嬉しいって言ってほしいアジラフェル「少し思いついたことがあるんだけれど」
どうせろくなことじゃないな。クロウリーは思った。思ったけれど、聞いてやることにした。優しいからじゃない、アジラフェルの考えたことはなんでも聞きたいという欲からだった。
「なんだ」
なんでもない風を装って、アジラフェルを見つめる。ぱたりと本を閉じて、アジラフェルもクロウリーを見た。
「きみの言葉遣いの話なのだけれど」
ほらやっぱり、ろくなことじゃなかった。クロウリーは不遜で雑な表現をよくアジラフェルに咎められている。どうせそのことだ。ソファの背もたれに体重を預けてぐいんと喉を反らした。それがほとんど悪態のような意味を持つ仕草であることをアジラフェルもわかっているはずだった。だが少し自己中心的なところがあるこの天使はそのまま話を続ける。
「きみはいつもキスをすると気持ちいいって言ってくれるけれど、できれば、お願いがあって」
頭を元の位置に戻す。
「待て、なんの話だと言った?」
「言葉遣いだ。キスについて」
「そうとは言ってなかった」
「でもわかってくれたね」
満足そうな顔でアジラフェルは微笑む。クロウリーはまた喉を反らしたい気分に駆られた。だがしない。思っていたよりも面白い話のようだった。
「それで、おれの言葉遣いがなんだって?」
「そうだ、ええと…キスをしたりハグをしたり、あと身体を撫でたりするときみは気持ちいいとか興奮するとか言うけれど、わたしにはその感覚が…肉体の温かさは心地好いとは思うのだけれど、興奮は…すまない、よくわからないんだ。だからできれば、わたしにもわかる言葉で、嬉しいと言ってほしいなと思って」
「へえ?」
サングラスを外す。斜め上のお願いだった。てっきりハグするごとに愛してると言ってほしいだとか1日何回も好きだと言ってほしいだとか、それか歯が浮くような甘ったるい、クロウリーには似合わない言葉を言わせたいのだと思っていた。似たようなものではあるか。抵抗感は少ない。しかし想定外だった。
「おかしいかな」
相槌のあと少し黙り込んだクロウリーを、澄みきったペイルブルーがやや訝しげに覗き見る。こういうことの知識に関してはクロウリーの方が上手だと思っているのだ。そんなこともないのだが、ということをわざわざ教えてやる必要も無いので、クロウリーはアジラフェルから質問されたことを都度調べている。今回の場合は映画やら音楽の歌詞やらパブで聞きかじった痴話喧嘩の記憶を総動員した。
「まあ、そうだな。あまり聞かない」
クロウリーが知っているのはキスやハグの先、セックスの話だったが、大きく問題は無い。たしかにベッドの上ではダーリンとかハニーとかじゃなく名前を呼んでほしいだとか、過ぎる言葉責めは嫌だとか、そもそもあんまり喋らないでほしいとか、そういった内容なら覚えはあるが快感を表現する言葉に言及するような内容は無かった。まあでもアジラフェルは天使だし、性欲は無いし無性だし、クロウリーは悪魔だし、そもそもキスとハグと、ごく軽いペッティングしかしていない。だからそういうこともある。眉尻を下げたアジラフェルに微笑みかけた。
「聞かないが、おかしくはない。おまえがそう言うならそうする」
「そうか! ありがとう、嬉しいよ」
ぱっとアジラフェルの顔が輝く。アジラフェルの顔はくるくると表情が変わって見飽きない。悪魔を6000年釘付けにしてきたくらいだ。嬉しいという言葉が似合う、うっとりと甘い微笑みに見蕩れていると、うっとりと甘い誘惑がクロウリーの耳に注ぎ込まれた。
「それじゃあ、今夜にでも」
思ってたより早いな。
「ああ、もちろんだ」
だが、断る理由は無い。クロウリーはアジラフェルの柔らかな頬に口付けを落とした。
「きっと断られるだろうと思っていたんだ」
服を脱がされ、両手を捕まえられ、くったりと全身を脱力させてベッドに沈み込むクロウリーの首筋にアジラフェルはそっと唇をつけた。
「こ、とわるわけ、ないだろ」
ひくりと細い喉が揺れる。きっとこんな風に主導権を明け渡すのは本意ではないはずなのに、クロウリーはいつも、特にこうした触れ合いに関してはアジラフェルの頼みを聞いてくれた。
「うん。ありがとう」
すっかり熱って赤らんだ肌が愛らしくて、そのままつうと舌を伸ばす。悪魔の汗は天使には甘い。舌全体でべろりと舐め取ると、びくり、ほとんど跳ねるように喉がまた揺れた。
「舐められるのは好き?」
唇を肌にくっつけたまま、皮膚に響かせるように尋ねる。閉じられていた薄い瞼がゆっくり開いて、金色の瞳がアジラフェルを映した。
「ッぅ、……す、きだ」
聞かずとも分かる問いかけをしたくなってしまうのはきっと、アジラフェルの強欲さ故だ。枕に深く埋められた頬をすくい上げて、正面から目を合わさせる。蕩けた金の瞳と目が合って思わず口角が上がった。再び首筋に口を近づけ、筋肉のふくらみに舌を這わせる。
「嬉しい?」
