名も知らぬ感情師走 ───
この季節、この地域では空っ風に雲が流されよく晴れる日が多い。西高東低、冬型の気圧配置。今日、12月25日も例外ではなく雲ひとつない青空が澄み渡っていた。
今年のクリスマスは平日で、普段の休日の来園者数には劣るだろうと思いきやそのような事はなく。休みを取ったのであろうカップル、海外からの旅行客、国内ツアーの団体客、子供を連れた家族。客達の様相は様々だ。
世間がやれクリスマスだのやれイルミネーションだのと賑わってる最中、ここ西東京妖怪公園でも例に漏れずクリスマスムード一色だった。園内の至る所にイルミネーションやクリスマス飾りが施されている。一ヶ月程前に職員総出で飾り付けを行った事はまだ記憶に新しい。
普段とはまた違った園内の様子に来園者達は思い思いに楽しみ、そしてまた園職員達も忙しなく業務をこなしてはいるが、皆どことなくクリスマス気分に浮かれている様子だった。
皆が笑顔になれる日、そんな不思議な力を持つクリスマスだと言うのに笑顔とは真逆の不機嫌そうな顔をして働く男が一人。
「亞くんどうかした?」
妖怪園の飼育員である鳥月日和は、不服そうに隣を歩く後輩、亞心五郎に問いかけた。
「…別に、どうもしてない…っすけど。」
否定の言葉を口にする亞だが、それとは裏腹にどこか不満そうな様子のままだった。
それもそのはずで。
今の亞の格好は普段着ているの橙色のつなぎや赤い作業帽とは全く異なり、今日この日にぴったりなトナカイを模した衣装を身にまとっていたのだ。
亞がなぜこのような状況に陥っているのかと言うと、大元の話しはおよそ一ヶ月程前に遡る。
11月も半ばを過ぎた頃、園内の色付いた木々の葉も散り始め、肌をさすような寒さも日に日に増していった。冬の妖怪達の活動も活発になるこの季節は、それを目当てに来園する客も多くなり、職員達の業務もより一層忙しくなっていた。
特に人手を要するのが冬最大の行事であるクリスマスの段取りである。
12月に入ってからはクリスマスイベントと称し、職員達が交代制でサンタクロースやトナカイに扮し、様々な催し物を行っていた。
中でも来園した子ども達に無料で配られるプレゼント企画は毎年恒例のものとなっており大変な人気を博していた。
亞として入社してから幾度目かのクリスマスだが、これまでこういったイベント事では力仕事や裏方での作業がメインであった。
表立ったパフォーマンスや接客を担当する職員はいつも同じ面子だったのだが、どうにも人手が足りず。日本の多くの企業が抱える人手不足という大きな問題はこの妖怪園でも例外なく影響を与えていた。
そういった諸々の事情を踏まえ業務の穴を埋めるべく、今年から新たな試みとしてイベントの担当をローテーションする事になったのである。
亞はアルバイトではあるが、すでに戦力として頭数に入れられているためもはや逃れる事などできなかった。
そんなわけで現在に至るのだが、それにしてもなぜこのような格好をしなければならないのか。
傾いた格好は好みではあるが、この衣装はどう見ても毛色が違う。
このような動物を模した仮装をした事などあるわけもなく、なんとも決まりが悪い。
かと言って今日一日、一緒に仕事をする鳥月相手に強く断る事もできず、流されるがまま受け入れるしかできなかった。
「ごめんね、亞くんが着れるサイズ、これしかなくって。」
鳥月は少し申し訳なさそうに言った。
職員の中でも上背のある亞には着られるサイズが限られている。しかも間の悪い事に亞が着られるサイズのサンタの衣装が数日前に不慮の事故から破損してしまい、残る衣装は何とも間の抜けた、否、上下がゆったりと繋がり、可愛らしいフードにトナカイの顔と角がついたデザインのものだけしかなかったのであった。
「でもトナカイ姿も似合ってますよ。
すごくかわいいですし。」
慰めとも励ましとも取れる言葉を口にして、鳥月は朗らかに笑った。
野郎に対してかわいいという表現は褒め言葉ではないのでは…と口まで出かけたが、亞はグッと堪えて飲み込んだ。
そんな訳で、サンタクロースに扮する鳥月とトナカイ姿の亞は今日一日この姿で勤務をしなければならなかった。
