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    Raiku

    雑食多カプオールリバ 字書き

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    Raiku

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    月鯉月 すでにお亡くなりになっているふたりの往復書簡。

    #月鯉月
    sixthLunarMonth
    #金カム腐
    golden-camRot

    あなたのお馬 シャクシャクと霜を踏みしめる音が、まだ藍色の空のしたに響く。少年は足元に残る雪を踏みしめ、祖父が歩く道をつくってやる。澄み切った春の空でも、北海道ではまだ雪が深い。重たいスコップを祖父の代わりに持ってやり、少年は大きく足を鳴らして雪を踏んだ。
    「坊は今年でいっつになったんやな?」
    「とぉ」
    「おお、もうそげん年か。ふてねえ」
     冬に膝を痛めたという祖父は、孫の名前を覚えない。男の子はみな坊で、女の子はオコジョである。ついでに年も覚えない。去年も似たような質問をされた。きつい薩摩訛が残る祖父の言うことは、少年には半分も理解できてはいないが、穏やかな慈愛がともる瞳で見下されるのは悪くない。父には怖い人だから怒らせるな、と度々言い聞かされてはいたが、膝をすりすり時々立ち止まらなければならない老人を恐れるというのも難しい。
    「どうしてこんなに朝早くにお墓参りにいくの? 雪が溶けてからでもいいのに」
    「ふふ、こんた逢引じゃっでね、ばっばんがよか顔をせん。春の朝なら許す。呆れて物が言えんのじゃな、ワッハハ!」
     祖父は戦時中、陸軍の偉い人だったというのは両親から聞いている。しかし、じぶんが物心つく頃にはすでに隠居し、慎ましい暮らしをする老人だった。確かに肩幅は広いし、背も高い。しかし足はすでに覚束なくなっており、いつ転ぶか子どもの目で見てもヒヤヒヤするぐらいだ。
    「逢引って、男の人でしょう?」
    「おお、じゃっど」
    「お婆ちゃんよりも綺麗だった?」
    「まさか。ばっばんは旭川一ん別嬪だぞ!」
     月島基、というのが祖父の逢引の相手だった。鯉登家の立派な墓とは離れた墓地に立てられている、どちらかといえば質素な墓。他の墓とともに雪に埋もれてどこにあるかもわからないものを、祖父はいとも容易くみつけてみせる。スコップで雪を落とし、墓のまえに置かれた雪で腐った菊の花を手に取り、新しいものを添える。
    「ああ、ああ、また来てくださっちょった……」
     祖父が呟いた。
    「お爺ちゃん以外にも?」
    「月島は、たくさん好かれちょったでね。よかにせやった。鼻は潰れちょったが」
    「ふぅん……」
    「だが、こん花はそんなかでも特別じゃ」
     祖父はその腐った菊を、たいそう大事そうに紙に包んだ。あれでは、またお婆ちゃんに叱られるのではないかと思ってしまう。
     線香をあげて、ふたりで手をあわせる。十の子どもはすぐに飽きて、早々に顔をあげた。祖父は痛むはずの膝を折り曲げ、長い間そこにいた。空からチラチラと雪が舞い降りてくる。祖父は熱心だった。熱心すぎるぐらいだ。
    「ばっばんには内緒じゃっどんな、といえすっめ、おいは月島に『ともに腹切ってけしんでくれ』て頼んだ」
    「結婚が嫌だったから?」
    「そうだなぁ。ばっばんが嫌やったんじゃなか。こん男以外は嫌やった。お爺ちゃんの一世一代ん大見得やった。月島は怒っせぇ、おいん首を絞めた。ブチ殺すど、ちゆわんばっかいに。あん時は、三途ん川が見えたわ」
    「ふぅん……」
    「ばっばんとん見合いを持ってきたんも月島じゃ。北海道一のよかおごじょじゃちゆて。それからすぐ後に、月島は満州で死んだ。奴はじぶんが長うなかとをわかっちょったんじゃな。どう死んだんかはわかっちょらん。戻ってこんやったちゅうこっは、死んだんじゃろ。もっと教えてもらおごたっこっがあったどん」
    「ふぅん……」
