逃げるあの人、追いかけるアタシ 放課後の教室には赤色の西日が差し込んでいました。
時刻は終業時間間近、廊下や校庭を見回っている教師が残っている生徒たちに帰宅を促し始めており、学生たちの一日の終わりが近付きつつあります。
教師の声が遠くから聞こえる最中、その教室では。
「ふぅ、これでよし」
トパーズは教室の後ろにある棚の上に花瓶を置いていました。
既に花が活けてある花瓶を眺め、ホッとしたような小さな息をこぼすと、
「お前もマメだな」
その後ろで、呆れるような関心しているよう声で言うバムにゆっくりと振り向き、苦笑い。
「あはは……でも、最初に“教室って殺風景すぎるから花とかあったら彩りよくなるかも〜”って言い出したのはアタシだから、最後までやらないとね」
「……」
バムは無言のまま、トパーズを見つめていました。
パーティ結成当初こそはディアボロスの迫力というか威圧感に少しだけ怯えていたトパーズでしたが、同じパーティで探索と冒険を長く続け、仲を深めた今となってはすっかり慣れたもの。
無言の彼は何を考えているかよく分からないという欠点はありましたが、断じて不機嫌でもなければこの状況に不満を持っているということもありません。恐らく、彼がそうしたいからそこにいるのだろうと、トパーズは思っていました。
「最後まで付き合ってくれてありがとうね、バムくん。お花探しまで手伝ってもらっちゃって」
「……ああ」
短く答え、目を逸らされました。
お礼を言われて照れているなぁ……なんてちょっとだけ可愛らしく感じつつ、決して言葉にはせずにクスリと笑って。
「お花の世話はアタシがやるよ! むしろやらせてほしいなぁ」
「妙に張り切っているんだな」
「もちろん! 何かを任せてもらえるのってちょっと嬉しいから!」
「自分から負担を被っただけだろう」
「意地悪な言い方だなあ……自分からやりたいことを見つけてやっただけだもん」
「そうか」
短く答えた彼の表情は全く変わりませんでした。
「じゃあ、もう遅いし寮に帰ろっか。早く行かないと先生たちに怒られちゃうよ」
「…………」
「明日って授業に行かずに朝から探索するんだよね? 集合場所って校門前であってたっけ? バムくんは何か聞いてる?」
「……トパーズ」
「ん? なあに?」
改めて名前を呼ばれたので何かと思って首を傾げた時。
「お前が好きだ」
告白でした。
本当に、唐突に、愛の告白が彼の口から、出ました。
「…………え?」
――今の、告白? いや、そっちの意味のはずなんてないよ絶対に、だって相手はあのバムくんなんだよ? 作家さんの卵で実家だって大金持ちでルンルンちゃんと同じような上流社会で生きているから、この学校に入らなかったら絶対に友達になるようなことがない人で、将来の目的もこの学校に入学した理由もしっかりしていて、無愛想だけど根はすっごく優しくてちょっと可愛いところもあって、ルンルンちゃんは犬猿の仲でいつも口汚く罵り合いをしていて、アタシよりも成績優秀でそれでそれでそれでそれで
一瞬の間に思考が高速回転し現実が現実でないと思い込もうと必死。それによりトパーズは完全にフリーズ。まるで石化した時のよう。
「……………………」
絶句したままの彼女にバムは言い放ちます。
「尋ねられる前に言っておくが、友人としての好きではない。それ以上の意味合いの好き……だからな」
「……………………」
「……返事は、すぐじゃなくていい」
そう言い残し、教室から足早に出て行ってしまいました。
ひとり残されたトパーズは、見回りに来た教師に声をかけられるまで、その場に立ち尽くしていたそうな。
その日の夜。女子寮にあるトパーズの部屋にはパーティ内女性陣全員が集まっていました。
彼女の実家で使っていたというローテーブルを囲み、お茶菓子まで用意してちょっとした女子会のよう。いつもなら、ルンルン主体の恋バナやら学校のことやら探索の愚痴やらでお話に花が咲くのですが。
「えーっ!? バムくんに告白されたのです!?」
「う、うん……」
放課後に起こった告白のことを伝え、トパーズは下を向いて小さく肯定しました。
「告白?」
いまいちピンときていないことりは首を傾げ、
「世も末ですね」
大嫌いなバムの話題により、目つきを鋭くさせたルンルンは紅茶を飲むのでした。
驚きの渦中から戻ってきたネネイは少しだけ身を乗り出し、トパーズに言います。
「だから明日の探索はお休みしたいと言ってきたのですね! バムくんが告白してきたから! なのですね!」
「う、うん……ごめんね……」
冒険大好きなネネイにとって探索の中止とは、心からお楽しみにしている時間を奪われるようなモノ。申し訳なくなったトパーズは下を向いたまま、弱々しく謝罪しました。
怯える彼女の心配とは裏腹に、ネネイは座り直してから何度も頷きまして。
「いいのですよ。さっきバムくんからも“明日の探索は行けなくなった”と連絡がきたのです。理由を教えてくれなかったから不思議だったのですが、やっと疑問が解けたのです」
「そ、そっか……」
安心はしたものの気まずさは抜けず、トパーズは顔を上げつつも目は逸らしたままでした。
「んで? どうするのです? バムくんからの告白は」
ストレートに切り込みを入れてきた言葉にトパーズの肩はびくりと震え。
「悲劇的かつ一生のトラウマになりそうな失恋のシチュエーション演出であればお任せください! トパーズさんのご期待に添えられるような悲壮な場面を作り出しますよ!」
心からウキウキしているルンルンが当たり前のような口ぶりで言ってきたので、
「断る前提で話を進めないで……」
トパーズは弱々しく抵抗し、ルンルンは理解できずに首を傾げたのでした。
「じゃあ、おっけーするのです?」
「そ、それは……まだ、わからない」
「どうして?」
ことりに尋ねられ、トパーズはようやくパーティメンバーたちの顔を見ます。
