おおよそ一時間後。
教会の門をくぐって外に出たヤトは両手に木の箱を抱えていました。
「ふい〜」
一仕事終えたような安堵の息を吐き空を見上げていると、
「あっ」
道の向かい側、家屋の石壁を背にして座り込んでいるヘヌンシアと目が合ってしまいました。
とっさに他人のふりをすればよかったのですが時すでに遅く、彼はスッと立ち上がるとものすごい速さでヤトの前まで近づいて、
「ヤトさん酷いです。どうして俺を見捨てたんですか」
淡々と、どこかドスの効いた声色で短く責めたのでした。
「何がじゃ! 完全にお主の責任じゃろうが! というか帰ってなかったのか!」
「帰ってもやることがないから暇なんですって。それよりも気持ち悪い場所にわざわざ行ったあなたの動機を調べる方が面白いと判断したから待ってたんですよ。神父の爽やかフェイスを浴びた時はちょっと死を覚悟しましたが」
「暇潰しに命をかけるな!」
怒鳴りつつもため息が止まりません。魔族は快楽主義、自分さえ気持ちよければ周りは割とどうでも良いと考えるのが一般的なのでこの言動も納得できます。
しかしここは人間の世界、全てとは言えないものの人の生き方になぞって生活して欲しいと思わずにはいられません。
言わないのは以前に散々言ったのに聞く耳を持ってくれなかったからです。早めに矯正を諦めました。
ヘヌンシアも「自分さえ良ければ後はどうでもいい」という姉たちに苦労させられた過去があるので、ある程度は自重してくれている……と信じるしかありません。
「もういい……好きにせい」
「ん? はい。ところで、それが俺が犠牲になりかけてまで手に入れたかったものですか?」
「お主が死にかけたのは自業自得じゃがな」
吐き捨てるように言いヤトはさっさと歩き始めるので、ヘヌンシアはすぐに付いて行きます。
「それを持ってどこへ?」
「宿に帰る」
「持ちますよその木箱。子供に重い物を持たせるというのも気分良くないですし」
「誰が子供じゃ! いらん気遣いじゃぞ!」
怒られ睨まれてしまいましたがヘヌンシアは怯まずに、
「お年寄りを労わるのは若者の義務ですよ」
そう言って微笑みかけました。
途端にヤトの怒り顔はどこへやら、少し照れたような恥ずかしそうな戸惑った様子で、
「う、む、むう……年相応に扱うのであれば悪い気はせんのじゃが……」
嬉しそうなのか声もうわずっています。この元神チョロいなと思ったヘヌンシアですがもちろん言いませんし表情にも出しません。
好反応でしたがヤトが木箱を渡そうとはせず、すぐに目を逸らしてしまいます。
「でもダメじゃ。これをお主に渡すワケにはいかん。お主がこの中身を知れば構わず投げ捨ててしまうからのう」
「めんどくさがりで性格が悪いと自分で認めている俺ですけど、人の荷物を勝手に放り投げたりするようなことはしませんよ。どれだけ信用ないんですかあ俺はぁ」
「箱の中身が聖水だと知っても同じことが言えるか?」
刹那、ヘヌンシアの表情と足が凍り付きますが、ヤトは気に留めずに話と足を進めます。
「体を大きくする方法を色々と考えたんじゃがな。神々の都におった頃、神力を使って自身の姿形を変えておった神や眷属がいたことを思い出したんじゃ。ワシは神でも神の眷属でもなく神人じゃが、神人であっても人間には使えない神力を使うことはできるんじゃし、神力さえ確保できれば自分の姿を変えることができるかもしれないと思いついてのう」
聞いているか聞いていないか確認もせず一方的に喋り続けたところで、背後から追いかけてきたヘヌンシアが追いついてヤトの横を何食わぬ顔で歩き始めます。
「確かに神力は神を神と形作るだけでなく奇跡のような現象を起こすことができる魔力とは異なる万能エネルギーなので理屈はわかりますよ? 本来であれば相当特殊な能力がなければ不可能とさえ言われている変身魔法を使うことが可能になるかもしれませんけど……」
言葉を濁し、ヤトが抱えたままの木箱をチラリと見てから苦い顔。
