大好きだから甘えてほしい グートルーネ姫の命を狙い、白亜ノ森に進行していた深王を倒したギルド「キャンバス」は人知れず英雄となりました。
深都の王を撃ったなど前代未聞かつ大混乱が予測される出来事のため公になることはありません。それでも、姫の命を守った功績だけは讃えられなければならないと声を上げたのは元老院のトップに君臨する老婆です。
彼女は羽ばたく蝶亭での飲み会代を全て立て替えてやると宣言してくれました。領収書だけ後で持ってこいとのこと。
冒険者は「おごり」の文字に釣られないほど堅実ではありません。キャンバスの面々はお言葉に甘え飲み放題食べ放題に明け暮れたのでした。後で元老院が頭を抱えることになるなど考えず。
「うい」
飲み会が始まって一時間余り、キャンバスのギルドマスター兼シノビのコキはカウンター席に伏せていました。
周囲には完全に空になった酒瓶が多数転がったり並べられていたりと、相当な数を飲んだことを物語っています。
「リーダーってば飲みすぎっしょ」
酒場の中央で暴れているクレナイという喧騒から離れ、ギルマスの様子を見に来ていたサクラは開口一番にそんな台詞。大きなため息まで吐きました。
彼女の相棒かつ親友のお化けドリアン、どりぴはカウンターに降りてコキの頭を突きます。
「だいじょうぶ?」
「うん」
返事はありました。つまり意識はあります。
更にゆっくりと体を起こし、すっかり真っ赤になった顔を上げます。
「飲みすぎてないわよぉ、久しぶりに思いっきりお酒が飲めるって言われたから嬉しくなっちゃってつい……ね?」
「それを飲み過ぎってゆーし」
「ぼくまものだけどそうおもう」
羽目を外している彼女とは対照的にサクラもどりぴも冷静、サクラはそのまま落ちている酒瓶を拾い上げて。
「コキ、だいじょーぶじゃないよ」
「どわあ!」
背後から音もなく現れたワカバに驚いて酒瓶を落としました。運よく割れませんでした。
「びっっっくりしたぁ……わかってばあんまり驚かせんなよな」
「ごめん」
「いいよ」
「よかった」
淡々とした会話の後、ワカバは横目でコキを見据えて、
「だいじょーぶじゃないから、コキといっしょに宿に帰るね」
「おけおけ、ウチはここちょっと片付けてから暴れてるくれっちを止めてくるっしょ。かやぴに加勢して」
「まかせた」
「おうよ!」
サクラは頼もしく、そして元気よく返して胸を張り、これからの戦いに不安も恐怖もない様をワカバに見せてくれたのでした。
蛇足ですが彼女が加勢していなければ男性負傷は倍以上に増えていたかもしれないと、どりぴは語っています。
ワカバとコキは喧騒と血の匂いが漂う酒場から離れ、宿を目指します。
飲みすぎてすっかり泥酔状態のコキに肩を貸して、屋台で焼かれた焼き鳥の誘惑にも負けず、道行く人に「なんで元老院に讃えられたの?」と聞かれても「よくわからない」の一点張りで通しました。
こうして普段の二倍ぐらいの時間をかけ、二人はアーマンの宿まで戻ってきました。
玄関を開けてすぐに出迎えてくれた少年はぐったりしているコキを見るなり血相を変えて事情を尋ねましたが、
「だ、大丈夫だ。ちょっと飲みすぎただけだから……心配しなくてもいい」
優しく返しても少年は心配するばかり。受付から離れて部屋まで一緒に向かうことになりました。
少年の手を借りつつ部屋に戻った二人「何かあったらすぐに仰ってくださいね!」と残し、少年が部屋から出てました。
そして、ドアが完全に閉まって、
「ワカバぁぁぁぁぁぁぁぁ」
次の瞬間、コキはワカバに全体重を預けるような形で抱きつきました。情けない声もつけ合わせて。
「おお」
体幹が強いワカバは自分より背の高い女性に抱きつかれても倒れることもバランスを崩すこともなく、しっかり受け止めて彼女を支えます。
「ごめんねぇごめん! ごはん、もっと食べたかったのに私のせいで切り上げちゃって本当にごめんねぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
「気にしてないよ。いっぱい食べてきたから」
「ホント? わーいよかったぁ、ワカバは優しい〜好き〜♡」
「わたしもコキ好きだよ」
いつも通りの様子で慰めるワカバとは異なりコキは完全に猫撫で声。まるで恋人に甘えているよう。
首元に顔を埋めてきた彼女の後頭部を撫でつつ、歩きにくい足をなんとか動かしてベッドの元まで行き、
「でも、今日はねよ?」
休むことを促せばコキはすぐさま顔を上げます。
「えー? なんでぇ?」
「すごいお酒のにおいする」
「そなの? なんでだろー? なんで?」
「いっぱい飲んだから」
「そっかぁ〜じゃあ寝る〜」
そう言えばワカバが手を離したのでコキはベッドにうつ伏せでダイブ、軽く体が跳ねました。
