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    彼は誰時/明け方頃の時間帯

    #透明フラスコ事件
    #大橋篤胤

    彼は誰時彼は誰時彼は誰時「崩持さん! 良いのかよ、あんな言わせて」
    「いいんだよ、いいんだよ、言わせておけば」
     署の一角に賑やかな声が響く。方や、不満を露に巡査部長に突っかかる尾羽切福郎。方や、それを軽々に流す崩持無苦。外で崩持が何か言われたらしく、それに言い返さなかったことを尾羽切は詰めているらしい。デスクに座っていた大橋篤胤はホワイトボードを確認した。今日の二人は基本的にパトロールに従事するようだ。
     ――ずぅっと喋っているんだろうなぁ、あの調子で。
     大橋が二人にちらっと視線を戻せば、尾羽切の頭を崩持が乱暴に撫でているところだった。尾羽切がその手を振り払い、崩持さん、と大きめに声を張る。その声は署の喧騒に吸い込まれていった。
     
     二人は柊鬼署で出会う前からの仲らしく、尾羽切巡査はここの配属が決まってから基本的に崩持巡査部長と行動をしている。これは柊鬼署に長いこと居る人間であれば凡そ知っていることだ。というのも、出勤していればこの二人のやり取りを一度も目にしない、なんてことは有り得ないし、尾羽切の事を知らない人物が居れば、崩持が尾羽切を紹介しに来るからである。区の規模や治安維持に対して柊鬼署もそれなりの人数が置かれているが、崩持は、そのそれなりの人数を大方把握しているようだった。
     例外無く、大橋の元にも二人……正確には、尾羽切を連れた崩持が挨拶をしに来たからよく覚えている。その時の尾羽切は崩持の後ろに控えていた。紹介の際に崩持に前へ来るよう促され、小さく「うす」と言葉を漏らし軽く頭を下げたのを更に崩持に頭を押され深く礼をさせられていた。ご主人様の敵か味方か、それだけを初見で見定めようとする、崩持の拾った、非常に警戒心の強い保護犬。それが、大橋が尾羽切に最初に抱いた印象だった。……その態度は部下と言うより舎弟だろぅ、という苦言はさすがに飲み込んだ。
     