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クリスマス期間の子供の来園者には、入園チケット購入の際にプレゼントの引き換え券も渡される。その引き換え券を持ってきた子供達にプレゼントを渡すのが今日の二人の仕事内容だ。
持ち場に着き準備を整えながら、そろそろお客さん達来そうですねー、とゆるく会話をしていたのも束の間で、開園時刻を過ぎると徐々に客足が増え慌ただしくなっていった。
道行く子供達が、サンタとトナカイ姿の二人に目を惹かれ、まるで吸い寄せられるかのように集まってくる。
またたく間に人集りができ、まるで人気妖怪の展示場前のような賑わいをみせた。
そんな中でも持ち前の明るさと場馴れした応対で手際良く客をもてなす鳥月の姿はまさにベテランそのものであった。対して亞はやはり渋い顔のままだが、プレゼントの補充など鳥月のサポート的な立ち位置で与えられた役割をこなしていた。
亞が入社した当初の指導担当が鳥月だったゆえに、よく二人でペアになって仕事を任される事が多かったが、これがなかなか理にかなった組み合わせであった。片方の足りない部分をもう片方が得意分野で補う事ができるので、端から見ても息の合った良いチームワークだ。
無邪気に駆け寄ってくる子供達を相手にしているとあっという間に時が経ち、気が付けば一日の半分が過ぎようとしていた。初めは気にくわなかったこの格好も、いつしかそれほど気にならなくなっていた事に亞は少し驚いた。
「平日だけどなかなか大盛況ですねぇ。」
客が途切れた合間に、鳥月は両手を上げてぐぐぐっと背伸びをした。
「そうっすね。」
そう言って、亞も同じように背伸びをしたり肩を回したりしてストレッチをする。
日頃から立ち仕事には慣れているが、同じ場所で立ち続けなければならない今日の仕事は普段とはまた違った疲労感が出てくる。
それに加えて亞の場合は、接客という慣れない業務もこなさなければならないため尚更の事だった。
「亞くんのトナカイさん姿、大人気ですね。」
背の高い亞は遠くからでもよく目立ち、そんな彼の姿を見つけて子供達が駆け寄って来る事が何度もあった。
普段のどこか達観したような姿勢とはまた違い、子供達に囲まれて焦ったり戸惑ったり時には笑ったりする亞の姿はとても新鮮であった。なんとも微笑ましい光景だ、と鳥月は密かに思っていたのだ。
「や、そんな事ないっすけど…」
いつもと変わらず涼しい顔をしながら答える亞だが、その表情はどこか釈然としない様子。
腕を組み、うぅむと考える素振りをして首を傾げる。
「そもそも何でおれらがこんな格好して客あしらいなぞしなきゃならねぇんです?」
妖怪園の職員の本業は妖怪達の世話をする事で、来園客の相手なんてオマケ程度のものだと思っていた亞は率直な疑問を口にした。
「う~ん……確かに私達は妖怪さん達をお世話するのが仕事ですけど、お客さんに楽しんで貰うのも仕事というか…
それにお客さんの笑顔を見るのも好きだからですかねえ。」
私の場合は、ですけど…と付け加えた。
「…ふうん?」
鳥月の返答を聞いてもいまいち納得のいかない亞は考え込むような仕草をした。
これまで亞が接客に関わる事はあまりなく、あったとしてもどこかぎこちないものであった。
人間との関わり方も未だに理解できない事の方が多く、だからこそ鳥月が言う『客に楽しんでもらうため』というのもいまいちよく分からなかった。
そもそも興味関心の無い他者と接すること事態が面倒くさいの一言に尽きる、というのが神野自身の生来からの気質であり、それを今さら覆すのは困難な話しだ。
兎にも角にも人に化け人間として生活をしているからと言って、わざわざ変える道理などない。
(他人の笑顔を見て何になるってんだ?儲けになる訳でもなかろうに。)
全く見ず知らずの人間の、たかが笑顔を見たところで何の面白みもない。
(クリスマス行事だかなんだか知らねぇが、そんな事しなくったって客は来るし園の儲けだって大して変わんねぇだろ。なぜわざわざこんな事をする?何の得にもならねぇだろ。)
こちらとしては何の得にもならない上に余計な仕事が増える一方だ。
(『得』…?そういやどこかでこんな話しをしたような…?)