喉が反って引き攣った声が漏れた。
「っく、ン…♡」
目尻をなぞって頬を撫でて、もう一度尋ねる。
「クロウリー、嬉しい?」
問いには答えず、くぅ、と喉だけが鳴る。普段のアジラフェルなら、気持ちいいの?、興奮してる?、よかったら頷いて、とそれだけで済ませていた。だが今日はどうしても「嬉しい」が聞きたい気分なのだ。耳の下、薄い皮膚に口を付ける。
「言って」
低い響きにびくりと肩が跳ねて、白目が金に染まっていく。瞳はクロウリーの肉体の中で最も好きな部位のひとつだったが、こんな風に蕩けかけの淡い金は特に好きだった。じわじわと金が濃くなって、アジラフェルを捉えた。
「ぁ……ぅ、うれし、…♡」
恥じらいと躊躇いと、たしかな喜びの篭もった声に胸が焼けるような心地がする。思わずほうと息を吐いた。やってよかった。アジラフェルは心の底から思った。頼んでよかった。断られなくてよかった。また次もこうしたい。きみに嬉しいと言ってもらえることが、わたしはほんとうに嬉しい。
顎を支えて上向かせ、唇と唇を合わせた。柔らかな肉を舌で撫で、唾液を味わう。歯のエナメル質のなめらかさを堪能しようと思ったところで、思い出した。唇を離す。
「すまない、キスを、」
「ッ、ばか」
後頭部をぐっと掴まれて引き寄せられ、再び唇が合わさる。歯も少し当たった。馬鹿だとは心外だ、キスは嬉しいことなのかを彼の口から聞くことと、キスの同意を取ることを忘れていたから離しただけだ。だが口が塞がれているから聞けない。ぎゅっと閉じられた瞼の下が見られないことを惜しみつつも目を閉じた。彼の薄く長い舌が口内で探し物をするみたいに忙しなく蠢く。甘い唾液にやわい刺激、心地好い温度にアジラフェルの心はうっとりと解けていった。激しい舌使いはやがて穏やかになり、舌の裏側をゆっくりとなぞってから、離された。
「ッ、くろうりー、」
「いいか、」
キスをしてもいいかと、と説明しようとした口をごつりと額と額をぶつけられることで塞がれる。痛い、という抗議もクロウリーの荒い息で遮られた。
「いいか、エンジェル。アジラフェル。キスしてるときに話を始めようとするな」
「でも、聞きたいことがあって」
「わかった。今から言うから、キスするときだけは途中でやめるな。わかったな」
ほとんど脅しのような圧でクロウリーはそう捲し立てて、ひとつ息を吐いた。
「キスは、…好きだ、それに、あ〜……ぅ、うれしい。だから…わかるだろ。途中で、やめるな」
なんてかわいいんだろう。アジラフェルは言葉を失った。好き、嬉しい、と言うところで目線がずるずると流れてしまうところもいじらしくてかわいらしい。キスが好きで、されると嬉しいから長くしていたい、やめないでほしいだなんて。なんてかわいいんだろう。
よかった。なんとかそれだけ言って、もう一度彼の頬に手を当て、額を合わせ、流れ落ちた視線をアジラフェルに向かせる。
「もう一度しても?」
答えは分かっている。
「聞くなよ」
「聞きたい」
譲らないぞ。アジラフェルの意志は固い。ちゃんと言葉でクロウリーの気持ちを聞くためにこうしてここにいるのだ。教えて、と囁いて先程してもらったように鼻先にキスをすると、低く喉の奥で唸って。
「っ、もう1回、キス…してくれ」
最高だ。お願いしてよかった。受けてくれてよかった。じんとした喜びが胸を熱くさせる。全身に染み渡って指先を痺れさせる。
「ああ、もちろん…嬉しいよ、クロウリー」
さっさとしろ、とまた額をぶつけられる前に唇を合わせる。しかし我慢をさせていたらしく、唇の柔らかさを味わう間もなく舌が差し込まれた。クロウリーは相変わらずキスの間目を開けてくれない。蛇のように器用にアジラフェルの口内を這い回る薄い舌のここちよさに目を細める。あとでどんな風にされるキスが好きかを聞いてみよう。アジラフェルはクロウリーの匂いが好きだ。嬉しいと体温が上がって、彼の匂いが強くなる。キスをしているときも匂いは強くなる。だからそれを匂いも、それから唾液も熱もなにもかもひとかけらも取り逃さないように、舐めて、啜って、少しだけ齧って、覚えておく。
「ん、ン…んッ……ふ、ン…♡」
この、吐息混じりの甘えた声も。頬を支えていた手が後頭部に回り、髪を混ぜて撫でつけてを繰り返す。アジラフェルはこれも好きだった。甘やかされている感じがして嬉しくなる。だからお返しをしてやる。お互いやわやわと髪をかき混ぜながらキスを続けていると、不意にびくりと彼の腰が跳ねた。軽く目を開けてクロウリーを伺うが、きゅうと目を閉じて、まだキスを止める気配は無い。ならいいか。そのままキスを続けようと口に溜まった唾液を飲み下すと、驚かせたのか口が離されてしまった。
「どうかした?」
「おまえ、これ、」
「これ?」
「ぺ、ペニス……」
なんで、とキスに蕩けた瞳が聞いていた。なんでもなにも、とアジラフェルも首を傾げる。
「きみがこうしてくれたんだよ」