「それと聖水って……何の関係が」
まるで苦虫を噛み潰したような表情。神の力が絶対的に苦手なので魔を祓うアイテムとして非常に有名な聖水も苦手ですし弱点にもなり得るので。
ヤトは一瞥もくれることなく答えを述べます。
「聖水の作り方を知っておるか」
「聞きたくもありません」
「世界や国、地域によって作り方は様々じゃがここでは魔除けの薬草等を煎じた水に十字架を漬け、祈りを捧げることで聖水を生成するのじゃ。人間の祈りが捧げられているこれなら微かに神力が宿っているはずじゃ」
「ええ……? 所詮は人間の手作り加工水ですよ? そんなのに俺たちが苦手な神の力って宿るものなんですか?」
「多少はな。人の強い願いや想いには神を生み出す力が宿るからのう、人の祈りが捧げられた水であっても例外ではないのじゃよ。探せばもっと強い神力が籠ったアイテムがあるのかも知れんが今のワシにはこれだけで十分じゃ」
かつては神様だった少年は真っ直ぐな目で言い切ったのでした。
後悔や未練といった後めたい感情が何ひとつ見て取れず、ヘヌンシアは退屈そうに息を吐きます。
「ふーん……じゃあ、神の力の正体って人間の祈りや信仰心なんですね」
「その通りじゃよ。前にも言ったと思うが神は人間なくしては生きることも存在することもできん、反対に人間だって神がいなければ存続もままならない。だから、本来であれば神が人間を格下だと決めつけ見下してはいかんし、人間が神を蔑ろにしてもいかんのじゃ」
「でもこの世界の人間は思いっきり神を蔑ろにしてませんでした? 自分達の都合の悪い時だけ神を信じて崇拝しつつ助けを求めて、都合のいい時が続くと勝手に忘れて雑に扱って……最終的に神は人間に干渉しなくなったしこの世界の豊穣神は邪神になって世界を喰らい尽くそうとしてましたよ」
淡々と返したヘヌンシアの脳裏には封印の地を彷徨っていた最中に拾った書物、この世界の成り立ちや神々についての話がありました。
封印の地から脱出した後もギルドに提出せずアヤノが大切に保管したままになっている、ほぼノンフィクションであろう物語。
例の遭難は世間的に夢か幻だったと結論づけられているため、ダンジョンの存在を無理に主張するのもお腹がすくだけだとアヤノは判断、表沙汰にされることはほぼなくなってしまっています。
「この世界の神はワシの生まれ故郷と違って人間の信仰心が絶対的に必要ではないからそこまで依存せんかったのじゃろ。本当に必要だったらどんな手段を使っても神の存在を人間に誇示しておるよ」
「そうですけど……つーか、この世界の神たちは人間がいる地上を見捨てて神の世界に戻って行ったのに、あの神父とか教会に通っている人間はそれも知らずに神の存在を信じて崇めているんですよね、意味ないでしょうあれ、アホなんですかね」
「すべての者が神を蔑ろにしているワケではないんじゃ。確かに信仰とは神を都合よく扱っている身勝手な行為にも見えるが、己が信じる絶対的なものを崇める行為というのは相手のためではなく自分のためという意味合いの方が強いんじゃよ。お主にだって心当たりはあるじゃろう?」
「それは……まあ……ええ」
「どんな人間であっても自分を信じる神を……あるいは神と同等だと信じている存在を崇拝する。信じているものがいる、存在する、同じ世界を共有しているだけで幸せ……といった想いによって生きる活力が湧き困難を乗り越えられる強さを得ることができるんじゃ。信仰というのは神のためであることはもちろんのこと、人が強く生きるために必要な行為なのじゃよ」
「……」
「人はその想いで強くなり子孫を残して数を増やし命を後世に繋ぐ。神は人が強くなるための過程で生み出された信仰心を得て存在を維持し、人が滅亡しないように世界をコントロールする……ワシの生まれ故郷だった世界はそうやって成り立っておるんじゃよ」
「で、ヤトさんはそれを滅茶苦茶にしたと」
「思い出したように蒸し返すな! 今は安泰しておるはずじゃ! たぶん!」