    「大橋さん、この後、空いてます?」 
     崩持は底抜けに明るく他者と積極的なコミュニケーションを図る男で、鑑識である大橋の元にも何の用がなくとも雑談をしに来ていた。今日もその流れかな、と大橋は、あぁ、いいよぉと、返し、崩持の後ろを見る。最初の時程、周囲に対する威嚇は薄れたとはいえ、こちらの目をじっと見ようとするのは尾羽切の癖だろうか。崩持が、福郎は留守番、と書類の束を渡す。尾羽切も一緒だと思っていた大橋は目を僅かに瞬かせた。尾羽切は何かを言いかけようとして、渋々といった様子で「はい」と飲み込んだ。自分のデスクに戻る背中がやたらと小さく見える。本格的に犬だ、と大橋は尾羽切を見送った。
    「行きましょうか」
    「ん、どこにぃ?」
    「これですよ、これ」
     大橋さん、実は吸えるでしょ?
     崩持が二本指を立てて自分の口に当てる。どこから漏れたのか、カマかけなのか、あるいは観察されていたのか。一瞬そんなことが過ぎるが、別段隠していたことでも無いと大橋は唇を尖らせながら両肩をすくめた。
     崩持に先導された先は署の屋上だった。本来であれば禁煙の場所であるが、大橋が一緒だと分かっていたから、彼が鍵を持ち出した時に誰も何も言わなかった。暗黙の了解でここを休め所にする職員は多いのだ。
     屋上はよく晴れ渡る空の天日に晒され室内よりも暖かかった。穏やかな風が偶に頬を撫でる。入口の裏手に回れば、そっと野晒しにされている灰皿と空き缶が土埃を被っていた。崩持が長い脚を畳んでしゃがむ。途中、自販機で買ってきた缶コーヒーを開けながら、彼は右手で狐の顔を作り、口をパクパクとさせる。大橋は片眉を上げて、灰皿を挟んで壁に体重を預けた。
     崩持から一本の煙草を渡される。箱を見ればそれなりに重いものだった。はあ、こんなのを彼は吸っているのか、意外だな、と思いつつ、指で遊びながら眺めていれば、崩持が流れるようにライターを近づけてくるものだから、大橋は煙草に火をつけてもらった。崩持も口にくわえたのを見ながら、煙草を吸う。
     何十年ぶりか、肺が煙に満たされる。毛穴が開き、すう、と力が抜ける感覚がする。若い頃はこの後のぼんやりする感じが心地よくて箱を開けていたな、と思い出す。署に来て、鑑識に異動する前の習慣だった。
     ふう、と青空に向かって細く煙を大橋が吐き出した瞬間、隣で盛大に噎せる音がした。
    「ゲホゲホッおえっ」
    「えぇ……嘘でしょぅ……吸えないのにこんな重いの買ってるのぉ……」
    「はは、いやぁ、慣れないもんですね。いや、尾羽切のやつが吸ってるからどんなもんか気になって。っほ、げほ」
    「本当ぅ、他者理解への努力を怠らない男だねぇ」
     これが愛嬌であり、人たらしであると大橋は思う。
     人が普段しない喫煙習慣を見抜いて、わざわざ人気のないところに呼び出し二人きり。ジャンルがラブコメであれば告白、サスペンスであれば脅迫が妥当なところだが、ここは現実である。大橋は彼が口火を切るまでの時間を図ろうとしたが、その間には一本吸いきってしまった。
    「用件はぁ?」
     致し方無し、と、大橋は灰皿に煙草を押し付け空き缶に放る。崩持は鼻の頭をかいて、口角をあげる。表情筋が緊張しているのを大橋は見て取った。
    「ああ、実は昇進の事で」
    「噂話には聞いてるよぉ。もしかして根回しだったりするぅ?」
    「そんなそんな、滅相もない。今の警部補の立場とか心構えってどんなもんかなぁとお話伺いたいと思いまして」
    「ふは、面白い話振るねぇ」
     大橋は顎を撫でる。さて、どう答えたものか。
     この男の話したがっている本題はそこではないだろうと大橋は考える。そんな話はちょっと離れた外に飯でも食べに行けばいいのだ。少し話を広げやすくした方が話やすかろうと唇と舌を湿らせた。
    「とにかくまずは引き継ぎ、書類、挨拶、研修……一年はこれに追われたねぇ。偉い人へのお目通しもあったり、まあまあてんてこ舞いだったよぉ。そこら辺は私よりも崩持くんの方が得意だろうし、心配しなくてもいいと思うよォ」
    「うへぇ、仕事量ってやっぱり増えますか」
    「板挟み係だしねぇ。私は現場に居座りたいから長らく蹴ってたけど、長らくそこに居られちゃ困るって昇進したクチだしぃ」
    「はは、大橋さんらしいですね……そうなると、下との関わり方ってやっぱり変わってきちゃいます?」
    「人によっては同期や歳上、先輩が部下になったりする階級だからねぇ。最初の時期がやっぱり衝突起こしやすいと思うよォ。実際、仕事多くて気配り難しい時だってあるからねぇ。階級が変わったってだけで人も変わったって看做して突っかかってくる人も居るしねぇ……様子見れない人だって出てくるし、関わりを制限しなきゃならない場面だってあるよォ」
     崩持は眉間に皺を寄せた。口を手で覆いそうになるのを見て、大橋は崩持を呼ぶ。細い目を少し丸めて見上げてくる彼に、大橋は右手で宙を掻き、再度煙草を要求した。崩持は大橋に煙草を手渡し、ライターで火をつける。じ、と紙煙草の焼ける音がやけに耳に響いた。
     すぅ、と大橋が軽く一口吸う間に、崩持は口を開く。
    「……心配なのは尾羽切の事で」
    「あぁ、尾羽切くん」
    「はあ~~俺が怒られてんの見て噛み付いたりしないかなぁ。喧嘩ふっかけたらどうしよ……」
    「……君に直接不利になりそうなことはしないんじゃないのぉ? そこまで見境ないなら問題だと思うけどぉ」
    「喧嘩っ早いんですよ、アイツ……俺の言うことは割と聞くんですけど、周りをまだ信用出来てないっつーか」
    「ふうん」
     それは道理だろうと思う。
     常に二人一組で組むようになったらそれは深まった関係性に陥りやすい。ましてや、尾羽切と崩持はこの署に入る前からの付き合いで何かしらがあった仲だと聞いている。そうでなければ尾羽切はあそこまで、日頃から、何を言われても相手に言い返さない崩持に対して突っかかりはしないだろう。
     ――不平不満を言い出さない崩持くんの代わりに尾羽切くんが相手に噛み付く。その構造はどちら精神の均衡に役立っているのか。傍目から見れば尾羽切くんだろうけど、……どちらもだろうな。
     ――じゃあなんでこのタイミングで昇進の話を受けようとしている?
     大橋は自分の中で波立つ音を拾った。 
    「なのでぇ、そのぉ……尾羽切のこと見てやってくれる人募集中~みたいな」
    「はは、それで私かい」
    「大先輩! 現場の鬼! 人生経験豊富!」
    「どういうイメージの煽てだいそりゃ……よしなさいよ。私は崩持くんみたいに優しくできゃしないんだから」
    「だからですよ。あいつには叱ってやれる奴が必要なんです」
    「鬼役を勝って出ろって?」
     大橋は人差し指を立て、額に角を生やす。崩持も笑いながら真似て両手で二本角を生やした。
    「頼まれないでも、なんかやらかした相手にゃ怒ってるけどね、私は。おかげ様で査定に響いて出世なんかできやしない。そんなに怖いかねぇ私は」
    「ノンキャリの警部への出世は試験でしょう。査定関係ないですよ」
    「はは、そうだったそうだった」
     失敬、と言って大橋は自らの頭を叩く。ぺちんと小気味良い音がして、崩持は吹き出した。腹を押さえながら肩を震わせている。大橋は片側の口角を上げて、灰皿に灰を落とし、ようやく煙草を咥えた。
    「まあ、覚えとくよ。マメな男がマメに心配してる男ってね」
    「はーぁ、ずるいなぁ大橋さんは。俺、どうやって話そうか考えてたのに」
    「コツだよコツ。同じ立場になったら考える視点も変わってくるさ。私よりもよっぽど崩持くんの方が上手くやれるよ。所詮、私は現場に居たい頭のかったい人間だから」
    「今、頭叩かないでくださいね転がる自信しかないんで」
    「扇子か万年筆でも持ってきてやればよかったかね。そっちのがいい音が出るんだ」
    「ぶっは」
    「君、さては笑い上戸だろう」
     本当に転がり回って笑いそうな崩持を見ながら、大橋はため息を押し殺して咳払いをする。
    「人の事ばかり心配しないで、自分にもちゃんと気を配りなさいよ」
    「そこの塩梅は上手い方だって自負ありますよ」
    「本当かね。口の上手いやつはいつだって自分も騙しちゃうんだから」
    「信用してくださいよ~、同じ警部補になるんですから~」
    「崩持くんの仕事ぶり次第かな。程々に頑張って」
    「はは、こりゃぁ、手厳しいな」
    「崩持くんが頑張れるように私も頑張りますからね」
     とん、と指で煙草を弾いて灰皿に灰を落とす。崩持を見れば、目を瞬かせて大橋を見上げていた。お人好しはこれだから。大橋は崩持の額を小突き、煙草を皿に押付け空き缶に入れる。大橋が壁から背を離すと崩持も立ち上がった。
    「それ、飲み終わったらそこの空き缶と交換するんだよぉ、頼むねぇ」
    「あの、大橋さん」
    「崩持巡査部長」
     崩持の歩みが反射的に止まる。大橋は少しだけ首を後ろに傾け、彼を見遣る。少しだけ緊張した様子の崩持に、大橋はゆっくりと言葉を投げた。
    「巣立たせるタイミングは見誤ることのないように。お互いの為にね」
     
