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    awaawaburo

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    awaawaburo

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    風信←慕情っぽい何か。オタクなら(きっと)みんな大好き例の短歌をもとにしています。
    ※モブ出てきます(台詞あり)
    ※記憶喪失ネタ、女々しい慕情注意
    ※ご都合主義グッズ出てきます

    自分の書きたいところだけ書いたら満足してしまって収拾のつかなくなった乱文を供養します。中途半端なところで終わっているけど、終わりまでのビジョンが長すぎて見えなくなりました。

    しのぶれど※何でも許せる方向け



     ずっとずっと、恋をしていた。
    …ずっとずっと、隠していくつもりだった。


     人は誰しも秘密を持っている。今は神の身ではあるが慕情も例外ではない。神官で、かつ800年以上も生きていれば尚更だ。知られてもなんともない些細なことから、神界のどろどろとした知りたくなかった事柄まで大小様々な秘密を抱えて生きている。
     その中にたった1つ、慕情には墓場まで持っていくと決めた秘密があった。
     それは小さな小箱。見た目は精巧な寄せ木細工だが、地味であまり印象には残らない。掌におさまるくらいの小さな小箱だ。
     この小箱には、慕情の恋が入っている。


    しのぶれど


     会合が終わったざわざわとした空気の中、この場に残る理由もない慕情は退出するべく門へと向かった。次の任務や霊文殿からの依頼について考えを巡らせていると声がかけられた。
    「玄真!少しいいかな?」
    「裴将軍?何か御用ですか。」
    「いやいや、大したことではないんだがね……」
     手招きされて近くへ寄ると明光将軍裴茗はちらりと周りを見てから慕情に囁いた。
    「…………恋の悩みでも?」
    「……っ何ですか、急に。」
    「会合での君を見ていたらふと思っただけだ!恋愛の神の勘、とでも言っておこうか。」
     ぱちんと嫌味なくらいに綺麗なウインクをこちらへ寄越した裴茗に、じとりと重たい視線を向ける。
     奥底に隠したはずのかの気持ちが、恋愛の神には筒抜けなくらいに大きくなっているのか?彼のことだから本当に勘で言っているに過ぎないだろうが、さすがは百戦錬磨の恋愛の神だ、と心の中で悪態をついた。動揺を悟られないように強く拳を握りしめ、大きく息を吐いた。
    「……お話はそれだけですか。任務がありますので失礼します。」
    「おや、つれないな。……何かあればいつでも相談に乗ろう!」
     裴茗の声が背中から追いかけてきたが、“何か”なんてありえない。

     この恋はずっと隠していくのだから。

     始まりは800年前まで遡る。



     華やかな皇城から遠くはない、ひっそりとした裏路地に太蒼山から下山してきた慕情はいた。目敏く慕情の姿を見つけた近所の子ども達が、わっと喜びの声をあげて「哥哥、哥哥」とまとわりついてくる。
    「慕情哥哥、見て見て!これね、もらったの!くれたおじちゃんが気持ちをすいとる箱って言ってた!嫌なこととかをね、これに言うと忘れられるんだって!」
     その子ども達のうちの一人が見せてきたものと話の内容に慕情は眉根を寄せた。子どもの手に乗せられていたのは小さな寄木細工の箱だった。精巧な細工ではあるが地味で目立たない。どこかの奇特なガラクタ商人から貰ったのだろうか。
    「……見せてもらってもいいか。」
    「うん、いいよ!」
     はいどうぞ、と渡された小箱を静かに観察する。小箱は軽く、中には何も入っていないようだ。じっと集中してみるとほんの僅か、邪気を感じた。邪気とも呼べないほどの「いやな気配」程度のものだが、純真な子どもの傍に置いておくにはふさわしくないものだろう。“くれたおじちゃん”とやらはどんなつもりで子どもにこれを渡したのか。邪気には気づいていなかったのか?それとも、わざと渡したのか。
    「これをくれた人というのはどこにいた?」
    「えーっとね、あっちのお化け屋敷だよ!お化け屋敷のおじちゃんって呼んでるの。哥哥お化け屋敷知らなかったっけ?」
    「一緒に行く?探検する?」
    「面白いよ!」
     わいわいと子どもたちが話し出すのを制して慕情は言った。
    「いや、分かる……お前たちはここにいなさい。」
    「なんで!?一緒に行きたいよぅ。」
    「つまんないのー。」
     思わずため息が漏れる。お化け屋敷―――没落した貴族の空き家に嬉々として入り込む子どもたちには後で「危ないところには行かないように」と釘を刺しておかなければ。
    「それと、この小箱は少し悪い気がついているから……そうだな、これは“お化けの箱”だ。綺麗にしてきてあげるから、少し預からせてくれないか。」
     少し脅かすような言葉で伝えると、途端に子どもたちの顔に怯えの色がはしった。
    「お、お化けの箱?」
    「お化けさんが入ってるの?やだ!」
    「お化けさんいらない!それ、哥哥にあげる!」
     きゃあきゃあと声をあげながら子どもたちはあっという間に散っていった。残されたのは、小箱と慕情のみ。素直……というか現金な子どもたちの反応に再び慕情は息をはき、そして邪気の理由を探りに「お化け屋敷」に向けて歩きだした。

