姫とネズミの懸案 姫鶴一文字は情に厚く、それを隠さない男士だった。
上杉の刀に特別思い入れがあるのはもちろんだが、距離を置きたいという一文字の一派のことも、蔑ろにしているわけではなかった。
だから、姫鶴一文字が審神者に対し眉を顰めるのは必然だったのだ。
この本丸では、審神者と何振かの刀剣男士との間には身体の関係があった。ご主人様の気の向くまま思うまま、あれよあれよとこの現状。どうにもならずその場で喚くばかりで、悪化することはあれど良くなる気配は微塵も無い。自分の所の頭領も、その側近みたいなのも、果ては先代のご隠居まで、皆仲良く穴兄弟らしい。加えて、同派以外にもお手付きの男士がいるようだ。
「あんたさ、本丸をハーレムかなんかだと思ってる?」
姫鶴一文字は、不必要な我慢はしない質だった。
いつか"けんけん"に言ったように、なんで我慢しなくちゃいけないのかを考えたからだ。我慢しなくていい事もあると、姫鶴一文字は知っている。今はものを言う口があるのだから、理不尽な要求や振舞にはノーと言いたい。基本的に、"主"という生き物に抗えないのだ、我々"物"というやつは。
「な、なん、えっ、なに……?」
「全部言わないと分かんない?」
姫鶴一文字は綺麗な男だ。新雪を編んだような髪が光を吸い込みさらさらと肩の上を流れる。鶴を思わせる優雅な身のこなしと、決して女性らしさを感じさせない身長と厚み。そこから伸びる骨の張った男の手が、人差し指と親指で輪を作り、もう片方の人差し指をくぐらせる。見目の美しさに似つかわしくない、下品な動作だ。
審神者は狼狽える。どこで知られてしまったんだろう。あのアクアマリンのように澄んだ瞳で、じいと観察されていたのだろうか。ぐるぐる回る脳みそに気持ち悪くなって、そのまま卒倒してしまえたらどんなに楽だったろうか。何か言わなきゃと思うのに、思わず出そうになる手を抑えるのでいっぱいだ。
「………………」
「はぁ……図星かよ」
審神者は素直だった。馬鹿正直、という方が正しいのかもしれない。そういう知識だけはあるせいで、姫鶴のそれが何を意味するのかを知っているし、何のジェスチャーだと誤魔化すことも出来なかった。じわじわと滲む視界は己の意志と全く関係がない。
「だって、でも……関係ないじゃん、姫鶴には……」
ようやく絞り出した言葉に、姫鶴は声を低くした。
「はぁ……? それ、本気で言ってる? 同じ釜で飯食ってる奴らが、ご主人様としこしこよろしくやってんの知って、気持ちよく戦えると思ってんの?」
「あ、あ……」
「士気に関わる、っつってんだよ」
「したくてしてる訳じゃ……」
「なにそれ。そうだとして、拒否も出来ないって? よわ」
「なんでそんなこと言うの」
「何回同じこと言わせんの」
「………………」
反論もまるで意味がない。したくてしてる訳じゃない? じゃあなんだ。刀剣男士が主さまのまんこに己のちんこ突っ込んで善がりたいですと次から次へ挙手しているとでも言うのか。それとも、刀剣男士から霊力供給を受けないと死ぬとか、そういうやむを得ない事情なのか。アホだろ。本当にやりたくないなら拒否すれば? 飼い犬の躾も出来ねえなら辞めちまった方が"けんめー"。
口に出そうとして、止めた。これ以上責めたところで、この女は何も変わりはしないだろう。
ご隠居は一体何を考えて野放しにしているのか。あのヒトの放任主義は本当に厄介だ。崖から落として自力で戻って来られなければハイサヨナラの頃を思えば今はだいぶ丸く見えるが、それにしたって――。
「……どうしてこれに夢中なんかね、うちの頭領もご隠居も。あー。すごい名器、とか? ね、どうなん?」
「しっ知らない、知らない!」
首を振ると、重い黒髪が左右に靡く。
こういう、アホで陰気くさいのがお好みなワケね、うちのお歴々は。
「…………あんたさぁ。おれに抱かれろって言ったら、抱かれんの?」
「………………」
「はは、否定しないんだ。ウケんね」
すぐ横の壁についた手は、審神者の頭を掴んで潰せそうな大きさがある。
「おれ、あんた無理だわ」
白銀の髪に覆われ、しんしんと降る雪の中で茫然と立ち尽くすような錯覚に陥った。