今日という特別な何も変わらない日夏油傑の誕生日で一番張り切るのは、恋人である五条悟である。
その張り切りぶりは高専時代より顕著であったが、二人が揃って教師になってからはなお激しく、夏油本人すら時として辟易するほどである。
だがそれは他人に知られることはなかった。悟が本来もつ気性の激しさはただひたすらに夏油傑のみに捧げられていた。
今年の誕生日は金曜日ということで、五条は過去にないほど気合を入れていた。できれば有給という名義だけ支給されているカードを夏油と二人揃って切るつもりだったのだが、夜蛾の拳骨と却下の言葉を賜っただけだった。
「……もうさぁ、酷くない?使わせてくれないなら有給があるとか言わないで欲しいよ!」
職員室で任務の報告書を書いている夏油の後ろからへばり付きながら、五条がぐすぐすべそべそと愚痴る。
今日という日は、五条が全ての情を捧げる夏油傑がこの世に生まれ落ちた1年で最も大切な日なのだ。それを全力で祝わなくてどうする、というのが五条の弁なのだが、これに同意してくれるのは二人が後見人になっている枷場姉妹だけである。
「前から思っていたけど、悟は本当に馬鹿だな」
言葉とは裏腹に甘く優しい夏油の声音に、五条はそれまでのマシンガントークをピタリと止めた。
「その代わり、土曜日はちゃんと休みが取れたんだろう?私としては、そっちのほうが都合がいいと思うよ」
変わらぬ甘い声音で言葉を紡ぐと、振り返った夏油は五条の耳元に口を寄せて囁く。
「ほら、そろそろ伊地知が迎えに来る時間だ。頑張って祓っておいで、五条先生」
するりと五条の頬を撫でると夏油はそのまま立ち上がり、いずこかへと立ち去っていった。
残された五条というと、中腰のまま硬直し、ぴくりとも動かないまま迎えに来た伊地知に発見され、伊地知を非常に怯えさせたのである。
さて、その後の五条はといえば、荒れに荒れた。
機嫌が悪いわけではなく、誘惑としか受け取れない夏油の態度に五条のリビドーが抑えきれなかったのだ。
その溢れんばかりの衝動を呪霊に叩きつけてなお抑えきれないソレに、課せられた任務を過去最速の速さで片付けた五条は、その日最後の任務の地に到着した時に任務終了次第直帰するから、と感情を伺わせない素っ気さで告げ、伊地知がなにか返事をする前に祓除を完了させ、そのまま無言で消え去った。
直帰する先といえば勿論、高専卒業後から共にしている二人の住居、愛の巣である。
部屋の中まで飛んでもいいのだが、初めてそれをやったときに、五条をして二度とするまいと誓わせるほど夏油がキレ散らかしたので、いい子に玄関に到着だ。
荒々しく玄関の扉を開けた五条は、ふわりと全身を撫でる暖かい空気と鼻孔をくすぐる味噌の香りにがっくりとその場に膝をついた。
本来ならば、それは五条がやりたかった。今日という日は朝から夜まで、なんなら明日の朝まで徹底的に夏油を甘やかして世話を焼きたかったのだ。
だが悲しいかな、高専教師兼特級呪術師にそういった我が儘が許されるはずもなく、今日の五条に許されたのは、朝食にガレットを作ったことだけだ。
気力を奮い立たせて立ち上がると、開けた時とは裏腹の静かさで扉を閉めると、しょぼくれてリビングへと足を向けた。
「ただいま~……」
塩を振られた青菜よりもしおれて帰宅の挨拶を口にする。どんなときでも、ただいまとおかえりは忘れずに。本当なら口にするのも辛い帰宅の挨拶だが、夏油との約束なので考えるよりも先に言葉が口から飛び出す。
「おかえり、悟」
愛しの夏油はキッチンで何やら作っているようだ。ダイニングテーブルの上にはカセットコンロにかけられた土鍋が。匂いからして味噌鍋なのは確定だろう。
本当に、本当に今日だけは五条自身がこれをやりたかったのだ。部屋を暖め、夏油のための食事を作り、それを惜しみなく捧げたかった。まだ高専の生徒だった頃、夏油から初めて誕生日を祝われた時からずっとずっと、あのときの歓びを夏油に続けたいのに!それを許してくれないなんて、現実は本当にクソだ。
「ほら、手を洗っておいで。その頃には鍋も食べ頃だから」
「すぐるぅ~~~」
五条の声は半泣きだ。それを夏油はくすくすと笑う。本当に可笑しそうに笑う。
夏油が笑ってくれるならもういいや。半ば自棄っぱちになって夏油の言葉に頷くと、素直に五条は手洗いうがいをしに行った。
食休みにリビングのソファに移動するなり、五条は夏油の膝に頭を乗せて半べそで今日という日の恨みつらみの言葉を綴る。本当は僕がやりたかった。夏油が産まれた今日という日を全力でお祝いしたかったと。
そんな五条の頭を撫でながら、夏油は昼間に言ったことを再度つぶやく。
「悟は本当に馬鹿だな」
「馬鹿じゃないですぅ~。傑のことが好きなだけですぅ~!」
「だって、私は悟の世話を焼くのが好きだからね。だから、誕生日だからといって、君の世話を焼くのを取り上げるのはやめて欲しいな。私の楽しみがなくなってしまう」
「すぐる……!」
「ほら、いつまでも拗ねてないで。そろそろお風呂に入ろう?髪を洗ってあげるから、機嫌をなおして」
がばりと夏油の膝から飛び上がると、五条はその勢いのまま夏油に飛びつく。
「湯船も一緒に入ってくれなきゃヤダ!」
「はいはい。湯船も入ってあげるから。着替えを用意してね。私はタオルを出しておくから」
夏油の言葉にくるくると表情を変える瞳、子供のような駄々をこねたかと思えば、年齢に相応しい包容力をもって夏油の全てを包む五条の面倒をみることは、夏油にとって最早ライフワークに等しい。それを未だに理解していないとは、肝心なところで抜けているところは出会って十年以上になるが、全く変わっていない。
「本当に、馬鹿なんだから」
夏油の声音はやっぱり甘くて、表情も本当に嬉しそうで。その表情を見ればいくら五条とて理解できたであろうか、残念ながら五条はそんな夏油の表情を一度も見たことがないのである。
特別な日だからといって、特別なことなんてしないで。私は悟と過ごす毎日が、何よりも嬉しいのだから。