     少しの後、古びた貴族の屋敷の門の前に慕情はいた。ざっと見渡したが子どもたちが言っていたような怪しい者はいないようだ。屋敷の中に探しに行くか?いや、そこまでするほどのものでもない……無駄足だったか、と踵を返したとき背後から声をかけられた。
    「おや、その小箱……お前さんのところに渡ったのか。」
     慕情はばっと振り向いた。さっきまで誰もいなかったはずの門のところに、着古した道衣をまとった老人がいるではないか。その老人はにやにやと気味の悪い笑みを浮かべてこちらを見ている。
    「……誰だ。」
    「はは、子どもたちから聞いただろう。“お化け屋敷のおじちゃん”だよ。」
     人としては薄すぎる気配に慕情は鋭い視線を向けた。この様子では小箱に漂っていた邪気のことは知っていたに違いない。
    「貴様、道士か。この箱が邪気をわずかだがまとっていると知っていて、子どもに渡したのか。」
    「おぉ……怖い怖い。そう、邪気のことは知っていた。子どもに渡したが……本当に渡してみたかったのはお前さんだ。無事に渡って良かった良かった。」
    「私に?どういうつもりだ。」
     慕情は気味が悪くなりこの場で小箱を叩き割ってやろうと思ったが、老人の次の言葉に思わず手が止まった。
    「お前さん、いつも我慢ばっかりなんじゃないかと思ってなぁ……その小箱に不平不満や相手に言えないことを打ち明ければ吸い取って消してくれるんだ。……気持ちが楽になるぞ?“鍵”となる言葉を決めれば何を箱に吹き込んだかは分からなくなるしなぁ。まぁ、ただの年長者のお節介と思えばいい……」
    「……」
     やけに優し気な言葉に思わず手の中の小箱に目を落とす。途端に細い路地に突風が吹きつけて慕情は強く目を閉じた。ごうごうと風が耳元で鳴り響く。
     はっと次に目を開けたときには、門の前に誰の姿もなかった。

     太蒼山の皇極観に戻った慕情は、小箱を前に珍しくぼんやりとしていた。頭の中を主に占めているのはあの老道士に言われたことだ。
     (「お前さん、いつも我慢ばっかりなんじゃないかと思ってなぁ……その小箱に不平不満や相手に言えないことを打ち明ければ吸い取って消してくれるんだ。……気持ちが楽になるぞ?……」)
    「我慢に不平不満、相手に言えないこと……か。」
     つん、と小箱をつつく。持って帰ってくるまでに何度も壊してしまおうと思ったのだが、どうにも老人の言葉が耳に残って部屋まで持ってきてしまった。
     確かに、我慢をしていないわけではない。自分の立場の低さや力量不足を心の中で嘆いたことがないわけではない。相手に言えないことは……それこそたくさんある。けれどもそれは自分で努力して修練して、乗り越えていくものだと思っている。こんな箱にうつつを抜かすよりも修練に励んだほうがよっぽど生産的ではないか?
    「お前の出番は無さそうだ。」
     ふん、と鼻を鳴らして慕情は小箱を小物いれに放り込んだ。ことり、と音を立てて小箱は転がった。