戸惑いが抜けきっていない気弱な表情のまま。
「バムくんのことは悪い人じゃないっていうのは分かってるよ。でもね、アタシなんかで良いのかな……って、思っちゃって」
「悪い人ですよ奴は」
ルンルンの意見は全面無視され、話は続きます。
「バムくんみたいなすごい人が、どうしてアタシのことを好きになってくれたのか分からないんだ。世の中にはもっと魅力的な女の子がたくさんいるはずなのに、どうして、平凡なアタシを選んでくれたのか……考えても考えても分からなくって……」
「マジで好きとしか言われてないのですね、バムくんに」
トパーズは頷きました。そして思い出してしまう、つい数時間前に起こった突然の告白。
いつも無愛想で恋愛だとか誰かを好きになるとか……“そういう話題”と縁遠そうな相手から、突然愛情を向けられてしまった、非現実的のような現実のことを。
思い出すだけで、自然と顔が熱くなる理由はまだ考えたくありません。
ネネイとことりは静かにそれを見守るだけ。とりあえずポテチをひとつまみしておきました。
「なんという致命的な情報不足……それによりトパーズさんを戸惑わせることが奴の目的でしょう。巧妙な手口に惑わされてはいけませんよ」
全く別のモノが見えているルンルンが的外れな励ましをしてくれましたが、トパーズは顔を引き攣らせるばかり。
「て、手口って……そんな悪意に溢れた感じじゃなかったよ……?」
これにルンルンが反論しようとした時、
「はい、ルンルンちゃんキャラメルだよ」
「ありがとうございますことりさん! ことりさんからの愛を頂きますね!」
ことりがすかさずキャラメルを手渡したことで、ルンルンは歓喜のままそれを口の中に入れ、じっくり味わい始めました。
厄介なセレスティアの動きを封じたことりは、改めてトパーズに問います。
「バムくんがトパーズちゃんのことを好きになった理由を聞いたら、トパーズちゃんは告白にいいよって返事するの?」
「……わからないよ」
再び俯いたトパーズからは元気のない答えが出て、ことりは何も言わなくなりました。
続けてネネイが、
「でも、バムくんがトパーズちゃんじゃないとダメな理由っていうのは絶対にあるはずなのです」
「……そうかな」
「そうなのです。その理由をトパーズちゃんが知る権利はあるのです。それを聞いてからバムくんの告白をどう返すか決めるのは、いいアイディアだと思うのですよ」
「うん」
ことり納得。トパーズも顔を上げてネネイとことりに笑顔を向けました。
「ネネイちゃん……ことりちゃん……」
「そうですね。では、なんと言って奴のプライドをへし折りましょうか?」
幸福のキャラメルから戻ってきたルンルンが失恋確定の方向へ舵を切ろうとして、
「ルンルンちゃんはいい加減に黙れなのです」
ネネイに淡々と叱られました。
それを見ずにことりは、トパーズに再び問いかけます。
「トパーズちゃんは、バムくんのこと、好き?」
「……嫌いじゃないよ?」
弱々しく始めたトパーズは、続けて、
「愛想が無いように見えるけど、ああ見えてすごく優しいし……ストレートで皮肉じみた物言いはよくしてくるけど、それは決して間違いじゃないから、気付かされることもあるっていうか……信頼、してるって、感じ……」
「そっか。じゃあ、何がきても大丈夫だと思う」
「そう、かな?」
「たぶん」
ことり即答。肝心な時に締まらないのはマイペースで穏やかな彼女らしいと言いますか、正直者すぎるとと言いますか。
それでも、彼女の言葉の節々にある友達を気遣う優しさは、トパーズにしっかり伝わっていました。
「ありがとう、ことりちゃん……」
ここに来て初めて浮かべるホッとしたような柔らかい笑み。ひとりだけでは決して辿り着けなかった答えと言葉を得て、不安の種は少し取り除かれたのです。
それに便乗するようにネネイも頷いて。
「うんうん。トパーズちゃんはバムくんともう一度お話をする必要があるのですね」
「え? 話すまでもありませんよね?」
「だからお前」
己のペースと思考を崩さないルンルンはさておき、トパーズは立ち上がります。
「アタシ、明日バムくんともう一度話してみる!」
翌日。授業が始まる前、朝日が登り大地を照らし始めてしばらく経った時間帯。
クロスティーニ学園の屋上は、当たり前ですが閑散としていました。
「…………」
バムはそこのベンチで、ひたすらレースを編み続けていました。服の裾とかに縫い付けるような小さくて可愛らしい紐上のレース編みです。
彼は校門が開いて学園に入れるようになってすぐ、ここにきて黙々と作業を続けていました。
このまま始業チャイムが鳴る直前まで過ごそうと、考えていたのですが……。
「やあおはよう! 聞いたよバムくん! トパーズちゃんに愛の告白をしたんだってね!」
どこからともなくスイミーが発生しました。
彼はバムの前に立つと、いつも通りテンション高めに話を始めます。
「前々から好きだとは言っていたけど、とうとう男を見せたと……で? で? 返事は? もうお返事もらった?」
「…………」
「あらまだっぽい……そうそう、この情報はことりちゃんから聞いたんだ! 昨日は女の子たち全員で女子会しつつ話し合ってたみたいだよ! これもことりちゃん情報ね!」
「………………」
「その話し合いの場にルンルンちゃんは相応しく無いような気がするんだけどね僕、それも気にせずあの子を話に参加させてあげることがことりちゃんの優しさとゆーかー」
「うるさい」
目にも止まらぬ速さで布団針を出したバムは、間髪入れずにそれをスイミーの膝に刺しました。ぐっさり。
「ギャーッッッッ!!」
屋上に哀れなノームの悲鳴が響きましたが、登校中の生徒たちは誰も気に留めなかったそうです。
痛みのあまりしゃがんでしまったスイミーの悲鳴は続きます。
「痛い! 布団針はひどい! 布団針は容赦ないって! ぶっとい針だよそれ!? 僕が依代じゃなかったらどうするつもりだったの!?」
