行った。
ヒキガエルの悪魔はあらゆる異物から守る涙の膜を生成する事が出来る。
それを使ってキャサリンの亡き骸を安全に保管したのだろう。
『彼からは被害報告を受けていなかったから盲点だったな……』
『そりゃ……脅した訳でも奪った訳でもねえし……キャサリンの死体見せて色々話したら協力してくれたよ。』
『………だからか……』
ウーティスが苦い顔をして額に手をやった。
もしかしてヒースクリフを匿っては居ないかと尋問しに行ったが、何も情報が得られなかったとウーティスから聞いた事がある。
ヒキガエルの彼の事だ。もし脅されたのなら目を見ればすぐに気付ける。
その彼が何も隠している様子が無かったと言う事は、無関係だと思うには充分過ぎる反応なのだ。
『……キャサリンを……埋めてあげないと……』
グレゴールの呟きに応える形で一同はヒキガエルの悪魔の下へ向かう事になった。
* * *
『あ……ヒースクリフさん。彼女の魂は見つかりましたか……?』
所々に青い粘液のある暗い洞窟の中、彼はヒースクリフを見て少しだけ表情を明るくした。
『いや……見つかったんだけど、上に昇って行っちまって……』
『……そうなんですね……ここに来たのは……』
『……こいつが、埋めてやりたいって言うから。』
彼がグレゴールを見て……重い沈黙と共に青い涙を流した。
『………』
何とも言い難い時間が過ぎた。
『彼女を……弔ってあげてください……』
彼はゆっくりと洞窟の奥へ進んで行った。
私達もそれに続き、涙の膜が溜め込んである場所へ辿り着いた。
『……』
苦い顔をしているウーティスの横に立ちながら、私はグレゴールとヒースクリフの背中を眺めた。
キャサリンの亡き骸を覆っていた膜が一瞬にして溶けるように消えると、グレゴールはその側に跪いてキャサリンの亡き骸にそっと抱き付いた。
『……ああ……ようやく、君を弔ってあげられるな……』
キャサリンの亡き骸を運んだ後、グレゴールはもう一つヒースクリフに問い掛けた。
『……キャサリンと俺の指輪はどこにやったんだ?』
『………』
ヒースクリフは渋々懐から指輪を出した。
グレゴールから久しぶりに殺意が放たれたのを肌で感じた。
『……お前……まだ奪った物があったのか……』
ウーティスはこの日一日中呆れた顔をしていた。
その後の話し合いの結果、キャサリンの亡き骸は私の教会の敷地内に埋められる事になった。
『……良かったのか?悪魔の傍に埋めるなど、お前にとっては不安が絶えない事だろうに。』
『……もし墓が荒らされそうなら俺が守ってやれる。それに……毎日、彼女に花を手向けられるから。』
『……お前はずっと私の家に住む気なのか?』
『まあな……金も家も無いし……』
『……私が持っている金も有限なのだが。』
『……片手で出来る仕事があるんなら俺も働くさ。』
『……』
契約さえ重ねれば、片腕程度は返せる。
だが……代償として貰った物を今更返すのはどうにも……気が引けるのだ。
グレゴールがそれを言い出さない限りは、私もその手段を挙げないつもりだった。
『……しんみりとしている所、悪いのだが……』
そこへ、ウーティスがやって来た。
『グレゴール・エドガー。君には罰を与える事が決定されている。』
『……何だよ。罰って。』
『負の感情の発生を暫くの間抑制するんだそうだ。契約した悪魔にとっても不利益になるから、罰としては充分だと。』
『……』
『……君は構わないな?ムルソー。』
『……うむ。』
グレゴールは反抗する素振りは見せなかった。
ウーティスはグレゴールの目元に手を翳すと、包帯でグレゴールの目を覆い隠した。
グレゴールが力を失ったように倒れ込んだので支えると、グレゴールは眠っているようだった。
『……随分と雑な止め方だな。』
『心をどうこうする力は持ち合わせていない物でな。君よりは器用なやり方だったと思うが?』
『……いつまで、この罰は続くんだ?』
『1年だ。本人にとっては苦痛の時間になり得るだろうが……まあ、少なくとも心は壊れないだろう。』
『……そうか。』
グレゴールは1年間眠り続けて……体は次第に弱ってしまうので、私が度々エネルギーを与えてある程度の筋力と体力を維持させていた。
なるほど、これは確かに私にとっても罰になり得るなと納得しながら……私は毎日日付を確認して、1日1日を過ごしていた。
真っ暗な暗闇の中で、俺はじっと無音に耐えていた。
生まれた日から今に至るまでの記憶を鮮明に思い返す間、俺はずっと"死"と言う言葉を頭に思い浮かべていた。
体が弱かったせいで、幼少期の記憶は暗い物ばかりだった。
埃にも、花粉にも、ほんの少しの空気の違いや匂いにすら反応して咳が出るこの体を、俺はずっと憎んでいた。
匂い……
キャサリンは……あの人は、心の安らぐ香りを持った人だった。
あの人と出会ったのは、もう18ぐらいになった頃だった。
成長してかなり体は良くなったが、それでも油断すれば死にかけるぐらいにはこの肺は弱いままだった。
キャサリンと、その兄が……俺の家に尋ねて来た時、俺は素知らぬ顔でダイニングの隅で彼女らに背を向けて本を読んでいた。
その時はまだ母親が生きていたから、応対は母に任せたのだ。
主人でもない上に、主人に相応しくない俺の役目ではないと思っていたのだ。
彼女らの会話に気を取られないように本を読んでいると、あの人の声が聞こえた。
『所で……あの人は、どなた?』
思わず咳き込みそうになったが、必死に堪えて平静を装った。
『うちの一人息子で、グレゴールって言います。』
『あ……そうなんですね。なら、挨拶に行かなくちゃ。』
『……、』
母は、止めなかった。
もしかしたら……結婚させたかったのかもしれない。
ほんの僅かでも、そんな期待を抱いていたのかもしれない。
それに対して俺は……死刑執行を待つかのように、本を握り締める他無かった。
『……あ。』
優しい匂いがした。
『その本……読んだ事ある。』
『え……?』
驚いて振り向いた先に、嬉しそうに緩んだ顔があった。
俺は……あの時見た顔を、いつだって鮮明に思い出せた。
あの日、あの時から……あの人が、俺の光になった。
一日、二日と対面する度にあの人との距離は縮まって行った。
あの人の肌に初めて触れた日、俺は満たされたような気持ちになりながらも一種の罪悪感を覚えていた。
俺で良いのだろうか。
ずっとそんな考えが頭を過って、キスすらもぎこちなかった。
でも、この人が受け入れてくれて、俺の頭を撫でてくれて……この人が俺を選んだんだと考え直した。
俺は……この人に惚れただけに過ぎない。
だから……選ばれた者としての責務を全うしようと思っていた。
この人生、この命、何もかもを捧げても、絶対にこの人を幸せにすると誓ったのだ。
だが……その誓いは、悪魔が簡単に破り裂いて、踏み躙った。
尋常ではない弱り具合だとは思っていた。
それが、まさか……悪魔に代償を捧げていたからだったなんて。
……俺は……知らぬ間に、捨てられていたらしい。
でも、俺は……それでもあの人を、守りたかった。
守りたかったんだ……
「……キャサリン……」
暗闇の中で、祈るように呟いた。
何故だか、胸に熱が宿ったような気がした。
「……」
最後に触れたあの人の手は冷たかったが……この熱は、あの人の物のような気がした。