自分の記憶の糸を手繰り寄せるが、なかなか思い出せない。
亞はまたもやうぅんと考える素振りをした。
鳥月はきょとんとしながらも、少し心配そうな表情で亞の横顔を見つめた。
「お客さんの波も落ち着いたし、一旦休憩しましょうか。」
どこか上の空な亞を見て、少し早めの休憩を提案する。亞の心の内は読めないが、やはり慣れない接客は大変なのだろう、と思い至っての事だ。
そんな鳥月なりの気遣いに気が付く事なく亞は空返事をするだけだった。
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二人同時に持ち場を離れる事ができないため、亞が先に一人で休憩を取る事にした。
持ち場を離れて、自然と足が向かったのは事務所外の端にある喫煙所だった。一服しようと煙草を取り出し火をつける。
(そうだ。山本との話しの中だ。
損得勘定だなんだとぬかしてたな。)
ふーっと煙草の煙を吐き出しながら、先ほどまで思い出せなかった記憶をふと思い出した。
この妖怪園に入るきっかけともなった山本五郎左衛門との会話の中で、そんな話しをしていたような気がする。
(たしかに鳥月さんに力を貸したっておれにゃなんの得もねぇが…
強いて言えば鞍馬山が言うところの『理解者』ってやつを失わないための手段であってそれ以上もそれ以下もねぇ。
そこに損得勘定なんぞ…無いはずだが…)
煙草を咥えながらうーんと唸る。
損得勘定とは?自分にとって何が損で何が得になるかだなんて深く考えた事もなかった。
損だの得だのと七面倒くさい事は抜きにして、もっと単純な自分自身にとっての良し悪しを考えてみる。
考えてみた時にふと何故か鳥月の顔が頭をよぎった。
妖だけでなく魔の感性をも理解できる彼女は、人間の中でも変わっていて非常に興味深い存在だ。
神野が描いた絵を理解できるという点だけでも、どちらかといえば好ましい部類に入る。
もし仮にそんな彼女を何らかの危害が加えられて喪ってしまったとしたら……
そんな場面を想像するだけで、何とも形容し難い不快な気分になった。
たかが一人の人間相手に何故そんな感情になるのか…人間としての経験がまだ浅い亞には到底理解できない事だった。
考えれば考えるほど新たな疑問が浮かび、そして答えが出ないまま蓄積されていく。物事を深く考える事を苦手とする亞には処理しきれず、頭の中はパンク寸前であった。
そうこうしているうちに休憩時間も終わり持ち場に戻る。
一日の後半戦、先ほどまでと同じ要領で仕事をこなしていく。
しかし一度疑問に思ってしまった事がどうにも頭の隅に引っ掛かり、やはりどこか上の空になってしまう。
相変わらず眉間にシワを寄せ、ヘの字口で考え込む様子の亞に鳥月は
「ほら、亞くん笑顔笑顔!忘れてますよ。」
と言ってニッと笑って見せた。
鳥月という人間は、亞にとって他のどの人間よりも身近な存在だ。誰よりも近い場所から色々な表情を見てきたような気がする。
マイナスな感情を見せる事の少ない彼女は、どんなに忙しくてもいつものようにへらっと笑っている。
裏心を微塵も感じさせないその雰囲気は生まれもっての性質なのだろうか。
例え他の人間や妖魔がその性質を持っていたとしても癪に障るだけなのだが、何故か鳥月相手の場合はそのような気持ちにはならない。
むしろ鳥月が持つ柔らかなその雰囲気に、居心地の良ささえ覚えてしまう。
何故、そんな心情になってしまうのか、やはり分からないままだった。
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閉園時刻を迎え、妖怪園の忙しい一日がようやく終わる。
すっかり日も暮れて、東の空を見上げれば冬の夜空にオリオン座が光り輝いている。昼間の賑わっていた園内とはうって変わって夜の足音が聞こえてくるような静けさだった。
園の各所で行われていた催し物も滞りなく進み、大盛況のうちに終わる事ができた。
