火花が散る ぱん、と激しく赤い火花が散る。
自分は、まるで花火みたいだと感じたことがある。
稲妻の永い歴史の中の、そのほんのひととき。
自分はポツリと存在する点でしかない。
「僕自身は別に誰かの記憶に強く残っていなくていい。僕が本当に大事にしたい存在が時折僕のことを思い出して、ほんの一瞬だけでも記憶の中で懐かしんでくれればそれで十分」
いつかだったか友人に話して聞かせたことがある。
その頃担当していた事件が無事に収束したが、僕は依頼人が隠していた悪事まで暴き、詳らかに事実をお日様の元へ明るみに出した。他の同心に腕を拘束されながら歩く依頼人から様々な言葉を甘んじて受けた。
依頼人にとって芳しくない結果を導いたことから、罵倒された。よくあることだったけど、やっぱりちょっとだけ感傷的になっていた夜だった。
くい、と酒を傾けながら緩んだ心地でふと溢した。
「では、拙者はお主を永遠に憶えていよう」
おや、と机に肘をついて見遣る。酒が回ってほんのりと色づいている頬から熱い温度が伝わってくる。
「その理屈だと、僕にとっての価値が君にあるって自分から主張してることになるけど」
「もちろんそうであれば良い。拙者の大事な相手がお主なのでござるよ」
「へえ!」
からかいを多分に含んでいる声色にも気がついているはずなのに、むしろ万葉は胸を張っている。堂々としていて揶揄いがいがまるでない。
万葉はまず冗談でこの類の台詞を口にしないので、本気も本気だろう。
「なんだか今日は随分と熱烈じゃないかい?」
「うむ。拙者は平蔵のことを忘れることはない」
「えへへ、稲妻の英雄にそう言ってもらえるなんて光栄な話だ。万葉こそ旅の道中多くの人と出会うでしょ?頭に留めておくべき出来事でいっぱいなんだから、容量を僕に使わないでいいよ」
「それこそ愚問。忘れたくとも、平蔵ほどの人物を忘れられるわけがないでござるよ」
この時僕が落ち込んでいたから、慰めてくれていたのだと思う。楓原万葉は僕が今まで出会った人物の中でも一等不思議な人だ。
その心根は空のように澄み渡り、彼の考え方や行動にまで現れているのだ。何事も自然と調和し、万物を受け入れる精神であろうと心身を鍛え、その結果『清廉』を体現している。何かひとつのことを志す姿勢は、同じように普段から目指す目標がある僕にとって好ましく目に写る。
そんな彼は対面する相手の心の隙間に自然と馴染む風を吹き込む。万葉と会話するうちに、彼の生来の気質から来るたおやかな風が包むように僕を癒してくれていた。
「だが以前拙者に語ってくれていた時には、早く自分の名を稲妻中に知らしめたいと言っていたでござろう?お主の声明は悪さを企む輩には特に有効なのでは?」
「うーん、僕と万葉の認識の間に若干の齟齬があるようだね。万葉の主張する内容は合ってもいるし、僕の願望もまた間違ってないよ」
「と、いうと?」
「僕は、『鹿野院平蔵』の名前を稲妻の犯罪における抑止力として機能させたい。これは今までも語ったことがあるよね?だから万葉の僕に対する見解も全く間違ってはないよ。でも僕個人に関しての情報が広まることは逆効果だとも言えるんだよね。人は自分の理解の範疇を超えるものに恐怖を抱く。小さい頃、『わがまま言うと将軍様が一太刀を下ろしに来るぞ』!!なんて言われたことない?」
「懐かしいでござるな。よく母上の寝物語に登場する台詞でござった」
「それ。例えばその悪い子供の元へやってくる怖ーい将軍様が実は娯楽小説が好きでよく嗜んでいる、とか聞くとなんとなく身近な存在に感じるでしょ?『僕個人』に関する人間味が増してしまうと、悪人は『鹿野院平蔵』も自分たちと同じ土台に立っている、取るに足らない人間だと認識して畏怖しなくなる。つまり、僕の理想とは程遠い結果を招きかねない」
「なるほど。ちなみにその例えはどこから着想を得たものでござるか?」
「宮司様本人に決まってるでしょ。まあ君のことだからわかってると思うけど、あまり他言しないようによろしくね」