     しばらくの間、慕情は地味な小箱のことや怪しい老人のことなど忘れていた。上元祭天遊の練習でそれどころではなくなったのだ。毎日のように太子殿下・謝憐や護衛の風信と額を突き合わせ、ああでもないこうでもないと演武について論議をかわす。謝憐ときたら、議論が白熱してくると身なりにかまわず裸足でも床や地面に降りて実演を始めるので、止めるのが大変だった。彼の美しい上等な衣装が泥で汚れたり破けたりしたら、誰が洗濯をして繕うと思っているのか。ため息を吐きながらも充実した時間を過ごしていたし、三人で意見を交わすことは楽しかった。
     その日、謝憐は皇宮に顔を出しに行くため不在にしていた。護衛の風信も謝憐に付き添っていったので、慕情は一人だった。謝憐の部屋を片付けながら、皇極観の門で二人を見送ったときのことをふと思い出す。美しい衣の袖を大きく揺らしてこちらへ手を振る謝憐に小言が出そうになるも、謝憐の隣からちらりと向けられた薄茶の視線になぜだか縫い留められてしまった。
     あの視線を思い出すとずきりと胸に痛みが走る。このところずっとそうだ。理由は、分かりたくないが分かっている。
     謝憐の冗談に笑う横顔や、弓の訓練の最中の真っすぐな視線。自分とは正反対の太陽のように明るくて、馬鹿みたいに素直で忠誠心の強い風信を眩しく、時には疎ましく思いながら、自分には無いものばかりの彼に惹かれていく心は抑えられなかった。
     普通の男女であれば、ここで相手に気持ちを告げるなどして何がしかの解決を得ることができるのだろうが、自分たちにそれは当てはまらない。男同士だし、まず慕情は道士の修行中の身だ。それに普通に話しているつもりでも、いつの間にか言い争いや喧嘩に発展していて風信に良く思われていないことは感じている。相手に嫌われているのに想い続けるなど不毛だ。こんな感情は道士の身に必要ないのだから、さっさと忘れてしまう他ない。
     (……そう、忘れてしまえ。相手に言えないこんな気持ちなど……)
     何度もそう思ってきたが、簡単に忘れられるものではなかった。しかしこのままでは修練にも悪い影響が出そうで、慕情は密かに焦りを覚えていた。
     ふと、記憶の隅に何かが引っかかる。
    「……相手に、言えないこと……」
     ぱっと顔をあげると、慕情は身を翻し早足で自室へ向かった。

