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    御旅屋 司企

    @Noatym_11

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    御旅屋 司企

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    けむらべ小話🧹
    喰笑とビット清掃の話。

    幸福な夢紙切れ片手に、歩みをひとつ。ふたつ、みっつと続けば、軽くも重くも聞き取れる奇妙な足音がついて行く。余計な音を消す行為は、先手を取るには有効かつ重要な手段だ。人間を相手にしていた頃の、まるで職業病のような癖が、未だに抜けきらない。

    とはいえ、流石にこの長靴では効果も半減。故に、聞き慣れない奇妙な音が足裏から流れ出す。まぁ、これから相手にするのは人間などという何処にでもゴミのように湧いてくる生物ではないのだから、特に気にする必要も無い。音に敏感などという特性があるのなら話は変わるが、今回はそんなこともないのだから。

    肘を曲げ、片腕を上げる。ギリリ、ギリ。身体を伝って響く、足裏とはまた異なる毛色の音色。その発生源は作り物の関節から。パッと一目見た時の色合いから、金属製に思われがちな、鈍く光る異物。あの日、世への期待と共にこの身からもぎ取られた片腕の代わりを務めようと、懸命に働く健気な人工物だ。確か先日、軽く整備をしたばかりのはずなのだが……手入れが悪いのか、使い手が悪いのか、既に不調を訴え始めている。

    (文字通り、手の使い方が悪い気はするけど……まぁ安物だからな)

    義手など、最低限の役割を果たせればそれでいい。そのような安直な思考で選んだ一品だったが、安物買いの銭失いだったか。使い所がないせいで貯まる一方の紙札もあることだし、専門の者へ修理に出すなり買い換えるなりを考えておくとしよう。

    そんな使い手に恵まれぬ哀れな義手に掴まれているのは、今回の清掃対象について書かれた紙。デジタル化が謳われるこの時代に、紙媒体というのもどうなのか。だが、会社側にも清掃時の衝撃による破損の危険だとか何とか、色々理由があるのかもしれない。何も知らぬまま責め立てるのもなんだろう。それが単に、システムの導入やら何やらで、余計な仕事を増やしたくないだけの屁理屈である可能性は否めないが。

    (精神面に作用する、いわゆる幻覚と呼ばれる類いを操るビット……"らしい"、か。今ある情報は全て未確証で、確定情報は無し……今回の特徴を踏まえれば仕方ないか)

    紙を這う文字列を素早く追う。視覚を通じて、情報が脳内を駆け回る。幻覚。その一言で片付けるには、いささか表現が幅広いだろう。あくまで現実ベースで、その中に本来ならば有り得ないものが見えるのか。それとも、世界そのものがまるっと変化してしまうのか。それだけの差でも、かなり清掃の難易度は上下するはず。

    しかし、情報が少ないのも仕方のないことだ。なんせ、たとえ何を見て、何を体験しようとも、それらは全てビットの幻覚によるものである可能性が拭えないのだから。複数人で遭遇していれば、或いは正確な情報が得られるのかもしれないが、そう都合の良いことばかりではない。

    故に、ここから先は全て確証のない情報となる。それを前提に添えつつ、足と目を同時に動かし続けた。

    対象は決まった形を持たず、霧のような、或いはモヤのような曖昧な形状。それを至近距離で目視、吸引、接触など、とにかく「触れた」と言える状況に陥ると、幻覚作用が現れる……とのこと。

    幻覚の内容については更に曖昧な情報となるが、この紙切れによれば、案外悪いものでもなさそうだ。
    何せ、その幻覚に触れることで、「幸福な夢を見られる」のだから。

    このビットに遭遇した者は皆一様に、惚けた夢見心地な状態で発見されたらしい。外傷などは特に無し。死者も出ていない。何とも平和なものだ。
    ただし、夢の世界からの生還者も、未だいないのだが。

    大方、罠を張る狩人のように、幸福な夢とやらに吸い寄せられた哀れな餌を仕留めているビットなのだろう。なんと賢い野生動物か。見事に捕らえているにしては死者が出ていないことを踏まえると、その主食は人肉などという単純なものではなさそうだ。

