消えない痕を残したい 2 (アキデン転生オメガバパロ)アキは生まれ変わった。
姿も形も、そして心すらも変わらず。悪魔のいない、平和な世界に生まれ変わったのだ。
悪魔の有無以外にも一つ、大きな違いがあった。この世界にはバース性という性があったのだ。
アキは典型的なアルファであったが、自分の性にはそこまで関心がなかった。
バース検査をした当時は、何故かわからなかったが――今考えれば、デンジへの未練を残していたためであったと思うが――色恋というものに、全く興味を抱けなかったのだ。
前世を思い出したのは、12歳の時だった。テレビで激しい銃撃シーンを見た時であった。前世における全ての情報が、記憶として濁流のように流れ込んで来たのである。
アキは三日三晩寝込んだ。生真面目な両親は大層心配したし、いつもは見舞われる側の弟タイヨウも、一生懸命アキを看病していた。
しかし、熱にうなされるアキはそれどころではなかった。
――デンジは?パワーは?どこにいる……!?
アキの心は、それだけでいっぱいになった。熱が下がって記憶が整理できても、ずっと。
パッと見のアキは、それ以前と以後で何も変わりなかっただろう。アキの家族も、気が付かなかったくらいだ。
しかしその心の有りようは、すっかり180度ひっくり返っていたのである。
アキは決意した。
デンジとパワーを見つけ出す。
そして――もう一度、デンジに告白する。気持ちを返してもらえたら、恋人として今度こそ添い遂げる。
アキはそれから、デンジとパワーを探して囲うことだけを目標とし、人生をそれに全振りし始めた。
二人が覚えていなくても、構わない。アキの決意は固かった。時間がかかっても、必ず探し出す。もし二人が不幸であるようなら、自分が保護してやる。
そして……前世で酷い傷を負わせた分も、デンジを大切に慈しみ、愛すると決めた。
アキは前世でも今世でも変わらず、生真面目で頑固で、こうと決めたら二度と譲らない男だったのである。
さて。
決意したアキは、真っ先に考えた。
アキの両親は、今世も真面目でまっとうで、頭の固い両親である。どこの馬の骨ともわからない子供二人を、保護することになんて絶対に協力してもらえない。だから親のことは一切頼らず、隠れて自力でやるしかない。
要するに……金と、権力が必要だ。
アキは焦った。大人になる前から、それらを確保するのは至難の業である。株式の運用など色々と考えたが――子供でも稼げる手っ取り早い方法として、芸能界に入った。アキはその整った顔立ちとスタイルで、度々スカウトを受けていたのである。
そうしてアキは、前世のデビルハンターとは正反対の世界に入った。モデルとして、活動し始めたのだ。
勿論、すぐに金と権力が手に入ったわけではない。しかし辛い下積みを経て、モデル業はなんとか軌道に乗った。
アキには少年らしくない強い覚悟があったため、オーラが違うと気に入られることも多かった。デンジとパワーのために、なんだってやる覚悟があったからだ。
稼いだお金は探偵に回し、二人を捜索した。二人はなかなか見つからなかったが、アキは、諦めるつもりなど毛頭なかった。
二年ほどそれを継続した時、思わぬ誤算があった。転生した岸辺が接触してきたのである。彼は今世でも、公安として働いていた。モデルのアキを雑誌で目にして、向こうから接触してきてくれたのだ。
「お前、まだ前世に引きずられてんのか」
岸辺が放った第一声に、アキは一瞬固まった。しかしすぐに、言い返した。
「引きずられてるんじゃありません。今世での生き方を、そう決めただけです。俺は――デンジとパワーを、探します。」
岸部は呆れ、大きな大きな溜息を吐いた後、「仕方ねえな」と吐き捨てるように言った。
結論から言うと、彼はアキの強力な支援者となってくれた。まだ子供のアキに、金と権力を貸してくれたのである。
今はまだ、その時の借りを返している途中だ。金は返し切る算段がついているが、この恩については、一生かかっても返し切れる気がしない。
