波間に揺れる恋心今日は晴れ。雲一つない青空が広がり、まさにデート日和だった。
「今日はよろしくお願いします」
「は、はい! よろしくお願いします!」
待ち合わせ場所で向かい合い、エグザべは少し緊張した面持ちで頭を下げる。
シャリアはそんな彼を見て、クスッと笑った。
「フフ⋯⋯そんなに固くならなくても良いですよ。
ああ、そうだ。今日はお忍びデートですから、いつもの階級呼びはなしで、ね?」
そう言いながら、シャリアは人差し指をエグザべの唇に軽く当て、ウインクする。
「っ⋯⋯!」
エグザべの心臓が跳ね上がる。
至近距離で微笑むシャリアの顔が眩しくて、思わず視線を逸らしてしまう。
「もしかして、照れてます?」
「ち、違います!」
「フフ⋯⋯」
シャリアは楽しそうに笑い、軽やかに歩き出した。
エグザべは慌ててその後を追いかける。
※※※
青空が広がる穏やかな日。
波のきらめきがまぶしく、イルカたちが泳ぐプールの水面は澄んだコバルトブルーに輝いていた。
「⋯⋯わぁ」
エグザべは水辺に立ち、目の前の光景に思わず感嘆の声を漏らした。
ここは水族館の特別プログラム「イルカと泳ぐ体験」エリア。
シャリアと二人、ライフジャケット付きの水着を着て、今まさにイルカと一緒に泳ごうとしていた。
「エグザべ君、準備はいいですか?」
「は、はい!」
緊張気味の返事に、シャリアは優しく微笑んだ。
「フフ⋯そんなに構えなくても大丈夫ですよ。イルカたちはとても人懐っこいですからね」
「そ、そうですよね⋯⋯!」
そう言いながら水に入ると、ひんやりとした感触が心地よい。
シャリアもすぐに隣に入り、トレーナーの指示に従いながらイルカにゆっくりと手を伸ばす。
「すべすべしてますね⋯⋯」
「ええ、本当に。とても綺麗な肌です」
二人が撫でると、イルカは楽しそうに鳴き声を上げた。
その仕草があまりにも愛らしくて、エグザべもシャリアも自然と笑顔になる。
トレーナーが合図を出すと、イルカたちは二人を優しく引っ張るように泳ぎ始めた。
「すごい……!」
エグザべは驚きながらも、シャリアと一緒に水面を滑るように進んでいく。
波が柔らかく身体を包み込み、イルカとともに泳ぐ感覚は、まるで夢のようだった。
「エグザべ君、楽しんでいますか?」
「はい! すごく楽しいです!」
その答えに、シャリアは満足そうに目を細める。
すると、その瞬間だった。
「⋯えっ?」
「うわっ!」
「わっ!」
なんと、目の前のイルカが突然シャリアの頬に軽く口先を押し当てた。
驚く間もなく、もう一頭のイルカがエグザべのほっぺたに「チュッ」とキスをする。
「フフ⋯可愛らしいですね」
シャリアは微笑んでイルカを優しく撫でる。
一方、エグザべは頬を押さえながら、どこか複雑な表情を浮かべていた。
「⋯⋯エグザべ君、どうしました?」
「⋯いえ⋯⋯ただ⋯⋯イルカに先にキスされてしまったなぁって」
シャリアはその言葉に一瞬驚いた後、くすっと笑った。
そして、耳元にそっと囁く。
「フフ⋯⋯なら、あとでしましょうか?」
「シャリア、さん⋯⋯人前ですよっ」
「おや、失礼。そうでしたね」
シャリアがいたずらっぽく微笑むと、エグザべの顔は一気に真っ赤になった。
スタッフもそんな二人のやり取りに気づき、思わず頬を染めて視線をそらす。
イルカたちはそんな人間たちの様子を楽しんでいるかのように、ピョンと水面を跳ねる。
まるで舞台のワンシーンのように、甘くくすぐったい空気が漂っていた。
ふと視線を移すと、水槽の向こうにゆらめく青い光が目に入る。
二人はプールから這い出ると、タオルで濡れた体を拭いた。
「次、水槽を見ましょうか」
「いいですね」
濡れた髪を軽く拭き、服に着替える。支度を終えると、並んで館内へと歩き出した。
水槽の前に立った瞬間、エグザべは息をのんだ。
幻想的だった。
薄暗い館内の光を受けて、シャリアの横顔はまるで別世界の住人のようだった。
