黄昏時のタイムラプス 6―06―
光を失ったデンジの生活は、元通りに戻るどころか、前よりももっと真っ暗闇になった。
デンジはもう、何かを食べることすら億劫になった。飲まず食わずを敢えて続けて飢えて死んだこともあったが、『チェンソーマン』の支持者たちに血を飲まされ、また生き返らされた。
『チェンソーマン』の支持者には、デンジの意思を尊重してくれる者もいれば、その意思を無視して生かし続けようとする熱狂的な者もいる。
そうして強い悪魔を狩らされた。
デンジは緩やかに自殺することも、許されない。
毎日が楽しけりゃいい、飯を食って眠れればそれだけで最高と思えていた頃が、懐かしい。
アキやパワーが死んでも"泣けない"なんて、思っていたっけ。もうずっと遠い、昔のことのようだ。
デンジはあの頃、何も"知らなかった"だけだ。
与えられ、与える喜びも。誰かと寄り添う幸福も。人を心から愛することも。
不老不死になった今は、もしもあの頃のマインドに戻れたら楽だろうなと思うことはある。
それでもデンジは、前世も今世も含めたアキとの思い出を忘れたくはなかった。それは鋭い痛みとなってもなお、何よりも大切なものだったから。
月日は勝手に過ぎる。もう数えるのも億劫だ。
不意にカレンダーを見れば、アキの元を去ってから、すでに5年が経っていた。
アキは今頃、21歳だ。前世でデンジと出会った時と、同じ歳になっているはずである。
――きっと滅茶苦茶、格好良くなってんだろうな。
タバコ、吸ってんのかな。ゲロ女がいねぇから、吸ってねえか。ピアスも、開けてねぇかもな。
――会いてぇなぁ。
一目でもいいから、遠目でもいいから。もしもその姿を見られたら、もう死にたいなあ、とデンジは思った。
デンジはもう捨て鉢だった。
ポチタがいる大切な心臓なのに、生き続けることがもう辛かった。
――ごめんな、ポチタ。でも、俺の夢はさあ。多分もうとっくに、叶ったんだ。だから、許してくれ。
デンジは敢えて強すぎる悪魔を選び、単身で挑むようになった。
日々身体は傷だらけになり、弱っていく。血を飲んでも飲んでも、精神の衰弱は免れない。
そうしてデンジは、とうとう最悪の悪魔に挑んでしまった。
『鏡の悪魔』。
デンジはやぶれかぶれであったので、支持者から悪魔の能力の詳細も聞かずに、単身で突っ込んでしまったのだ。
廃墟となった病院の屋上に、それはいた。
歪に繋がりあった何面もの鏡。多数の白い触手が、それを支えている。上部にもがき苦しむ人間のような顔が、三つついていた。反響する電子音のような声が、響き渡っている。
悪魔の見た目は大概気味が悪い。だからそんな奇妙な見た目でも、今更恐怖なんて感じないはずだった。
しかしデンジはいざ相対してみて、身が凍りつくような恐怖を感じた。本能的な勘から来る、恐怖である。
――やべえ。これはやべえ。
そう思った時にはもう、遅かった。
デンジは預かり知らぬことであったが、その悪魔の能力は、『その者の一番恐ろしいと思う光景を映し出し、追体験させる』というものだった。
果たしてデンジの前に現れたのは――銃の魔人になった、アキだった。
アキ。
どうして。
アキ!!
デンジの身体は勝手に動き出す。あの日の景色が現実のように、再生されていく。
デンジの心は完全に囚われてしまった。もう、これが悪魔の能力だなんてことは完全に忘れ去っている。そのくらい、何もかもがあの日のままだった。
――戻れ戻れ戻れ。
――アキに戻れ!!
止まらないアキ。
笑いながら人を傷つけるアキ。
パワーとデンジを傷つけるアキ。
そしてアキを傷つける――自分。
アキを殺す、自分。
「あ…………あ……………………」
アキのはらわたを、引き裂いた感触。
身体にかかる、アキの重み。
むせ返るような、生温い血の匂い。
急速に失われていく、アキの体温。
身体中を、だくだくと冷や汗が伝う。
血まみれのデンジは、絶望で涙も出ない。
アキが死んだのに、自分の心臓だけが激しく脈打っている。
「あ……………………!!」
もう嫌だ!
もう、嫌だ――――――――
「コン」
その時、向こう側から声がした。
パリン!!!
鏡が勢いよく、割れる音がする。
最悪の光景は、一瞬にして消え去った。
まるで悪夢から目覚めさせてもらった、あの日のように。
「デンジ。迎えに来た」
まるであの日のように、青い海の瞳がゆらめいていた。
鏡が割れた先にいたのは、21歳になった――かつての姿そのままの、アキであった。