デンジを保護した時のことは、忘れられない。
それは、アキが15歳の時だった。
デンジは今世でも、痩せていた。10歳という年齢の割に、とても小さな子供だった。彼はやはり虐待されて育ち、親戚や施設を転々としていたそうだ。また、今世でも義務教育をろくに受けていなかった。
探偵から連絡を受けたアキは彼を見つけると、脇目も振らずに叫んだ。
「デンジ!!!」
デンジは――その、暁の三白眼をこれでもかと見開いた後に、俯いて、激しくしゃくり上げ始めた。
15歳のアキは、デンジを強く抱き締めた。ガリガリに痩せた、薄い体。ボサボサの、麦穂色の髪。それだけで、デンジが幸福ではなかったことを悟り、鼻の奥がつきんと痛んで涙の膜が張った。
――もっと、早く見つけてやりたかった。
もっと、早く思い出していれば良かった。
アキは激しく、自分を責めた。
デンジは、モデルのアキを見て知っていたらしい。どうせ記憶がないと思い、ハナから諦めていたと。だから、名前を呼ばれて驚いたと言った。デンジは相変わらず、前向きなんだから後ろ向きなんだか、よく分からない奴だった。
アキは泣きじゃくるデンジの耳元に向かって、「愛してる」と囁いた。途端にデンジの嗚咽はさらに大きくなり、言葉が返ってくることはなかった。しかしその様子だけでも、アキには十分だった。
デンジが自分に未練を持っていたこと、前世で負った酷い傷を引きずっていることは、十分伝わってきた。アキは、黙ったまま彼を抱き締める力を強めた。
――もう、絶対に手放さない。
誰にも、渡すものか。
アキはそこで初めて、自分のデンジに対する執着がどれほど強いものであったのかを思い知った。
デンジを見つけた瞬間、アキは、人生に足りなかったピースがカッチリとはまった感覚を覚えたのだ。
義務教育を受けていなかったデンジは、勿論バース性検査なんてものも受けていなかった。アキは彼を保護して、真っ先にそれを受けさせた。何か、予感があったのだ。
デンジは、やはり――オメガだった。
アキは、自分がアルファに生まれてきた意味を悟った。今世こそデンジを守り、幸せにするために生まれてきたのだと、それで確信を強めた。
デンジには岸辺の名前で借りたアパートを与え、毎日のように面倒を見に行った。学校に通わせ、仕事の合間を縫っては食事の作り置きをした。
前世で教えられなかった細やかな家事も、手の込んだ料理も、全てアキが仕込んだ。
今世でも愛していることは伝えていたし、デンジもまたそうであることがわかっていた。しかし二人はまだ幼かったので、家族とも恋人ともつかない微妙な距離感のまま、ただ寄り添って生きた。
――まるで、この世にたった二人しかいないみたいに、寄り添って生きていた。
やがて14歳になったデンジにヒートが来て、その香りをかいだ瞬間、アキは知ることになる。
デンジは――アキの、運命の番だった。
アキの心は、ただただ大きな歓喜に包まれた。
自分の決意を、天にも認められたように感じた。デンジを傷つけてしまった自分にも、彼を愛する資格があるのだと思えた。
ただ、そこからの生活は壮絶な――忍耐と、苦悩の連続となった。
アキは、デンジが18歳になるまで番わないと、抱かないと、決めていたのである。
それはデンジにも、すぐに宣言したことだった。デンジは「納得いかねー」と、散々に文句を言った。そしてアキに反抗し、なんとか襲ってもらおうと行動を起こしてきた。
発情したデンジに、勃起した陰茎を押し付けられたこともあった。アキは獣じみた荒い息を吐きながら、自分がどうやってその場を潜り抜けたのか、記憶がないほどだ。
運命の番であるデンジからは、あまりにも濃厚な甘い匂いがした。アキはいつも理性を手放す寸前で、踏みとどまっていた。前世で培った強靭すぎる精神力が災いし、手を出せなかったとも言えよう。
本当は乱暴に押し倒し、本能のままに滅茶苦茶に抱いて、その頸に噛みつきたかった。前世から合わせて、何度その夢想をしたか、数はもう知れない。