「膝に矢が刺さるよりはいいだろう」
「そう、かも、だけど……痛い……」
膝に刺さったままの布団針を抜き、すぐさまヒールで治療開始。
治療している最中、バムは言います。
「ああそうさ、告白したさ、トパーズに。昨日、ストレートに好きだと伝えた」
少々やけになりつつありますが、ハッキリと答えてくれた後、治療を終えたスイミーは立ち上がります。
「そっかあ……あのバムくんが告白とはねぇ……あんまりそういうのは言わないタイプだと思ってたからびっくりよ。はい針返すね」
布団針を返そうと手を出しましたが、バムはレース編みを続けるばかりで受け取ろうとしません。
少し黙ったスイミーは彼の手が止まらないことを悟ると、差し出した手を下ろしました。
「……で? 今は告白のお返事待ちと」
「…………」
「え? 本当にお返事まだなんだよね?」
「……正直」
「ん?」
「正直、勢いだった」
「ほえ?」
間抜けな声が出て首を傾げます。
レース編みの手を止めないバムは視線もそのままに、話だけ続けます。
「この気持ちを伝えるのは、もっと適切なタイミングがあったはずだ。あんな土壇場で急に言うものではない」
「でも告ったんでしょ? もう後戻りできなくない?」
「だから……後悔している」
「どして?」
「急に想いを伝えてしまったから、アイツを困らせてしまった」
レースを編みつつ考えてしまいます。気持ちを伝えた直後、明らかに戸惑ってしまっていた彼女の表情を。
教室から逃げるように帰った後、恐ろしいほどの後悔に苛まれてしまったことを。
何度、一日をやり直したいと願ったことか。
「急に告白したのは、どうして?」
スイミーは尋ね、バムは答えます。
「……気がついたら、秘めていた気持ちが口から出ていただけだ」
理由になっていないかもしれませんが、バムにとってはこれは、秘めていた気持ちを吐露してしまった確実な原因に他なりません。
非現実的な答えを受け、スイミーは頷きます。
「そっか。隠しておこうとしていたことが隠せなくなっちゃうぐらい、バムくんが抱いてるトパーズちゃんへの気持ちは大きかったってことだね。抑えていたその気持ちが昨日、とうとう弾けてしまったと……」
すらすらと言葉が出てくるものですから、バムはレース編みの手を止めてやっとスイミーを見ます。
「……恋愛経験、あるのか?」
「ないない!」
即答したスイミーは手を振って明るく返しました。
「あるわけないし、これから先もそういうのきっとないよ! 恋愛と縁ないもん僕って」
「そうか」
納得したのかレース編みを再開させました。
「とりあえずさ、トパーズちゃんにその辺り諸々も伝えた方がいいんじゃないかな?」
「……そうか?」
「そーよー? だって、今のバムくんってっちょっと心配なんだもん」
「お前に心配される筋合いはない」
「君にとってはそうかもしれないけどさあ」
言葉を濁した後、スイミーはベンチを見やります。
永遠と編み上がっている紐状のレース。それは彼の横でとぐろを巻くように積み上がり続けており、その大きさ兼長さを伸ばし続けているのでした。
「……こんなに長いの、どうすんの?」
「…………」
「ちょっと、バムくん?」
「………………」
それから数十分経って。
「バムくん!」
屋上にトパーズは飛び込んできました。
クラスメイトや色々な人に聞き込み、彼が屋上にいるという情報を得てここに辿り着いたのですが、そこにいるのはベンチに座って足をぷらぷらさせているスイミーだけ。
「おや、トパーズちゃん。おはよー」
和やかに挨拶しつつ、手を軽く振りました。
挨拶も返さず、辺りを見回して探し人がいないか確認してから、スイミーのいるベンチに向けて足を進めていきまして。
「す、スイミーくんだけ? バムくんは……」
「さっき屋上から飛び降りたよ」
軽く言ってすぐ近くの柵を指せば、トパーズは瞬時に顔を青一色に染め上げまして。
「ギャ――――ッッ!?」
最悪の想像をしてしまい悲鳴も上げてしまいましたが、スイミーはへらへらと笑うばかり。
「心配しなくても大丈夫だよ〜、あそこの木に華麗に着地してたから怪我はしてないはず」
そう言うとおり、指し続けている柵の先をよく見れば植え込みに根を張り、天に向かって伸びているごく普通の木が見えます。三階までの高さはありそうですね。
これによってひどく安心したトパーズはホッと胸を撫で下ろし、
「そ、そっか、よかった……でも、なんで急に飛び降りたりしたんだろう……?」
「僕もわかんない。急に逃げるようにして行っちゃったからね? しかも、トパーズちゃんがここに来る直前ぐらいに」
「…………」
黙り込んでしまい、柵の方へ足を進めます。
柵に手を置き、彼が飛び降りたであろう木を眺めます。目を凝らして見ても人の影も形もなく、葉や枝が風によってちいさく揺れているだけでした。
「どうして……」
「トパーズちゃんはバムくんに何の用事? やっぱり告白のお返事?」
急に“その”話題を振られたことでトパーズの肩がびくりと震えました。
慌てて振り向けば、反応が面白かったのかニヤついているスイミーが見えましたが、特に気分を害することもなく、正直に答えます。
「お返事する前に……バムくんともう一度、ちゃんと話がしたいんだ」
「話って? 何の?」
「どうして、アタシに告白してくれたのか……バムくんがアタシじゃないといけない理由が、どうしても知りたいから、教えてもらいたいんだ」
「…………」
スイミーは会話を続けず、言葉を止めてしまいました。とても真剣で真面目な表情で。
そこそこ長い付き合いの中で、ノームらしい表情を初めて見たような気がして、少しだけ身構えてしまいましたが。
「……ここで僕が言っちゃうのは、やっぱり違うよね」
小さくぼやいた後、いつものノームらしくない陽気な笑顔になって。
「なら、急いだ方がいいよ! さっきまでバムくんと話してたけどさ、なんか彼、いつも通りって雰囲気はあったけどちょっと変だったもん。ほらコレ見て」