    賢いビットの生み出す幻覚から逃れる術は書かれていないが、大体の予想はつく。夢を夢だと認識する。夢の中で、その夢を構成する大元を叩く。それだけの話だろう。人によっては苦労する案件かもしれないが……生憎、私とは相性が良い。そう判断されたからこそ、今こうして派遣されているのだろうし。

    「幻覚、夢……ね」

    紙切れに落としていた視線を上げる。視界に映るは灰色の砂漠。幻覚を操るビットとやらは、果たして夢を持たぬ者に何を見せてくれるのだろう。

    そういえば、先程の紙切れには幸福な夢とやら以外にも、大切な人や物を見せるとも記載があった。大切な人。夢というあやふやなものよりもずっとイメージしやすい、殆どの者が持ち合わせているであろう世間一般的なもの。過去を持たぬ私にも、大切な人とやらはいるのだろうか。何だかんだ、これだけの年数を重ねてきたのだ。自覚はなくとも、1人くらいはいてもおかしくない……はず。

    たとえそれが、甘い誘惑に彩られた虚構だとしても。自らの手で殺めねばならない虚像だとしても。少しくらい、期待してもいいだろうか。

    (幸福な夢の中で、大切な人と共に、最期を迎える。うぅん、実に浪漫ある終わり。私には似合わないどころの話じゃない)

    もし、社員の誰かが出てきたとしたら。こちらから手を出せば、相手もその得物を振り上げるのだろうか。それとも、大人しくされるがままなのか。出来うることなら前者の方が、私の終わり方としては及第点レベルの相応しさな気がする。

    「あぁ、『夢に夢見る心地とは、こんな場合をいうのであろう。私は痛みの上にソッと手を当てー』……っと」

    余計なことを考えている間にも、景色は流れ続け……実際は左右共にビルの壁がそびえ立っているため景色も何も無いが……唐突に足音を止めた。目的地周辺、案内終了。役目を果たした紙を小さく小さく折り畳む。果たして、何度繰り返せば空まで届くのか。

    (対象はー……目視できる範囲には見当たらないな。……ん?)

    黒霧のようなもの、とぼんやりとその姿を想像しながら周囲を見渡すも、それらしき影は見当たらない。しかし、その代わりと言ってはなんだが、ふとある事に気づいた。ふと気づくには少々重大な、ある事を。

    (幻覚とやらはいいとして……情報通り、本体が掴みどころのないビットだとしたら、これは使い物にならないのでは……?)

    これ。視線の先にあるのは、肩から雑にぶら下げたもう1人の相棒。本来であれば「掴む」ことこそが、1番の存在理由であるはずの得物。他にも使いようはあるにはあるが、掴めぬトングなどトングではない。

    「………………」

    これは、あれだろうか。今回のビットと私自身の相性は良くても、得物からの視点だと一転して最悪になるのでは。ふぅむ、なるほどなるほど。

    (……まぁ、何とかなるだろう。ならなかったら、その程度の生だったわけだ)

    過ぎたことを悔いても仕方ない。後から悔やむと書いて後悔など、そんな言葉遊びに興味も無い。今この場にあるもの、見えるもの、全てを利用する。清掃対象を確実に仕留める、ただそのためだけに。昔も今もやる事は変わらない。学の無い私でもわかる、実に単純明快な仕事。たとえ得物が使い物にならずとも、何も変わらない。

    それはそうと、既にビットの目撃情報が相次ぐエリアに踏み入っているはずなのだが、一向にそれらしいものが見当たらない。まさか、存在そのものも幻覚などというくだらないオチでは……。

    「っ!!」

    一瞬。秒という単位すら追いつかぬほどの、僅かな一瞬。だが、確かに見えた。黒……だろうか、何かが真横を有り得ないほどの速度で通り過ぎた。これも幻覚と言われたらどうしようもないが、まだそれらしいものに遭遇すらしていないのだ。幻覚を食らう条件は満たしていないし、見間違いでもない。

    (なんだ……?ビット?横を……)