     自室に戻った慕情は、最近ほとんど使った記憶のない小物入れをひっくり返していた。物が少ないため、探していたものはすぐに見つかる。ころり、と手のひらに乗せたのは地味な寄木細工の小箱。以前怪しい道士崩れから近所の子どもたちを経由して押し付けられたものだ。記憶の底から言われた言葉を思い出す。
     (……その小箱に不平不満や相手に言えないことを打ち明ければ吸い取って消してくれるんだ。……気持ちが楽になるぞ?“鍵”となる言葉を決めれば何を箱に吹き込んだかは分からなくなるしなぁ……)
     今思えば怪しすぎる言葉だ。こんなもの、さっさと捨てるべきだったのだろうが、風信に向ける気持ちと同じくぐずぐずと持っていて結局小箱は自分の手にある。慕情は戦いを挑むような鋭い視線で掌の上の小箱を見つめた。すると不思議なことに小箱からカチリ、と音がして蓋らしきところに隙間ができた。箱から何か反応があると思っていなかった慕情はひゅっと息をのんだ。ここに言葉を吹き込めということだろうか?あまりにもタイミングが良すぎないか?本当に使っていいものなのか?何かの邪法なのでは?
    ぐるぐると思考がめぐるが自分の言葉を待つように開いた隙間は「さぁさぁ気持ちを吐いてしまいなさい」とでも言っているようだ。じわりと手に汗がにじむ。
    「鍵の言葉を……とか言っていたな。」
     決定的な言葉を口にするのを先延ばしにしたくて、言い訳がましく呟いた。
     小箱を机に置き、口元に手をあてて考える。鍵の言葉は何がいいだろうか。“鍵”なのだから絶対に分からないかありえない言葉でないといけない。ありえない言葉でいいなら、少しくらい夢を見てもいいだろうか。「風信からの告白」、とか。慕情は自分の脳裏に浮かんだ女々しすぎる思考に笑えてきた。でも、これなら絶対に秘密がばれることはない。風信が慕情を好きになることなどありえないのだから。
    「この箱の前で、あいつが……風信が、私に……愛の言葉を囁くようなことがあったら、この箱に捨てる気持ちを全部戻してくれ。」
     そんなことは未来永劫ないだろう。鍵にするには丁度いいが、それが少し悲しい。小箱の隙間に顔を近づけて囁くと、どういう仕組みか分からないがまたカチリと音がした。どうやら鍵の言葉を認識したらしい。後はこの恋心を捨てるだけ。わずかに震える手で小箱を持ち上げる。息を吸って―――
    「……す、」
     ドンドン、と部屋の扉が叩かれた。心臓が飛び出るくらいに驚いた慕情は思わず口を押えた。手の中から小箱が転げ落ちて、床にぶつかり音を立てた。
    「慕情!今手が空いているか?書庫の整理で人手が必要なんだ。来てくれないか?」
     師兄の声だ。
    「……はい、今行きます!」
     床に落ちていた小箱を拾って答える。さっきまですこし開いていたはずの蓋はいつの間にかしっかり閉まっていた。
    「あ……」
     思わず声が漏れる。結局、この恋は捨てられなかった。しかしもう小箱にかまっている時間はない。師兄に呼ばれているのだ。慕情は再び小箱を小物入れに放り込むと、部屋の扉を開けて師兄のもとへ急いだ。
     そして数年のうちに慕情を取り巻く環境はめまぐるしく変わり、愛だの恋だのと言っていられる余裕は無くなった。あんな小箱の力など借りずとも忘れられる、とぎゅうぎゅうに押し殺して閉じ込めた恋心は、忙しさと……そして、戦火と動乱のなかで砕け散ってしまった。

     慕情が「玄真将軍」として、風信が「倶陽将軍」として飛昇し、共に南方を護るようになっても二人の関係は仙楽国のときとそう変わらず、凪いだものだった。時折殴り合いの喧嘩をして周りの神官達を驚かせたが、そのうち「玄真と倶陽は仲が悪い」という一言で全て片付けられるようになってしまった。
     慕情も同じ場所にいられるならそれでいいと思っていた。言い合いをしているときの、こちらを射抜くようなあの視線も悪くない。昔々に砕け散った恋心は未だに捨てられず心の底に秘めている。押し殺しすぎて、恋心の破片が粉々になっても手放せはしなかった。

     玄真殿の倉庫として使われている古い蔵の隅にちょこんと置かれている寄木細工。誰のものか、何が入っているのか、誰も知らないが捨てられずにそこにある。慕情は何百年もの間忘れていたが、小箱はずっとそこに在った。蔵の高い窓から月の光が差し込み、そっと小箱を照らす。霊気や法力の満ちた天界に何百年も置かれ、陰の気が強い月光を定期的に浴びていた小箱は、誰にも知られることなく少しずつ力を増していった。
     そして800年の歳月が流れる。



    (「…………恋の悩みでも?」)
     会合の後、裴茗から言われたことが慕情の頭から離れない。そんなことを聞かれてしまうくらい、顔色に出ていたのだろうか。彼が恋愛の神だからか?顔に出てしまっていたのは今日だけ?それとも……