     熱を帯びた口調は、どんどん訛がキツくなってくる。浅黒く、シミだらけの祖父の手が、愛おしそうに雪からでてきた墓石を撫でる。かつて黒ぐろとして艶を放っていた髪は白くなり、杖をつかずに歩けない祖父が語るかつての恋人。男色、というのは大っぴらに語られることは少なくなったが、兄たちが隠し持つカストリ本をめくると、そういった話はいくらでも載っていた。特に、祖父は生粋の薩摩隼人だ。薩摩隼人といえば、そういうお国の気風がある。
     少年とて、まだ躰もできてないような幼さだが、幼いなりにも友人たちとじゃれ合いからの発展で、幼い性器を握り合い、滑らかな肌を吸った経験もある。祖父の場合、それが大人になってからも続いたという、そういう話だろう。
    「お爺ちゃんも、月島さんとお馬さんした?」
    「おお、坊もそういう年頃か。もちろんした。月島をお馬にしっせぇ、おいもお馬になった」
    「大人になってもできる?」
    「うーん、相手次第じゃな。嫌がっ子を無理にお馬にしてはいけんど、坊。辛抱が肝心じゃ。おいも月島を口説き落とすとに三年かかった」
    「お爺ちゃん、お馬のあとは何をすればいいの?」
    「決まったお馬がおっとけ?」
    「清くん」
    「うっふふ、坊は面食いじゃな。お爺ちゃんとおなじじゃ。あん子んまあり頬は、よかね。うん、よか趣味しちょい。だが気をつけ。あげんのは瞬っ間に意地悪になっど。手綱を握るっごつなっには、坊も頑張らんにゃな」
     祖父は皺くちゃの顔で微笑み、立ちあがる。心なしかその姿勢は伸びて、唐突に祖父が若返ったように感じられた。
    「月島さんがいなければ、きっと僕も生まれなかったね」
    「そうだなぁ……ハハ、そうじゃな。おやっどんや坊が生まれてなければ、おいも戦争を生き残れんやった」
    「僕、戦争のころはまだ生まれてないよ」
    「おっかんの腹におった」
    「そうだけど」
    「お爺ちゃんの部下たちも、生きて家族に会おごたったはずじゃ。一人でん多く生かすには、大将が倒れてはならん。そげんしっせぇ、そげんしっせぇ、沢山見送った。おいがこけおったぁ申し訳なかち思うきもっもあっ。終戦のときには、腹を捌こうち思うちょった。だが、坊がおった。むぜ泣き声をあぐっ坊をみていっと、どうにも死ん気になれんやった。情けなかこっじゃ。月島はわかっちょったんじゃど。おいがそうなっことを」
    「すごい人だね」
    「ああ!」
     晴れやかに笑う祖父は太陽に照らされ、急に昔の面影が差し込んでくるようだった。無邪気な笑み。彼の昔の姿を知る者は、たびたびその印象を口にする。彼が歩くと、どこにいても声でわかる。伸びやかで、騒がしく、行く先々でなにかを巻き起こす。少年にとっても生真面目で気の強い祖母は、両親以上に怖い存在だが、その祖母をしても「昔のお父さんほどの美男子はいなかった」と時々うっとりと乙女のような顔になる。祖母はいまだに焼き餅を妬いているのだ。祖父が愛した、月島という男に。

     少年だった男が二十五の年に、祖父は亡くなった。
     クリスマス前夜のことで、遺品を整理している最中、彼の道具箱からいくらかの写真と手紙がでてくる。先に亡くなった祖母との恋文もあった。それから、おそらく若い兵士から想われた手紙も。祖父は随分と色男だったようだ。階級も様々だったが、上からも下からも好かれたらしい。手紙から香る切々とした、彼らの率直な男心。しかし数が多い。多すぎる。
    「あらまぁ、すごい美男子ね、お爺ちゃま」
     隣で四つ下の妹が声をあげる。
     彼女の手にある写真を覗き込むと、黄ばんだそれにふたりの男が映っていた。
    「これはおモテになったのもわかるわ」
     軍帽を被った祖父は、凛々しい二十ばかりの年頃で、後年トレードマークとなる口髭も生やしてない。艶々とした黒髪に、涼やかな切れ長の目蓋といい、薄情そうな唇といい、錦絵に描かれた若武者さながらの美貌であった。その隣に、やけに鼻の低い無骨な男が立っている。いかにも軍人の男、といったような、さして興味を引くような姿ではなかった。写真をひっくり返してみると、祖父の字で『月島と』と記されていた。
    「こりゃあ」と男は声をあげた。「じじ様の恋人だ」
    「ええ?」
     妹が息を飲む。
    「月島さんは満州で亡くなったらしい。ちいさな墓をつくって、ばばさまに内緒で墓参りをしていた。ははぁ、これが月島さんか」
     みればみるほど、特徴のない男である。小柄であるとか、鼻が低いとか。ひとつふたつ前の世代では珍しくもない。月島は、実に地味な男だった。