    通り過ぎた何かを追うように、遅れて背後を振り返る。

    ……振り返った、はずだった。

    「…………は?」

    何も、見えない。

    比喩でも何でもない。何も見えない。一面の暗闇。突然、継ぎ目のない黒箱の中に閉じ込められたかのようだ。光どころか、何かの輪郭だとかそういったものですら見えない。何も無い。今、本当にこの場に自分というものが存在しているのか、思わず不安に思えてしまうほどの見事なまでの黒。

    (なんだ……?視覚を、盗られた?そんな情報は……)

    そんな情報はなかった。そう続けようとして、はた、と思考を止める。そのまま、つい先程までの思考へと巻き戻した。

    情報。今回の清掃対象のビットに関する情報。それは殆どが不確定なものだったはずだ。未だ判明していない能力を所持していたとしても文句は言えまい。何せ、相手は幻覚、それも夢に類似したものを操るのだから、言ってしまえば何でもありな存在でー……。

    ……幻覚。夢。これも、夢なのか。

    視界が黒に染まる前、一瞬見えた黒っぽい何か。もしや、あれだけでビットに「触れた」扱いにでもなったのか。その結果がこれ、と。そう考えれば辻褄が合わないこともない。あれでも周囲を警戒していたというのに、何の違和感もなく視覚を奪われるよりは、幻覚の方がまだ有り得る話だ。

    (となると……随分つまらない夢だな)

    幸福、大切な人。そんな素晴らしい夢を見せてくれるのではなかったのか。今眼前に広がる光景をビットの野郎に突きつけてやりたい。光景と呼ぶのも憚られる、何も無い空間。詐欺もいいところだ。

    「……何も無い、か」

    それでも何か、見えるのではないかと期待していた。こんな私でも、ひとつくらい、夢見るものがあるのではと。だが、そんなことはなかったらしい。私には、やはり、何も。

    一歩、足を踏み出す。相変わらず何も見えはしないが、ここは既にビットの領域内。どうにか突破口を掴まねばならない。だが、何も無い中で、一体どうビットの尻尾を掴めばよいというのだろう。せめてぼんやりでもいいから、もう少し見えてくれれば……。

    「うっ!……?」

    見えないものは仕方ないと、半ば諦めかけながら足を動かしていると、突然頭部に衝撃が走った。鈍器で力任せに殴られたような、硬い感触。視界が歪むような感覚が襲うも、視覚が機能していないせいでよくわからない。何かいるのだろうか。わからない。わからないが、一旦離れなくては。

    頭部に衝撃を受けたと思われる地点から離れるように、慎重に後ずさる。前に進んでいるのか、はたまたイメージ通り後ろに進んでいるのか、それすら掴めない。続けて衝撃を受けるようなことはなかったため、一応下がれてはいるのだろうか。

    (これはまずいな……まるで突破口が見えな、い……うん?)

    じり、じり、と足を地面と思われる場所に擦り付ける。と、踵辺りに何かがぶつかった。反射的に振り向くと、何も映らなかったはずの視界の中に、何かの輪郭がぼんやりと浮かんでいる。アレは……なんだろうか。

    警戒は怠らず、ゆっくりと膝を折る。何かに向けて、両腕を伸ばしていく。だが、何故か片腕の感覚がない。これも夢、だからだろうか。

    残った手の先が何かに触れる。柔らかい、しかし少しガサガサしているような、チクチクしているような奇妙な手触り。撫でるように上から下へと手の平を動かす。どうやら球体に近い形をしているようだ。

    「ん、んん……重い……なんだこれは」

    試しに持ち上げてみようと、手を何かの下部へと添える。そしてグッと勢いよく上へ力を込めてみたものの、思っていたよりも重量がある。気を抜くと重力に従って落としてしまいそうだ。

    何とか支え直し、よく見てみようと顔の前に掲げた。ぼんやりと見える輪郭。これは、黒い髪、か。その下には2つの空洞。……いや、これは、この顔は。

    「……はは、悪趣味だな」

    見覚えのある顔。あぁ、見間違えるわけもない。これは、これは、私だ。髪色も違えば、目玉も綺麗にくり抜かれてはいるが、間違いなく私の顔。正確には、私の生首だ。全く、何が幸福な夢だ。これではとんだ悪夢……では……。

    (……本当に?)

