渡されたのは決定項目がざっと並んだ1枚の紙だったけれど、プロデューサーがまとめてくれたそれは手の平が汗ばむ重みを持っていた。人気作の続編への出演は、端役とはいえプレッシャーがある。役をもらうことは前もって決定時に知らされていたが、改めてキャストや顔合わせ日などの連絡をもらうと萎縮してしまう。それでもプロデューサーから推薦してもらい、監督や関係者にも価値を認められて出演できるというのは嬉しかった。
「この役、ほんとに僕がやるんだ……」
学生役なら事務所内にいくらでも適任がいるだろう。演技が抜きん出て上手いわけでもなく、アイドルとしても知名度はまだまだなのに、個人で仕事をもらえる事の大きさに思わずため息をついた。
プロデューサーはソファに座る百々人の前に差し入れだという洒落た焼菓子の箱を起き、自身はコップに残っていたアイスコーヒーを煽り飲み切った。カバンの中とデスクを何度か確認して持ち物をまとめると、充電コードに繋いでいたスマホもポケットにしまう。
「美大生役には油彩の知識があるのはかなり強みでしたね」
「全然上手じゃないのに」
「今回必要とされてたのは物の扱いや基礎を知っているかどうかですから。それに私は百々人さんの絵、上手だし好きだなって思いますよ。じゃあレッスン、頑張ってください」
「うん……ありがとう。ぴいちゃん気をつけてね、行ってらっしゃい」
「はい、行ってきます」
ドアが閉まり階段を降りる足音が遠ざかると、アイスコーヒーを注いだグラスを両手に天峰が入れ違いで戻ってきた。プロデューサーが出て行った扉をぼんやり見ていた視線を戻すと、天峰は早くも菓子箱を開けて中を吟味している。
「早くスクリーンで先輩の演技見たいな、絶対公開初日に行こう。鋭心先輩も誘いましょうね」
「それ僕も行くの?」
「そうですよ。完成試写会はあるでしょうけど、俺たちとも見てくれないと。はい、めちゃくちゃおいしそうですよこれ」
レーズンのたっぷり入ったパウンドケーキを選んだ天峰が、箱ごと百々人の方へ押しやる。中身が半分ほどに減っている中で、シンプルなクッキーが目に留まった。豪華なものの方が人気があるのか、少し小さめなそれはまだ数が残っていたため特に考えずにそれに決める。
天峰は一口齧り、想像以上においしかったのかパウンドケーキから目を離さないまま焼しそうに咀職する。
「でも鋭心先輩、何も言わなくても初日に行くんじゃないですか?前作も円盤
持ってるって言ってましたし」
「あー、言ってたね。……僕も一作目、見ておかないとなあ」
あまりエンタメを見る習慣がないのもあり、ライブが落ち着いてから見ようと後回しにしてしまっていた。出演の話が出た時に眉見から家にディスクがあるという話は聞いたが、それを借りるとか見に行くとかそういう話まではしていない。
配信もされているようだが、これを口実にして眉見の家に遊びに行きたいというのが本音だ。前に三人で映画を見たのはだいぶ前になる。
一緒に映画を見ること自体は歓迎してくれると思うのだが、自分から家に行きたいと口にするのはすこし気恥ずかしい。言い出すタイミングを掴めないでいたが、そろそろ本当に見ておかないと顔合わせ前に慌てて見ることになってしまう。
いつ誘おうか、どう言いだそうかとぐるぐる考えていると、階段を上る音が聞こえてきた。静かに淡々と一定間隔で刻まれる足音は聞き慣れている彼のものだ。
ドアを開け顔を覗かせたのは予想通り眉見だった。よほど道中が暑かったのか、汗で前髪が額に張り付いている。
「おはようございます。.......二人だけか」「おはよう、マユミくん」
「おはようございます。プロデューサーもさっきまでいたんですけど、入れ違いですね。あ、冷蔵庫にアイスコーヒーありますよ」
「ああ……いただこう」
カバンを置いて取り出したハンカチで汗を拭うと、コーヒーを取りに一度給湯室に消える。その背中を見送りつつ、眉見が戻ってきたら前作について切り出そうと決めた。話の流れで家に見に行きたいと言ってしまえれば一番いいのだが、それだと結局言えないまま逃げてしまいそうだったから、誘うきっかけにするために自分の中で賭けをする。眉見が戻ってきて、もし向かいの天峰の隣ではなく自分の隣に座ったら、誘ってみる。だから、隣に座ってくれたらいいなと思う。
コーヒーのグラスを片手に戻ってきた眉見がどうするのか、見ていないふうを装いながらも全身の神経を集中させてどちらへ座るのか固唾を飲んで見守った。
「秀はパウンドケーキか。百々人はどれにしたんだ。……百々人?」
そうして、当たり前のようにすぐ隣に腰を下ろされてソファが僅かにそちらへ傾ぐ。外が暑かったからか肌で感じてしまえそうな距離にあるその体温にひどく嬉しくなって思わずほおが緩んだ。座る位置はいつも決まっているわけでもなく、外す確率だってあった。外したって映画を見に行きたいとは結局理由をつけて切り出しただろうけど、隣に座って欲しいというちょっとした願いを叶えてくれたことが嬉しい。
「ううん、なんでもないよ。僕はクッキーにした」
「ああ……コーヒーにも合うな。俺もそうするか」
たくさんある中から同じ種類のクッキーを手に取る。もし隣に座ってくれたら、どころじゃない。緩んでしまう顔を誤魔化すようにクッキーをかじりコーヒーを飲む。甘さをすっきりと洗い流して軽くするその二つは確かに相性が良かった。
「マユミくん、あのね。今度のオフなんだけど」
誘う後押しは必要だったけれど、いざ誘った時には断らないことを知っている。
もしよかったら、なんて言わなくても歓迎してくれるだろうその優しさに、今日も甘えていいだろうか。