「⋯⋯エグザべ君?」
名前を呼ばれて我に返る。
水槽の向こうでは、色とりどりの魚たちがゆったりと泳ぎ、青い光がゆらめいている。
光がシャリアの髪や肌に反射し、淡い輝きを生んでいた。
「シャリアさん⋯⋯すごく綺麗です」
「え?」
思わず口にした言葉に、シャリアは少し驚いたように瞬きをする。
それから、ふっと目を細めて微笑んだ。
「フフ、ありがとう。でも、私はただの人間ですよ?」
そう言う彼は、やはり美しかった。
「⋯⋯でも、シャリアさんは特別です」
エグザべがそう呟くと、シャリアは一瞬、驚いたようにまばたきをした。だがすぐに、優しく微笑む。
「そんなふうに言ってくれるなんて、光栄ですね」
シャリアの声は、青い光の中に溶けるように柔らかかった。
水槽の向こうでは、魚たちが静かに漂い、ゆらめく波紋が天井へと映し出されている。
まるで、この場所だけが別世界のようだった。
エグザべはふと、もっと近くで彼を感じたくなる。
けれど、その想いを胸の奥にそっと閉じ込めた。
「⋯ペンギンの行進が始まるみたいですね」
不意にシャリアがそう言い、エグザべはハッとする。
「見に行きましょうか」
彼の差し出した手に、そっと手を添えると、二人は並んで歩き出した。
よちよちと歩くペンギンたちが、静かな館内に小さな足音を響かせる。
その姿を見つめながら、エグザべは隣にいるシャリアの横顔をもう一度そっと盗み見た。
ペンギンがころんと転ぶたびに、観客から微笑ましい笑い声が上がる。エグザべもつられて笑みを浮かべた。
「フフ……可愛らしいですね」
シャリアが楽しげに目を細める。
その声音はどこか優しく、穏やかで――エグザべは思わず、その横顔に見入ってしまった。
淡い光に照らされたシャリアの微笑みが、妙に胸に響く。
(⋯中佐の笑顔のほうが可愛い、なんて言ったらどんな反応するかな⋯⋯)
不意にそんな考えがよぎり、エグザべは慌てて視線を逸らした。自分の頬が少し熱くなっている気がする。
ペンギンたちはよちよちと進み続け、穏やかな時間が流れていた。
そんな穏やかな時間が流れる中、シャリアがふと掲示板に目をやる。
「エグザべ君、次はカワウソの餌やりですよ」
「えっ!? 本当に!?」
目を輝かせるエグザべを見て、シャリアは小さく笑った。
「フフ⋯本当にカワウソが好きなんですね」
「はい! 小さい頃からずっと好きで⋯⋯!」
カワウソの小さな手がエグザべの指に触れる。
その感触に、エグザべは思わず「かわいい⋯⋯」と呟いた。
「フフ⋯⋯なんだか、エグザべ君みたいですね」
「えっ!? どういう意味ですか!?」
「素直で可愛いところとか⋯⋯」
「い、意味がわかりません!」
シャリアは楽しそうに微笑み、エグザべの手をそっと握る。
エグザべが顔を赤くしながら口を閉ざすと、シャリアはくすっと微笑んだ。
穏やかな空気が流れる中、二人は自然と歩き出し、次の展示へと向かう。
その後も、二人はさまざまな生き物を見て回った。
カワウソとの触れ合いを終え、水族館の奥へと進む。
途中、幻想的に揺らめくクラゲの展示に足を止めたり、大水槽で優雅に泳ぐエイの姿に見惚れたりしながら、ゆったりとした時間を過ごした。
青く静かな世界の中で、言葉にしなくても心地よい空気が二人を包んでいた。
「エグザべ君、次はシャチのパフォーマンスですよ」
「えっ、シャチ!? それは見なきゃですね!」
エグザべの期待に満ちた声に、シャリアは微笑んだ。
そして、会場に移動して席についた二人は、迫力あるシャチのジャンプに歓声を上げた。
——が、予想以上に大きな水しぶきが客席に降りかかる。
「わっ⋯⋯!」
「⋯⋯濡れてしまいましたね」
シャリアは髪から滴る水を指で払う。
その動作が妙に優雅で、濡れた髪が肌に張り付く様子はどこか色っぽかった。
(やばい⋯なんか色っぽい⋯⋯!)