だが、アキは――今世こそ、デンジを大切にして幸せにすると決意したのだ。
そう。アキは、半ば意地になっていた。
毎日寄り添って、たまにキスをする。襲いかかりそうになるから、深いキスはしない。芸能人のアキは、デンジが恋人であると公言することもできない。そして、宣言通り絶対に抱かない。
付かず離れずの二人の関係は、そうして何年も続いた。
さらにアキは20歳の時、パワーを見つけて保護した。彼女は海外にいたため、見つかるのにとても時間がかかってしまったのだ。彼女もまた壮絶な生い立ちで、親に恵まれず、ホームレスになっていた。パワーはデンジと同い年だった。そして彼女には、前世の記憶がなかった。
記憶のないパワーは初め、自分を急に保護した日本のゲーノージンを大層訝しんでいた。しかし、持ち前の前向きさと明るさで、あっという間に全て蹴散らしてしまった。パワーが暮らしに馴染むのは、デンジよりもむしろ早かったように思う。
静かだったアパートはすっかり賑やかになり、もとの早川家の様相をすっかり取り戻していた。
♦︎♢♦︎
アキはもう、22歳になっていた。前世でデンジと出会った時の年齢を超えている。デンジは、まだ17歳だ。
「おお!ちょんまげ!!今日の飯はなんじゃ!?」
「カレー」
「またか!?最近カレーばかりではないか!!」
「仕事が忙しいんだよ。それより、デンジどこだ」
「バイトじゃバイト!そんなことも忘れておるのか!!」
――そうだった。アルバイト。
デンジは今世、どうしてもバイトをしたいと散々駄々を捏ね続け、アキがとうとう折れたのだった。
本当はせめて大学に入るまで、バイトなどさせたくはなかったが。自分の小遣いくらい自分で稼ぎたい、俺には自由がないと言われてしまえば、アキには止めることができなかった。
最近はアキのモデル業があまりに忙しく、アパートに来る頻度も格段に落ちていたのだ。寂しい思いをさせているのが分かっているのに、デンジの自由を制限できないと思った。
デンジを好きな大学に行かせてやりたいと、その一心で仕事を増やしてしまった弊害である。アキは今世でも変わらず、オーバーワーク気味だった。
「おーおーおー、辛気臭いカオしよって!そんなにデンジに会いたかったか?」
「悪いか」
「何故それを本人に言わんのか、ワシにはさっぱりわからんなぁ〜。なぜ、一緒にいてやらんのじゃ?デンジは最近、吉田とやらと随分懇意にしておるぞ?」
淀みなく冷蔵庫をチェックしていたアキの動きは、そこでピタリと止まった。鋭い目で冷蔵庫を睨みつけながら、下ろした黒髪をかき上げて、フーっと大きく息を吐く。今世でのアキは見た目に一等気を遣っているため、その美貌は圧倒的であった。商売道具に手は抜けない。
しかし、吉田ヒロフミという男は――素の状態でもなお、今のアキに迫るほどの美貌を持つ、胡散臭い男であった。
前世デビルハンターをしていた記憶を持ち、必要以上にデンジに接触してくる、目の上のたんこぶ。今はデンジと同じ高校に通う、級友である。
友人にしては近すぎる距離感を、何度も目にしたことがあった。アキはいつでも苛立ちを隠せず、内心は激しい嫉妬の嵐だった。アキは表にこそ出さないが、デンジに対する強い執着心と独占欲を持て余す男なのである。
「俺には俺の事情がある。一緒にいられないのは……デンジの、ためだ。苦労させたくないからな」
「相変わらず、何にもわかっとらんのぉ!!」
パワーは高らかに笑った。
――何もわかっていないとは、どういうことだ。
表情には露ほども出さないが、アキは不安でいっぱいになった。デンジのことは……デンジの心のうちのことは、多分アキよりも、パワーの方がよく感じ取っている。前世でも、そうだった。二人はいつも本物の兄妹のように寄り添って、心の距離が近かったのだ。