近頃忍さんから聞いた話だと僕の名前もだいぶ広まってきているようだ。でも足りない。全然足りない。
こんな程度では犯罪は無くならない。やっぱりもっともっと精進しなきゃ。
「だから僕が世の中へ轟かせたいのは『名探偵、鹿野院平蔵の事績』だけだよ」
「……だからお主は」
声は続かなかった。万葉が言葉を飲み込んだその先は、言われなくてもわかる気がした。
『だから人と距離を取るのか?』
僕も負けちゃいないけど、万葉は人の機微に関してホントに聡い。君のそんなところも評価してるけど。
徐に席から立ち上がる。僕の突然の行動に、万葉はびっくりしたようにこちらを見上げた。
「そうだよ?だから君は僕の特別だってことも自覚してよね?」
先ほどのお返しに机へ乗り出して目の前の唇へ人差し指を押し付けた。少しかさついているけれど、ふに、と柔らかい。すぐに唇のきゅっと表面が引き延ばされた。
口を一文字に引き結んでさっと赤面する万葉に、僕も釣られて赤くなりながらも満足げに笑顔を返す。
お互い決定的なことは口に出さない。けれど、君からの視線はいつも身を焦がすように熱がこもっているし、僕にとっての君を定義づけても友人という枠組みには収まらないのは明らかだった。
(そんなこともあったなー…………)
ガッと飛んできた攻撃を腕で受け止める。また向かってきた相手の攻撃をいなし、手刀で意識を刈り取りつつ抜かるんだ地面に投げつけた。
緊迫した空気の中、僕は雨に打たれながら立っていた。
元々白かった制服は泥と血に塗れている。もう体で痛くないところなんてないし、視界もブレてしまってしょうがない。気道が傷ついたのかうまく息が吸えないのでヒューヒューと頼りなく掠れた音がしている。あーもう全身めちゃくちゃ痛い。
正直に言うと調査の途中でしくった。突然僕を恨んでいる宝盗団や野伏衆が結託をして襲いかかってきた。普段ならば落ち着いて対処していたけれど、間が悪かった。
子供は近くの村に預けて、自分はその場を離れた。
ああこれは死ぬかも、と感じた。神の目があるため多少一般人よりも体なり耐久性があるとはいえ、視界がグラグラと揺れて、肩で息をしている始末だ。
(直感が言うなら、そうなんだろうな)
これまでこの直感を疑ったことはない。し、裏切られたこともない。
死神の鎌が自身に振り下ろされんとしている今、思い出すのは未練という名の男のことだった。楓原万葉。こんな死の淵に立っている時にまで焦がれている相手を思い出すなんて僕も大概だ。始めに互いの気持ちに気がついたころ、さりげないようでいて繰り返されていたアプローチから、流浪人の方が想いが強いんじゃないかと踏んでいた。彼はその気持ちを隠す気がなかっただけであって、恐らく想いの大きさは僕もどっこいどっこいなのだ。
目の前の下すべき敵に集中する。僕の目的は対象の無力化であって、相手を殺さないように加減をすることは実はとても難しいことなのだ。
「……君たちを、捕縛する。これ以上の抵抗はしないことをお勧めするよ」
雨がしとしとと降る中、転がす。しばらく相手は黙っていたけど、やがてポツリと花火のようだった、と声が聞こえた。
花火、花火か。ああでも確かに。
叶うならあの日のように君と一緒にもう一度花火を見たかったな。薄い鶯色の瞳が光に照らされて、白い髪色に色が映って、それは想像しただけでもきっととても綺麗だ。
でもそんな夢想をしていても人間、いつかの日にはきっと死んでしまうので。
いつか、どこかの誰かが無事でいてくれるなら。僕の体なんてどうなってもいい。僕の志を貫くためなら、どんなに姿の見えない敵とだって闘う。悪を滅するためなら、僕は風を味方につけて、どこまでもこの名を抑止力として轟かせよう。
巡り巡って、いつか僕の大切な誰かを守ることに繋がるのなら。
うん、やっぱり僕の痕跡は何も残らなくてもいいかな。
万葉に語ったことは嘘じゃないけど、僕に関することは全部廃れていってしまうことが一番いいと思っている。『探偵』の僕のこともいつかみんな忘れてくれたらいいな。そんな恐ろしい存在を悪人が憶えている必要のない未来。誰もが平和をなんの心配もなく享受できる世界が来るといい。