     自殿にて任務のために下界に降りる準備を始めようとした慕情は、思い立ったように今はほとんど使われていない古い蔵へ足を向けた。何かが、呼んでいる気がする。
    「玄真将軍?お探し物でしたら代わりに承ります。」
    「いや、自分でいく……下がって良い。」
     蔵の近くで部下が声をかけてきたが慕情は断った。重厚な扉を開け、昼間でもひんやりと薄暗い蔵の中をするすると進んでいく。導かれるように到着したのは蔵の隅。
    「……これは……」
     “それ”を手に取った途端に大昔の記憶が蘇ってきた。
     近所の子供たち、怪しい道士崩れ、寄木細工の小箱、人に言えないこと、開いた蓋の隙間、鍵の言葉……
     記憶の底から引っ張り出された言葉の濁流に、思わず吐き気がして口元を抑える。静かに息を吐いて気を鎮めると、慕情は小箱を改めて観察した。昔は非常に薄い邪気をまとっていたはずだったが、長い年月を経たためか何の気配もない。しかし昔この小箱に不思議な力があったことは確かだ。こっぱずかしい「鍵の言葉」も思い出してしまったのでそのままにも出来ず、慕情は小箱を自分の袖に入れた。
     (……その小箱に不平不満や相手に言えないことを打ち明ければ吸い取って消してくれるんだ。……気持ちが楽になるぞ?“鍵”となる言葉を決めれば何を箱に吹き込んだかは分からなくなるしなぁ……)
     思い出した道士崩れの言葉に、ふと考えがよぎる。
    「この小箱、今も使えるのか……?」
     ぽつりと漏らした言葉は、玄真殿の隅で空気に溶けた。

     数日後の夜。恙なく下界での任務を終えた慕情は、書き上げた報告書を部下に託すとさっさと自室に引き上げた。
    (……疲れた。)
     ぐ、と伸びをしてため息をつく。大した内容の任務ではなかったが、天界に戻ってきてからばったり風信に会ってしまったのだ。懲りずに言い合いになり、また大通りに穴をあけるところだった。近くにいた霊文殿の文官を巻き込んで危うく大けがをさせるところだったし、巻物が散らばって道は散々な有様だった。それに、数日前に見つけた小箱のことも気にかかっていた。鍵のかかった引き出しを開けて、小箱を取り出す。何百年も前の記憶だと、何もせずとも「さぁどうぞ」と言わんばかりに蓋が開いたのだがどうしたものか。手の中におさめた箱をじっと見つめていると、どんどん、と部屋の扉が叩かれた。返事をする前に扉が開かれ慕情は入り口に向かって怒声を浴びせた。慕情に対してこんな不躾な振る舞いをする者は一人しかいない。
    「風信!返事が返ってくる前に扉を開けるな!」
    「なんだ、着替えでもしていたのか?違うだろ?……急ぎの書状だ。南陽殿宛のものの中にお前宛のが紛れ込んでいた。」
     ぽい、と巻物を投げ渡され受け取るが、全くこちらの話を聞かない風信に慕情は白目をむいた。脳内には罵詈雑言が溢れたが、ここはさっさと追い返してしまうのがいい。
    「ふん、常識と礼儀の話だ!書状については南陽将軍直々にご足労いただき感謝する。おい、それを置いて早く戻れ。」
     しっしっと犬を追い払うように左手を振ったが、風信は立ち去らずにこちらを見ている。その目が自分の右手に向けられているのに気づいて、慕情はどきりとした。
    「その箱は何だ?随分古そうなものだな。」
    「た、ただの貰い物だ。お前には関係ない!だからさっさと書状を置いて帰れ!」
    「急ぎのものだからと折角持ってきてやったのに、その言い草は何だ!?……貰い物?お前に物を贈るなんて奇特な奴もいたもんだな!」
    「こっちは持ってきてくれなんて頼んでない。善意の押し売りはやめろ!」
    「なんだと!?」
     大昔なら、謝憐にしりとりを始めさせられているところだ。しかし謝憐はいない。さっきも言い合いをしたばかりなのに回る舌は止められず、口論は激しくなっていった。お互い手を出さなかったのは奇跡と言える。
    「くそっ……何でこんなに性悪な奴と何百年も南方を護らなきゃならないんだ!」
    「……っ!!」
     先日の裴茗からの指摘でぐらついていた心に風信の言葉が突き刺さる。あ、と思った時には胸の奥が引き絞られるように痛くなり、そして何かがせりあがってきた。
    「出ていけ!!」
     握りしめていた小箱が床に落ちたのにも気づかず、風信を思い切り突き飛ばして部屋から追い出すと、急いで音を遮断する陣と他者の侵入を阻む陣をはる。
     一個人としては嫌われている自覚はあったが、武神としての自分は認められていると思っていたからそれで構わなかった。二人で南方を護り、平和をもたらしていることは慕情の誇りでもあったのに。じわりと熱いものが目頭に溜まる。
     (……しかしどうやらあいつは違ったらしい。)
     緩慢な足取りで床に落ちていた小箱を拾う。落とした衝撃か、はたまた何か別の意思か分からないが小箱の蓋が少し開いていた。大昔、同じように小箱の蓋が開いていた時のことを思い出す。そう、確かあの時は鍵の言葉を決めた後に師兄に呼ばれて何もできなかったのだ。あの時、師兄に呼ばれなければこう続けるつもりだった。
    「……好きだ。風信のことが好き。あ、愛している……」
     でも、
    「……でももうこんなものいらない。意味がない!あいつは私のことを嫌っているし、隣に立つことさえ許されない……こんな気持ち、忘れてしまえば楽なのに!」
     祈るように叫んだ言葉に小箱がガタリと揺れた。涙で揺らぐ視界で見ると、蓋の隙間から雲のような“何か”が出てくる。それと同時に小箱から急激に邪気が溢れてきた。出てきたそれにぐるりと取り囲まれ、まずい、と思ったが、時すでに遅く慕情の意識は闇に落ちていった。自分の名前を叫ぶ声が聞こえた気がしたが……きっと気のせいだ。今の神界に人間であった頃の名を気安く呼んでくるような知り合いは、私にはいない。


