ゆりかごラヴァーズカーペットの上にジャケットを脱ぎ捨て、シャツの襟を寛げながらソファに倒れ込むように座り天井を仰ぐ。
それから、深く大きな溜め息を吐いた。
「おかえりなさいませ、兄様」
「…すいません、勇作さん。お待たせしました」
「ふふ、お気になさらないでください」
床に散らばったオガタの服を広い集めながら、勇作が笑顔で答える。
「それに私は、兄様が沢山の方に祝って頂けたことが嬉しいのです」
玄関に置き去りにされたオガタのコートを手際よくハンガーラックに収納すると、パタパタとキッチンへ入って行った。
動き回る勇作を目だけで追いかけ、
(また…尻がデカくなったか…?)
などとひとしきり堪能した後、改めて深い溜め息を吐く。
今日は1月22日。
オガタの誕生日である。
何の因果か、今生でも以前と同日が誕生日となった。
自分の誕生日など微塵のこだわりもないので、オガタ自身は特に何の感想も持ってはいない。
しかし、異母弟にとってはそうではないらしい。
『兄様のお誕生日を共にお祝いする…前の生での私は、その機会を得ることが出来ませんでした。ですから、こうして今一緒にこの日をお祝い出来るのは、まるで以前の分もお祝いさせていただけるようで…格別に嬉しいのです』
そうはにかみながら、勇作は花のかんばせを綻ばせるのであった。
勇作にそう言われれば、オガタも悪い気はしない。
そもそも勇作の記憶が戻る以前も、今生では毎年互いの誕生日を共に過ごすと約束していた。
自分の誕生日についてはこだわりも思い入れもないオガタだが、勇作が毎年この日を楽しみにしているので徐々に特別に思うように変化していったのである。
(―――しかし、疲れた)
天井に視線を戻すと、オガタは苦々しい表情をする。
今回に限って当番勤務で休暇が取れなかった。
その上、仕事を終え勇作の待つ自宅へと急ぐ道中に土方や牛山といった前の生で関わりのあった面子に捕まってしまったのだ。
一時間だけ店に寄っていけと言われ、断るも押し切られ半ば強引に土方の経営する店へと連行された。
仕方なくオガタは勇作に、『すいません、一時間だけ遅れます』とメッセージを送信した。
勇作からは、『私のことはお気になさらず。楽しまれて下さい』と返信が来た。
随分あっさりとした異母弟の返答に若干モヤモヤしたものの、待たせている手前皮肉や嫌味も言えない。
言いたいことは飲み込んで、ひとまず『出来るだけ早く帰ります』とだけ送信した。
勇作の元へ一刻も早く帰りたいオガタは、あの手この手で抜け出そうと試みた。
しかし結局、他の常連客たちにも捕まり、寄ってたかって誕生日を祝われ、一時間で抜け出すことは出来なかった。
さほど呑んではいないが、心理的な疲労によりフラフラと帰宅し今に至る。
「酒を飲む口実が欲しいだけですよ、あいつらは」
「だとしても、楽しかったのでしょう?」
そう言って、勇作は微笑みながら水の入ったグラスを差し出した。
「……まあ、悪い気はしないですが」
グラスを受け取り、ゴクリと中の水を煽る。
自分の誕生を祝福されること自体は、確かに悪い気はしない。
(どいつもこいつも俺の誕生日だというのに、俺よりも嬉しそうな顔をしやがる)
前の生では考えられないことだった。
(けれど…)
と、オガタは背もたれの後ろに立つ勇作を見上げる。
「…?兄様、おかわりですか?」
屈託なく笑うその顔。
穏やかな声。
グラスを受け取る手の動きひとつ。
まるで宝物でも扱うように、自分に優しく触れる。
「勇作さん」
胸の奥の方から何やら込み上げそうになり、オガタは思わず名を呼んだ。
「はい」
陽だまりのような温もりをたたえた瞳。
