おはようおやすみ救世主──────────────────
まだ薄暗い早朝にぱちりと目が覚めた。
怠い体を動かそうとして、違和感を覚える。
体がベッドに収まりきっていない。尻尾の大半がベッドの外に投げ出されている。目覚めた理由が、その尻尾の浮遊感のせいだと理解した。
尻尾。そう、尻尾が生えている。戦闘中でもないはずなのにメギド体の尻尾が生えていて、もっと言えば、尻尾だけでなく体すべてがメギド体になっているのが分かった。
大慌てで、隣に眠るソロモンを起こすことにする。鋭く大きな爪で傷つけてしまわないように、細心の注意を払いながら、シーツの中に晒け出されたままの素肌を撫でるように揺さぶる。
「ソロモン!ソロモン大変なんや!起きてくれ!」
「うーん……カスピエル……?って、え!どうしたんだその姿」
「分からん……起きたらこうなっててん」
「メギド体……の割には、いつもよりかなり小さめだけど……」
薄く目を開けたソロモンは俺を見た瞬間に飛び起きた。
言われるまで気が付かなかったが、たしかに今の姿は、本来のメギド体に比べたらとても小さいものだった。
ほぼ落ちかかっていたとはいえ、ベッドに乗れているぐらいには。
「とりあえず召喚してみたら何か変わらないかな。やってみるか?」
「頼めるか」
「うん。……召喚!」
「…………なんもあらへんな」
「何なんだろう……あれ?」
指輪を通して送られたフォトンが心地よく身体に流れ込んできたものの、だからといって特に何かが起こることはない。
二人して首を傾げていると、ソロモンがなにかに気づいたように一点を見て声を上げた。
俺も同じようにそこへ目をやれば、丸めた尻尾の付け根の下に、隠されるようにして何かがある。
「これって……たまご、か?」
「……え?」
ソロモンが取り出して、二人の間にぽんと置いたそれは確かに卵と呼べる見た目をしていた。大きな鳥型の幻獣が産み落とすような、大きな卵。
爪でコツ、と触ってみると卵はピクッと揺れて、びっくりした俺は思わず手を引っ込める。
「な、な、なんやこれ」
「……俺たちの、子供……?」
「はぇ?!そ、ソロモン卵産んだん?!」
「いや、このサイズ的に産んだのはカスピエルだろ?!」
「た、たしかに……?」
確かに。確かにそうだ。俺とソロモンはそういう関係だから。昨晩だって、ヴィータの体で、久しぶりに睦み合えたものだからたっぷりと子種を注いでもらったばかりだ。それがいつの間にかメギド体に戻っていた俺の中で、愛の結晶になっていてもおかしくない。
「はは、びっくりしたけど……そう考えたら楽しみだな」
「そ……そだてて、良いん?」
「当たり前だろ!オマエごと大事にするよ」
「……ありがとな……」
ヴィータの体だったらきっと涙が出ていた。でも今はそれもないから、嬉しい気持ちを伝えるために、なるべく尖った部分の少ないところをソロモンに擦り寄せる。
肌を撫で返してくれる手が優しくて、ひどく気持ちいい。
「どんな子かな」
「ソロモンにそっくりやったらええな……そしたら俺、きっとたくさん可愛がってまうけど、嫉妬せえへんといてな」
「大丈夫だよ」
べったりと体をくっつけ合いながら、たまに揺れ動く卵を眺める。
アルスノヴァの性質は受け継いでるだろうか。瞳の色は何色だろう。男の子かな?女の子かな?
期待に胸を膨らませながら話している内に、揺れは次第に大きくなり、やがてぐらぐら。中からコツコツという音が聞こえ始める。
ソロモンが、がんばれ、と応援する。それを聞くと何とも言い難い心地になった。
コツコツ。ガッ、ガッ。
数度目のそれでついにヒビが入り、殻が割れる。
中から現れたのは、鮮やかな髪色。
まるで俺の、ヴィータ体の。
いや、まるで、なんてものじゃなくて、これは──
「カスピエル……?」
呼び掛けられた卵の中の子供は、びくりと震えて、明らかに怯えた目を向けてきた。
幼い日、忌々しいと言われ暴力をふるわれたのが今ならよく分かる。こちらを窺うような、恐怖に揺れる二色の瞳。
なぜだか今、この場で、この子供の喉笛を噛みちぎって殺してやりたい気持ちが芽生える。
そんな俺の思いを知ってか知らずか、ソロモンはゆっくりと子供に向かって両腕を伸ばした。すぐに身を震わせて身を守ろうとする子供。
一瞬怯んだソロモンだったが、めげずにそのまま腕を伸ばし続けた。
「大丈夫だよ。おいで。オマエのこと、大事にする」
ソロモンが優しい声で呼び掛ける。
俺の魂にまで響く声は、他者を恐れるだけの子供にも届いたらしい。
子供は、ソロモンの顔と、腕と、それから空中とにぐるぐると視線を彷徨わせ、それから意を決したように小さな手を伸ばし返した。
ふわり、とソロモンに優しく抱きしめられる子供を俺の瞳がとらえる。
魂が叫ぶ。
そこは俺の場所だ。返せ。いや、俺の場所だから、あの子供が抱きしめられているのは正しい。
本当に正しい?許せない。
嬉しい。
俺を。俺を全部。あの腕が。
「カスピエル」
はっと顔を上げれば、ソロモンがこちらに片腕を伸ばしていた。もう片方の腕で子供を抱きしめながら、俺の方にもまっすぐに、腕を。
「オマエも」
「……ん」
差し出された腕に近寄り、額の辺りを擦り寄せれば、そのまま撫でられる。
暖かな血の通う手のひらから想いが流れ込む。
これは俺の男で、俺の全てもこの男のために在るのだ。
当たり前のことを再確認すると、至上の喜びが体中を支配する。
瞼を閉じれば意識が薄れてゆく。
たしかな愛の時間の中で、何かが混ざり合った気がした。
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カーテン越しの、少しだけ緩和された朝の光が瞼の上を刺激する。
目を開ければ、ソロモンのあどけない寝顔が飛び込んできた。
ここはソロモンの部屋で、ソロモンのベッドで、あたりには昨夜そういうことをした名残が漂っている。
己の体を見てみればいつも通りのヴィータ体で、卵も、あの子供もここには居なかった。
「夢、やったんか……」
思い返してみれば急激に恥ずかしさがこみ上げてくる。
弱かった頃の自分に嫉妬するなど見苦しく、全てを受け入れてほしいなどとおこがましく。
それでもソロモンならば、たとえあの夢が現実だったとしても、そうしてくれたのだろうという信頼がある。
ベタ惚れだ、と思いながら普段よりずっと幼い印象の寝顔を見つめていれば、当人が何やらもぞもぞと動き出し、こちらへ腕を伸ばしてくる。
伸ばされた腕は毛布の上から俺の体に乗せられ、とんとん、と一定のリズムを刻み始めた。
「大丈夫……大丈夫、だからな……」
すぅ、という寝息の合間に零された言葉の、その甘美さに震えるこの魂をどうしてくれるのか。
熱く滲んだ視界の端に、あの頃の子供が屈託なく笑っているようで憎らしかった。
20240505/了