ベンチに上に置きっぱなしになっていた紐状のレースの山を持ち上げました。これにより、トパーズの顔は引き攣ります。
「なに、この長いレース編み……」
「ざっくり測ってみたけど四メートルは超えてたよ。何に使うんだろうね?」
「ホント、何に、使えるの……? これ……」
この数分後、始業のチャイムが鳴り響きました。
告白の動機を、自分を選んでくれた理由を彼の口から聞き出すため、暇さえあれば声をかけようとするトパーズでしたが。
「バムくん!」
休み時間に声をかけたらチャイムが鳴るギリギリまで逃げられてしまい。
「ねえバムくん!」
移動教室の際に突撃したら瞬時に姿を消してしまい。
「バムく」
昼休みに席に行こうとすれば、彼は窓から飛び降りて逃走を図りました。
お昼休み。
トパーズは教室でパーティ内女子メンバーたちと一緒にお昼ご飯。今日の昼食はネネイ手作りのお弁当です。エビフライ弁当。
いつもなら喜んでメインのエビフライに箸を伸ばすのですが。
「……何故」
バムに逃げられ続けてしまったトパーズは弁当箱の蓋すら開けず、手で顔を覆ってしまっていました。
「どうしてだろうね?」
白米の付け合わせの漬物を食べながらことりは首を傾げ、
「すげえ勢いで逃げてたのです。あんなに俊敏なバムくんは見たことがないのです」
フォークにプチトマトを刺してネネイは関心し、
「トパーズさんはいつの間にバム専用の忌避薬を体に塗ったのですか? 調合レシピをご享受頂きたいのですが」
まだ弁当に手をつけていないルンルンは目を輝かせているのでした。
「使ってないよ忌避薬なんて……もー、なんでぇ……」
状況の意味が分からず、とうとう机に顔を伏せてしまいました。食欲よりも目前の悩みに思考を裂く方を優先させてしまっている様子。
プチトマトを食べつつ、ネネイは言います。
「きっとアレなのです。バムくん照れちゃっているのです! カワイイところもあるのですね!」
「そんなことありません!」
即座に机を叩いて否定したのはルンルン。彼女らしからぬ激しい動作にネネイだけでなく、ことりも目を丸くして彼女を見やります。
ルンルンは強く、続けます。
「奴に限ってそれはあり得ません! 恐らく、何かしらを企て準備している最中なのでしょう……しかし、トパーズさんの積極性により現在は逃走状態になっていると考えられます。つまり、今がチャンス! うまく追い込めば仕留めることができるはずです! これは好機ですよトパーズさん、後一歩です、頑張りましょう!」
「お前だけ別の次元の話をすんなです、黙ってろなのです」
お行儀が悪いものの、フォークでルンルンを指しつつネネイは冷たく言い放ったのでした。
ことりは、次のおかずに箸をつける前に窓の外の青空を見まして、
「今、スイミーくんがバムくんを探しに行ってくれてるから、そこで逃げている理由を聞けたらいいんだけど」
現状をぼやいただけですが、トパーズはやっと顔を上げてくれました。
「うまくいくかな……そもそもバムくんがちゃんと話してくれるかどうか……」
「でも、バムくんから告白したのにトパーズちゃんから逃げるなんて変なのです! 不思議なのです!」
「うん……本当に、どうしてだろう……」
そう、弱々しく言うだけ。
告白された時に無意識に何かをして、嫌われてしまったのではないか……という、最悪の想像すら頭の中に浮かび上がってくる始末。
後ろ向きに考えがちのトパーズの不安は時間が経つごとに増え続けるばかりで、目頭が熱くなり始め……。
「大丈夫」
そっと、頭に手が乗せられます。そして優しく撫でられます。
声の主はことりでした。
「絶対に理由があるはずだよ。バムくんは告白するぐらいトパーズちゃんのことが好きなんだから、進んでトパーズちゃんを傷付けようとするはずがないよ」
頭を撫でて慰めている手はしっかり耳まで進んでおり、しれっとドワーフのもふもふさも堪能しているようですが、トパーズは怒る気にもなれません。
ゆっくり顔を上げ、弱々しくも笑みを作り。
「ことりちゃん、ありがとう……」
大切な友人に感謝の言葉を伝えるのでした。
「知略の一環ですよ間違いなく。ここは奴の裏をかきましょう!」
「だからお前は黙れなのです」
トパーズが教室で慰められているのと同時刻……。
「あーいたいた! バムくーん!」
スイミーは学園の中庭に辿り着いており、木陰に座り込んで何かを縫っているバムを見つけました。
安渡した様子で駆け寄るもののバムの視線は縫い物に向いたまま。彼が近付いてきていることを把握しているのかも怪しい。
それも気にせず、スイミーは言葉をかけます。
「どーしたの? 今日ずーっとトパーズちゃんを避けちゃってるけど」
「…………」
「自分から告白したのになんで避けちゃうのさ?」
「…………」
「バムくん? ちょっと集中しすぎじゃない? その集中力を少しだけ外部に向けても悪いことは起こらないんじゃないかな? というかお昼ご飯食べなよ、ネネイちゃんのエビフライ弁当だよ今日は」
「…………わからん」
「は?」
急に返ってきた言葉につい声が出てしまうも、それ以上は言わずに続きを待ちます。
少し待ってから、バムは話し始めるのです。縫い物を続けたまま。
「俺も、正直、どうしてアイツを避けてしまうのかよく、分からない。答えを聞かないといけないというのに、考えるよりも先に体が動いてアイツから逃げてしまう……そうなってしまう理由が、分からん」
彼らしくもないハッキリしない物言い。皮肉も何もないその言葉は、彼がどれほど戸惑っているのかをよく表していました。
だから、スイミーは、
「うっかり告白しちゃった現実を、まだ受け入れられてないんだよ」
いつもの軽い調子で茶化すことなく、真剣に言いました。
