消えない痕を残したい 1 (アキデン転生オメガバパロ)「こいつはお前のじゃない」
その言葉には、苛烈な怒りが込められていた。声の大きさはそれほどでもなかったが、静かな殺気にも似たそれは、空気をビリビリと震わせていた。
しかし、アキから放たれた殺気を直に受けても、吉田ヒロフミは一切の動揺を見せなかった。
吉田は独特のミステリアスな雰囲気を漂わせたまま、薄ら笑っていた。目に落ちかかった、さらりとした黒髪に色気が満ちている。こんな男にデンジを奪われるところだったと思うと、アキの腑は煮え繰り返った。
――――こいつは、どんな風に、デンジを。
俺の、デンジを。
抱こうとしていたって、言うのか。
アキの静かに燃えるような青い目に睨みつけられて、吉田はその視線を面白がるようなものに変え、歌うように挑発してきた。
「おかしいですね。だって、デンジ君から誘ってきたんですよ?僕が責められる謂れはあるんでしょうか?」
アキの瞳孔が拡がる。
殺気を抑えながら、左手にギリリと力を込めた。男にしては細すぎる、デンジの腕を掴んでいる左手だ。
「いてぇって!アキ!!」
「いいから来い」
アキの声には、有無を言わせぬ圧力があった。
俺が、今まで何のためにずっと我慢してたと思ってる。
誰のためにモデルなんか似合わねぇことやって、必死に働いてきたと思ってる。
デンジ。
他の男に奪われるくらいなら――俺が、無理やり奪ってやる。
――――だって、俺たちは運命の番なんだ、デンジ。
それも、前世からの運命だ。
アキはそのまま、黙り込んだデンジを連れ去って行った。
♦︎♢♦︎
前世、アキとデンジは恋人であった。しかし二人に、身体の関係はなかった。
恋人であった期間だって、アキが亡くなる前のたった数ヶ月間のことだ。
あの時アキは大人で、保護者のような立場だった。デンジはまだ16歳で、教育もろくに受けていなかった。
だから――アキは大人として、関係を持つわけにはいかなかった。
本当は、滅茶苦茶に犯したくて仕方がなかった。
デンジの全身に口付けて、印をつけて、自分のものだと叫びたかった。
けれど、もうすぐ死にゆく自分が無責任にそれをすることはできないと、アキは諦観していたのだ。
今となっては、もう遠い出来事だが。
アキがデンジを好きだと気づいたのは、凍えるくらい寒い晩のことであった。
だから今世でも、冷え込む夜にはこの恋の始まりを思い出す。
その日デンジは、寒さと悪夢で震えてうなされていた。自分の部屋で眠れずに居間に出て、床で滝のような汗をかき、うなされていたのを見つけた時には驚いた。だってデンジは、永遠の悪魔に閉じ込められた時でさえ熟睡していたのだから。
「ポチタ……ポチタ……!!」
うずくまって震えるデンジは、小さな子供のようだった。
その姿を見てアキは、亡くなってしまった弟のタイヨウのことを思い出した。だからなのだろう。今でも信じられないが、デンジを自分のベッドに迎え入れたのだ。「相手がお前の大嫌いな男でも、こんな夜は人と寝た方がマシだろう」と言って。
デンジは眠たかったらしく、思いの外素直にベッドに入ってきた。そのことに、さらに驚いた。
しかも、ベッドの端と端で寝るものと思っていたのに、彼はアキの懐に入って擦り寄ってきた。デンジの指先が雪にでも浸かったように冷え切っていて、落ち着かずうまく眠れなくなったのを覚えている。
そして、翌朝。デンジは目覚めたアキの目の前で、へらりと笑って言ったのだ。
「ありがとな……アキ」
朝焼けに暁の瞳がきらめいて、それが弧を描いているのが――――とても、可愛かった。
麦穂色の髪が枕に広がっているのも。不器用に微笑んだ口の形も。
何もかもが、可愛かった。
それだけでアキは、恋に落ちてしまった。
それからというもの、凍えるような寒い晩はデンジがふらりとやってきて、一緒に眠るようになった。
アキは仕方がないという態度を取りながらも、その晩を心待ちにしたものだ。
どうやらデンジはアキの寝顔を観察していたようで、目覚めるといつも目の前にいて起きていた。そしてあの、へらりとした可愛い笑みを見せるのだった。
泥沼に落ちて身じろぎもできなくなるような、不自由な恋だった。
アキは、自分の寿命が長くないととっくに知っていた。死ぬための身辺整理をしていた時、心残りを残したくないと、ふと思いついたのだ。デンジに告白をしてしまおうと。
自分は男で、デンジの好きな『面のいい女』じゃないことは百も承知していたので……木っ端微塵にフラれて、すっきりしようと思ったのだった。
――――まさかその行動が、前世最大の心残りを作る結果になるなんて、微塵も思っていなかったのである。
アキは軽い調子で、デンジに言った。
「俺、お前のこと好きなんだ」
これからその気持ちを全否定されると思ったら、指先が少し震えてしまったのを覚えている。
しかし、デンジの反応は……予測したものと、全くの逆だった。
デンジはしばらく口を開けて呆けた後、突然耳から首までを林檎みたいに真っ赤にして、俯いた。それは、アキが初めて見る顔だった。
そして、消え入りそうな声で言ったのだ。
「俺も、すき……」
わけがわからなかった。アキは動揺して、自分の瞼がピクピク震えるのを他人事のように感じていた。そして混乱状態のまま、余計なことを言った。
「お前、マキマさんが好きなんじゃないのか」
今思えば、人のことを全く言えない台詞だ。しかしデンジは、何でもないことのように軽く返してきた。
「いや、俺惚れっぽいからァー……好きな人は、何人かいる」
「どういう、ことだ……?わけが、わからない」
「でもよォ……」
デンジは、あのへらりとした可愛い笑顔を浮かべた。キラキラ光る暁の瞳。
「アキは、特別なんだぜ?」
アキは堪らなくなって、すぐさまデンジに噛み付くように口付けた。
告白したことを後悔しても、もう遅い。後戻りなんて、できるわけがない。
泥沼の恋は、さらに悪化の一途を辿った。
短い恋人期間。
アキは、デンジに何も残してやることはできなかった。
ぬるま湯のような幸せにひと時だけ浸かって、でも完全に諦観しながら。ただ一緒に眠って、キスするのだけを繰り返した。それだけだ。
結局、アキはただデンジの心に――酷い、大きな傷だけを残して、死んでいくことになった。
家族になったデンジとパワーに、何もしてやれなかったこと。
恋人になったデンジを、最悪の形で傷付けて死ぬことになったこと。
二人の存在は――特に、デンジの存在は――結局、死にゆくアキの大きな心残りとなったのである。