初恋アザミにキスをする 2「これが、普通のプレッシャーキスな。押し付けるだけ」
アキが静かにデンジの頬に手を添えて、唇を何度もつける。感触を確かめるように。角度を変えながら。
アキの形の良い唇。熱くてふわふわしていて、押し付けられるだけで気持ち良い。
「ついばむようにするのが、バードキス」
今度は唇を啄むようにキスをされる。さっき一緒に食べた、レモンと新生姜のジェラートの味がした。甘酸っぱい。
ちゅ、ちゅ、と音が鳴った。
少し粘膜の触れ合う感触がして、それだけでデンジは興奮してきた。
アキはそのまま、瞼をデンジの額に擦り付けた。長いまつ毛と下ろされたアキの髪が肌に触れ合って、くすぐったい。
「……ふへへ」
「気持ちいだろ?」
「おー」
デンジも鼻を、アキの鼻に触れ合わせた。肌が触れ合うと温かい気持ちになる。
ずっとこうしてえな――と、デンジは思った。
「なあ……舌、入れるやつはしねえの?」
「最初は、簡単なのからな」
アキが頭をさらりと撫でたら、終わりの合図だ。
まず簡単なものから。
アキの教えは、じっくりと始まった。
今日の夕飯は和食だった。玉ねぎで柔らかくなった生姜焼きが絶妙だった。
その後、キスが始まる。
まずは唇を、端から啄まれた。
それから少し出した舌で、ラインをなぞるように舐められた。粘膜の感触をぬるりと感じると堪らなくなって、意識がとろりと溶ける。
「ニプルキスって言うらしい」
「舐めるやつ?」
「ああ。俺も名前までは知らなかったから調べた」
「アキがぁ?調べたのかあ」
デンジは笑った。教えるためにキスの種類を調べるアキは、可愛いなと思った。何でも知っているアキでも、知らないことがあるんだなと。
「俺も、舐めてい〰︎?」
「もちろん。好きなだけ練習しろ」
デンジは拙い動きで、舌を動かし始めた。アキの薄い唇に這わせる。そのかたちをなぞると、びりっとした刺激が下半身に走った。
たったこれだけで、こんなになるのに。もしも舌を入れられたらどうなるんだろう。想像と期待で唾液がじゅわりと滲み、呼吸が荒くなる。
夢中でなぞったり食んだりしていると、アキの青い瞳は明らかな情欲に染まっていった。
――アキ、俺にキスされて興奮してんだ。
それだけで、デンジはぶるりと身体が震えた。
「……上手」
「まじで?俺才能ある?」
アキはまた小さく笑いながら、頭をさらりと撫でる。
終わりはいつも突然やってきて、離れる時は少し胸が痛い。
「また明日な」
デンジは自分がどんどん深みにはまっていることに気づいていたが、持ち前の楽観的思考を発揮した。シリアスなのは自分らしくない。
正直なところ、自分の気持ちの変化に向き合うのは怖かった。
今日の夕食は、サーモンとほうれん草のクリームパスタだった。サーモンの出汁がじゅわりと出ていて、最高に美味しかった。デザートに手作りのティラミスもついていた。さすが料理研究家である。
さて、今日こそは舌を入れられるのかと期待したら、ゆっくりと手を取られた。デンジはぽかんとする。
「今日は指にキスする」
「指ぃ?それってよお、何か気持ちいのか?」
「やってみればわかる」
アキはデンジの指先に、順番にキスし始めた。
小指、薬指、中指。
人差し指、親指。
ちゅ、ちゅ、とキスしながら、アキの唇が移動していく。
まるで宝物に触れるみたいにされて、デンジの顔から首は一気に真っ赤に染まった。
――俺、こんなに大事なもんみてえに、扱われんの初めてだ。
そんなの何が気持ちいいんだろうなんて思ったのは、大きな間違いだった。デンジの心臓はもう、ばくばくと大きな音をたてている。
アキは指を順番に喰むようにしながら、その切長の瞳でデンジを射抜いてきた。
身動きが、まるで取れなくなる。
相変わらず、夏の青空みたいな強い青だ。
なんて綺麗な目なんだろう、とデンジは思った。