「ひんやりしてて気持ちぃ……」
「あついからね」
淡々と返したワカバはその間にコキの靴を脱がてベッドの下にそっと入れました。少しだけ鼻歌混じりで。
「あれ? 足が軽い? どして?」
「くつぬがした」
「そっかぁ〜」
中身のない会話の後、コキは体を起こしてベッドの上に座ります。
「ねた方がいいよ」
「そぉ?」
「そお。明日、げんろーいんでお金もらうよ?」
「そうだったそうだった! だったら早く寝ないといけないわね! お金お金ぇ〜♪」
一国の姫を救ったのですから莫大な報酬は十分に期待できます。想像するだけでコキは機嫌が良くなり、お酒でテンションも上がっているお陰か普段はしない鼻歌まで歌い始める始末。
その間にワカバも靴を脱いでベッドに上がります。コキがこの様子なので寝巻きに着替えるのは面倒と判断、普段着のまま寝るつもりです。
向かい合うようにして座ったワカバは。
「わたしも寝るから、ねよ?」
「……」
「コキ?」
いつの間にかコキの目が据わっています。ワカバを見ているように見えて別の遠くを見ています。
「う?」
振り返るワカバですが当然誰もいません。首を傾げます。
「うぅ?」
「……ワカバ」
「どうしたの?」
「私のこと、捨てたりしない?」
唐突に訪ねてきたのはこの疑問。
ワカバは微笑み、小さく頷いて、
「すてないよ」
はっきりと答えましたがコキは聞いちゃいません。切羽詰まったような必死の形相でワカバの肩を掴みます。
「ホント?! 本当にほんと!? 私、わたしね? ワカバがいなかったら生きていける自信がないんだからね!? わかってる? わかってるわよね!?」
「知ってるよ。コキをひとりにしないよ、さびしくさせないよ」
ワカバが答えると、コキは倒れ込むように彼女の腰にしがみつき、膝の上に頭を埋めました。
「もう捨てられるの嫌だから! 二度とあんな想いしたくないから! 捨てないでよぉ〜ここにいてよぉ〜……」
そして泣き始めました。泥酔状態特有の情緒不安定です。
一度、最愛の人に裏切られて命まで狙われることになって本当に殺されかけた過去があるので、ふとしたきっかけで心の傷が裂け、不安が溢れ出すのも仕方のないこと。
ワカバはそう解釈しています。
「すてないよ」
嫌な顔をせず、頭を撫でました。
いつも不安な時や少しだけ寂しい時にコキがワカバにしてくれているような優しい手で、溢れ出る不安を救い出すような安心感のある手で。
ただし、簡単な行動だけでは満足感を得られないのが大人というもので。
「ワカバじゃないとヤダの! もうワカバがいいの! ワカバだけがいいの! ワカバの代わりなんてどこにもいないの! ひとりはやだ! ひとりぼっちなんて耐えられない! だったら死ぬほうがいい! 死ぬ!」
なんて喚き散らしています。本音しかない、ひとりの女性に完全に依存してしまった女の叫びを。
誰よりも生に対して執着心が強い、彼女の。
それすらどこか愛おしそうに聞いていたワカバは答えます。
「わたしもコキがいい、ずっといっしょがいい、コキだけがいい、いっしょじゃないのイヤだから、すてないよ」
「う〜ワカバあぁぁ……」
「よしよし」
膝の上で泣くコキをワカバは優しく慰めるのでした。
――いつも頭を撫でさせてくれる、子供のように扱い愛してくれる彼女のこんなみっともない姿のなんと愛らしいことか。
ワカバはお酒が好きで嫌い。飲んでしまえば食欲が抑えられなくなり大変なことになるからです。それでコキに大迷惑をかけてしまって以来、苦手意識を強く持ち嫌悪もしていました。
でも、コキがお酒を飲んで酔ってしまえばこんなにも不安定で、可愛くて、いつまでも甘やかしてあげたくなってしまいます。
人の話もあまり聞かずに甘えてくる上に我儘ばかり、自分よりも子供になってしまったコキをこうしてあやすのがワカバにとって至福の時間。
だからお酒は好きでもあるのです。
「コキ、ねよ? わたしもねるよ?」
いつまでもこうしているワケにもいかないことを彼女は知っています。名残惜しいですが次の機会は絶対にあるので渋々諦め、そう語りかけました。
すると膝の上から発生していた啜り泣く音がぴたりと止み、
「ねえワカバ」
「なに?」
「キスして」
「いいよ」
少し食い気味に答えました。
こんな風にストレートにおねだりしてくるのも酔った時だけです。
いつもは何かと抑制しているコキですが酔っている時はその枷も完全に外れてしまうところも、ワカバは大好きでした。
ワカバの手が離れ、コキはゆっくりと起き上がります。
「ワカバ……」
頬を赤らめたままの彼女の唇を塞ぎました。
コキはワカバの首の後ろに手を回し、抱きついて離れないように、ずっと奥まで繋がっていられるように。