エグザべは視線を逸らしたが、赤くなった耳を見咎められてしまう。
「⋯エグザべ君?」
「な、なんでもありません!」
「フフ⋯⋯」
シャリアは微笑みながら、エグザべの頬にかかった水滴を指で払った。
その指先の感触が熱を帯びているようで、エグザべの心臓が跳ねる。
そんなやりとりの後、最後に訪れたのは『タコとの触れ合いコーナー』だった。
「うわ、ヌメヌメしますね⋯⋯!」
水槽の中から伸びてきたタコの足が、シャリアの手首に絡みつく。
彼は驚きつつも、指先でそっと吸盤を撫でた。
「思ったより柔らかいですね」
穏やかに微笑むシャリアの指をタコが這うように動き、エグザべは思わず息をのんだ。
(ちょ、ちょっと待って⋯⋯この光景、危険じゃないか?)
シャリアの滑らかな指に絡みつくタコ、その吸盤が肌に触れるたびに艶めかしく見えてしまい、エグザべは無理やり視線を逸らす。
(やばい、触手プレイに見えてきた⋯⋯)
「エグザべ君、どうしました?」
「い、いえ、なんでもないです!!」
シャリアは不思議そうに首を傾げるが、エグザべはこれ以上考えると危ないと思い、そそくさと手を引っ込めた。
今日一日で何度顔を赤くしたかわからない。
でも、確実に言えることは——。
「⋯とても楽しかったです!」
「フフ⋯それは良かった」
シャリアが静かに微笑み、エグザべの手をそっと握る。
波の音が優しく響く中、二人の距離はゆっくりと縮まっていった——。
※※※
夕暮れの海辺を、二人はゆっくりと歩いていた。
空は茜色に染まり、波打ち際に映る光が揺れる。
その景色はどこか幻想的で、まるで二人の世界だけが優しく包まれているかのようだった。
エグザべはちらりと隣を歩くシャリアの横顔を盗み見る。
海風に吹かれた前髪が揺れ、柔らかい光を浴びた横顔が、どこまでも穏やかで美しい。
——今なら、言えるかもしれない。
「シャリア、さん⋯⋯今日はありがとうございました」
「いいえ、私も久しぶりに羽を伸ばせて楽しかったですよ。また、誘ってください」
シャリアは優しく微笑む。
その笑顔があまりにも温かくて、エグザべの胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
「また、誘ってもいいんですか?」
「もちろん」
その言葉に、エグザべの心臓が跳ねる。嬉しい。
けれど、それ以上に——今、この気持ちを伝えたい。
「あ、あの⋯⋯」
意を決してシャリアの正面に立ち、彼の名前を呼ぼうとした瞬間、ちょうど波が寄せてきて足元が濡れる。
シャリアはふっと笑い、少し後ろに下がった。
その仕草すらも愛しく思えてしまう自分に、エグザべは戸惑いながらも勇気を振り絞る。
「シャリアさん⋯⋯」
ゆっくりと手を伸ばし、シャリアの手をそっと包み込む。
その感触に、シャリアは驚いたように目を瞬かせた。
けれど、拒まれることはなかった。
エグザべはもう迷わない。
夕日を背に、そっとシャリアへ顔を近づけ——。
唇が重なる。
柔らかくて、温かい。
最初はただ触れるだけの優しい口付けだった。
けれど、胸に溢れる想いがそれだけでは収まらず、エグザべはシャリアの後頭部へ手を添えると、深く吸い寄せるように唇を重ねた。
「⋯⋯っ」
シャリアの肩が小さく震える。
けれど、押し返されることはなく、逆に彼の指先がエグザべの胸元にそっと添えられた。
それが、拒絶ではないと分かった瞬間——エグザべの中の理性がゆっくりと溶かされていく。
「エグザべ、君⋯⋯これ以上は止まらなく⋯なります⋯⋯」
掠れるようなシャリアの声が、耳に甘く響く。
「止まらなく⋯なってもいいんじゃないですか?」
言葉の通り、エグザべはさらに深く口づける。