――指ってすげえ感触がわかるんだな。アキの唇、濡れてる。熱い。俺の指との温度差で、刺激が走るんだ。気持ち良い……。
最後にアキはデンジの指を順番に甘噛みして、離した。
「どうだった?」
「や、やばかったあ……!」
アキはふ、と笑って、デンジの頭をさらりと撫でた。
今日もデンジの完敗である。
このように、アキの最高に美味しいご飯による餌付けと、キスによる征服は毎日繰り返し続いた。
ある日は、ピリリと辛い麻婆豆腐と味の染みた油淋鶏。そして映画を見ながら、逆さに突然キスされた。
ある日は、はちみつとマスタードのチキンと、春菊のサラダ。その後、唇を軽く甘噛みされた。
またある日は、とろりとしたチーズとキノコが乗った、煮込みハンバーグ。そして、お互いに食み合うように口付けあった。
デンジは毎日その時間を心待ちにして、そわそわするようになった。
――キスって気持ちいいな。
あったかいし、やわらけぇ。
色んなのがあるけど、やっぱ口と口を合わせんのが好きだなぁ。
アキのタバコの味と、その日一緒に食べたものの味がする。
そうするとアキと俺が、おんなじものでできてるように思えてくるんだ。
アキの唇はいつも、初めから熱い。デンジの唇は冷たいことが多いけれど、キスをするうちにアキの熱を与えられて熱くなっていった。
その過程が、デンジはとても好きだった。
自分でもそんな気はしていたが、デンジはとことん快楽に弱い体質だった。
簡単に息が上がるし、キスだけでいつも勃ってしまった。
どんどん、どんどん溺れていくようであることは、自覚している。
誰とキスしても、こんなに気持ちいいのだろうか?
自分は、快楽に抗えないのだろうか?
デンジには全然経験がないから、何もわからなかった。
そんな日々を重ねる中で、とても気になることが出てきた。
キスをしていると、アキが時折苦しそうな顔をすることだ。
それはいつも同じ表情だったので、デンジにはすぐ分かるようになった。
――俺はただ、気持ち良いだけだけど。アキは、それだけじゃないみてぇ。
デンジは胸がモヤモヤするのを感じ、ある日聞いてみた。
「アキさあ、なんで苦しそうなんだよ」
「いや、前も…………、やっぱいい。なんでもねえ」
「……なんだよ。モヤモヤすんなぁ〰︎」
――"前"……?もしかして、前世ってやつのせいなのか?
不満な気持ちで顔を顰める。
デンジはそこで初めて、自分の『前世』なるものを気にするようになった。
前世のことを聞こうとすると、アキは途端に口をつぐむ。触れてはいけない空気が漂うので、これまで深く追求はできなかった。
――"知り合い"って言ってたけど、前世の俺とアキはどんな関係だったんだろう?
きっと……今の俺とは、全然違う奴だったんだろうな。
デンジはそう考えた。前世と全然違ってがっかりしているから、アキは口をつぐんでしまうのだと思ったのだ。
そう考えると、とても悲しくなって心臓のあたりが痛かった。これまで生きてきて辛いことは沢山あったが、こういう痛みは初めてのことだ。
――前世の俺がいるから、アキはこんな俺に優しくしてくれてんだ。今の俺にがっかりし続けたら、俺は捨てられちまうのかな……。
アキに見捨てられるのかもと思うと、デンジは足元が崩れ落ちていくような喪失感と、不安感に襲われた。
もう、前のように適当なその日暮らしができる気はしなかった。見捨てられるならば、いっそアキを知る前の自分に戻ってしまいたい。
夜になって、ポチタと体温を分け合う。
その日久しぶりにデンジは、この世にポチタとふたりぼっちでいるような孤独を感じた。
「ポチタ。お前はずっと一緒にいてくれよ……」
「クゥン」
ポチタは心配そうな顔をして、デンジの口元をペロペロと舐めた。
デンジはその日、いつもよりしっかりとポチタを抱き締めて眠った。それでもやっぱり、以前のように完全に満たされることはなかった。