「告白は不可抗力というか自爆に近い感じだったんでしょ。それに一番納得していないのは間違いなくバムくんだから、現実逃避しちゃってるんじゃないのかな。無意識の内にさ」
「そうだろうか」
「たぶんねー?」
なんて言った頃には、いつも通りの軽い調子で返していました。さらに続けて、
「でも現実は告白に成功した世界線でしょ? それを受け入れてトパーズちゃんと話すのがバムくんが真っ先にやらなきゃいけないこと。じゃないとさ、折角告白したのに嫌われちゃうよ?」
「好かれているかも、分からないだろうが」
「そらぁ僕にも分からないよ。でもさ、結果がどうあれ白黒ハッキリさせておかないとお互い前に進めないし、二人がこんな調子だと探索もできないよ?」
探索活動を主にする冒険者にとって、メンバー同士の恋愛のもつれは個人間の問題ではなく、周囲を巻き込んでいる大きな問題に派生するのは自然な流れ。余程のアホな冒険者でもない限り、理解できる問題です。
「今日はともかく明日か明後日は探索行かないとさ、その内ネネイちゃんが暴れ出すよ? マジで」
あえてそれを言葉にしたスイミーの脳裏に過ぎるのは、冒険できずにフラストレーションが溜まり、刀を持って大暴れし始めるネネイの暴走した姿。案外想像に難くない現実的な光景すぎて……考えるのをやめました。
「トパーズちゃんはバムくんと話したがってるんだし、覚悟を決めて受け止めてきなよ」
バムは答えません。
縫い物に視線を向けたまま、ひたすらに手を動かし、黙々と作業を続けるのでした。
石のように黙り、答えようとしなくなった姿にスイミーは小さくため息。
「やれやれ……恋愛って厄介ねぇ。僕はあと五十年ぐらい恋愛しなくていいや……教室に帰ってエビフライ弁当食べよ」
これ以上の説得を諦め、踵を返そうとした時でした。
バムが無心で縫い続けているモノに既視感を感じ、ぴたりと動きを止めたのです。
それはよく見なくても体操服なのですが、どうしても気を引いてしまうのは服の種類では決してなく、胸のところに書かれている持ち主の名前で。
「……それ、僕の体操服なんだけど……」
バムは答えてくれませんでした。
こうして、昼休みが終わり昼からの授業。つまりは五時間目。
昼休みが終わる直前にバムが教室に戻ってきてしまったのでまたもや会話できなかったトパーズ、広げたノートの白いページをガン見しながら。
「帰りのHRになったら声をかける、帰りのHRになったら声をかける、帰りのHRになったら声をかける、帰りのHRになったら声をかける、かける、かける、かける……」
黒板に文字を書いている先生だけでなく、周囲の生徒にも聞こえない程度の声量で自分に言い聞かせ続けていました。
決意表明はこのぐらいにしておき、真面目に授業を……受けず、スイミーが言ったことを思い出します。
「なんかバムくんね? 気持ちを抑えきれずに告白しちゃったせいでメチャクチャ動揺してるみたい。だから面と向かってトパーズちゃんと話せなくなってるんだよ。じゃ、これから僕は購買に行って体操服を買ってくるから……」
何故体操服を買いに行ったのか……と、考えて始めようとして、すぐに思考を止めます。気になるところが出てくると注意が逸れてしまうのは悪い癖です。
それにしても。
――自制心のあるバムくんが、自分の気持ちを抑えきれなくなるほど、アタシのことが好きだった……なんて。
それほどまでに強い想いを秘め続けていたということ。ずっとずっと好きだと、想われていたということ。
気持ちを吐露するまでの間、彼はどんな気持ちで名前を呼び、友人として仲間として、接していたのだろうか。
考えるだけで顔が赤くなりますが、今はときめきに悶えている場合ではありません。
――とにかく、絶対にバムくんと話そう! 考えるのはそれからだよ! うん!
授業に一秒も耳を傾けずに改めて決意を固めたと同時に。
「じゃあこの問題を……トパーズさん答えて〜」
「びょっ?!」
この後めちゃくちゃ恥ずかしかったそうな。
恥を乗り越え帰りのHRも終わり、チャイムが鳴れば。
「バムくん!」
好機とばかりに立ち上がって振り向いた時には既に、その席には誰もいませんでした。机の上にうさぎのぬいぐるみが座っているだけ。
「あれぇ!?」
「さっき音速みたいなスピードで出て行ったのですよ、バムくん」
驚愕するトパーズの後ろから、ネネイの呆れたような声がしたので急いでクラスメイトに目をやります。
「ええええええ……」
出鼻を挫かれ肩を落として落胆。その間にもことりとスイミーとルンルンが来まして。
「すっごく早かったね」
「ねー? バムくんって素早さ底上げしてたかなぁ?」
「すみません……奴の足をどうやって縛り上げようか思考を練っている間に逃げられてしまいまして……」
約一名臨戦体制のままですが以下略。
呆然とするトパーズに、スイミーは言います。
「で? どうしよっか? バムくんを捕まえたいなら僕たちも何かしら協力できると思うけど」
「ほえ?」
思わぬ提案に間抜けな声が溢れ、目を丸くしつつもクラスメイトたちを二度見。
ことりもネネイも頷いて肯定する中、
「奴を罠に嵌めるのでしたらお任せください。奴を仕留めるために編み出した百八式の罠と策略をトパーズさんのために惜しみなく使ってみせましょう!」
爆竹やら鼠取りやらトラバサミやら、穏やかに済みそうにない物騒な罠の数々を取り出したルンルンの目は本気一色に染まっていました。一悶着やりかねません。
「ルンルンちゃんだけ全力で違う方向を見て突き進んでいるなぁ〜」
心底楽しそうにそれを眺めているスイミーは彼女の言動を否定も肯定もしません。流れに身を任せて面白さが産まれるのを待っているのです……つまり確信犯。
誰も動かないのはトパーズ本人の言葉を待っているから。彼女が一度頷けば、学園を混乱に陥れつつも逃げ回るバムを捕らえてくれることでしょう。
それを踏まえ、トパーズは。
「……ありがとう。みんな」
まず、優しさと心遣いに深く感謝してから。