疑心暗鬼になったアキは、翌日の土曜日もスケジュールの合間を縫って無理やり時間を作り、アパートを訪ねた。デンジは何でもなさそうな声で「よー」と言ってきた。相変わらず覇気のない、でも妙に艶のある声だ。いつもと同じデンジの様子に、安堵の溜息を吐く。
「アキ、昼メシ食った?パンケーキで良けりゃ、今から作るけど」
「……食べたい」
アキの心は躍った。久しぶりのデンジ。久しぶりの、一緒の食事。
デンジはアキを何とも思っていなさそうな顔で、パンケーキを作り始めた。それでも、口元が緩んでいるのがアキには分かったので、幸せだった。
彼は手際よく卵を割っていく。何もできなかった前世が嘘みたいに、今世のデンジはするすると器用に家事をこなせるようになっていた。難しい料理も、簡単な裁縫もできる。全て、アキが教えたことだ。
アキは、その様子を眺めるのが一等好きだった。自分とデンジが共に過ごしてきた時間を感じられたし、単純にてきぱきと動くデンジを見つめるのは愉快だった。
「でよォー、店長が、マジ最悪でさ〜!!」
「そんなに嫌なら、バントなんか止めろ」
「んでそんなに極端なんだよ!愚痴ぐらい言わせろっつーの。俺はバイト辞めねーかんな!」
アキは極端なつもりもなく、至極真面目に言っているのだが、デンジは取り合わない。出来上がったパンケーキを手際よく盛り付け、たっぷりのホイップクリームとイチゴをのせた。上からメープルシロップを綺麗にかける。まるで、カフェのような出来だ。
「ほらよ」
「ん」
「「いただきます」」
二人は手を合わせて、行儀良く挨拶をしてから食べ始めた。前世で一番最初に、アキが強く言い聞かせた習慣だった。今世では何も言わずとも、デンジは当たり前にそれをやっていた。
「うまい」
「ったり前だろォ」
「……なあ。前から思ってたんだが。何で頻繁にパンケーキを作るんだ?」
デンジの動きが、錆びついた機械みたいにギシリと止まった。
そこでアキは、自分の言葉に何か問題があったことに気が付いた。しかし、その理由が全くわからず、内心焦燥を覚える。
「あ〜〜、美味いし?映え……??るし??」
「なんで疑問系なんだよ」
「うっせーな。俺の飯に文句あんのかよ?返せ!!」
「返さない。俺の分だ」
いつも通りのやり取りをしながらも、アキは自分の手先が冷えていくのを感じていた。
――まただ。また、やってしまった。
最近、こういうことが増えた。デンジの心がわからず、無神経な発言や行動をしては傷付ける。デンジが何故傷付いているのか、考えてもアキには分からない。デンジが何を考えているのか、何に悩み傷付いているのか――わからなくなってきたのだ。
一緒にいる時間が減るようになって、二人の関係は以前よりもぎこちないものになっていた。
――どうしてだ。ただ、こいつを幸せにしたいと、それだけ思ってやってきたのに……。
アキは指先が冷えきったまま、デンジと別れた。その後分刻みのスケジュールで働き続ければ、時間はあっという間だ。仕事が終わり疲れ果てて時計を見れば、既に午前2時を回っていた。もう、デンジは眠っているだろう。アパートに寄れるような時間じゃない。
タクシーに乗り込み、眉間を揉む。すぐにでも、無性にタバコが吸いたい。しかし今世では、長生きするためにと禁煙していた。
最後にデンジと一緒に眠ったのはいつだろうか。もう、思い出せない。
アキは前世から、デンジと一緒に眠るのが何よりも好きだったのに。
「俺はよー、もう、これだけで満足だぜ……」
いつだか、一緒に眠った時にデンジが言った言葉だ。
アキの大好きな、あの笑顔でそう言ったはずだが、鮮明には思い出せない。
そういえば、あの笑顔を長らく見ていないことに気付いた。
――アキの熱愛報道が大々的に出たのは、その三日後だった。
背中に伝う冷や汗を感じながら、急いでアパートに駆け込んだアキは――続くパワーの言葉に、今世一番の衝撃を、受けた。
「本っ当に阿呆じゃのオ〜!デンジはもう、他の男のところへ行ってしまったぞ!」
アキの世界はぐるりとひっくり返り、目の前は真っ暗になった。