     扉の閉まる音がした。柔らかな橙の灯りを瞼の向こうに感じる。ふと気が付くと牀榻の上だった。体を起こして部屋を見渡すが、いつもの玄真殿の自分の部屋だ。着替えてもいないのになぜ牀榻に寝ていたのかと首をひねっていると、再び扉が開閉する音がした。誰かが部屋に入ってきたらしい。その人物は起き上がっている慕情を見るなり大股で近づいてきて、問いかけてきた。
    「気が付いたか!慕情、さっきの邪気は何だったんだ?急襲かと思って陣を破って入ってみれば何もいないしお前は気絶しているし……医官を呼んで診てもらったが異常は無いそうだ。何があった?お前が倒れるなんてそうそうないことだろう。」
    「……」
    「慕情?」

    「……貴殿は誰だ?なぜ許可なく私の部屋にいる?」

     小首を傾げて見上げると相手の空気が固まったのを感じたが、慕情は構わずに続けた。誰だか知らないが、この人物が倒れていた慕情を介抱してくれたらしい。腰かけたままなのも無礼かと思い、立ち上がる。相手と身長はそう変わらないようで同じ高さに目線があった。
    「……見苦しいところを御目にかけた。医官まで手配していただいたことには感謝する。後日玄真殿からお礼の品をお送りしよう。……見たところ武神か?所属とお名前をお聞かせ願いたい。」
    「……東南武神、南陽だ。」
    「承知した。遅い時間に手間をとらせたな。」
    「あぁ……失礼する。」
     言外に早く立ち去れ、という空気を含ませると、どこかぎこちなさのある足取りで南陽は部屋を出て行った。独り、部屋に残された慕情は急にがらんとした部屋に寂しいような、物足りないような心地がした。自分の部屋なのに、おかしなことだ。倒れたこともこの変な心地も、本調子ではないのかもしれない、と言い訳のように考えて今日は早めに休むことにした。
     小さな箱が部屋から無くなっていることに、あの恋にまつわる全てを忘れた慕情は気づかない。

     小箱は玄真殿から持ち出され、今は南陽殿にあった。持ち出したのはもちろん風信だ。あの夜、いつもと違うことがあったとすれば見慣れないこの小箱。慕情は「貰い物」だとか言っていたが、邪気の正体もおそらくこれだろうと風信はあたりをつけていた。持ち帰った翌日、まだ陽の高くないうちから風信は霊文殿に赴き小箱の調査を依頼した。霊文の顔色と目の下の隈は相変わらずひどいものだったが、この箱のせいか分からないが慕情が風信のことを忘れてしまったようだと伝えると目を見開いて驚きの表情を浮かべていた。
     後日、慕情が申し出たとおりに玄真殿から「お礼の品」が送られてきたが、その内容も以前なら絶対に送ってこないような「普通過ぎる」ものばかり。珍しく風信が天界に戻ってきたときにすれ違っても、慕情は何の感情も浮かべない瞳でちらりと風信を見て……それだけだった。風信も「本当に自分のことを忘れてしまったのか」と驚いたが、周りの神官達も同じだった。いつも顔を合わせては口論や殴り合いの喧嘩をしていたような二人の片方が急におとなしくなったかと思えば、好敵手のことを綺麗さっぱり忘れてしまったらしい、といった噂話がまたたくまに神界を駆け巡った。