    不吉な赤色の髪、奇怪な瞳孔。私の嫌いな、私。それが綺麗さっぱり無くなってしまえば、それは見方を変えれば幸福と呼べるのではないか。夢を見られないのならば、作り出してしまえばいい。嫌なもの、嫌いなもの、全てを消し去って。

    ……そうだ、そうだった。私は目に映るものが、この世が、嫌いなのだった。ならば何も見えやしない今の状況も、幸福な夢のひとつと言えるのか。嫌いな世を消し去って、嫌いな私も消し去って、何も無い場所で、ひとり。

    己の生首を胸元に抱く。なんて素敵な悪夢なのだろう。もう無理に、腐った世を生きずに済むのだ。ようやく、ようやく。あぁ、なんて素敵な悪夢なのだろう……。



    「……んなわけねぇだろ、クソッタレが」

    偽物の髪を掴む。片腕を高く振り上げる。重量はあるが、勢いをつければ問題ない。そのまま腕をグルリと回し、下へ向けて、振りかぶる。

    夢から逃れる方法は、その夢を構成する大元を叩くこと。幸福な夢から逃れる方法は、夢の中で大切なものを、壊すこと。

    そうだろう?


    『ぎぃやあっっ』

    人ともそれ以外とも取れぬ、奇妙な断末魔。何かが押し潰される音がそれに続き、同時に黒が晴れた。

    突然開けた視界に、今度は物理的に視覚を奪われそうになる。酷く眩しい。突然目隠しを外されたかのようだ。

    目を細めながら足元を見下ろすと、そこには黒い水溜まりのようなもの。水、というよりは潰されたスライムか。水とは異なり、僅かに盛り上がっている。これが、本体だろうか。

    「はぁ……疲れた……」

    周囲へと目を向けると、殆ど移動していない。やはりあの一面の暗闇は、ビットによる幻覚だったらしい。いやはや、まさか何も見えない幻覚などというものが存在するとは。無いものを見せるのが幻覚ではなかったのか。

    まぁ、いい。期待を裏切られることには慣れている。結果として清掃はこなせたのだからそれでいい。過程など、どうだってよいのだから。

    それにしても、妙に頭部が痛む。視界もまだ覚束無い。まだ幻覚の後遺症が残っているのだろうか。これは暫く休んでから、会社に戻る方のが懸命か。

    生身の方の手でトングを持ち、黒のスライムのようなビット、もといビットだったものを突く。確実に死んでいる。これなら、もう警戒を解いていいだろう。掴むことはなかったが、生死確認の役には立てたのだから、トングも得物レギュラー続行だ。

    立ち上がろうと、ビットの生死を確かめるために折っていた膝を伸ばす。その直後、視線の先の地面に、丸い点がポツポツと描かれた。雫の軌跡。タイミング悪く雨でも降ってきたか。

    痛む頭部を抑えながら空を見上げる。しかし、そこに雨雲は無い。おかしい、ならば先程の雨跡はなんだったのか。

    「…………あ」

    不思議なこともあるものだ。そう楽観視しながら頭部から手を離した。そして、目にしてしまった。その指先が、明らかに雨では無い液体で濡れているのを。端的に言うならば、指先が血液で染められていた。そっと頭部を何度か触ると、じわじわと指先の赤が強まる。

    (そういえば、暗闇の中で殴られたような感覚が……)

    なんだかノイズが混ざり始めた視界の中でゆっくり目を動かすと、何やら赤黒く染まったビルの壁が止まった。殴られたかのようなあの感覚は、殴られたわけではないが実際にぶつかってはいたらしい。幻覚はあくまで視覚だけ。その他の感覚は現実だったようだ。

    ……ということは、夢の中で片腕しか動かせなかったのは……。

    「……もう、そのまま帰ろうかな」

    頭部の怪我は適当に血を拭えば誤魔化せそうだが、壊れた義手は別。どう言い訳をしようとも、また無茶をしたと捉えられかねない。それは面倒だ。あの暗闇などよりも、この状況の方がよっぽど悪夢というもの。

    覚めない本物の悪夢の中で、これから味わうであろう様々な面倒を思い零した溜息が、暗がりに溶けていった。
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