「でも……アタシひとりで頑張らせてください」
丁寧に頭を下げてお願いしました。
思ってなかったセリフに四人がキョトンとして、最初にことりが尋ねます。
「いいの?」
短い疑問の言葉を聞いて、トパーズは顔を上げ。
「これはアタシとバムくんの問題だから、アタシだけの力で解決したいんだ……だから、お願い」
気の弱い少女から出てきた、強い願いと決意の言葉。
いつも不安で揺れている瞳は、今日だけは真っ直ぐ、揺らぐことなく皆を見つめていました。
無言の本気に、仲間たちはそれぞれ顔を見合わせて。
「トパーズちゃんがそこまで言うなら、手出し無用なのですね」
「そうだね、見守っておこっか」
「ホントに大丈夫? バムくんは手強いよ? もう僕が想像できない面白さと奇行の領域に入っちゃってるし」
「仕留めないのですか?」
口々に言う仲間たちにトパーズは答えます。
「……今、一番戸惑っているのはバムくんだから……それをなんとかできるのは、騒ぎの原因になっているアタシだけだよ」
誰も心配させないように微笑んで見せました。自分の問題は自分で解決する、責任感の強い彼女の口から出てきた言葉を否定する者は、誰もいません。
ことりはもう一度頷いて、
「わかった。トパーズちゃんを信じるよ」
そう言ってから、再びスイミーたちに目配せし。
「バムくんを捕まえてトパーズちゃんに差し出すのは後にしよっか」
「生け取り大作戦は最終手段に取っておくのです!」
「トパーズちゃん、無理そうだったらすぐに無理って言ってね? その時は僕たちでカタを付けるから。三分以内で」
「奴の命も持って数秒」
頼もしすぎる言葉の数々によりトパーズの顔はしっかり引き攣りまして。
「あ、あり、ありがとう……気持ちはすごく嬉しいけど……穏便に、済ませてね……?」
絶対に協力を仰がないで置こうと決意し、教室を出るのでした。
トパーズは放課後の学園を走り回り、バムを探しました。もちろん教師に怒られない程度の走り、すなわち早歩きで。
無駄に広い学園中を探し回るだけでも骨が折れるものなので、基本的に聞き込み活動が主となります。知っている顔だったり、知らない顔だったり……色々な人たちに声をかけ、その情報を元に駆け巡りまくって。
「あ! バムくんいた!」
階段の踊り場でバムを発見した刹那、ダッシュしたバムとすれ違ってしまいました。あまりの速さに髪と尻尾の毛が揺れました。
諦めないトパーズは捜索を再開します「また変なことに巻き込まれてるの?」と心配される声もありましたが、深く考えないことにして情報収集に徹し。
「バムくん!」
空き教室で息を潜めていたのを見つけ出したと思ったら、彼は窓から廊下に飛び出して逃走。あまりの速さに通りすがりの生徒がビビっていました。
譲れないトパーズは捜索を続けます「アイツらと関わって疲れない? 大丈夫?」と気を遣う声があり、周囲からどう見られてるのか心配しつつも学園中を巡り。
「バ」
実験室に入った途端に後ろ姿を見かけ、反射的に声をかけたら畳返しで逃げられました。
「この教室って畳あったっけ!?」
ツッコんだら負け。
このように見つけては逃げられ、見つけては逃げられと繰り返され、イタチごっこが続きに続いて数時間……。
放課後の廊下には赤色の西日が差し込んでいました。
「うぅ……全然捕まらない……バムくん逃げ足が本当に早いよぉ……」
誰もいない廊下をトボトボと歩くトパーズの顔は疲労一色に染まっていました。
頭の片隅から鳴り響く「仲間たちに頼る」という選択。誰よりも強くて頼もしく、できないことなど何もないと断言できる愉快な彼女たちであれば、逃げ回るバムを捕獲するなど造作もないでしょうが……。
魔法で連絡しようと考えて、直前で首を振りました。
「ダメだ……絶対にもっと酷いことになる……ただでさえ変な噂が立ってるのに……」
パーティの風評被害が悪化する可能性とバムの保身を考え、断念することにしました。
しかし、一人では解決できない問題かもしれないと考え始めてしまうのも事実。
諦めて帰ってしまおうかという考えが脳裏を過って、
「ダメ。一番困っているのは、心が戸惑っているのはバムくんのはずだから……なんとかしなきゃ……」
小さくぼやき、終業のチャイムが鳴っても探してやると決意を新たにして、顔を上げた時でした。
廊下の窓から、夕陽を眺めているバムを見つけたのは。
「っていたぁ!!」
「はっ」
つい叫んでしまったことで、バムは踵を返して逃げ始めました。
「待って!」
叫びながら追いかけるものの追いつくことは叶いません。小柄なドワーフと長身のディアボロスでは歩幅が違いすぎるため。
「待ってよ! バムくん!」
声を出しても止まる気配はありません。追いつきたい背中が、どんどん遠くに行ってしまいます。
――話をしないといけないのに。
――追いつかなきゃ「好き」って想いに向き合わなきゃ。
――アタシのためじゃない、彼のためにも。
そう思った時には――
斧を投げていました。
トパーズの手から離れた斧は高速回転しながらバムの真横を通過して。
「は」
目の前で九十度にがくんと曲がり、壁に突き刺さって止まりました。
「っ!?」
目前を通過した斧に驚き、バムはその場に尻餅を付いてしまいます。
そして、絶句しつつも壁に突き刺さった斧を見て、ただでさえ血色の悪いディアボロスの顔色をさらに悪くさせてしまうのでした。
「…………」
「お、追いついた……」
ここで彼の元に辿り着いたトパーズが走るのを止め、安堵の息を吐きます。
バムは恐る恐る、トパーズを見上げて、
「い、命だけは……」
「殺さないよ!?」
生まれて初めて同年代からされた命乞いに慌てて説明して誤解を解いて、バムの目の前で両膝をついて同じ目線になりました。
そして、やっと会話を始めます。
「スイミーくんから聞いたよ? アタシにうっかり告白したことが受け入れられなくて逃げ出したって」