唇を啄むように触れ、角度を変え、シャリアの息を奪うように何度も重ねる。
そのたびに、シャリアの肩が小さく揺れ、呼吸が浅くなっていくのがわかった。
「エグザべ君⋯私は、君よりもおじさんで⋯君の上司ですよ?」
掠れた声でそう言うものの、その言葉に力はなかった。
むしろ、その手はエグザべの腕にすがるように触れている。
「⋯そんなの、関係ありません」
エグザべは迷いなく答えた。
シャリアがどんな立場であろうと、年齢がどうであろうと——今、この人を求める気持ちに嘘はつけない。
エグザべの指がシャリアの頬をなぞると、彼の瞳がわずかに揺れる。
もう、抵抗する気はないのだと、その瞳が物語っていた。
再び唇を重ねると、シャリアの吐息が漏れる。
「んっ、はぁ⋯⋯」
腕の中で身を預けるように寄りかかってくるシャリアを、エグザべはしっかりと抱きしめた。
波の音が遠くに聞こえる。
夕日が沈みかけ、空は赤から紫へと移り変わる。
この時間が、どうか終わらなければいいのに——そう願わずにはいられなかった。
シャリアの髪に顔を埋め、そっと囁く。
「⋯⋯このまま、どこにも行かずにいられたらいいのに」
エグザべの囁きに、シャリアはそっと微笑んだ。
「⋯⋯エグザべ君は、わがままですね」
「シャリアさんが、そうさせるんですよ」
エグザべは絡めた指をきゅっと握り、名残惜しそうにシャリアの唇に触れる。
「⋯⋯こんなに好きなのに、どうしたら伝わるんでしょう」
「もう、十分伝わっていますよ」
シャリアは優しく微笑みながら、エグザべの頬に触れた。
その温もりに包まれ、エグザべは幸せに目を細める。
「⋯⋯それでも、もっと欲張りになってもいいですか?」
「⋯⋯仕方ありませんね。貴方の好きなように」
囁く声が、甘く耳をくすぐる。
エグザべは堪えきれずにもう一度、シャリアの唇を奪った。
シャリアの囁きを合図に、エグザべはもう迷わなかった。
絡めた指をさらに強く握りしめると、甘い吐息とともにシャリアの唇を深く奪う。
触れるだけの口づけでは足りなくて、舌先でそっと唇をなぞる。すると、シャリアの身体がわずかに震えた。
「ん⋯⋯っ」
誘うようなその反応に、エグザべの理性が煽られる。
遠慮がちだった舌をゆっくりと差し入れ、シャリアの柔らかさを確かめるように絡めとる。
「⋯っ、ふ⋯⋯」
熱を帯びた吐息が混ざり合い、唇が触れるたびに水音が零れる。シャリアの腕がエグザべの首に絡みつき、唇を逃がすどころか、さらに深く求めてくる。
それが嬉しくて、エグザべはシャリアの腰へと手を滑らせた。
ゆっくりと撫でると、指先に伝わる温かさが心地よくて、もう少し触れていたくなる。
シャリアの身体が小さく震え、エグザべを見上げる瞳に色が宿る。
「⋯エグザべ君⋯⋯」
掠れた声が、どこか戸惑いを滲ませる。
それでも拒まれないことに甘えて、エグザべはさらに密着するようにシャリアの腰を引き寄せた。
「⋯こんなに求めてるのに、どうしたら足りるんでしょう」
「⋯⋯そんなふうに求められたら、余計に足りなくなるんですよ?」
囁く声が、甘く耳をくすぐる。
エグザべは堪えきれずにもう一度、シャリアの唇を奪った。
絡めた舌を離さずに何度も深く口づけるたび、シャリアの息が甘く乱れる。
「んっ⋯はぁ⋯⋯っ」
シャリアがエグザべの肩に指を沈める。
ほんのり赤くなった唇が、熱っぽく開閉して、無防備に彼を誘っていた。
そんな姿が、愛おしくて、堪らない。
「⋯⋯もっと、貴方を感じたいです」
「⋯⋯仕方ないですね。好きなだけ甘えてください」
名残惜しそうに囁き、エグザべはそっとシャリアを抱きしめた。
波音が静かに二人を包み込み、赤く染まる空の下、触れ合う温もりだけが、いつまでも消えずに残っていた——。
-END-