掌中のまぼろし(そよいと)「手、ちっさ」
心の声がそのまま漏れ出た感想に弥代は屈託なく笑う。繁華街の喧騒が漏れ聞こえる路地裏で、俺の独り言を正確に拾ったらしい。
「戦さんの手が大きいだけですよ」
そして、つないだ手の指先を身じろぐように動かし、さぞ当たり前かのように絡め合う。触れ合う手のひらは柔らかで、しかしトレーニングの影響か、まめも出来ている。健気にみずからの仕事を全うする、働く女性特有の手。
その指先……親指が、手の甲を勿体ぶるように撫でる仕草。フラットな態度からほんの僅か滲み出る、甘い空気感。
一瞬真っ白に、呑まれそうになった自身に活を入れつつ、弥代を見つめる。弥代と……弥代の背後で蠢く、気配の変化に意識を向けながら。
まさか、俺が。何かの冗談だろう。何だったら任務中の今だってどこかで疑っている節がある。
何しろ俺が――よりによって、演技力において誇れる技術など何ひとつ持ち合わせていない俺が――交際部の真似事のようなことをしているのだから。
いわゆる囮捜査で(難色を示した静さんをいつも通り説き伏せてしまった)、ターゲットは俺に私怨を持つ人物。俺に恋人がいると誤解させた後、おびき寄せて返り討ちにする流れだ。
交際部の店内代行で慣れている弥代はいつも通りに接しつつ、随所で恋人同士特有の親密さを表に出す。俺に指定されたのは、弥代を下の名前で呼ぶことだけ。後はいつも通りだというのに、まさかここまで、纏う空気を変えられるとは思いもしなかった。
弥代の仕事ぶりには終始驚きの連続だったが、そろそろこの手を離さなければならない。
弥代を敢えて一人にさせて、相手を動かすことが今回最大の目的なのだから。
「すぐ戻るから、少し待ってろ」
「……はい」
合図を察知した弥代は繋いだ手を緩める。絡まった温もりが外れて、俺は離れた弥代の指先を一瞬、見つめた。
――本当に小さな手だ。
その細く、あえかな手でこれまで何に触れて来たのだろう。自分を犠牲にして、関わる人たちを導き、時にはその手を擦ってでも守り抜き……そして、何を手放してきたのだろう、と。
刹那、気がつくと再び弥代の手を掴んでいた。
「……そよぐ、さん」
理屈ではどうにも、説明できない衝動。
「待ってろよ。ぜったいに」
勢いのままに、今だからこそ伝えなければいけない言葉を届ける。
どうせいつか、何もかもを手放すつもりなら。
せめてここにいるうちは目の届くところにいろよ。
必ず守るから、勝手に消えてくれるな。俺や他の奴らが差し出す善意に、甘えろよと。
一回り小さな温もりを掌中に閉じ込めながら願い、言い聞かせる。
仮初といえ、恋人同士なら主張する権利くらいは、ある。