降伏を宣言した瞬間、部屋の空気が少しだけ緩む。
四人の中で唯一しっかりした意識を保っていた甲斐田は素早く術を練り、死角を縫うように式を飛ばした。
意識を失い縛られている二人、満身創痍をとうに越え倒れ伏すリーダー、そして視線を一身に集めている自分。この状態の自分たちに救援を出すのはあまりにハイリスクだ。けれど何もしなければ待っているのは死だけ。
きつく締められた手錠に顔を顰めつつ、拠点のある方角を見やった。
無造作に引きずられていた身体から一瞬重力が消え、しかし投げられた本人がそれを認識する間もなくまた長身が床の上を跳ねる。既に痛みが飽和した五体からくぐもった呻き声が漏れた。
さんざんに嬲られ牢に放られてなお返される反応に、黒服たちの間で不快感を上回る不気味さが広がっていく。
命を落としても何ら不思議でない傷を負いながら、加賀美はおぼろげながらも未だ意識を保っていた。
――それは却って不運なのかもしれないが。
目を開くことすらできず、全身を鈍く覆う痛みは身体の輪郭さえも曖昧に刺せる。
脳を、内臓を掻きまわされる心地は不快以外の何物でもない。
だが指一本動かない身体では何をする事もできず、ぼんやりと途切れない意識の中でその痛みに甘んじていた。
それから何時間経っただろうか。窓のない空間では判然としようがない――あったとして今の加賀美にそれを判別するような余裕はないが――ものの、時計の長針がゆうに数周したことは確かだ。
「……っう゛、え」
半開きの口から唐突にどろりと吐瀉物が漏れる。濁った咳によって押し出され、少しずつ床と服に染みを作りながら胃酸が喉を焼いていく。
そこに容赦なく蹴りが飛んできた。それまで存在ごと忘れたように放置していた黒服たちが、当初の熱狂を思い出したようにまた暴力の雨を降らせる。
傍目には死んだようだった加賀美が動いたのだ。そこにあるのは狂乱でも達成感でもなく、ただ得体のしれないものに向ける恐怖だけ。
死んでいてもおかしくない、動かないはずのもの。”人間でない”と認識したモノに一切の加減はなされない。
申し訳程度の見張りしかいない場から飛んでくる蹴りは先ほどより少ないとはいえ、とうに風前の灯火である命をかき消すには十分だった。
(……ああ、これはいよいよだな)
その時、ぴたりと雨が止んだ。人の倒れる音もしたが、破れた鼓膜は震えない。
「加賀美さん!加賀美さんいた、一番やばい!医療班速く!」
そうしてようやく、傷つけるためでなく手が差し伸べられた。
ROF-MAOの通信途絶から、およそ十時間後のことである。