シルヴァとアポロ 洒落たカフェのテラス席に、ぽつんと女性が座っていた。
見た目は20代半ばくらいだろうか。赤銅色の髪に翡翠色の瞳で、人目を引くはっきりした顔立ちをしている。しかしそれ以上に、身にまとった簡素な鎧と腰から提げた長剣と銃のせいで、少し近寄り難い雰囲気を醸し出していた。軍人か傭兵か、あるいは騎空士なのかもしれない。
彼女は退屈そうな顔をして、机に本を広げている。時折顔を上げては、辺りを伺っている様子だった。他の席はカップルや女性のグループばかりだから、居心地の悪さを感じていたのかもしれない。あるいは……。
「アポロ!」
その声を聞いた途端、彼女は弾かれたように立ち上がる。彼女は声の主に駆け寄ると、勢いよく抱きついた。
「久しぶりだな、シルヴァ……!」
先程までのツンとした雰囲気が嘘のように、彼女は心から嬉しそうな笑みを浮かべている。ぎゅうう、と音が聞こえてきそうなほど熱い抱擁を受けて、シルヴァと呼ばれた女性は恥ずかしそうに声を上げた。
「あ、アポロ! こんな往来でハグはやめてくれないか……!」
「ああ……すまない。久々にシルヴァに会えたのが嬉しくて、ついはしゃいでしまった」
彼女は急に照れくさそうな顔をして。そろそろと手を離す。
どうやら一見気の強そうな鎧姿の女性がアポロで、銃を背負っている美しい銀髪の女性はシルヴァというらしい。どうやら二人は友人同士で、感動の再会に喜んでいる様子だった。
「確かに文通は続けていたが、こうして直接会うのは凄く久しぶりだな……ふふ、変わらないな君は」
会話を続けながら、二人は向かい合うように席に着いた。客が揃ったのを見計らったように、店員が注文を取りにやってくる。
「ついこの間、新作のケーキが出たばかりなんだ。これが絶品でね」
「手紙にも書いていてくれていたな。私もずっと楽しみにしてたんだ」
同じものを頼み終えた二人は、しばらくお互いにしか分からない話題で盛り上がった。昔の思い出話や仕事の話、共通の知人の話……。
会話が一旦途切れたところで、おもむろにアポロが尋ねた。
「そういえば、今日はやけに人通りが多いな……何かあったのか?」
確かに普段のメフォラシュは他島よりお年寄りが多いためか人気が少ないのだが、今日は市場だけでなく街全体が活気に満ち溢れた雰囲気がある。アポロの疑問に、シルヴァは驚いたように言った。
「忘れたのか? もうすぐ王女殿下の誕生日じゃないか」
「そうか、オルキス様の……それで皆準備に明け暮れているわけか。エルステを離れて長いからか、すっかり失念していたな」
アポロは納得したように頷いている。
オルキスは、エルステ王国の王女だ。現ヴィオラ女王の一人娘なので、次期女王となることがほぼ決まっている。エルステ王家の人達は代々国民との直接交流を好む気風があり、オルキス王女もその明るく天真爛漫な性格で多くの人に愛されていた。きっと誕生セレモニーも、国を挙げて盛大に行うのだろう。
「確か君は、オルキス様と同い年だっただろう?」
「ああ……留学中に何度か市街でお見かけしたことがあるが、無邪気で可愛らしいお方だったな」
「それは昔の話さ。最近は次期女王として、一層励んでおられるご様子だ」
「そうか……だから港も普段より警備が手厚くなっていたんだな」
アポロは思い出したように呟いた。先程の話の中で分かったことだが、彼女は騎空士をしていて、メフォラシュには今日到着したばかりらしい。ひょっとすると、最初にカフェテラスで挙動不審だったのも、故郷の様子が以前と異なることに違和感を抱いていたのかもしれなかった。
「いや、警備が厳しくなったのには別の理由もあってな……」
シルヴァは、辺りを憚るように声を低めてその名を口にした。
「アポロ……君は『魔眼の狩人』を知っているか?」
それに合わせて、アポロの顔つきも険しくなる。
魔眼の狩人。
声が聞き取れなくても、すぐに分かった。窓ガラスに彼女の口元が反射していたから。
「いや……名前を聞いたことはあるが、詳しくはないな」
「近頃『魔眼の狩人』と呼ばれる凄腕の狙撃手の噂があってね。王国軍も特に警戒を強めているんだ」
「狙撃手……つまり、シルヴァの同業者ということか?」
「いや、その人物は魔導弓の使い手で、同じ島にいる獲物であれば確実に射抜くことができる脅威的な眼を持っているらしい」
「同じ島が全て射程範囲とは……だから『魔眼の狩人』というわけか」
「とはいっても、誰もその正体を知らないんだ。ほとんど御伽噺さ。人の域を遥かに超えた狙撃能力、正に化け物じみた力だと────」
そこで、シルヴァは唐突に言葉を切った。
「……シルヴァ? どうかしたのか?」
アポロは不思議そうな顔をしている。
シルヴァはゆっくりと遥か上空を……『先程まで私が居た場所』を、真っ直ぐに指さしていた。
「今、髪の長い女の子が空からこちらを見ていなかったか?」
「……まさか『今そこに魔眼の狩人がいた』とでも言うつもりじゃないだろうな。あのシルヴァが、そんな冗談を言うとは……」
「いや、おかしいな……私の見間違いじゃないと思うんだが……」
呆れた様子のアポロに、シルヴァは納得がいかない様子でぶつぶつ呟いている。
私は建物の陰に隠れて、静かに息を吐いた。
危ない。もう少し反応が遅れていたら、シルヴァって人に見つかるところだった。
つい『魔眼の狩人』の話に動揺して、彼女達の前に気配を現してしまうだなんて。これが本物の狩りだったら、確実に獲物に逃げられていた……といっても別に彼女達は獲物じゃないし、見つかったところで私が気まずい思いをするだけなんだけど。
アポロとシルヴァ。傍から見ていても凄く仲の良さそうな二人だった。
羨ましくて、思わず盗み聞きしてしまうくらいに。
(本当にその『化け物』が仲間に入れてほしそうに見ていた、なんて知ったら……あなた達は一体、どんな顔をするのかしら)
なんて下らない想像をして、つい笑ってしまう。だってあの人達は、私がずっと見ていたのに気付かなかった。私みたいな化け物が、普通の人達と仲良くなれるわけがないのに。
(でも…シルヴァの方は、もう少しだった。狙撃銃を持っていたし、もしかしたら私のことを……)
つい先程まではバレたくないと思っていたのに、いつしか私は真逆のことを考え始めていた。私を見つけてほしい。私に気付いてほしい、と。
近頃の私は寂しさに心が埋め尽くされて、自分でも感情が制御できなくなってしまうことがある。こんなことをしてはいけないと、分かっていてももう止まれない。
きっと大丈夫、と何の根拠もなく自分に言い聞かせる。獲物を仕留めるのは勿論、わざと外すのだって得意だから。彼女には当たらないように、絶対に気付いてもらえるように、私なら一度で終わらせる。
そうして狂おしいほどの祈りを込めて、私は魔導弓を引いた。