それが僕が神の目線を射止めた、心からの願いだから。
「いたぞ!」
「『嵐』!鹿野院平蔵!!!覚悟ォ!!!」
敵の増援が来たようだった。これまた始めに劣らないほどの数が僕めがけて一斉に押し寄せてくる。
全く人気者はつらいよ。
「足掻くなら最後までってね」
俯いていた顔を上げて、腰に下げている神の目を手に取って握りしめた。僕が拳に込めた元素力に神の目が反応して輝いていく。指の隙間から光の筋が溢れ落ちてくる。
武闘に合わせて滴る血が散っていく。限界を超えて速度を上げたせいか、怪我のせいか、とにかく体が熱くてたまらない。
体が重い。拳を解かない。
目が潰れた。拳を解かない。
腕が折れた。拳を解かない。
息が上がって視界が赤くなってきて、苦しかったけど、それでもぐっと力強く構えを取って己を奮い立たせた。
敵を倒して倒して倒して、稲妻にいつか蔓延るはずだった悪の芽を摘み取ってゆく。
――どうせなら最期くらい彼に届くくらいの大輪の花火を咲かせて御覧に入れよう。
「君なら空に散った花の音が誰のものか、確かに聞き分けられるよね」
ザザザザ、と耳の横を風が切っていく。海の波の音に混じって不穏な気配を感じ取り、白髪に一筋朱の差す少年がふと面を上げた。
「………………? 平蔵……………………?」
甲板に出ていた少年は思わず海の向こうを見つめる。この視線の先には、自分の人生でも数少ないと言える大切なものをいくつも置いてきた故郷が変わらず……あるはずだ。
不安のような、予感のような。説明のできない胸のざわめきが止まらない。なにやら不可解な感覚に首を傾げながら、万葉は落ち着かない様子で胸の前で握り拳を作った。
ぶわわ、と下から風が大きく吹き上がり、万葉の髪を乱した。
あの時聞いた声が蘇った気がした。
『それでほんの一瞬、僕のことを思い出してくれたらそれでいいから』
おまけ。
季節は秋。とある博物館の中、一つの展示の前で2人の少年が並び立っている。
その2人の内の片側、蘇芳色の髪を持つ少年がわなわなと震えていた。
「……………………やってくれたじゃん、万葉」
「拙者の預かり知らないことでござる」
「しらばっくれようがないでしょ、コレ」
もう1人の少年は白い髪を揺らしながらそっぽを向いていた。中高生ぐらいの年相応の仕草だった。
現に平蔵がビシ、と指さす先にはその目の前には見覚えのある紙紐がガラスケースに収まり展示されていた。『寄贈元:楓原家』のパネルがある。もはや言い逃れのできない事実でしかない。
「あまり冗談言わない万葉がだよ?アポ無しに急に家に来て博物館まで連れてきてさ。それだけでも変なのに、『平蔵、お楽しみにしておくでござるよ』なんてめっずらしいこと言うから何かと思ってたんけど、まっさかこんな形で僕のこと伝わってるなんてな〜」
『付いていくと僕にとって不利益なこともあるかしれない』と囁く直感ももちろんいつも通り冴え渡っていたけれど、一体それがなんなのか解明したいという好奇心が勝った。今世も目指したい職業は探偵なので。
相手は万葉だし、変なことをされることはないだろうという信頼しての同行だった。
そこはとある人物について記録を残した博物館だった。稲妻の治安維持において多大な貢献をした歴史上の人物『鹿野院平蔵』にまつわる話を集めている。
彼の使っていた物や当時の記録、友人へとしたためた手紙などを解説付きで展示している。都内の奥まった場所にある、静かな場所だった。
「ええー……?コレの説明文とか大分主観に偏ってない?事実には違いないけどさ」
「とは言っても、拙者の行ったことと言えば家を引き取って、生家にも伺って、平蔵の周囲の人物に聞き込みをして、そういった情報をまとめたに過ぎない。拙者は本来ならば平蔵が受けるべき賞賛を目に見える形にしたまででござる。大したことはしてござらぬよ」
「それだけのことしておいてよく言う。ここのパンフで楓原の分家が管理してるのきちんと確認したから。ていうかやっぱり当時の君が主導してたんでしょ。じゃなきゃ一介の同心がこんなに取り上げられることなんて普通ないよ」