「ヤツめ、余計なことを……」
苦虫を噛み潰したような顔で呟き、己の行動を後悔。口止めすればよかったと考えているようですが既に手遅れです。
トパーズは続けます。
「でもね、逃げてばっかりじゃダメだよ。ちゃんとお話ししよ? ねっ?」
小さい子供を説き伏せるような優しい口調。
どうしても気まずくなってしまうのか、バムは目を逸らし、
「……幻滅してないのか、俺に」
自信家な彼らしくない、弱気な言葉が飛び出しました。
トパーズは首を横に振り、彼の言葉を否定します。
「ううん。まさか。アタシだって突然告白されて動揺しちゃったんだもん。ついぽろっと口に出しちゃったバムくんが戸惑っている気持ちも、なんとなく分かるよ」
「…………」
何も言おうとしない彼の言葉を待たず、トパーズは言いたかったこと、聞きたかったことを、言葉にします。
「告白された後ね……気になったんだ。どうしてバムくんみたいな人が、アタシのことを好きになってくれたのか」
「…………」
「アタシは、何の取り柄もない上に“なんとなく”っていう曖昧な理由でクロスティーニ来ただけの半端な子でしょ? でも、バムくんは将来の目的もしっかりしててここで学ぶ意味もちゃんと持っている。アタシみたいに中途半端な人じゃない、同い年なのに先のことをしっかり考えている立派な人でしょ」
「…………」
「それに、一般家庭生まれのアタシと上級階級? って言うのかな……そういうすごい家で生まれ育ったバムくんとじゃあ住む世界も違う……何もかもが異なってる……そんなアタシのことを、気持ちが抑えきれなくなるまで好きになってくれた理由が、分からないよ……」
言葉にすればするほど、好きになってくれた彼の気持ちが分からなくなってきました。
分からなくなっていくほどに、不安な気持ちも積もっていき、顔も見れなくなってきて……。
「…………」
彼の「好き」という気持ちに嘘はない。
でも、自分が「好き」と言って貰えるほどの人物という自信は、全くありません。
いっそのこと、変な理由で好きになってもらった方が気が楽だなんて考え始め、
「……はぁ」
ため息が聞こえ、肩が震えました。
「本当に、お前は……自分を蔑ろにする言葉はスラスラと……」
「だ、だって」
慌てて顔を上げて否定しようとするものの、それより先にバムは続けて、
「必要以上にネガティブになるところはお前の悪癖だ。さっさと治しておけ」
「あ、はい、頑張るます……」
自信は全くありませんがとりあえず返事はしておきました。居た堪れなくなって視線も合わせられませんが。
しばらく沈黙が続くと思われていましたが、意外にもバムはすぐに会話を再開させます。
「それで、だ」
「うん?」
再び彼を見据えます。
バムも、トパーズを見ていました。
「お前は、自分の嫌なところばかりに目を向ける反面、人の良いところばかりに目をつける。それが非常に上手く、的確だ」
突然、褒められるものですからトパーズの体はびくりと跳ね、全身を使って驚いてくれました。
「え!? で、でもっ、アタシよりすごい人なんていっぱいいるし……」
否定しようとする言葉を、バムは遮って続けます。
「人の良いところを見つけて称賛する。嫌味な気持ちなど一つもなく素直な気持ちでな……それは、誰にでもできるようなことではない」
「……そう、かな……」
「お前の気の小ささと自信の無さがそうさせているだけかもしれないがな」
「うぐ」
ストレートな物言いに思い当たる節しかなく、胸元を抑えるのでした。
「だが……素直で純粋に、他者を評価し、想いやることができるお前の優しさは大したものだ。最初はただ気遣っているだけかと思っていたが、一緒に行動する内にお前の純粋さと真っ直ぐな感性は本物だと気付いた。それを知り、触れ続けていって、俺は」
言葉を止めました。
「……?」
不思議そうに首を傾げている彼女を、赤い瞳は見据えて、
「……とても、愛おしいと、思ったんだ」
皮肉屋な彼の口から出た、トパーズを想う言葉。
好きになった理由の全てが詰まった、二度目の告白。
そんな風に自分を見てくれて、評価してくれて、好きになってくれて、素敵な言葉をかけてくれて。
「…………」
すぐに気持ちを言葉にできず、黙って俯いてしまいました。
顔に熱が集まっているところから、自分がどんな表情をしているのか想像できてしまい、恥ずかしさのあまりどうにかなってしまいそうでしたが、それをぐっと堪えて。
「あとは、気の弱いところと流されやすいところと自分に自信のないところを直してくれたらいいが、贅沢は言わないでおこう」
さらりと欠点も並べてくれたことで、一気に我に返って肩の力が抜けたのか。
「一言多いよ……」
呆れ返ったように声を溢したのでした。
「返事はしなくてもいい、受け入れられないなら以前のようにただのクラスメイトに戻るだけの話だからな」
「え」
咄嗟に顔を上げます。彼はもうトパーズを見ていません。
「……逃げ回って悪かったな。じゃあ、これで」
全てを答えたことで役目は終わったと判断したのか、彼は立ち上がろうと……。
「待ってよ! 勝手に話を終わらせないで!」
する前に、トパーズは叫んでいました。
バムは驚いた様子もなく、冷静に言葉を返します。
「まだ、何かあるのか」
「あるよ! 大アリだよ!」
気の弱い彼女にしては珍しく強い言葉で断言して、彼を見据えました。
「あのねバムくん、確かにね、アタシは自分のことが好きじゃないし、流されやすいしネガティブだし不器用でしょ?」
「そうだな」
即答でした。
「みんなと違ってこれと言って目立ったところなんてない、ちょっと気が弱くて力が強いだけのドワーフって感じで見られてばかりだった。ただそれだけの普通の子だから……誰も、アタシのことを深く知らなくてもいいよねって思われたんだよ。地元の友達にも、家族にも」
「ほう」
