怪盗組の邂逅について(諸説あり)とあるビルの一室。倉庫と思わしきその部屋の扉の前に、男が1人立っている。
癖のある髪を首の後ろで一括りにした男は、中の気配を確認するように、扉に耳をそばだてる。
路地裏に面した外付けの廊下、使われなくなって久しいそのビルには、遠くに聞こえるサイレンの音と微かなネオンの光だけが反射していた。
癖毛の男は、できるだけ音を殺してひと呼吸すると、拳銃を片手で構えながら古びたドアノブをゆっくりと回した。
キィ、と高い金属音が響く。
すかさず部屋へと足を踏み入れ、両手で拳銃を構え直す。
「…見つけた」
そこにはドアに背を向けて座る、男がいた。
静かに放たれた言葉に、男はゆっくりと立ち上がり、振り返る。
紫色の髪が揺れる。
積まれたダンボールの上に置かれたノートパソコンの青白い光に照らされたその男は、笑っていた。
拳銃を向けられているというのに、ポケットに両手を入れて不敵に口角を上げている。
「へえ、思ったより早かったな。よくできました」
ああ、この男は自分を嘲っている。
口調、声色、表情。男の全てがそれを物語っている。
それを悟った癖毛の男は苦々しく眉を顰めた。
「……何が可笑しい」
「ハハ、何が?」
「どうして、この状況で笑っていられるんだ。まだ自分に勝算があるとでも?」
「当たり前だろ」
一拍置いて放たれた言葉に癖毛の男は身構えた。拳銃を握る指に力が入る。
何を、何を見落としている。
全ての可能性は予測したはずだ。
この男は追い詰められているはずだ。
もし自分がこの男なら、どうやってこの状況を脱する?
考えろ、考えろ、考えろ。
表情に出さないまま思考を素早く巡らせる。
首筋に汗が伝うのを感じ、心中で舌打ちをする。
そして幾つかの考えが浮かんだと同時に、それら全てをいとも簡単に崩すように、紫髪の男は言った。
「…なあ、俺たち気が合うかもな」
予想だにしなかった言葉に目を見開いた癖毛の男を尻目に、紫色の男は続ける。
「つかあんた警察やってて楽しいか?もっと自由に生きてみたくないわけ?」
「…君の言っていることが分からない」
「分かりたくねえだけだろ。これ以上目ぇ背けてどうすんだよ」
耳の奥で警鐘が鳴り響く。癖毛の男は奥歯を噛み締めた。これ以上この男の声に耳を傾けてはいけない。
だが同時に頭の奥の奥、けたたましい警鐘の向こうから微かに別の声がする。
…この男の言う通りなのではないか?
自分は今まで、自分を偽り続けていたのではないか?
「……楽しいかどうかでこの仕事を選んだんじゃない」
「そうだろうな」
「人は正しくあるべきだ。そしてそれを、正義を守る存在が必要で、俺は」
「正しさ?正義?ハ、捨てちまえ、そんなつまらねえモノ。それはあんたの持ち物じゃねえ。誰かさんから押し付けられたお荷物だ」
「っ、俺は自分の意思で」
「いや、俺には、今のあんたは操り人形にしか見えないね。押し付けられた価値観で雁字搦めだ。自由とは一番遠い場所にいる」
矢継ぎ早に紡がれる男の言葉ひとつひとつに強く心臓が脈打つ。
上手く呼吸ができない。
射線を維持できずに僅かに下を向いた銃口を一瞥すると、紫髪の男は口元の笑みを濃くする。
「俺が、切ってやるよ。あんたの糸」
何を、癖毛の男がそう答える間もなく紫髪の男は言葉の刃を振るう。張られた糸にひとつひとつ切れ目を入れるように。そしてそれをほどくように、自分の元へと手繰るように。
「『もし自分がやるなら』…あんたの捜査はそれで成り立ってる。違うか?」
「違わねえよな。そうじゃなきゃ此処まで辿り着いてねえ。犯罪者と同じ目線にならないと辿り着けないレベルってのがある。そしてあんたはソレができる、天才的なまでに。犯罪者なら次にどうするかが手に取るように分かる」
「で?いざ蓋を開けてみれば、自分の仮説よりレベルの低い行動だったらガッカリするわけだ。面白くない、自分ならもっとこうするのに、ってな」
「けど俺は違ったろ?何回か見たぜ。俺を探すあんたの顔。一生懸命考えて考えて辿り着いた場所に俺が居なかった時。あんた笑ってたろ。心底楽しそうなツラしてたよな……もしかして自覚無かったか?」
「あんたは捜査をゲームとしか思っちゃいない。もっと難しく、自分の想像を超えるものを…それだけが愉しみなんだろ。正義なんてクソくだらねえもん、あんたはハナから眼中に無えんだよ」
「…俺と来れば、面白い人生になる。何なら賭けてもいい。そうだな…もし期待外れだったら、今度こそ大人しく捕まってやるよ」
口元は確かに笑っている筈なのに、ともすると真剣な表情にもとれる男の鋭い眼光が、もう1人を射抜く。
視線が絡まる瞬間、自分の中の何かが音を立てて崩れていくのを、癖毛の男は感じていた。
「…俺に、共犯者になれっていうのかい」
「きっと愉しいぜ」
「どうだか」
「まあゆっくり考えたら良いさ。返事はまた今度。とりあえずコレ、今日はあんたにやるよ。じゃあな、府市祇園サン」
少し跳ねた紫色を揺らした男はノートパソコンをパタと閉じ、小脇に抱えて府市祇園と呼ばれた癖毛の男へと歩み寄る。
銃口は既に床を向いており、標的を捉えることはない。
二つの影が重なる瞬間、祇園は何かがシャツの胸ポケットに入れられたことを感じた。
そのまま影は再び別れ、離れていく。
扉へと向かう紫色を捕らえるものはない。
カツン、カツン。階段を降りる靴音だけが静かに響いていた。
男の気配が完全に消えてから、祇園は体を近くの壁へと預ける。
たった数分言葉を交わしただけなのに、立っていることがやっとだった。
「名前、いつの間に……」
緩慢な動きで胸ポケットに手を伸ばした祇園は、そこから出てきたものを見て天を仰いだ。
深紅の大きな宝石に悪魔のモチーフが彩られたそれは、今回あの男が盗んだ代物だった。
来日した海外の富豪の持ち物で、時価数千万は下らないという、お宝。
それが今自分の手にあるということは。
「…ほんっと、生意気なガキだよ」
さて、あんたならどうする?
心底愉しそうな男の声が聞こえた気がした。