     てん、てん、と雨が窓を打つ。
     当直の尾羽切はぼんやりと暗い喫煙所で煙草を吹かしていた。部屋には白い煙が雲を作るようにたなびき、天井へと昇り消えていく。換気の関係で窓が多いこの部屋は、夜だろうが曇りだろうが自然光を採り入れて多少なりとも明るい。家に居る猫が今夜も騒がしいだろうと、少しばかり隣人に申し訳なく思う。
     てん、てん、てん、と窓を打つ雨は次第に強くなり、建物全体を打つ合唱となる。そんな音をぼんやりと聞いていると、ぱち、と部屋の明かりが着き、ぎぃ、と喫煙所の扉が開いた。
    「うわ、煙たいねぇ」
    「…………」
     換気扇はつけなよぉ、と大橋は壁にあったスイッチを押す。
     どさり、と体重を遠慮なしに椅子に預け、ポケットを漁り煙草を咥えてポケットを漁る。忙しなく手をポケットに突っ込んだり、叩いたりしていたが目当ての物は見つからず、項垂れた。
     その様子を尾羽切は煙草を咥えながらぽかんと見ている。尾羽切は恐る恐るといった様子で大橋に話しかけた。
    「あの、火、っすか」
    「ん? そうそう。あ、もらっていぃ?」
    「どうぞ……」
     半分呆然としつつ、尾羽切は大橋が口に咥えた煙草に慎重にライターで火をつける。ありがとぅと間延びした声で礼をしながら、大橋は白い煙を天井に向かって吐き出す。換気扇に吸い込まれてゆく煙は渦を巻いている。
     尾羽切は目を瞬かせたが、大橋に「煙草、燃え尽きちゃうよ」と促され慌てて吸い込み噎せた。
     大橋はその様子を見ながら一本の煙草を煙らせる。一人と一人の、白煙を伴った息のみが数分。何本かを吸いきると、大橋は、「火ぃ、ありがとうねぇ」と喫煙所を後にした。
    「……あの人、煙草吸うのか」
     尾羽切はふと窓を見る。通り雨だったのか、激しい雨脚は弱くなっていた。


    「あーあ、やってくれたなぁ崩持くん。死人の残すメッセージほど生者に効くもんはねえんだよ、全く」
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