     慕情は苛立ちを隠しきれない足取りで霊文殿の廊下を突き進んでいた。巻物を抱えた文官たちが不安そうにちらちらとこちらを伺う視線も今は煩わしい。
    (どいつもこいつも……!会う相手皆なぜ私に南陽将軍の話を振ってくるんだ!?同じ南方の武神だからか?当たり障りのない答えを返せば「あの噂は本当だったのか」と言われる始末!あの噂とは何だ!南陽南陽南陽……!もうたくさんだ!)
     そんなに話題にしてくるなら、その人物について調べてやろうと思ったのだ。廊下を抜け、巻物が山積みになった陰で埋もれるようになっている霊文に声をかける。
    「霊文。調べたいことがあるので書庫を開けてください。」
    「……玄真?珍しいですね、武神自ら調べものなど。任務のことであればこちらでまとめますが?」
    「いや、任務のことではないのです。」
     霊文の静かな瞳がじっと慕情を捉えた。その視線に若干の居心地の悪さを感じながら、霊文の返答を待つ。すると彼女は大きく息をつくと筆をおき、階段を降りてこちらへ歩み寄ってきた。少しふらついているのは何日も寝ていないからだろうか。
    「……こちらへ。案内します。」
     霊文が静かに言った。彼女と共に天井の高い古めかしい書庫に入ると、少しかび臭いような、埃っぽい古い紙の香りがした。古今東西のあらゆる情報がつまった場所に、少しだけ気分が高揚する。
    「玄真、こちらが書庫の鍵です。好きなだけ居てくださって構いません。終わったら施錠して霊文殿の文官に返してください。分かるように皆には周知しておきますから。」
    「えぇ、分かりました。」
     ずっしりとした鍵を渡される。ずらりと並んだ書架を眺めると、その多さに眩暈がするようだった。慕情自身は「文神のような見目」と言われることも多いし、書を読むことも好きだが、文神にはなれないと思う。
    「……東南武神・南陽の逸話と文献でしたらこの通路を行って突き当りを左に入った五番目の書架にあります。」
     霊文から言われた言葉にぎくりとする。
    「霊文?なぜ……」
    「800年分ありますから、多いですよ。」
     霊文はそっけなくそう言うと踵を返して書庫から出て行った。残された慕情はしばしその場で固まっていたが、はっとしたように彼女に言われた通路に足を向けた。
     一柱香後。慕情は通路で頭を抱えていた。どの文献にも軽く目を通しただけであの南陽―――人間であった頃の名前は風信といったらしい―――とかいう武神と、自分の間には浅からぬ縁があることが書かれていた。仙楽太子が最初に飛昇したときに共に点将されていた、とも。謝憐が自分と共に御付きの者として召し上げたのなら、人間であった頃から何かしらの関わりがあったはずだ。
     (知り合い以下の神官だと思っていたが……そうではない、のか?)
     しかしいくら自分の記憶を掘り起こしてみても、謝憐が飛昇した際に自分が点将された記憶はあれども、誰かが隣にいたかは分からなかった。
     大切なことを忘れている気がする。書に書かれた「東南武神南陽真君・風信」の文字をなぞるが何も起きるはずがなかった。

     もやもやとしたものを胸の内に抱えながら、数か月の時が過ぎた。任務に赴き、報告書をしたため、信者の祈りを聞き、時折廟や神像の出来について口を出しに夢枕に立つ。また任務に行き鬼を捕らえて鎮め、報告書を書く、武神の会合に出席する……そんな毎日を慕情は繰り返していた。何も間違ったことはしていない。務めも果たしている。ただ、漠然とした退屈さを感じるようになっていた。そんなある日。



    続かない。
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