もっと近い距離で見たくなり、オガタは勇作の手を引いた。
「あ、兄さ…」
吐息がかかるほど至近距離に、勇作の顔が迫る。
(勇作の…匂いだ)
体臭というほどはっきりしたものではないが、オガタの鼻を掠めるのは確かに勇作の肌の香りだった。
甘えるように鼻先を勇作のそれに擦りつけ、香りを堪能する。
「フフ…くすぐったいです」
言いながら、勇作はオガタの額に口づけを落とした。
肌に触れる唇は温かく、柔らかい。
オガタのことが大切なのだと、雄弁に語りかけてくるようだった。
「もっと…そばに来てください」
勇作は、手を引かれるままオガタの正面へと回る。
隣に座るだろうと予想していたら、オガタに向かい合う形で床に腰を下ろした。
それから、オガタの膝にそっと頬を寄せる。
「……ッ!?」
予想外の動きに、オガタは息を飲んだ。
「土方さんを始めご友人方に兄様が祝福されて嬉しい…と、いう気持ちに嘘偽りはありません。でも、私も兄様をお祝いしたくてお待ちしておりましたので…」
股の間に僅かに身体を割り入れ、膝に甘えかかる。
「…残りの時間は、ぜんぶ勇作に下さるのでしょう?」
そう言って、熱を孕んだ瞳で見上げてきた。
先ほどまでの温度とは明らかに違う。
平素の彼よりも随分と煽情的なその姿に、オガタの自己肯定感は一気に高まった。
堪能しようと勇作の顔を凝視していたところ、彼の顔が徐々に赤く染まっていく。
「…っ、申し訳ありません…私が甘えるなんて…兄様のお誕生日ですのに…」
言いながら目を逸らし、恥ずかしそうに顔を伏せた。
「お食事もお風呂も準備ができております。どちらになさいますか?」
顔を隠したまま立ち上がろうとした勇作の手を取って、強く引き寄せる。
「あ…っ」
バランスを崩した勇作が再びオガタの膝にもたれかかる姿勢になると、すかさず手のひらで彼の髪を撫でた。
「誕生日は、甘やかしていただける日…そういう理解でよろしいですか?」
「え…っ、は、はい…」
「では、先にいただきましょうか」
「お、お食事ですか?」
「いえ、」
手のひらを髪から耳、頬、そして唇へ。
ゆっくりと滑らせる。
「勇作さん、あなたを」
指先に触れた唇が音を発する前に、オガタは自分のそれで塞いでしまった。
口を開くよう舌先で促せば、吐息と共に赤い舌が露わになる。
(ああ、そうだ。これこそが)
舌を絡め取り、音をたてて吸いついけば、勇作の口から甘い声が上がった。
「…あに、さま…ぁ…」
互いの唾液が糸を引く。
顔を少し離して勇作の瞳を見つめれば、とろりと蕩けた表情でオガタを見つめた。
今瞳の中に映るのは間違いなく、オガタただひとりである。
(俺のためだけの、)
「勇作さん」
首筋に指を滑らせセーターの襟から挿し入れようとすると、その手を慌てて勇作が制止した。
「あっ…あのっ…お食事とお風呂は…」
「いただきます。風呂は一緒に入りましょう」
「え…っ」
「俺は疲れてますので。せいぜい癒やして下さいよ」
両手は勇作に握られているため、つま先で器用に彼の太腿を撫で擦る。
「そ、それは…その…」
「何を想像したんですか?」
「だって、兄様が…」
「俺は『癒やして下さい』としか言っていませんが」
「……ッ!!」
カッと顔を紅潮させる勇作を見つめながら、オガタは自分が笑っていることに気づいた。
皮肉や、嫌味を込めた笑いではない。
自然と頬が緩み、僅かに笑い声も漏れた。
そんなオガタを見た勇作も、幸せそうに顔を綻ばせる。
ただ、それだけ。
それだけのことが、こんなにも。
(この感情…これは、)
上手く言葉にすることが出来ず、オガタは目の前にある温もりを強く強く抱きしめた。