必要十分条件いつも通り、朝起きて制服に着替え、母の焼いたトーストを食べているときのことだった。毎朝見ているワイドショーで、とあるアイドルと俳優の結婚報道が流れていた。
『毎日帰ってきて顔を見れるのが嬉しいです』
そうイケメン俳優が言うと、
『帰ってきたくなるように、お料理を頑張ります』
とアイドルがはにかみながら答える。出会いのきっかけや得意料理などを答え、最後に記者の『幸せですか?』という答えの決まりきった質問に『はい』と二人で応じて、指輪を見せてフラッシュを浴びていた。
スタジオの著名人達は『美男美女ですね』『これぞ幸せって感じですね』と口々に称賛していた。
こういうのが“幸せ”なのか。
すでに冷めた食パンの角を齧ると少し焦げていて、口に苦味が広がった。
赤の他人を好きになって、相手も自分を好きで、一緒に住んで、生涯共に過ごすなんて、一体何をどうしたらそんなことが出来るのだろう。
そしてそれ以前に、俺には重大な問題があった。
俺の好きな相手は同性なのだ。そもそも俺はアイツにとって結婚相手というフィルターの枠外の存在である。
俺は幼馴染の伊弉冉一二三という男のことを、愚かにも好きになってしまった。他に好きな人が出来た事がないので自分がゲイかどうかは正直よく分からないが、一二三と生涯を共に出来ないということは分かる。結婚なんて考えるだけ無駄なのである。
いつか一二三に「結婚おめでとう」と言う日が来ることを考えると、胃がキリキリと痛んだ。俺は上手く言えるだろうか。言えそうになかったら失踪しよう。
結婚=幸せならば、俺は一生幸せになれないってことか。台所で洗い物をする母の背中を眺めて牛乳を飲み干した。親不孝な俺をお許しください。
支度を済ませた俺は玄関から外に出た。もうすぐ十二月になろうかという空気はひんやりと冷たい。家の門の先に明るい銀杏のような金髪が見えた。
「おっはよ」
そこには俺の想い人が待っていて、眩しい笑顔をこちらに向けていた。
「……おはよう」
「どしたん? テンション低くね?」
歩きながら一二三は俺の顔を覗き込んできた。
「あー、いや……。朝○○と××が結婚したってテレビで見て……」
「えっ。独歩ちんもしかして××のファンなん!?」
「いや全くもって違う」
「じゃそれがどうしたん?」
「俺は一生結婚できないだろうなと思うと気分が……」
「あっはっはっは!!」
一二三は腹を抱えて笑っていた。
「お前なぁ……何でそんなに笑うんだよ……」
「だって結婚なんてまだまだ先っしょ!? そんな先のこと心配して落ち込んでるの面白すぎでしょ」
「分かってるけど考えちゃうんだよ……」
「独歩はさぁ」
長いまつ毛に縁取られた大きな瞳が俺を捉える。
「結婚したいってこと?」
「え? うーん……。だって結婚って幸せの象徴みたいなものだろ……?」
「結婚してどうしたいん?」
「えっと……、うーん……。まず好きな人と同じ家に暮らすってそれだけで幸せだろ? そんで同じもの食べて、俺は料理なんて出来ないからご飯作ってくれたりしたらすごく嬉しいし……。あとは……、いやでもやっぱり、好きな人とずっと生涯いられるってそれだけで充分幸せだな」
一二三の視線を感じるが、俺はそっちを向けなかった。今俺が言った“幸せ“は絶対に手に入らないものなのだ。
「……まぁ、そんな奇跡俺には怒らないけどな」
「まだ分かんないだろ?」
一二三は俺の背中をバシッと叩くと俺の前を歩くのだった。
***
あれから十数年。
「ただいま」
「おかえり〜!」
今日は一二三が休みの日。いつもこの日は帰りの足取りが軽い。美味しいご飯の匂いと好きな人が待つ家に俺は帰る。夜になるとめっきり冷え込む季節になったが、家の中は暖かい。
食卓に着くと焼き魚に煮物、味噌汁に炊き込みご飯……。美味そうな食事がキラキラと輝いている。
「いただきます」
ご飯を掻き込んでいると、一二三がこちらをじいっと見ていることに気が付いた。
「どうした?」
「ん? いや……。独歩ちんさ、昔俺は結婚できないって言ってたの覚えてる?」
「んっ、あー……、恥ずかしいな……。言ってたな……」
「今でも結婚したいって思う?」
「………………え……と、昔は結婚イコール幸せだと思ってたけど……、あれ? 今の俺の生活って……。あの頃思ってた通りだな……? いや仕事はキツイけど好きな人と住んで一緒にご飯食べて……」
そこまで言って俺はハッと口をつぐんだ。
「ふ〜ん? 好きな人?」
一二三が物凄くニヤニヤとしてこっちを見ている。
「だーっ! うるさい! 何も言ってない! お前……言わせたな!!」
「あっはっはっは!!」
あの頃と同じように、一二三は爆笑している。もしかしてコイツ、あの頃からこうなることが分かってたりして……。流石にそんなことはないか。
「……まぁ、人生どうなるか分からないもんだな」
「だろ?」
食卓で一二三と明日の話や来年の話をする。決して楽しいことばかりではなかったし、これからもそうだろう。だけど二人でいると乗り越えていける。
「あ、この煮物美味い」
「気に入った? また作るよ」
何でもないやり取りが心に染みる。
結婚しないと幸せになれないと思っていたが、幸せというカテゴリーのひとつに結婚があるんだな。
一二三が目の前で微笑んでいる。俺も笑って、温かい味噌汁を流し込むのだった。
終