    「月島さんの手紙があるわよ」
     妹の声がどこかウキウキとしている。この探索が面白くなっているのだろう。男も嗜めるふりをして、その実どこか浮足だっていた。祖父の恋人。これほど面白い肴があるだろうか。
     ふたりで今にも破れそうな、パリパリとした紙を広げて覗き込む。筆をつかった草書体で書かれており、読むのに少々苦労する。
    『——鯉登音之進様』
     軍人らしい畏まった文章ではじまる時候の挨拶、日々の報告。手紙が終わりかけた頃、唐突にその一文がでてくる。
    『最近中尉殿がとある一等兵と淫らな関係にあると耳にしました。誰々のタレコミかは聞かないでください。悪いのはその者ではありません。私が旭川に帰ったら、申し開きをなさい。長すぎても短くてもいけません』
    「ああらぁ、お爺ちゃま、お尻に敷かれてたのねえ」
     妹はおっとりとした口調で感心した。生前の祖母と祖父のやり取りを思いだす。十五という年で祖父に嫁いだという祖母は、生粋の軍人家系のお嬢様であり、祖父以上に厳しく、口うるさい人だったと記憶している。祖父は年の離れた気の強い祖母に頭があがらなかった。思えば、そういった気性に弱い性質だったのかもしれない。
     月島の手紙は数ある男たちからの手紙でも、もっとも大切に保管されており、道具箱だけでは足りずに葛籠の中からも発見された。しかもふたりの往復書簡だ。月島亡き後、祖父がじぶんで書いた手紙を処分せずに取っておいたものが多数ある。
    『月島基様——』
     祖父の手紙もまた、軍人らしい書き口だった。しかも恐ろしく率直である。なかには非常に卑猥な文章も残されており、妹ともども赤面しながら手紙を伏せなければならなかった。
    「お婆ちゃまにも月島さんにも。まあ器用だこと」
     妹は最近流行りの丈の短いワンピースなどを着て、髪も結わない女だが、さすがに赤くなった頬を手で仰いだりしている。
    「いや、昔の人はすごいな」男もまたモゴモゴ言ってみせる。「昔、そう言えばじじ様とお馬の話をしたなぁ」
    「お馬ってなぁに?」
     男は答えず手紙を次々と手にとってみる。中には祖母に対する詫び状もあった。月島の墓に関する詫び状である。彼の墓を建てる件で、ふたりは壮絶な諍いに発展したらしい。離縁という言葉も時々あがる。しかし、結果的には祖母が折れた。そうでなければ墓は立っていない。
    「あら、これは切手がないわ」
     妹が、葛籠のもっとも奥底に眠っていた封筒を取りあげる。月島基様、と記された封から手紙を取り出すと、これまでのものとは違い、時候の挨拶が記されていない手紙だった。
    『おまえが帰らず二年が経った。きっともう、おまえは生きてはいないのだろう』
     第二次世界大戦がはじまる少し前の日付である。幼い頃の記憶をたぐると、月島は大陸で行方不明になったという祖父の言葉が蘇る。第二次世界大戦前夜、新たなる戦争の火種を刻一刻と感じる陸軍少将の緊迫した近況とともに、おまえが側にいてくれたら、という弱音にも似た一文。祖父は、新たな大戦を喜んでいなかった。むしろ高まる一方の軍と民衆の声に不安を感じていた。
    『近頃、おまえに『ともに腹を切ろう』と迫った一夜のことを思い出す。おまえは私を押さえるのに苦労した。何時間も語り合い、首を絞めて、明けがた疲れ果てて床に伸びた。結婚は、おまえの為だった。だがしてしまえば妻は愛しく、子は可愛い。おまえがいなくなってからも、嵐のように忙しい日々。おまえとともに死んでしまいたいという気持ちは溶けてなくなり、ああ、おまえが遺したいものはこれだったのかと得心がいった。おまえはいつでも正しかった。おまえはいつだって私のことを考えてくれた。憎らしいほどに。おまえを待つのはもうよそう。女々しい気持ちは捨て去って、おまえを忘れて生きようと思う。だが、月島基様。来世、ふたたび相まみえることができたなら、どうかその時は、この鯉登音之進とともに生きてくださいませんか。わたしのあの日のワガママは、おまえさまとともに死にたかったのではない。おまえさまと生きてみたかったからだと、今になって思い返すのです。おまえが遺してくれたものを、わたしは真っ当する。だから次に相まみえたときには、あなたの手のひらでわたしを撫でて、もう一度口を吸うてください。わたしはあなたの低い鼻が好きでした。荒れた唇が好きでした。丸めた坊主頭が好きでした。今も昔も色んな男と寝ました。わたしはあなたが一等好きでした。月島基様。わたしは——』