「それが嫌だってことはないよ? 人付き合いするんだったらそれだけで十分だったから……でも、バムくんは、アタシのそういう目立たなくて地味なところだけじゃなくて、良いところも悪いところも全部ちゃんと見てくれた。その上で“好き”って言ってくれた。ただのマスコットじゃなくてトパーズっていうドワーフを見て、知って、好きになってくれたんだよね。気持ちを抑えきれなくなる程に……」
「ああ」
バムは頷き、それ以上は言いません。
トパーズは、言葉を続けずに口を閉じてしまいました。
言いたいこと、言わなきゃいけないことを言葉にして伝えなければいけないけど、気持ちを真っ直ぐな言葉にするのは誰だって躊躇うもの。心が成熟していない思春期の学生であれば特に。
それを分かっていて、バムは待ち続けています。トパーズのことを。
自分にはなかった考える時間も、心を決めるまでの躊躇いと葛藤もある彼女を、少しだけ羨ましく、愛しくも想いながら。
そして、
トパーズは言います。
「……ここまで言ってくれた人、アナタが、初めて……だよ」
気恥ずかしさから目を伏せてはいたものの、気持ちだけはちゃんと前を向いて、答えてくれました。
「……」
「ねえ、バムくん、こんなアタシでも……まだ、自分に自信が持てないようなアタシでも、よかったら……もっと、好きになって欲しい……アタシも、アタシのことを見てくれたアナタの“好き”に応えたい、アナタのことをもっと知って、好きになりたい……から」
「……ああ」
「アナタの恋人になっても、いい、ですか?」
彼の手を優しく握って、訪ねました。
その手を見て、バムは応えます。
「当然だ」
優しく微笑んだその表情をトパーズは始めて見ました。
本当に好きな人にしか向けないような微笑みに、彼の想い全てがあるような気もして、嬉しくって恥ずかしくって照れくさくて。
「こ、これからも、よろしく、お願いします……」
顔を真っ赤にしたまま目を伏せてしまったのでした。
「こちらこそ」
「…………」
「…………」
ほんの少しだけ沈黙が産まれたのち、トパーズはなぜか慌てながら、
「じ、じゃあ! まずはみんなに報告しよっか! 心配してくれてたみたいだから!ね!」
どうして慌てているのか自分でもよくわかりませんが、とにかくそう言って立ち上がります。
しかし、バムは床に座り込んだままで、
「報告が必要なのは当然だが……その前にひとつ、頼みがある」
「なあに?」
恋仲になって初めてのおねだりとは何だろうかと、期待しつつ言葉を待っていると、バムは目を逸らして。
「……腰が抜けた」
「本当にごめんね!!」
恋人になって初の共同作業は保健室への同行でした。
「……と、いうことでして、告白をOKしたよ」
二人の結論をパーティメンバーたちに結果を報告できたのは、翌日の朝のHR前の時間でして。
「おぉ〜!!」
待ちに待った報告を聞き届けた仲間たちからは拍手喝采が飛ぶのでした。
「無事に解決したよかったのです! おめでとーなのです!」
「良かったよかった、トパーズちゃんとバムくんが嬉しそうで」
「ねー? ところで斧投擲のコントロールってどうなってんの? 面白そうだから是非とも聞きたいなあ」
「血迷いましたか、トパーズさん」
賞賛ではない言葉が一部から飛び出していますね、よってトパーズ苦い顔。
「無我夢中で投げたからコントロールとかそんなの考えてないし、血迷ってないもん……」
「は? トパーズと違ってお前は人生と思考回路が常に血迷っているだろうが」
「いつもの調子に戻って早々に喧嘩を吹っ掛けないで!」
宿敵であるルンルンに暴言を繰り出す辺りすっかり元の彼です。少し安心したものの、これから先の苦労も考えるとため息を出さずにはいられなくなるトパーズでした。
すると、ネネイはバムの肩を軽く叩いて、
「でもバムくん、これに懲りたら戸惑っているとはいえ逃げ回っちゃダメなのですよ? トパーズちゃんだけじゃなくて私たちも心配していたのです、一部除いて」
一部と呼ばれたルンルンを見ずに指さずに反省を促せば、彼は小さく頷きます。
「分かっている。腰も抜けたことだし、さすがに俺も懲りた」
ちらりとトパーズを見やれば彼女は咄嗟に背を向けて。
「ご、ごめんって……」
それはそれは気まずそうに何度目かの謝罪を口にするのでした。
「まーなにはともあれ! キレーに話が収まってくれてよかったよ! これで僕の問題も解決できそうだしさ!」
「存在が問題行為のようなお前が何を言っているんだ」
「これ見てみ?」
スイミーが取り出したのは体操服です。胸元に名前が入っていることから、正真正銘彼の私物でしょう。
しかし、袖や裾には沢山の可愛い模様のレースが着けられているだけでなく、胴体をぐるりと囲うようにフリルまであしらわれています。さらにそれを彩るような装飾や刺繍まであり、それはそれは豪華で高級感漂う仕上がり。
「わあ、すごいね」
初めて見る高級な体操服にことりが拍手していますが、スイミーは無言でした。若干目が死んでいるような気がするのは錯覚でしょうか。
トパーズは恐る恐る訪ねます。
「こ、これ……どう、したの?」
「我を忘れたバムくんにやられた」
「は!?」
驚愕して振り向きバムを見れば、彼はスイミーの体操服を手に取ります。
そして、体操服全体を観察しつつレースやフリル、刺繍に触れ、
「ほう……素朴すぎる体操服に少しでも愛らしさと芸術性を加えるため、フリルやレースの形や大きさ縫い付ける場所……その全てを緻密に計算し仕上げているな。刺繍もそれらを損なわないように小さく質素にしているが、確かな存在感を主張しているではないか。美しいバランス感覚の取れた作品、これを一体誰が……?」
「ご自分の作品を認知しておられない!?」
その後、体操服は弁償しました。
なお、バム(無意識)作のフリル体操服は校則違反となるため着用はできなかったものの、その愛らしいデザイン性は一部の女子生徒たちにウケ、なかなかの人気を誇ったとか。