黄昏時のタイムラプス 4―04―
デンジはアキの元を立ち去りながら、今までのことを思い返していた。
デンジとアキは、確かに恋人だった。
けれどそれは、アキが亡くなる直前の、たった一ヶ月ほどのこと。
アキに抱かれたのなんて、彼がひどく酔った時の、たった一回だけだ。
それでもその一ヶ月間は、デンジの人生の中では一際眩しい日々であった。
アキのことが大好きで、アキが同じだけの想いを返してくれた日々は、奇跡みたいに幸せだったのだ。
その思い出は、長い人生の中で記憶の中に埋もれていくどころか、時が経つほどに輝きを増していくばかりだった。
デンジが自分の身体の異常に気がついたのは、そんなアキと、パワーがいなくなってから何年も経った時だった。
自分の周りの人間には何かしらの変化があり、身長が伸びたり、皺ができたりしていった。そしてある日デンジは鏡を見て気付いたのだ。自分は"全く変わっていない"ということに。
自分の顔なんかにデンジは興味がなかったので、気がつくのに随分時間がかかってしまったが、さらに数年が経ってその気づきは確信に変わった。
自分は老いないらしい。
しかも、自分は死ぬこともできない。
楽観的なデンジも、その事実にはさすがにショックを受けた。
――俺、やっぱもう人間じゃなくなっちまってたんだな。
その事実は、デンジの心に暗い影を落とした。
マキマを"食べて"から10年以上の月日が経って、色々なことが変わって行った。
悪魔の勢力図も随分変わったし、世の中の技術もどんどん発展して行った。
そしてデンジのそばにいた者たちは、その形は違えど、皆一様に彼の元を去って行った。
ポチタ。アキ。パワー。レゼ。マキマ。ナユタ。吉田。
何一つ変わらずそこにいるのは、デンジだけだったのだ。
デンジはそうして、孤独にまみれていった。
10年ほど経つうちに、人生にも飽きるようになった。
美味しい食事をとっても、いくらお金があっても、心が満たされなくなった。馬鹿みたいにモテたいとも、ちやほやされたいとも、別に思わなくなってしまった。
別れを経験しすぎたデンジからは、次第に"欲"がなくなっていった。それこそが彼の原動力であったのにも関わらず、である。
彼はもう、人生の底を見た気がしていたのだ。
デンジはポチタといた頃のような最低限の生活を送って、自堕落に過ごすようになった。
何もつけない食パンをかじり、薄着をして、ハンモックで寝る。もしもアキが生きていたら、青筋を立てて怒るような生き方だ。
だって、どんな風に生きたって、どうせ老いることも死ぬこともない。要するにデンジは、投げやりになってしまったのだ。
時々悪魔を倒しては日銭を稼ぎ、適当に暮らす日々が続いた。
しかし、そんな時である。
とある悪魔から、アキの魂が生まれ変わったことを聞いたのだ。
まあ、その悪魔は、「せっかく生まれてきた大切な者の魂を消してやる」と脅して来たのだが。勿論、ブチ切れたデンジによって滅茶苦茶に切り刻まれた。
デンジは生まれ変わった『アキ』を探し、かつてアキとともに行った北海道の、彼の故郷へ向かった。
そこでしばらく過ごして、ようやく見つけたのだ。
小さな『アキ』が歩いているのを。
どんなに幼い姿でも、デンジにはそれがアキだとすぐにわかった。
瞳が、アキのそれと全く同じであったから。
初めて彼の姿を見た日は、ベッドに蹲って一晩中泣いた。アキが生きている。それだけのことが幸せで、なのに声を掛けられないことが寂しくて、ぐちゃぐちゃの心のまま泣き続けた。
デンジは今のアキと、直接関わる気はなかった。
自分は「人間じゃない何か」である。相変わらず、悪魔にも狙われている。家族も無事で平穏に暮らしている今のアキに関われば、彼を不幸にするかもしれないと思ったのだ。
デンジはただアキが健やかに過ごしてくれれば、それで良かった。近くの森に隠れ潜むように住み、時々遠くから見つめて、アキが無事であることを確認するだけ。それを繰り返して、何年か過ごした。
しかし、ある日。
アキがよりにもよって、悪魔に襲われているのに遭遇した。デンジは躊躇なく飛び出して、それを助けた。
相手は「肉の悪魔」。それなりに強かったため、スマホから『チェンソーマン』の支持者にSOSの信号を送った。何人かの支持者には時折助けを借り、必要最低限の接触をしていた。今回SOSを送ったのは医者。デンジは自分が重傷を負うことを、想定していたのである。
腕をまるごと切断されながらも何とかアキを守り切り、ぐるりと振り返ったデンジは、そこで初めて今世のアキとはっきり目が合った。
前のアキと変わらない、その深い海のような目を真正面から見て――デンジは思わず微笑んで、名前を呼んでしまった。
「アキ」と、その一等大切な名前を。
アキに大層懐かれてしまったのは、想定外だった。
デンジの話を「信じる」と断言されて嬉しくて、前世のアキの話をしてしまったことも、今思えば間違っていた。
早く離れなければと何度も思ったけれど、アキを大好きなデンジにとって、それはとても難しいことだった。
何故なら――アキは、生まれ変わっても、やっぱりアキだったからだ。
幼くてもアキは真面目で、頑固で、そして面倒見が良かった。かつてのアキと同じように、何度もデンジを叱ったのだ。デンジは、それがとても嬉しかった。かつてのアキの面影を今のアキに見るたびに、喜びが溢れて、くふふと笑ってしまった。
笑うのなんて随分久しぶりのことだったのに、アキのそばにいれば当たり前にできてしまったのだ。
それに――今世の『アキ』のことが、デンジは好きだった。
アキはまだ幼かったので、デンジのそれは恋愛感情ではなく、家族への親愛に近いものだったけれど。
幼くて、でもしっかりしていて、可愛いアキ。
寂しがりで、でも意地っ張りなアキ。
かつては知らなかったアキの新たな一面を、デンジは見ることができた。その度に、今のアキのことがもっと好きになった。
幼いアキと共に過ごす時間は、デンジにとって新鮮で、楽しい時間だった。
二人でココアを飲む時間が何よりも楽しみになり、せっせとココアの粉と牛乳を用意するようになった。
アキが選んだ物で、殺風景な部屋が賑やかになって行くのを見て、まるでかつての早川家のようだと思った。
そしてアキの身長に印をつけるたび、まるで家族みたいだなと思った。
今の『アキ』と新しい習慣や約束事ができるたび、デンジは少しくすぐったくて、穏やかな気持ちになることができたのだ。
生まれ変わった『アキ』は、何の希望も無くなったデンジの人生に差した光だったのだ。
だから――アキに「友達」だと言われた時は心底びっくりして、嬉しくて仕方がなくて。多分、照れで真っ赤になってしまっていたと思う。
だって、デンジの「友達」は、ポチタ以来であったのだから。