     最後の一文は、筆の乱れがいっそう酷い。目を細めて読み取ろうとするが、叶わなかった。
     男は妹と顔を見合わせる。
    「どうしよう……」
     こんな手紙を残されて、処分するか否か。このまま保管しておけば、後世になんらかの資料として重宝されるかもしれない。しかし、あまり人目につかせて良いものでもない。
    「焼こう」
     自身の幼い頃を思い出しても、時代は刻一刻と変わっていく。子ども同士のじゃれ合いならいざ知らず、成人した男同士の恋愛はすでに忌むべきものとなりつつある。家の恥になる、という思いも少なからずあった。祖父に対する嫌悪の情などなかったが、この先、子や孫が困るような元となれば悔やむに悔やみきれない。
    「ちょっと可哀想だけれど、それがいいわ」
     明治・大正の気風をもった文学者たちがこの世を去り、ほんの数年前には時代の寵児だった三島由紀夫が死んだ。同性愛者というのは所謂オカマであり、男らしくないものであり、軽蔑と愛嬌の間を揺蕩うものだった。祖父の、月島への率直な愛、次に生まれ変わったらという一方的な約束。ふたりの想いに感じ入るものはあったが、やはり世間体のよいものであるはずがない。居間ではしゃぐ子どもたちの声が聴こえている。中々片付けを終えないふたりに焦れたのか、父が廊下から部屋を覗いてきた。
    「昼飯、いらんのか?」
     髪に白いものが混ざり始めた父の眉は、祖父そっくりの特徴的な形をしていた。
    「まずいものがでてきました」
     そう言うと、父はぐぐっと眉根を寄せた。
    「どうまずい?」
    「じじ様の男への恋文」
    「焼いてしまえ」
     それだけ言って父は去っていく。現物をみようともしなかった。父は即断即決。実に潔い。家長の許可が降りたことで、胸のつかえがスッと消える想いがした。祖父には悪いが、残しておく訳にもいかない。あるだけの文をだして、要らなくなった古い家具を焼く焚き火にくべてしまう。父は苦い顔をしてそれを眺めていた。妹は、ちょっと気まずげに小石を蹴っていた。男は、なんとなく、今更ながらに、勿体ないことをしたかもしれんと思っていた。
    「もし!」
     そのとき、唐突に玄関から声がかかる。妹が声のするほうにパッと飛び出していった。
    「こちら、鯉登様の御宅でしょうか」
     ねずみ色のスーツこそ着ていたが、どこか土っぽい顔の三十路ばかりの冴えない男だった。なにかの営業だったら追い払わなくては、と男は妹の後を追う。
    「あのゥ、鯉登……おとのしん様はご在宅でしょうか?」
    「祖父のお知り合いですか?」
     男は妹を下がらせて、一歩前にでる。その背の高さに驚いたのか、三十路男はやや怯んだような顔になった。
    「お手紙を……いえ、私が預かったわけじゃあないんですが。ええと、女房の知り合いの爺様がですね、遺品に手紙を遺しておりまして。旭川の鯉登おとのしん様宛に。その爺様は文盲でございまして、細かいお住まいもわからず、女房と私が、あの、電話帳でここじゃないかと、アタリをつけまして……」
    「拝見しましょう」
     男が差し出してきたのは、開封された封筒だった。
    「生前爺様が大事に保管していたようで。しかし、アノ……非常に無口な爺様で、死ぬまで私どもも、この手紙の存在を知らなかったのであります」
     煙草の黄ばみか、すでに手紙は開くのも怖いぐらいに汚れていた。中を検分するうち、男の眼が大きく見開かれた。
    「月島さんからだ」
    「ええ、兄さん! たいへん!」
     妹は忙しくパタパタと駆けていく。父や兄に「手紙、燃やさないで! 火を消して!」と叫びながら。
    『鯉登音之進様——のっぴきならぬ理由にて、帰還はかなわないと思われます。少年に使いを頼みました。音之進様へ、お達者で。できるだけ長く、お達者で。もうあなたのお馬になれないことが心残りです。ひと足先に駆けて参ります。あなたはゆっくりおいでなさい。今度ばかりは、道草を許します』
     火は消えない。妹がスカートをひるがえし、男を射抜く。唐突に。彼女の両眼が、写真でみた祖父の若き頃にそっくりであることに気づいた。
     どこかで二頭の馬が嘶いた。
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