「確かに流石にここまで大きな施設を作る気はなかったでござるよ」
「冗談。君なら遺言に残しておけば達成できそうだから疑ってるんだけど」
展示を確認すると憶えている範囲での事実しか提示されていないが、なぜこんなにも規模の大きい展示となったのだろう。
死人に口なし。自然と浮かんできたけど、万葉に伝えたらきっと僕が先に死んだことについてまた色々と始まるので口をつぐむ。
人間死んでしまってはその後のことなんてもちろん知る由もないので最近知った話だが、僕が死んだ後、万葉はかなり心にキていたらしい。
今この場に2人で隣り合って立っているが、実はここに来るまでが長かった。最近の出会いから一気に仲良くなったと思えば些細なきっかけから気まずくなり、お互い避け合って周囲に発破をかけられて喧嘩で闘り合いお互いの心の内を曝け出しあって、なんやかんや和解した次の日の出来事なのである。
そんなわけなので、前述のことわざは僕にぴったりだと思ったが流石に皮肉が効き過ぎているため、精神的追い打ちをかけないように心に留めておくことにした。
ふと、一つの展示が目に留まった。
そっか、この男だったんだ。すとんっと腑に落ちる感覚がした。
今の稲妻では、まことしやかに囁かれている伝説がある。それは、『悪いことをすると風を纏った同心が拳をお見舞いに来るぞ』という言い伝えだ。稲妻では各家庭で小さい頃からそう言われて育つ。かく言う僕だって幼い頃に両親からその伝説を聞いた。だから小さい頃から疑問だった。
僕の記録活動もこの男がほとんどを占めているのだろう。きっと本人の申告通り、万葉は僕の生きた証を大切に集めて、宝物みたいに保管していた。そしてそれらをひとつの建物に纏めるように言いつけて、この博物館の基礎を作った。後の時代の人々が僕の行動を評価して僕の名を広めていった。
お陰でいくつも時間が経った今でも、『鹿野院平蔵』はその名を轟かせ、稲妻を守っている。万葉は僕の願いを叶えてくれた!
この男は最高だ!
むず、と緩みそうになった口元を指で抑える。
「平蔵は有名人でござるな」
「知ってる人は知ってるくらいの知名度だと僕がありがたかったかなあ。『偉人と同じ名前ですね』ってこれまでどれだけ聞かされたと思う?」
「それこそ冗談でござろう?義務教育で触れられる人物をそのように軽んじるとは」
「ちょっと、楽しんでるでしょ。……それで?実はまだあるでしょ?こんなに大掛かりな施設を作った理由」
「……なぜそのように?」
「僕の勘がそう言ってるから」
「……なら察しもついてござろう」
「もちろん。でもせっかくなら万葉から直接聞きたいじゃない」
「…………………………」
「へえ?」
若干の圧を掛けながら相手の答えをじっと待つ。
にやにや顔で隣の相手を覗き込んでも目線が合わない。白髪の下、ほんのりと頬を色づかせて目を泳がせている。
相手の些細だけど少し意地悪な意趣返しにも付き合ってくれる恋人が可愛い。
どんな風に答えが返ってくるかな。そんなことを考えていたら、ぐいっ!と腕を引かれた。
「っ!」
一気に距離が縮まって、互いの吐息が掛かる。そのままじっと見つめあって、やっと万葉が口を開いた。
「……………………折角ならば、愛する恋人は、自慢したいでござろう?」
「!」
やられた。そんな、恋人に向ける顔をいきなりなんて反則でしょ……。
挑戦的に口の端を持ち上げてにっと笑った。
「ほら……もうこのコーナーいいでしょ!置いていくよ、万葉!」
「な、待ってほしいでござる平蔵!」
あるいはとっくの昔に射止められていた僕の心が、やっと動き始めたのかもしれない。
昨日から変わった僕たちの関係も、これから暖かく育んで、時を永く紡いでいきたい。
「今度こそ、君と過ごす美しい体験を大切にできる人生を歩みたい。だから僕と一緒に恋をしてよ!万葉!」
「……その言葉、待ち侘びたでござる。お主とならば幾星霜、どこまででも。さあ、参ろう!平蔵!」