職員達はイベントの成功に安堵を覚えつつも、閉園後の通常業務を続ける。
それに加えてイベントの後片付けもあり、全てを終える頃にはすっかり夜深くなっていた。
自分の仕事を一通り終えた亞は事務所外の建物脇にある段差に腰掛けた。静けさが包む冬夜の中、一人煙草をふかす。
事務所内ではクリスマスパーティーと謳って仕事を終えた職員達や一部の妖怪達が思い思いに楽しんでいる。
しかし今はなんとなくそんな輪の中に入る気にはなれなかった。
壁を隔てて間接的に聞こえてくる賑わう声を背景に、ふと辺りを見渡す。
閉園後の園内は灯りこそ少なくなるが、そこかしこに妖怪達の気配がある。
夜は彼らの時間だ。
しかしながら煙草の煙を嫌ってか、あるいは神野の魔王としての隠しきれぬ気配を感じてか、亞の周りに自ら寄ってくる妖はそうはいない。
そもそも人間や妖怪達がこんなにも身近にいる環境に長期間居る事自体が初めてであった。
魔を統べる者として永く存在してきたが、基本的には一人自由気ままに過ごす事が多く。だから群れて生きる人間の事がよく分からなかった。
数こそ多いが寿命も短くひ弱で、取るに足らない存在という認識しかなかったのだ。
しかし山本の言い付けとは言え、人間に化け、働き、人の世を学び過ごしているうち、人間の世界もなかなかに面白いものだと思うようになった。
こんな暮らしもたまには悪かねぇなと思うような事も幾度かあり、慣れとはこういう事なのかと、すっかり人の世に馴染んだ自分自身を心の中で嘲笑った。
事務所のドアが開き、室内の賑わう声が外に漏れ出る。しかしそれも数瞬のことで、バタンとドアが閉まりすぐに先ほどまでの静かな世界に戻った。
誰かが近づいてくる気配がしたので、のったりとそちらを見ると、見慣れた黄色い縞模様のニット帽が目に入った。
「亞くんお疲れ様。今日一日大変だったでしょ?」
労いの言葉とともに差し出された小皿には、白い生クリームに真っ赤なイチゴが飾られたショートケーキがのっていた。
ありがとうございます、と亞が素直に受け取ると、鳥月も彼の横にちょこんと腰掛けた。
「平木さんからの差し入れですって。亞くん、甘いもの大丈夫でしたよね?」
「えぇ、まぁ。」
携帯灰皿を取り出し、咥えていた煙草をぎゅっぎゅっと押し付け器用に仕舞う。
自分一人だったら手掴みでかぶりつくところだが、鳥月の手前そんな行儀の悪い行動はできず、プラスチックのフォークで一口大に切って頬張った。
そんな亞を見て鳥月も同じように一口頬張る。
「美味しい~!」
「うまいっすね。」
鳥月も亞も思わず感嘆の声をあげた。
今日一日、色々な思考を張り巡らせるのに頭を使っていたせいか、ケーキの甘さが体によく沁み渡る。
自分にとっての損得とは何か、それを考えた時に鳥月の顔が一番に思い浮かんだのは何故か…結局のところ答えは出ず、新たな疑問が増えただけだった。
けれど今、自分の隣でたった一つのケーキにさえ感動を覚える彼女を見ていると、名状しがたい気持ちが心の内を占領する。
僅かに灯る園内のイルミネーションが鳥月の横顔を柔らかく照らしていた。いつもならただの光だと切り捨てるところだが、彼女の笑顔と重なると、なぜかその輝きさえも特別なもののように感じられた。
何だか胸の奥がむずむずして何とも言えない衝動に駆られそうになる。
この心の衝動はいったい何なのか、何故このような気持ちが芽吹いてくるのか、考えれば考える程疑問は限り無く湧いて出てくるが、今はそれをぎゅっと心の奥に押し込んだ。
(クリスマスだのなんだの人間が勝手に作った祭事にさして興味はねぇが)
(こういうひとときがあるなら、まぁ、そんなに悪かねぇか…)
その感情に名前がある事を、人間を学び始めたばかりの年若き魔王はまだ知らない。
そしてその正体が『愛おしい』と名の付くものであると気が付くのは、まだ先の話しであった。